太陽side

31

 深夜、二階から微かに聞こえた物音と女性の声。平生ならば聞こえない物音が地下室に微かに響く。


「……ぅ……ん。煩いな……」


 大晦日、一人でワインを飲み、テレビで除夜の鐘を聞きながら心地よい眠りについたのに、その安眠を妨げる者は、蘭子しかいない。


 また泥酔し、廊下で一人で騒いでいるのか。

 迷惑な話だ。


 まさか、酔った勢いでこの地下室に乱入してこないだろうな。


 俺は寝返りを打ち、布団を頭までスッポリ被った。


 新しい年の幕開けだ。今夜はいい夢を見たい。

 新年早々、女豹の餌食になりたくはない。

 頼むから、俺を襲うな。


「きゃあー……」


 地下室に届くほどの、尋常ではない悲鳴と何かがドスンと落下したような物音に、俺はベッドの上で飛び起きた。


「……な、な、なに?なに?地震か!?」


 ベッドから這い出し地下室のドアを開くと、二階から男の声がしやけに騒々しい。


「……やっぱり蘭子か。新年早々男を引っ張り込み痴話喧嘩をしているのか?ていうか、未成年の妹がいるのに、男を持ち帰るなんてどんな神経だよ」


 蘭子の乱痴気騒ぎに拘わりたくなくて、ドアを閉めようとした時、悲痛な叫び声がした。


「助けてー!」


 助けて?

 えっ……?助けて?


 一気に眠気も覚め、部屋の隅に置いてあったモップを握り締める。


 もしも蘭子が情事の最中なら、俺は完全にクビだな。蘭子のことだ、人には理解出来ない性癖があっても不思議ではない。


 足音を立てないように忍び足で階段を上り、二階を覗き見る。鼓膜を切り裂くような悲鳴は、蘭子の部屋から聞こえ、ガチャンガチャンと陶器やガラス瓶の割れる音がした。


 薄明かりの中、目を凝らして見ると蘭子の部屋のドアは少しだけ開いていた。ドアの外には赤い液体が流れている。


 ーー血……!?


 傍に走り寄り液体を指で掬い、鼻に近づける。指についた液体はプンとアルコールの匂いがした。


 何だ、赤ワインか。


 部屋の中をそっと除き込むと、ワインの瓶が散乱した床の上に蘭子は押し倒され、ネグリジェは捲り上がり白い太股が露わになっている。蘭子の体の上には男が馬乗りになっていた。


 男の姿は背中しか見えない。


 これはSMプレイか?随分派手にやらかしたな。なんて悪趣味なんだ。


 だが、蘭子から漏れる声は、情事の声とは異なる。


 床には歪んだサングラスが転がり、男の手で何かが光った。


 これが痴話喧嘩ではないと気付くのに、そう時間は掛からなかった。何故なら、男の手にはナイフが握られていたからだ。


 蘭子の着衣は乱れ、白い胸元ははだけている。


「蘭子さんから手を放せ!!」


 俺はモップの柄を思い切り振り上げ、男の頭上を目掛け振り下ろす。


 男はそれを俊敏に交わすと、右手でニット帽を下げ目深に被り顔を隠した。男の右手首からは微かに血が滲んでいる。


 蘭子が抵抗した際に投げつけたワインのガラス片で切ったらしく、部屋は割れたガラス瓶とワインが流出し、悲惨な状態になっていた。


 男は床に転がったサングラスを掴み、二階の窓を開け、大きな袋を庭に投げ捨て、自身もバルコニーからヒラリと庭に飛び降りた。


 まるで映画のワンシーンのように、怪我もなく庭に着地した男は袋を担ぎ逃走する。


 ていうか……すげぇ。


 コイツ、何者なんだ……。


 強盗は庭を走り抜け、道路脇に待たせていた仲間の車に飛び乗り、あっと言う間に暗闇に消えた。


 俺はバルコニーに飛び出したものの、庭に飛び降りる勇気はなく悔しさを滲ませる。


「ちくしょー!」


 振り向くと、蘭子は床に横たわったまま乱れた着衣を直そうともせず、ブルブルと震えていた。


「蘭子さん、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」


「……だ、だ、だぁー」


 泥酔している蘭子は意味不明の言葉を発し、子供みたいに俺に抱き着き号泣した。


「わああーん……」


「蘭子さんもう大丈夫ですよ。警察にすぐ通報しますからね」


 俺は号泣している蘭子を宥めるように抱き締め、背中を擦った。

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