百合子side

57

 アイツが怪我をしたと聞き衝撃を受ける。呼吸が苦しくなり、いてもたってもいられない衝動に突き動かされ、車で病院に向かった。


 両親の訃報を聞いた時と同じような胸の痛み。


『……生きていて、お願い生きていて……』


 どうしてこんなにも気が動転するのか、どうしてこんなにも狼狽えているのか、アイツは家族じゃない。ただの使用人なのに……。


『……死なないで』


 ただ……ただ……

 アイツのことが心配で、アイツの傍にいたかった。


 ◇


 ーー病院で緊急手術に立ち会い、手術は無事成功したが、なかなか麻酔から覚めないアイツに、不安はどんどん募る。祈るような気持ちで、アイツの手を握り締めた。


 長い麻酔から目覚めたアイツ。


『……よかった。本当によかった』


 けれど、ベッドの上に横たわるアイツは、いつもの攻撃的な眼差しではなく、瞳の奥は暗く寂しい色をしていた。


 私は……

 そんなアイツがほっておけなくて、同情したんだ……。


 そうよ、これは同情……。


 それ以外の感情なんて……。


「百合子さんらしくない。どうして泣くんだよ」


「アンタがバカだから……。命は大事だと、私達に言ったくせに、二度とこんな無茶しないで。私……もう人が死ぬのは見たくないの……」


 アイツの前で涙なんて溢さない。

 それなのに、勝手に涙が溢れる……。


 アイツは痛む体を起こし、私を抱き締めた。


 そのぬくもりに……

 片意地をはっていた私の心が……ゆっくりと溶けだす。


 温かな掌の上に積もる雪のように、私の心は溶けて水となりやがて形を変える。


 ーー寂しい……。


 いつも心が、そう叫んでいた……。


 ーー寂しい……。


 アイツも……私と同じなの?


 アイツの腕の中は……親鳥の巣のように温かい。


 そのぬくもりに触れ涙がこぼれ落ち、ふと見上げたら……


 そこには、今にも泣き出しそうなアイツの顔……。


「ちょっとだけこうさせて……。信じていた人に裏切られるって……。心を切り裂かれるくらい苦しい……」


 アイツの弱さを初めて目の当たりにし、自分の弱さと重なる。


 アイツの震える肩……。


 アイツの震える指……。


 寂しい心と寂しい心が、磁石のように引き寄せられ……


 私はいつしかアイツに、唇を重ねていた。


 これは同情ではない。


 ただ……


 アイツの寂しさを埋めてあげたかった。


 そして、私の寂しさも……


 アイツに埋めて欲しかった。


 アイツの手が、私の体を抱き締める。


 反発ばかりしていた相手に抱き締められているのに、不思議と気持ちが安らいだ。


 でも……これは……


 愛じゃない。


 ただ……私達は……


 凍える心を溶かすぬくもりが欲しかっただけ……。


「ごめんなさい……」


 アイツの手が、背中から離れる。


「俺の方こそ……すみませんでした」


 ドキドキと高鳴る鼓動を落ち着かせる為に、私はアイツから視線を逸らす。


「私も警察に行かないと……。今のキスは忘れて……。ただの気まぐれだから」


「ただの気まぐれ……?」


「そう、気まぐれよ。変な誤解はしないで。あなたに好意があるわけじゃないわ。魔が差したのよ。それと、入院費は蘭子姉さんが支払うそうよ。だから、安心して治療に専念するように……」


 私はアイツから逃げるように、病室を飛び出した。


 ーーこれでいいの。


 私は恋なんてしない。


 ーーアイツなんか、アイツなんか……


 絶対、好きにならない。

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