03-15
嘉寿は、部屋に帰ると、静かに鍵をかけた。そして、ゆっくりと部屋の中を見回した。本棚はるみなの小説、マンガ、設定資料集で埋まり、壁にはポスター、空いたスペースには写真立て。クローゼットを開ければ、るみなのプリントされたTシャツに、トレーナー。ベッドには抱き枕だってある。
部屋中にるみなが散らばり、そして、満たされている。しかし、結婚の二文字が遠のいたことでそれらからも距離を開けられている感覚
なんだか無性に悲しかった。るみなとの気持ちが離れているように感じられさえする。
力なくベッドに腰掛ける。もうため息しか出てこない。ありとあらゆるものが、無価値になった気分。
ロミオとジュリエットのようなもの。しかも、理由はもっとチープ。親にばれたくないとか、世間体的にオタクと思われたくないとか。
なるだけ親の期待は裏切りたくない。良いイメージを持たれていないのは百も承知だ。だけど、こういうものは惚れた方の負けなのだ。だから、精一杯隠すのが親への孝行のような気がしてる。
「だけどなぁ……」
枕に顔を埋める。そして、考える。どうかんがえても、結婚はやり過ぎだと言われるに決まっている。オタクの時点でかなり気を揉ませることになるだろうが、嘉寿自身でもこの気持ちをコントロールはできていない。
「うぁ。どうしよう」
枕に顔を埋めたまま、そう声にしてみる。
るみなは、待ってくれるだろう。いつまでも、死ぬまで。いや、もしかしたら嘉寿が死んでも。それが二次元だ。
だけど、嘉寿は結婚という形をとりたい。ひとつのけじめと出発の証として。そして、自分は中途半端な気持ちではないことを自分を含めた周りに示したい。
親にもいつかは知らせなくてはいけないかもしれない。だけど、今ではないはずだ。成人して、仕事にも就いて、それから喧々諤々としてから理解を得るぐらいの過程は必要だろう。
このままいけば、姉も同じ道を辿るだろう。さすがに伊達政宗本人との結婚は無理だろうけども、ゲームやマンガの政宗とならしそうだ。姉弟そろって親泣かせであることは否めない。
考えれば考えるほど、親泣かせなのが身に沁みる。だけど、そんなのは今更だとも思った。なにせ、るみな好きは今に始まったことではないからだ。でも、おかげというかその影響で外から見れば優等生の上に親孝行な評価がついて回るような状況が生まれたの間違いない。
まるで、高いところから一気に蹴落とすために準備しているような気さえしてきた。洗濯、掃除をこなし、親への当たり方も優しい。そんな状況もオタクであることがばれることで粉みじんになるだろう。親の悲しみは相当なものになることが予想される。
「うあ。どうしよう。考えろ考えろ考えろぉ!」
枕に顔を埋めたまま声を出す。その声は枕に吸い込まれていく。
十八歳というのが唯一の壁だと思った。だから、十八歳になれば、邪魔するものはないと思っていた。
だが、未成年で、親との同居、税金。いろんなものが壁としてある。十八歳という壁が高すぎて後ろの壁が見えなかっただけだ。
どうしようもない。
いっそ、親にこの部屋をばらしてしまおうか。そうすれば、裕哉みたくなれるのではないか。オープンにるみなが愛せるのではないか。
だが、やけっぱちになりかかった嘉寿の精神に残ったかすかな理性はその道を否定する。他に道はある。だけど、見つからない。見つけられない。
「どうしよう、どうしようか、るみな?」
相談しようにも、抱き枕のるみなはなにも答えてくれはしない。
「嘉寿くーん、ご飯よー」
階下から、母親の声がかかる。正直、食欲なんてわかない。失せている。だが、行かなければ。この部屋の秘密を守るためにはどうしても行かなきゃならない。
重い体をどうにか持ち上げて、ベッドから下りる。本当に重いのは、体ではなく気持ちなのだが。
「はあ」
食卓には、いつもの光景。父親がいて母親がいる。そして、並ぶ夕食。だけど、決定的に違うのは、嘉寿のモチベーション。一応、隠しているつもりの絶望感。
「どうしたの嘉寿くん? また、調子悪いの?」
だが、年から年中心配してくれる母親には、違いがわかるらしい。それだけ愛されているということか。心配そうな声色だ。
「うん、まあ。ちょっと、人間関係でね」
そう答えるに留まる。
「あら、友達とでもケンカしたの?」
「……」
もう隠しても仕方ないので、深刻そうな顔で席に着く。
「どうした、嘉寿。おまえがそんな顔するなんて珍しいな」
父親にも心配された。
ちょっと考えて、嘉寿は口を開く。
「なんて言うか、難しいんだよ。そう、強いて言うなら友達になりたいんだけど、いろんな壁があって、うまく話すこともできないんだ」
「あら、好きな子でもできたの?」
母親は鋭い。
「うん、似たような感じ」
細かく言うなら、結婚したいけど、壁があって乗り越えられない、だ。
「そうか、おまえもそんな話をするようになったか」
父親は見当違いな感想を漏らしている。
「なに言ってるの。今が一番そういう年頃じゃない。高校に入って彼女の一人も連れてこないから逆に心配になったわよ」
「そうか? そんなものなのか?」
「そうよ。こんなにいい男なのに彼女の一人もいないなんて逆に不思議だわ」
「で、嘉寿。その子は美人さんなのか?」
下世話気味に笑う父。
「ちょっと、そんな言い方ないでしょ――」
「うん、校内でトップクラスに入ると言われてるよ」
嘉寿の思考回路は半分止まっている。なにを答えているか、自覚が薄い。
「そうか。頑張れよ、嘉寿」
いつになく嬉しそうな父と母。打破できぬ壁。その対比がなお嘉寿を苦しめる。
父さん、もう頑張らなくても結婚の直前なんだ、とはとてもじゃないが言えない。だけど、それが本当のところ。それを打ち明けたらどんなに失望するのだろう。どんな目で自分を見てくるのだろう。勘当されるかも知れない。
恋愛の傷は時間が癒してくれるとよく言われるが、きっと今回は間違いなくそうだ。四年か六年待てば権利の主張ができる。そのときまで待てないからの苦悩なのだが。
その日、なにを食べたか覚えていなかった。
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