蘭子も呆れたように、大きなため息を吐くと席を立った。


 この家の実権を握っているのは長女の蘭子だ。

 ままではマジでヤバイ。


「蘭子さんすぐに珈琲をお持ちします」


「今日はもう結構よ。明日からはいつもどおり、珈琲とフルーツだけにして下さい。余計な事はしなくていいの。大体……男性の家政夫だなんて、この屋敷に必要ないのだから」


「蘭子さん、このお屋敷に男性は必要ですよ。防犯カメラだけでは無用心です。こんなに広いお屋敷に警備員も配置せず、執事もメイドも雇わないなんて、本当に危険極まりない。木村さんから一ヶ月分のお家賃を頂いていますから、木村さんはここに住む権利があるんですよ」


「お家賃!?菊さん、住み込みの家政夫さんからお家賃を貰ったの?」


「はい。ですから、今までみたいにすぐに追い出すことは出来ませんからね。最低でも一ヶ月はここで働いて貰います」


「……家政夫さんからお家賃を受け取るなんて、信じられない。でも菊さんがそうすると言うのなら、仕方がないわね」


 蘭子はそう言い残すと、ツンと鼻を天井に向けダイニングルームを出る。


 お嬢様達が、誰一人菊さんに逆らえない?

 この菊さんって、一体何者なんだ!?


「木村さん、早くお座りなさい」


 菊さんに促され、椅子に座り朝食を食べる。ダイニングルームに残っているのは、向日葵と菊さんだけ。


 蘭子と百合子に嫌われた俺は、向日葵に取り入るしかないのか……。


「向日葵さん、このハンバーグを入れて、お昼のお弁当を作りましょうか?」


「お弁当は……結構です。学園のカフェテリアで食べるので……」


「……ですよね」


「あら残念ね。木村さんのお料理はどれも絶品なのに。お弁当を持参されれば、お友達にもきっと好評ですよ」


「いえ……、友達はいないので結構です」


 菊さんは苦笑いしながら、小さな溜息を吐く。友達がいないなんて、学校でも暗いのかな。


「それでは向日葵さんの好きなオレンジジュースを、お持ちしましょうね」


「……菊さん、俺が作ります」


「今日はいいのよ。座ってお食べなさい」


「すみません」


 菊さんは椅子から立ち上がり、キッチンに入った。


 俺は向日葵と二人きりになり、朝の無礼を詫びる。


「あの……今朝はすみませんでした。メイドだなんて失礼な事を言って」


「……いいの」


「お嬢様なのに、どうして掃除をしていたんですか?まさか、意地悪な姉にさせられているとか?」


「ち、違います。私は……蘭子姉さんや百合子姉さんとは違うから……」


「二人とは違う?」


「私は……」


 向日葵が視線を伏せ唇をキュッと結んだ。

 その唇は微かに震えている。


「向日葵さん、お待たせしました。オレンジジュースですよ」


「菊さん、いつもありがとうございます」


 向日葵はグラスを持ち、ストローで一気に飲み干した。


「ご馳走様でした」


 消え入りそうな声で、ペコンと頭を下げる。


「ほら、今朝は朝食を召し上がったから、いつもより大きな声がでましたね」


 あれで、大きな声?

 いつもは蚊の鳴くような声なのか?


 確かに、廊下で逢った時は何を話しているのか聞き取れなかった。


「木村さん、今日はお仕事ですよね?」


「はい」


「向日葵さんも部活動で登校するのよ。木村さんも一緒に車に乗ってお行きなさい。運転手に会社まで送らせますよ」


「いえいえ……結構です。お嬢様とご一緒なんて……とんでもない!」


 使用人の俺がお嬢様の車で出社なんて、恐れ多くて出来ないよ。そんなことをしたら、それこそ蘭子に即行クビにされる。


「遠慮しては損ですよ。ものはついでというでしょう。利用できるものは何でも利用しないと。向日葵さんいいですよね?」


「……菊さんが、そうしなさいと仰るのなら」


「はい、では決まり。木村さん、三十分後にお屋敷を出発ですからね。急いで片付けましょう」


 菊さんは俺の腰をバンッと叩き、強引に話をつける。


「……はい」



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