百合子side

15

 ーー『金に苦労した事もねぇお嬢様が、偉そうにほざくな』


 アイツの言葉が、胸に突き刺さる。


 アイツに何がわかるというの?


 私の何が……。


 私が五歳の時、母はお父様と再婚した。私の実父は酒癖が悪く酔うと暴力を振るう酷い人だった。母はいつも幼い私を庇い、父の容赦ない暴力に耐えた。でもその暴力は、父が無職になったと同時に激しくなる。昼夜を問わず酒に溺れ母や私を殴った。


 母は命の危険を感じ、僅かなお金の入った財布を握り締め、着の身着のまま逃げるように家を出た。実父の追手を逃れるため、実家に帰ることすら出来ず知人の家を転々とした。


 数ヶ月後、実父と離婚が成立し、母は私を育てる為に銀座のホステスになった。


 そこはセレブ御用達の高級クラブ。美貌と華やかさを競うホステス達の中で、母はどちらかというと地味で清楚なホステスだったが、その奥ゆかしさがセレブな殿方の目を惹き付けた。


 凛と咲き誇る美しい薔薇の中に、ひっそりと咲く一輪の野の花。

 母は外見も人柄も、ぬくもりのある優しい女性だった。


 お父様は妻子がいるにも拘わらず、母と恋に堕ちた。


 正妻は資産家の娘、銀座のホステスと浮気をした夫が許せなくて、実子である蘭子姉さんを桜乃宮家に残したままお父様と離婚した。お父様は血の繋がらない蘭子姉さんをそのまま引き取り我が子として育てた。


 ーーそして、私の母はお父様が離婚後、桜乃宮家に後妻として嫁いだ。


 家柄も資産もない元ホステスの母に、桜乃宮家の親族や桜乃宮財閥関係者は難色を示し、母への嫌がらせは想像を絶するものだった。


 そんな逆風の中で、蘭子姉さんと私はすぐに仲良くなった。


 実子ではないのに、お父様は蘭子姉さんと分け隔てなく私に愛情を注いでくれた。だから……母も私も親族にどんなに冷たくされても、この屋敷で穏やかに暮らすことが出来た。


 だけど……そんな穏やかな暮らしも、ある少女の出現により小さな亀裂が生じた。


 ーー十五歳の向日葵。

 向日葵はお父様の愛人の娘。

 お父様に実子がいたことは、母にとっても私と蘭子姉さんにとっても衝撃的な出来事だった。


 母はとても苦しみ悩んだ。

 心から愛し愛されていると信じていたお父様に、愛人と子供がいたのだから。


 その愛人の死を知り子供を引き取ると聞かされたあとも、母の心中は穏やかではなかった。


 でもその気持ちはすぐに払拭された。初対面の日、向日葵の怯えた瞳を見て、母はあの子を拒絶することは出来なかった。


 実母を亡くし心を閉ざした向日葵を、母は温かく迎え入れた。本当は泣きたいくらい深い悲しみを抱えていたはずなのに、向日葵を桜乃宮家の三女として受け入れ、私達と同じように接した。


 親族や財閥関係者から受け入れてもらえない悲しみを、母は身に染みるほどわかっていたからだ。


 そして一ヶ月後……

 フロリダで、お父様の所有するヘリに搭乗中、不幸な事故に遭遇しこの世を去った。


 この家に残されたのは……

 血の繋がっていない三姉妹。


『桜乃宮』という名の鎖に繋がれた、私達の暮らしが始まった。


 だから、私達はアイツが思っているような、桜乃宮財閥の財力に胡坐を掻き、のうのうと生きているお嬢様なんかじゃないんだ。


 アイツなんかに……わかんないよ。

 私達の悲しみや苦しみ、そして絶望……。


 心は、お父様が死んだ時になくした。


 だってそうでしょう?


 この世に神様なんかいない。

 神様がこの世に存在するなら、お父様と母を一度に奪ったりはしない。


 蘭子姉さんも、向日葵も、心に私と同じ深い傷を負っている。


 その傷は誰にも癒すことは出来ない。


 蘭子姉さんは桜乃宮財閥の重圧から逃れるために、お酒を飲むことで精神のバランスを保っている。泥酔すると人格は豹変し、男性を誘惑する悪いくせがあるが、すぐに爆睡し大きなトラブルになったことはない。


 泥酔した時のことは、酔いが冷めるとともに記憶も欠落し、いつもの凛とした蘭子姉さんに戻る。


 向日葵はお父様を亡くし感情を閉ざした。

 喜怒哀楽を表現することのない人形みたいに、惰性でこの屋敷にいるに過ぎない。


 今にも崩壊しそうな心が、桜乃宮財閥という大きな砦の中で守られているだけ。


 だけど、私はこの砦から逃げ出したりしない。

 血の繋がらない私を我が子として育ててくれたお父様の恩に報いたいから。


 私には将来の目標がある。

 大学を卒業したら、蘭子姉さんの片腕となり一緒に桜乃宮財閥を繁栄させること。


 蘭子姉さんだけに重圧を背負わせたりしない。重い荷物は私達三人で分け合う。


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