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◇◇
「それから九ヶ月後……霞さんは女の子を産んだの。可愛い可愛い女の子。彼女はその子に怜士さんの大好きだった花の名前を付けたわ。それが向日葵さん、あなたよ。
あなたは創士さんの娘ではないの。だけど、創士さんはずっとあなたのお母様である霞さんに、毎月養育費を支払っていたの。弟の怜士さんがしたくても出来なかったことを、ご自分がなさろうとしたのね。
何度となく桜乃宮家のお屋敷で暮らすようにと、霞さんを説得したけれど、霞さんはあなたを桜乃宮家に奪われるのではないかと疑心暗鬼になり、父親のことも創士さんのこともあなたには一切語らず、創士さんとの接触を絶ち姿を消したのよ」
「お父様は自分の娘ではない私を、どうして実子として引き取ったのですか?」
「怜士さんの大切な愛娘を桜乃宮家の戸籍に入れ、桜乃宮家の娘として育てたかったのでしょう。蘭子さんも百合子さんも多感な年頃だったから、実子だと伝えた方が上手くいくとお考えになったのでしょうね。血の繋がりはなくても、創士さんにとって三人は愛する娘ですもの」
泣き出した向日葵を、菊さんは優しく見つめる。蘭子と百合子の目にも涙が光る。
「創士さんは血を分けた我が子を抱き、育てる事が出来なかった。だから、全ての愛情をあなた達に注いだのね」
菊さんは俺に視線を向け、優しい笑みを浮かべた。
「菊さん……俺……」
「木村さん。いえ……太陽さん。あなたは創士さんと椿さんの子供。この桜乃宮財閥創業家の血を引いたご子息なの。創士さんは最期まであなたは木村月人さんの子供だと信じて疑わなかったけれど、あなたの本当の父親は創士さんです」
「俺が……桜乃宮創士さんの子供……」
菊さんは深く頷き、蘭子に視線を向け諭すように語り掛けた。
「蘭子さん、これで安心したでしょう。創士さんには成人した立派な後継者がいる。蘭子さんはもうこの家に縛られなくてもいいの。自分の好きな人と自由に生きなさい。百合子さんも向日葵さんもこの家のために、政略結婚なんてしなくていいの」
俺は混乱していた。
今まで信じていたものが根底から覆り、現実と非現実の区別がつかないくらい動揺している。
俺の父親は木村月人ではなく、桜乃宮創士。桜乃宮創士の実子だと思っていた向日葵は、桜乃宮怜士の子供。
俺と向日葵は従兄弟。
いや、蘭子、百合子、向日葵は、血は繋がっていないが、俺の兄弟になるのか?
「あなた達、私の話が理解出来たかしら?これからのことは弁護士さんを交えよく相談するといいわ」
「菊さん……。木村さんがお父様の実子だなんて、突然過ぎて混乱しているの。もう少し冷静に考える時間を下さい」
「蘭子さん、そうね。突然こんな話をしても戸惑うわね。太陽さん、あなたは今夜から一階にある創士さんのお部屋を使うといいわ。書斎に創士さんのアルバムや日記もあるはずよ。桜乃宮家の後継者として、この屋敷に残るかどうか、将来を踏まえあなた自身がよく考えて結論を出しなさい。いいお返事を期待しているわ」
「……はい」
菊さんがパンパンと手を叩くと、ダイニングルームのドアが開き一人のメイドが入室し深々と一礼した。以前もこの屋敷で働いていたメイドだ。
「太陽さんを旦那様のお部屋にご案内して」
「はい。か、か、畏まりました。太陽様こちらでございます」
若いメイドは俺を見て動揺している。俺のことを御曹司だとでも思っているのか、その緊張が手にとるようにわかる。
だが、俺は御曹司なんかじゃない。
小さな印刷会社の社員に過ぎない。
俺は放心状態のまま、メイドに案内され創士さんの部屋に入る。
創士さんの部屋は蘭子達の部屋よりも広く、室内は書斎と寝室に分かれていた。室内の家具は全て輸入家具で揃えてあり、天井には豪華なシャンデリアが輝いている。
俺の荷物はすでに寝室のクローゼットにバッグのまま収納されていた。クローゼットには高級ブランドの真新しいスーツが何着も用意されていた。
寝室にはキングサイズのベッド。
ベッドの両サイドに設置された棚の上には、宝石の散りばめられたクリスタルの写真立てが飾られていた。
写真には長く美しい黒髪をした三姉妹。
その傍らには……。
俺ととてもよく似た顔立ちのその人は、紛れもなく桜乃宮創士に違いなかった。四人は幸せそうに頬笑んでいる。
「この人が……俺の本当の父親……」
写真で見る実父に、俺は複雑な気持ちだった。戸惑いを隠せない俺は、創士さんの日記や古いアルバムを見ることは出来なかった。
ーー俺は木村太陽だ……。
木村月人と木村椿の息子。
両親はとても仲の良い夫婦だった。その愛が偽りだとは思えない。
突然、本当の父親が桜乃宮創士だと言われても、「はい、そうですか」と、受け入れることは出来ない。
ーー手を伸ばせば……
俺が欲しかったモノが目の前にあるのに。
俺はそれを掴むことが出来ない。
ーー父さん……母さん……
俺はどうすればいいんだよ……。
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