lesson 10
太陽side
59
翌日、病室に麻里と君島が二人で訪ねてきた。
「……木村さん、怪我は大丈夫?」
麻里は今にも泣きそうな顔で、俺を見つめた。
「大丈夫だよ。傷は内臓に達していなかったんだ。手術も上手くいった。だから心配しないで」
「……本当にありがとうございました」
麻里は涙を堪えきれず、君島の前で号泣した。君島は震える麻里の背中を、そっと抱き締める。その自然な振る舞いに、俺はなぜか安堵していた。
「木村さん、俺……」
君島が意を決したように口を開く。
「俺……麻里ちゃんが好きです。もう夜のバイトもやめます。俺達……結婚することにしました。木村さん、麻里ちゃんと結婚してもいいですよね」
俺は君島と麻里に視線を向ける。
真剣な表情の君島、その言葉に嘘偽りはない。
麻里の真意をその場で問いたかったが、麻里は俺から目を逸らしずっと泣いていた。
「いいも悪いも、それは二人が決める事だよ。俺の意見なんて必要ない」
俯いていた麻里が、顔を上げ俺を真っ直ぐ見つめた。充血した目、でもその瞳は決意に満ちていた。
「私……君島さんに木村さんのこと話しました。君島さんはこんな私を好きだと言ってくれました。私……君島さんと結婚します。今すぐ入籍するわけではないけど。私……きっと君島さんを愛せると思うから。君島さんとなら一緒に生きていけると思うから……」
素直に、お祝いの言葉が口から飛び出した。
「そうか。麻里ちゃんおめでとう。君島おめでとう」
「はい、ありがとうございます。麻里ちゃんを必ず幸せにします」
二人の言葉に、俺は胸が熱くなった。
これで麻里は幸せになれる。
身勝手な言いぐさかもしれないが、俺のことなんて忘れて、幸せになれよ……。
◇
ーー夕方、病室に蘭子と向日葵が訪ねてきた。
「木村さん、怪我の具合はいかが?」
「蘭子さん、向日葵さん、ご心配をおかけしました。手術も成功し合併症もなく、もう大丈夫です。これも全て桜乃宮家の皆様のお陰です」
「さっき担当医にお話しを伺ったの。あと二〜三日で退院らしいわね。入院費のことは心配しないで、こちらで支払いますからね」
「お気遣いありがとうございます。立て替えていただいた入院費は、働いて必ずお返しします」
「強盗犯も逮捕されたし、これで一安心だわ」
「……本当にすみません。犯人が俺の同僚だったなんて。俺がお屋敷にお世話になっていることが事件の引き金になったとしたら、本当に申し訳ありません」
「そうね、確かに驚いたけど、木村さんの怪我が大したことなくて何よりだわ」
怪我か……。
体の傷よりも、心がジンジンと痛む。
「木村さん……早く……元気になって下さい」
向日葵が、俺にペコンって頭を下げた。
向日葵の細い指先には赤いマニキュアが塗られ、唇には赤いルージュが輝く。
「向日葵さん……そのマニキュア……」
蘭子が向日葵の指先に視線を落とす。
「ああ、これね。ビューティーマリー化粧品の新色なのよ。空社長に、クリスマス前に頂いたの」
「クリスマス前に?」
「今日はビューティーマリー化粧品の新春パーティーに招待されているの。向日葵は石南花大樹さんと出席する事になっているの。だから、新色のマニキュアでネイルアートしてもらったのよ。マニキュアと同色の口紅も頂いたのよ。向日葵には少し派手だけれど、パーティーで他社のものをつけるわけにはいかないでしょう」
向日葵が俺に視線を向けた。
恥ずかしそうに白いハンカチで口元を隠す。
「私には……似合わないですよね」
「いや、変じゃないよ。赤も華やかで向日葵さんにとても似合ってる。蘭子さんも今日は同じ商品をつけるんですか?」
「勿論よ。向日葵とは多少色は異なるけれど、今日はビューティーマリー化粧品の商品しか使わないわ。私は本来レッド系は苦手だけど、気分転換したい時はたまに赤を使用するわね」
気分転換には赤。
……鈴蘭はやっぱり蘭子なのか。
「木村さん、退院する日にちが決まったら連絡して。滝口に迎えに来させるわ」
「いえ……結構です。バスか電車で帰りますから」
「何言ってるの。そんな事をして怪我が悪化でもしたら、私が菊さんに叱られるわ。必ず連絡して下さいね」
菊さんに叱られるって、どう言う意味だよ?
「あの……前から不思議でしょうがなかったのですが、菊さんってどうしてお嬢様よりも立場が強いのですか?勤続年数長いからですか?」
「それは……」
いつもテキパキ答える蘭子が、菊さんのこととなると言葉を濁らせ、向日葵と目と目で何やら合図している。
「……それは私からはお話出来ないわ。菊さんから口止めされてるから」
「口止め?」
何の口止めだよ?
使用人がご主人様に口止め?
さっぱり意味がわからない。
「菊さんのことは別にいいじゃない。さあ向日葵、私達はパーティーがあるから、屋敷に戻りましょう。大樹さんが迎えに来られるのでしょう」
「……はい」
向日葵は蘭子の言葉にコクンと頷いた。
公の場に二人で同伴するなんて、石南花大樹さんと正式に婚約したも同然。
「向日葵さん、石南花様と正式にお付き合いするの?」
「木村さん、向日葵を惑わせるような質問しないで。さあ、もう帰りましょう」
蘭子に言葉を遮られ、俺は向日葵から直接気持ちを聞く事が出来なかった。
向日葵は本当にこれで幸せなのかな?
まだ高校生なのに、政略結婚だなんて……。
向日葵の背中を見つめながら、俺は痛む体をベッドに沈める。
向日葵の孤独や寂しさを癒してくれる相手なら、セレブな御曹司でも政略結婚でも構わないはずだ。
蘭子の言うとおり、使用人の分際で向日葵を惑わせてどうする。
「俺って、バカだよな……」
浩介に刺された傷の痛みが、少しずつ薄らぐように……、浩介に裏切られた虚しさや悔しさが、少しずつ薄らいでいく。
唯一信頼出来る仲間だと思っていた浩介を、俺は心から憎む事が出来ない。
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