8
『財閥令嬢』という俺の抱いていた美しくも清らかなイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
「早くしてよ。忙しいんだから」
「……はい」
俺は朝食をテーブルの上にズラリと並べる。これは俺の力作だ。味にも見栄えにも自信がある。一流ホテルの朝食バイキングに負けず劣らず、あまりの美味さに生意気なお嬢様達も歓喜の声を上げるはず。
ーーそう思っていたのに……
「なに……これ」
蘭子がテーブルに並ぶ料理を見て、眉をしかめハンカチで口を押えた。
「和食か洋食か迷いましたが、今朝は洋食バイキングをご用意しました。お口に合うかどうかわかりませんが、好きなものを好きなだけ召し上がって下さい。明日の朝食からはリクエストがあれば何なりと……」
蘭子が俺の言葉を遮断する。
「何考えてるの?朝からこんなもの食べないわ。しかもこんなに沢山作って、誰が食べるの?見ただけで胃がムカムカする。すぐに下げてちょうだい」
「……えっ?」
「私達の朝食メニュー、菊さんから聞いてないの?私と百合子は珈琲。向日葵はフルーツジュース。それと、新鮮なフルーツさえあればいいの」
「珈琲と……フルーツだけですか?」
「そうよ。朝からこんなに沢山食べていたら、思考能力も働かないし太るでしょう。あぁ気分が悪い……早く下げて」
蘭子は料理から視線を逸らし、ハンカチをパタパタさせ顔を扇ぐ。
こんな豪華な食事を前にして、『気分が悪い。下げて』だと!?
俺がどれだけ忙しい思いをして、この料理を作ったと思ってるんだ。
「蘭子姉さんの言った事、聞こえないの?早く下げなさい。蘭子姉さんの珈琲はブラック。私はカフェオレにして」
「せっかく……作ったのに」
思わず漏らした言葉を、百合子が粉砕する。
「何か文句あんの?誰も頼んでないでしょう?一人で張り切って、バカみたい」
俺は不服だったが、お嬢様の命令なら仕方がない。初日でクビになるわけにはいかないため、怒りをグッと封じ込め唇を噛み締める。
指示通り、テーブルの上に並べた料理を下げようと大皿に手を伸ばした。
ーーその時……
カチャカチャと小さな金属音がした。
俺は音のなる方へ視線を向け仰天する。
「あー美味しい。このまろやかなお味はホテルのシェフも出せないわね」
「えっ?」
俺の隣で、菊さんが熱々のグラタンをスプーンで掬い「ふーふー」しながら、パクパク食べている。
「き、菊さん。お嬢様達の前で何してるんですか……」
使用人の無謀な振る舞いに、俺は慌てふためく。
「蘭子さんも百合子さんも、一口召し上がってから文句を言いなさい。これだけのお料理を一人で用意することが、どれだけ大変なことかお分かりですか?召し上がりもしないで下げろだなんて、人として恥ずかしいですよ。大体、朝食をバランスよく食べないと頭は働かないわ。ただでさえ痩せているのに、太るとか体形を気にしてどうするの。木村さんは栄養バランスを考え朝食を用意してくれたのよ。感謝するべきでしょう」
「き、菊さん。もういいです……」
菊さんは小皿に次々と料理を取り分け、平然と食べている。
「ほら、木村さんも突っ立ってないでお座りなさい」
「えっ?でも……お嬢様に珈琲を」
「フルーツジュースも珈琲も私が用意します。でもそれは食後にお出しします。まずはお食事を召し上がってから」
暴言を吐き続ける菊さん。この気まずい空気を何とかしなければ、俺がクビだ。
俺は小声で菊さんに耳打ちする。
「菊さん……。俺がこのテーブルに着くのはマズイですよ。菊さんもマズイですよ」
「あら、お料理は絶品よ。不味くはないわ」
蘭子と百合子は、黙々と食事を続ける菊さんを見て呆れ顔だ。
ていうか……
使用人がこのテーブルでお嬢様達と一緒に食事をするなんて、どう考えても非常識だよな?
「さあ、向日葵さんも遠慮なく召し上がれ。美味しいわよ」
「……私は……フルーツジュースだけで」
向日葵は首を竦め俯き、存在感も薄く今にも消えそうだ。
「フルーツジュースしか飲まないから、そのように小さな声しか出ないのですよ。このハンバーグは
霞さん?霞さんって……誰だ?
「……お母さんの?ハンバーグと同じ……?」
菊さんは向日葵に、小皿に取り分けたハンバーグを差し出す。向日葵はナイフとフォークでハンバーグを一口サイズに切り分けると、ゆっくりと口に運んだ。
次の瞬間、伏せていた視線を上げ驚いた表情を見せた。
「ね、霞さんのハンバーグと同じ味でしょう?」
「……はい。……美味しいです。とても美味しいです」
向日葵は涙ぐみながら、ハンバーグを食べ始めた。
俺にはよくわからないけど、この姉妹には何か事情があるみたいだな。
「ハンバーグなんて、誰が作っても同じよ。菊さんが霞さんのレシピ教えたんでしょう。バカみたい」
百合子は憎まれ口を叩き、ガタンと椅子を鳴らし席を立ちダイニングルームから出て行った。
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