向日葵side

68

 私と木村さんは……

 従兄弟。


 私は……

 お父様の娘ではなく、怜士叔父様の娘。


 私が命を授かった日に……

 怜士叔父様は命を落とした。


 私が……

 母の愛する人の……命を奪った。


 私が……

 怜士叔父様の命を奪った。


 母の悲しみや絶望を想うと、胸が押し潰されるように苦しく、涙が止めどなく溢れた。


 ーー私なんか……


 ーー私なんか……


 生まれてこなければよかったのに……。


 私が父を殺し……


 母の心を壊した……。



 ◇


 ーー『向日葵、あなたがいたからお母さんは生きていられたのよ。あなたがいなければ、怜士さんの後を追い命を絶っていたことでしょう。

 あなたはお母さんの命を救い、小さな体で怜士さんの命を育んだ……。お母さんにたくさんの勇気と幸せを与えてくれた。

 あなたの体の中で、お母さんも怜士さんも……生きているの……』


 それは……

 亡き母の声だった……。


 両手を広げ……

 母を追い求める……。


 でも母は……

 姿を現し私を抱き締めてはくれなかった……。


『強く生きなさい……。向日葵』


『……お母さん。……お母さん』


 泣き疲れた私はベッドに横たわり、いつの間にか眠ってしまった……。亡き母の夢を見て、ハッと目を見開くと、ドレッサーの上で何かが光った。


 それは石南花大樹さんから頂いた、向日葵の花をデザインしたダイヤのネックレスだった。


 交際を始めたばかりの大樹さん。

 もし私が……桜乃宮創士の実子でないと知れば、大樹さんはどう思うのだろう。


 大樹さんは、私が桜乃宮創士の実子であると信じ、私との交際を申し出た。


 木村太陽という正当な後継者が現れた今、大樹さんと私が結婚する意味があるの?


 大樹さんの真意が問いたい。

 木村さんのことは、いずれ大樹さんにも知れること。それならば自分の口から説明したい。


 私は……震える手で机の上の携帯を掴む。

 躊躇する事なく、大樹さんに電話を掛けた。


 以前の私なら、こんな勇気はなかった。


 ーー『強く生きなさい……。向日葵』


 でも、今の私なら……小さな勇気を持てる。


 電話はすぐに通じた。受話器から明るい声が響く。


『はい、石南花大樹です。向日葵さん泣いてるのですか?何かあったのですか?すぐにそちらに伺います』


 涙声の私に、大樹さんはすぐに気付き狼狽している。


「ごめんなさい。少し風邪気味なだけ。突然電話して申し訳ありません。実は……大樹さんに大切なお話があります。週末に私と逢って下さいませんか?」


『向日葵さんお風邪ですか。お体大丈夫ですか?向日葵さんからデートのお誘いをいただけるなんて初めてですね。こんな嬉しいことはない。向日葵さんの行きたいところなら、何処にでもご案内します』


「いえ……その……」


 大樹さんに『デート』と言われ、思わず言葉を詰まらせた。大樹さんの声は明るく弾んでいる。その様子に溢れていた涙が渇いていく。


『向日葵さんと行きたいところが沢山あり過ぎて、迷ってしまいますね。オーケストラの演奏会やオペラもいい。歌舞伎も面白いですよ』


「……いえ……大切なお話があるので、そのような場所ではなく……」


『大切なお話ですか?それでは静かな場所がいいですね。銀座に馴染みの料亭があります。食事をしながらゆっくり話を伺います。日曜日の午前十一時に車で迎えに行きます。それで宜しいですか?』


「……はい。宜しくお願いします」


『では日曜日に。お逢い出来る事を楽しみにしています』


「……はい」


 電話を切りホッと胸を撫で下ろす。

 蘭子姉さんを頼らず、自分でちゃんと話をすることが出来た。その勇気をくれたのは、母の優しい声と……私を温かな眼差しで見守ってくれる木村さん。


 ティッシュで涙を拭き、ドレッサーの引き出しを開くと、引き出しの中には蘭子姉さんや百合子姉さんから頂いたメイク用品や、色とりどりのマニキュアが並んでいた。


 透明色や淡いピンク、ホワイト、殆どが自己主張しない目立たない色ばかり。


 その中で一際目立つ赤いマニキュア。

 ビューティーマリー化粧品の空社長から頂いた新色だ。


「私には華やかな世界は似合わない……」


 机の引き出しを閉め、鏡の中の自分を見つめた。泣き腫らした瞼、充血した目。大人になり切れない、少女の眼差し。


 お父様のご恩に報いるならと受け入れた政略結婚だけど。お父様の実子ではないと知り、桜乃宮財閥の重圧から少し解き放たれた気がした。


 いつも束ねている髪をほどく。黒髪がハラリと肩に落ちる。いつも三つ編みにしているため、緩やかなウェーブがついている。


 ブラシで髪をとかすと、長い黒髪がサラサラと揺れた。


 鏡に映る私が、ほんの少しだけ大人びて見えた。

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