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「創士さんが生きていたら、きっと悲しむわね。あなた達が自分の気持ちを押し殺して生きていくなんて、創士さんには耐えられないでしょうから。創士さんが生きていたら『心のままに自由に生きなさい』と、そう仰っていたことでしょう。

 さてと、時差ボケで頭がクラクラするわ。少し休ませて下さいな」


 菊さんは俺にウィンクし、肩をポンと叩いた。


「あとは宜しく」


「ええーっ?」


 こんな険悪な雰囲気で丸投げするなんて……。


『あとは宜しく』って、使用人のこの俺にどうしろというんだ。


 菊さんはなにくわぬ顔で、さっさとダイニングルームを出て行く。俺は黙ってことの成り行きを傍観する。


「蘭子姉さん、もうすぐ松平さんが来るわ。どうするの?」


「私は絶対に認めないから。私の執事だなんて、お断りします。もし松平さんがいらしたら、追い返してちょうだい」


「蘭子姉さん、追い返すって……。菊さんのいうとおり、自分の心に素直になった方がいいよ」


「百合子、何もわかってないくせに生意気なこと言わないで。世の中には自分の思い通りに出来ない事もあるのよ。私は桜乃宮財閥創業家の長女なの。心のままに生きることは出来ないのよ」


「蘭子姉さん……。蘭子姉さんは自由に生きていいよ。この家にはまだ私も向日葵もいるのだから。私もお父様にご恩返しがしたいと思っているの。私も捨てたもんじゃないよ。いざとなれば財閥の一つや二つ、私の力でどうとでもしてみせる。政略結婚でも何でもするから、安心して」


「……百合子」


「松平さんとちゃんと向き合って。お願い」


「……まだ学生のあなたには社会の厳しさがわからないのよ。これ以上話しても無駄ね。お話しにならないわ。部屋でやすみます。失礼」


 蘭子は百合子に背を向け、ダイニングルームを出て行った。すれ違いざま、凛としたその瞳が潤んでいるようにも見えた。


「百合子さん、松平さんって執事ですよね?蘭子さんと何かあったんですか?まさか、泥酔して襲ったとか?」


 百合子は小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らした。


「アンタってバカ?松平さんは蘭子姉さんの好きな人よ。でも蘭子姉さんよりも十五歳も年上なの。お父様に仕えていた敏腕執事。お父様の執事であり私達の教育係だった人よ。松平さんのことは、グループ企業のトップもお父様の片腕と認めていたわ。人望もあり有能な執事よ」


「十五歳年上って……。えっと、蘭子さんは俺と同じ年齢だから、四十……!?」


 俺は百合子の発言に、目を見開く。


「蘭子姉さんはああ見えてファザコンだからね。松平さんは素敵な人よ。松平さんがこの屋敷を去り、蘭子姉さんはお酒に溺れるようになったの。現実逃避というか、何というか、酒乱になったきっかけは松平さんよ」


「執事とお嬢様の禁断の恋か……。桜乃宮家の親族や財閥関係者は当然反対するだろうな」


 だから、蘭子は一夜限りの遊びをしているのか?


「……あなたがこの屋敷に来てから、ロクな事がない。この疫病神」


「この俺が疫病神?」


 完全に八つ当たりだ。

 百合子は俺に視線を向けたまま唇を尖らせ、赤いマニキュアにフゥーと息を吹きつける。


 ほんの一瞬見せた妖艶な眼差し。その目が鈴蘭の眼差しと重なる。


「百合子さんも赤いマニキュアつけることあるんですね。女性がマニキュアの色を変える時は理由があるのかな?いつもと違う自分になりたくて、赤いマニキュアをつけるとか?」


「何それ?たまに赤いマニキュアをつけるけど。それが何か?」


「いや……別に……。何でもありません。蘭子さんは普段は透明かピンクのマニキュアだけど、赤いマニキュアつけることはありますか?」


「さぁ?赤いマニキュアは持ってるけど、蘭子姉さんは赤は嫌いだから自分から好んでつけないんじゃない?赤いマニキュアなら、パーティーの時にドレスやバッグの色に合わせ、向日葵もつけることがあるわ」


「……向日葵さんが?」


 向日葵が赤いマニキュア?

 そんな派手な色、向日葵には似合わないよ。


 でもパーティーでは、赤いマニキュアをつけることもあるんだよな。ということは、向日葵も赤いマニキュアを持っているということになる。


 三人とも鈴蘭と同じ香水を持ち、同じ赤いマニキュアを持っている。


 多分……赤い口紅も……。


 香水は桜乃宮家のオリジナルブランドだ。


 あの夜の鈴蘭は、一体誰なんだよ……。

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