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 ◇◇


「菊さん……それって……」


 蘭子が重い口を開いた。


「はい、木村さんは……創士さんと椿さんの間に出来たご子息でございます。失礼だとは思いましたが、木村さんの毛髪を拝借し、創士さんの主治医にDNA鑑定を依頼しました。その結果、九十九、九パーセント親子であると立証されました」


「俺が……桜乃宮創士の息子?菊さん……嘘だろ?俺の父親は木村月人だ」


「嘘ではありませんよ。ここにDNA鑑定の結果がございます。あなたは正真正銘、創士さんの子供です」


 菊さんはダイニングテーブルの上に、鑑定結果を置いた。向日葵はその用紙をじっと見つめ、震える声で菊さんに問い掛けた。


「菊さん……木村さんは……私のお兄さんなの?」


「向日葵さん、これからお話することは、心を落ち着かせて聞いて下さいね」


「……はい」


「向日葵さんの本当の父親は創士さんではなく、次男の怜士れいしさんなんです」


「お父様の弟……怜士叔父様……!?」


「はい。怜士さんは若くして亡くなられたから、向日葵さんはお会いしたことはないわね。怜士さんは生まれつき心臓に持病があり、外出することもままならず、ずっと部屋で過ごされていました。あなたのお母様霞さんは、当時お花屋さんにお勤めだったの。怜士さんのお誕生日に、ご親戚から注文されたお花を当屋敷に届けに来たのよ」


 菊さんは向日葵が動揺しないように、ゆっくりと語り掛ける。


「怜士さんのお部屋に通された霞さんは、ベッドに横たわる怜士さんと初めて出会った。心臓が悪く殆ど外出されなかった怜士さんに、霞さんの明るくて愛らしい姿は希望の光を与えた……。怜士さんは一瞬で霞さんに心を奪われたの」


「母と……怜士叔父様が……」


「ええ、怜士さんは女性を愛する事が出来ない体だった。心臓に負担が掛かるようなことは医師から制限されていたの。けれど……怜士さんは霞さんを愛してしまったの」



 ◇◇


 ――十八年前――


 怜士は、心に決めていた。


 自分に残された余命は、あと数ヶ月。

 心臓移植しか生きるすべはないと医師に宣告され、ドナーを待ち続けることに疲れ果てていた。


 胸に手をあてると、手のひらにトクトクと弱い鼓動が伝わる。でもこの心臓は、もうこれ以上自分を生かしてはくれないのだと。


 今にも消滅しそうな鼓動が、霞に会った時だけ元気な音を鳴らす。


 その力強い鼓動に、自分がまだ生きていると実感することが出来る。


 ――もう長くない命ならば……


 せめて……この命が消えてしまう前に……


 一度でいい……


 愛する女性ひとと結ばれたい。


 ――たとえ……それで自分の命が燃え尽きたとしても……


 後悔などしない……。


 怜士は毎日のように花を注文し、霞と自室で語り合う。霞の話を聞くことが、怜士にとって何よりも楽しみで、どんな治療薬よりも安らぎを得ることが出来た。


 ーー初めての出会いから二ヶ月。

 怜士は勇気を振り絞り、霞に語り掛けた。


『霞さん……。君にお願いがあるんだ』


『怜士様、どのようなお願いですか?私に出来ることなら、何でも仰有って下さい』


『僕は……もう長くは生きられない。このまま恋もせず命を落とすなんて耐えられない。最期に……君を抱かせてくれないか』


『……怜士様?』


『非常識で無謀なお願いだということはわかっている。君を深く傷付けてしまう事もわかっている。だけど……このまま死にたくない。好きな人のぬくもりも知らぬまま死ぬことが……怖いんだよ……』


『本当に非常識で無謀なお願いですね。怜士様、あなたはひとつだけ間違っています。私は……あなたに抱かれたからといって傷付いたりはしないわ。だって……私はあなたが好きだから……』


『霞……』


『でも……ひとつだけ約束をして下さい』


『約束……?』


『……私を残して死んだりはしないと』


『霞……』


『決して死んだりはしないと……』


『……約束するよ。僕は死んだりしない。君を残して死んだりはしない。僕の傍にずっといて欲しい。霞……結婚しよう……』


『……はい』


 二人はその日、互いの体を慈しむように優しく愛し合った。


 ――初めて触れる霞の唇……


 初めて触れる霞の柔らかな体……。


 けれど……


 怜士は……


 霞を抱いたまま……


 二度と……


 優しい眼差しを……


 霞に向ける事はなかった。


『……怜士様。約束したでしょう……。決して死んだりはしないと……。怜士様……怜士様……』


 霞は怜士を抱き締め、ベッドの上で泣き崩れた。


 怜士は愛する人のぬくもりに包まれ……


 永遠の眠りについた。



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