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「菊さん、まさか……執事って」


「はい、松平まつだいらさんですよ。以前創士様の執事をされていた方です」


「松平さんは困るわ。菊さん……執事を雇うなら他の方にして下さい」


「もう無理ですよ。本日付けで着任しますから。もちろん当屋敷に住んで頂きます。松平さんのお部屋は以前と同じ、一階の一番奥の部屋を使っていただきます」


「菊さん、私に何の相談もなく勝手に決められては困るの!執事なら自分で手配します」


 蘭子はかなり取り乱している。

 父親の執事だった人物が自分の執事になっては、そんなに不都合なのか?


 飲酒していないのに、こんなに平常心を無くすなんて、どう見ても普通ではない。


 まさか蘭子とその執事に、男女の関係が……?


 酒乱の蘭子が執事を襲ったとしても不思議はないな。


「この家もまた元に戻ったわけだ。せっかく自由を満喫していたのに、執事だなんてウザいな」


 百合子が不満そうに暴言を吐いた。

 百合子の爪には、珍しく赤いマニキュアが塗られている。


 赤いマニキュアはあの夜と同じ……?

 いや、偶然だろ。


 赤いマニキュアなんて、どこにでも売っている。


 一夜のアバンチュールを楽しんだ鈴蘭と、乱暴者で男みたいな百合子ではイメージが違い過ぎる。鈴蘭は派手な身形をしていたが、妖艶で美しい女だった。


「菊さん……。あのぅ……」


「向日葵さん、どうしました?」


「お父様は、私が石南花大樹さんと結婚する事を、強く望まれていたのでしょう?」


「向日葵さんはお父様のために石南花様と結婚されるのですか?それともご自分のために結婚されるのですか?」


「いえ……それは……」


「創士さんは、あなたと大樹さんが相思相愛になるなら、いずれ結婚なさればいいと思われていたのではないでしょうか。創士さんはご自身の結婚で辛い経験をされていますから。生きておられたら向日葵さんの意思を尊重し無理強いなど、なさらないと思いますよ」


「無理強いは……しない?」


「そうですよ。この時代に政略結婚だなんて時代錯誤も甚だしい。お嬢様方の結婚相手が誰であれ、この桜乃宮財閥がぶっ潰れることはございません。

 桜乃宮財閥はそんな軟弱ではございませんよ。桜乃宮財閥は後継者問題で弛んだりしない。創士様が先代から継ぎ更なる発展と繁栄を遂げた桜乃宮財閥は、何があっても揺るがないのです」


「菊さん、そんないい加減なこと言わないで……。財閥も旧体制ではないのよ。今は大変な時代なの。私達三姉妹の結婚相手で桜乃宮財閥の行く末も左右されるわ。私はこの桜乃宮財閥を守っていく責任があるの」


 蘭子は興奮気味に菊さんに反論する。菊さんはその様子を見つめ深い溜息を吐く。


「蘭子さん、まあまあ落ち着きなさい」


 菊さんは徐に珈琲を飲み、ゆっくりと蘭子に語り掛けた。


「蘭子さん、あなたは何を焦っているの?そんなに心配しなくても、桜乃宮財閥は安泰よ。グループ企業のトップに立つ者達を信じなさい。彼らは創士さんを尊敬し創士さんと苦楽を共にしてきたの。創士さんもまた彼らを信頼していた。創士さんの後継者であるあなたを、誰も見限ったりはしないわ」


「菊さん……。そうでしょうか……。私……不安で……」


「私はね、ずっと思っていたの。あなた達には、桜乃宮の名に縛られ自分の心を失って欲しくないと」


「自分の心……?」


「そうよ、蘭子さん。大切なのはあなたの心です」


 菊さんは三人に視線を向け、時に強い口調で語った。

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