19

 俺と菊さんはキッチンの窓際に設置されたカウンターに並んで座り、二人で朝食を食べた。


 菊さんは謎だらけの家政婦だが、菊さんと話をしていると不思議と気持ちが落ち着く。


 菊さんは、チリチリと照りつける砂漠の中で見つけたオアシスみたいな人だな。蘭子と百合子は砂漠のサボテンだ。棘だらけで触りたくもない。


 菊さんとの穏やかな時間は、三姉妹の登場で一気に緊迫する。菊さんは席を立ちダイニングルームで三人を迎える。


「菊さんおはようございます」


「蘭子さん、百合子さん、向日葵さん、おはようございます。今日は良いお天気ですね」


 蘭子が気まずそうに俺を見た。


「木村さん、私……お酒を飲むと記憶が欠落するの」


「はい」


 いつもはツンとすましている蘭子が、視線を泳がせながら、バツが悪そうに前髪を掻き上げた。


「だから酔った上での戯れ言は深い意味は無いわ。他言無用よ、忘れて」


 深い意味はないって、俺達は何度もキスをしている。酔った蘭子は、しらふの蘭子とは別人だけどな。


 キスを交わしたからといって、それが恋愛に発展するとは限らない。それは同感だ。


 わざわざみんなの前で醜態を口にするとは、俺があのキスで、蘭子に恋をするとでも思っているのか?


 自信過剰にも程がある。


「重々心得ております」


 俺は蘭子に一礼し、着席した三人に珈琲とフルーツジュースを出す。菊さんはテーブルにフルーツの盛り合わせを並べた。


 朝食を整えダイニングルームの隅に立ち、蘭子の顔をマジマジと見つめる。


 男なんて全然興味ないって顔をしながら、すまし顔で珈琲を飲む女。本当はキス魔なくせに。


 俺の視線に気付き、蘭子が俺を睨みつける。


「何か?」


「いえ、別に……」


 蘭子の隣で、百合子が大口を開けパクパクとメロンを食べている。だが、その目は威圧的で標的を捕らえた獣のよう。


 百合子の隣で、向日葵は頬を染め俯いている。三姉妹の中で、唯一ピュアな存在。見ているだけで荒んだ心が浄化される。


「向日葵さん、フレンチトーストを召し上がりますか?」


「フレンチ……トーストですか?」


「はい」


「……いえ。結構です」


「皆さんダイエットされてるんですか?朝食は大切なんですよ。学生時代、家庭科の教師がそう熱弁していました」


「ゴチャゴチャ煩いな」


 百合子がフォークを握り、俺を睨み付けた。今にも、そのフォークが飛んできそうだ。


「百合子さんもフレンチトーストいかがですか?」


「私は結構です。牛乳や卵に浸したパンなんて食べれないわ」


「でしょうね。百合子さんをパンに喩えるなら、キッチンの隅にずっと放置されていたカチカチのフランスパンかな」


「はっ?何言ってんの?」


「固くて全然歯が立たない」


「はぁー!?」


 百合子がバンッとテーブルを叩く。

 菊さんが「お上手」と声を漏らし笑いを堪え、音も立てずパチパチと両手を叩いている。


 百合子は憤慨し椅子から勢いよく立ち上がり、俺の胸ぐらを掴んだ。相変わらず短気で男勝りだ。だがじゃじゃ馬ほど、調教しがいがある。


「でも、そんなフランスパンも噛めば噛むほど味が出る。オーブンでこんがり焼いてバターやガーリック、新鮮な苺やオレンジのジャムをつけるもよし、野菜やハムを挟むもよし、その味は無限大に広がる」


「……何よ。何が言いたいのよ!」


「キッチンの隅で放置されたフランスパンも、調理次第で極上の味に変わるということです」


 俺は百合子の目をジッと見つめた。

 百合子は一瞬怯み、俺の胸ぐらを掴んでいた手を解いた。


「馬鹿馬鹿しい。意味わかんない」


 百合子はバツが悪そうに俺から視線を逸らした。百合子に口で勝てるなんて、想定外だった。

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