55

「浩介ナイフを捨てるんだ!お前に俺は殺せねぇ!」


「黙れ!黙れ!俺はサツに捕まるわけにはいかねーんだよ!麻里も金もお前には渡さねぇ!」


「浩介!」


 ーードスッ……


 鈍い音とともに、腹部に痛みが走る……。

 鋭い刃が洋服も皮膚も切り裂き、体に食い込む。


「ぅっ……」


 腹部に感じる鈍痛……

 生温かな血が体から流れ出し、ポタポタと床を赤く染めた。


 浩介の持っていたナイフは、俺の腹部に突き刺さったまま、俺は床に仰向けに倒れる。浩介はナイフから手を放しワナワナと驚愕している。


「たい……よう。いやあああーー!」


 麻里の悲痛な叫び……。


 浩介はその声で正気を取り戻し慌てて立ち上がる。現場から逃げようとドアに近づいた時、桜乃宮家の専属運転手滝口さんが部屋に押し入った。


 滝口さんは逃げ惑う浩介の前に立ちはだかり、浩介を床に投げ飛ばし羽交い締めにした。


 喚いている浩介を取り押さえたまま、滝口さんは俺に話し掛けた。


「木村さん、大丈夫ですか?気をしっかり持って下さい。女性の悲鳴を聞き警察に通報しました。すぐに警察官が駆け付けるでしょう」


「……滝口さん……お屋敷に戻ったのでは。どうして……ここに」


「蘭子様から連絡を受け、引き返したのです。こんなことなら、一緒に踏み込めばよかった」


「太陽……太陽……」


 麻里は泣きながら、俺を抱き起こした。

 血は止まることなくドクドクと流れ、傷口を押さえる麻里の手を赤く染めた。


 体格のいい滝口さんに羽交い締めにされた浩介は、身動き取れず唸り声を上げていたが、サイレンの音が近付くと観念したのか次第に抵抗もしなくなった。


 警察とほぼ同時に救急車も到着し、俺は救急隊員に担架に乗せられた。苦痛に顔は歪み、言葉を発することも出来ず、次第に視界は霞み俺は全てを見届けることなく意識を手放した。


 ◇


 ーーどれくらい……時間が経ったのだろう。


 俺は白い霧の中に……

 一人でポツンと立っていた。


 周りには何もない……


 何処までも果てしなく続く……白い世界……。


『木村さん……』


 懐かしい女性の声が……


 鼓膜に響く……。


 誰だ……。


 ここは死の世界なのか……?


 ここは……天国?


 俺の名を呼んでいるのは……

 美しい天使……。


 だが、すぐに優しい声が一変する。


『木村さん、木村さん。ふざけないで!これしきのことで死ぬつもり?そんなこと、この私が許さないわよ!いい加減目を覚ましなさい!』


 鼓膜を揺さぶる女の怒鳴り声が足に絡まり、俺は白い世界から現実世界へと引き戻され重い瞼を開く。


「良かった……。驚かせないでよ。やっと麻酔が覚めたみたいね」


「百合子さん……?」


「心配させないでよ!居候のくせに、私達を巻き込むなんて、どういう魂胆?蘭子姉さんが使用人の入院費の連帯保証人になるなんて前代未聞だわ。信じらんない」


「……すみま……せん。俺、身寄りがいなくて、病院側がそちらに連絡したみたいですね。ご迷惑をお掛けしました。あの……麻里は……?」


「彼女は今警察で事情聴取を受けているわ。彼女のマンションから鞄に入ったお金が発見されたの。帯封と指紋から桜乃宮家から盗まれた現金だと断定されたわ。彼女が犯人と共謀していたのではないかと疑われているのよ」


「まさか、麻里は被害者だ」


「わかってるわ。彼女には桜乃宮家の顧問弁護士を付けたから、容疑はすぐに晴れるでしょう。立野浩介の自宅アパートから沢山の宝石類が発見されたらしいの。どうやら彼は窃盗団の一味だったみたいね。今、蘭子姉さんと向日葵が盗品の確認に行ってる」


「百合子さんは……どうしてここに?」


「誰かが手術に立ちあわないと、執刀出来ないって医師がいうからやむを得ずよ。家族でもないのに、とんだとばっちりだわ」


「とばっちりか……。でも、ありがとう。お蔭で助かったよ」


「刺し傷は幸いにも内臓に達してなかったみたいね。出血性ショックを起こしていたけれど手術も無事成功したわ。麻酔がなかなか醒めなくて心配したけど、もう安心ね。

 桜乃宮家の強盗事件も、木村さんの部屋に入った空き巣も、立野浩介が罪を認め自白したわ。最初に任意同行を求められた君島さんは共犯者ではないと立証され、釈放されたみたいよ」


「君島が釈放されたのか……。よかった……」


「君島って人、ホストクラブでバイトしてたらしいの。大晦日の夜も、深夜常連客に誘われ、断れず会っていたらしいの。ブランドの時計も常連客にプレゼントされたんだって。そのお相手がアリバイを証明してくれたのよ」


「あの大人しい君島が……ホスト?」

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