03-1

 夜。静かな夜だ。車の通る音や、犬の鳴き声が良く透き通る感じ。一種の清々しさに似ているかもしれない。そう、自分の中にあった問題が一つ解決したからだ。

 それは、もとは問題ではなかった。それによって障害されていた事柄などないからだ。だが、今日、裕哉と真白に向かって自分の知っていることをさらけ出したときの快感というのは初めての衝撃だった。

 教室で、オタク趣味をにおわす発言をしないできたが、それは知らなかっただけで、もしかしたらクセになるかもしれない感触だった。なにかのきっかけで知ってしまったら抜けられない麻薬のようなものだと思う。

 まさか、自分の趣味を語れる人がいることがこんなにも自分を解放してくれるとは。不思議な感覚に包まれていた。

 有り体の言葉で言うなら、嘉寿は重度のオタクだ。その認識を初めて持った。

「オレは、オタク……」

 裕哉の言葉を借りるなら、人間なにかのオタクである。つまり、自分はるみなオタクであると言える。

「るみなオタク」

 言い聞かせるようにもう一度つぶやく。でも、あのような自分語りができるなら、高い代償ではない気がする。

 夕食後、早々に部屋へと引き上げ、いつもなら勉強やテレビを見たりしている時間に、パソコンを起動した。いつものるみなの声がして、OSが起動する。

 ハードディスクがかりかりとなにかを読み込む音が続く。それがおさまって静かになると、インターネットを見るためのブラウザを立ち上げる。どうせ続かないと思っていたSNSにアクセスする。

 そして、再婚期間についてのトピックに書き込もうとしたら、昨日は十件にも満たなかったのにすでに四百件近い書き込みがされていた。中を見る。炎上していたかと思っていた。だが、さすが、匿名性の低いSNSないなので、喧剣諤々とした後があっただけだ。

 タイムスタンプを見れば、みな昨日の夜の出来事のようだ。近い時間では一時間に二、三個の書き込みがあるだけだ。

 なにか、不思議な雰囲気に酔っていた嘉寿は自分を出したくなって書き込んでしまう。しかも、本音を。まわりの書き込みも全く目も通さず。

『結婚とは、そんな軽い気持ちでするものではないので、離婚期間なんて関係ないと思います』

 短く。必要なことだけを言い訳もなく、フォローもなく書き込んだ。それでどう表現していいかわからないが、心の中のなにかが満たされてしまった。

 そして、プロフィールを編集しようかと思ったが、結局なんか満足していた嘉寿はそのままログアウトした。

 体をぐいっと伸ばして、時計を見る。時間は九時前。ここ二、三日休んでいた勉強を再開することにした。とりあえず、先週の復習をするためにノートを取り出す。そこではたと気付く。金曜日のノートを取っていないことに。英語と、数学と、化学。現国とかはどうでもいい。

 こういうときに、明日学校へ行ったら誰かに借りればいいと思えないのが、嘉寿の融通の利かないところだった。それに、明日は英語があるし、ノートがきれいじゃないとなんかいらいらするタイプでもある。

 どうするか悩んで、すぐさま、裕哉の顔を思い出す。頼るべきは幼なじみだな。そう思って、携帯電話を取りだしコールする。裕哉はすぐ出た。

『なしたん?』

 電話機を通したくぐもった声が聞こえた。数年ぶりなのに、『もしもし』を吹っ飛ばせる関係。やっぱり幼なじみは違うなと、肌で感じる。

「金曜のノート貸してくれないか?」

『なんや、そのつまらん用事は。るみなのアンソロの続きを貸してくれとか、わいの部屋にあったフィギュアを寄こせとか、真白の好感度、スリーサイズ、連絡先を聞くとか、いろんな話題があんねやろ』

「いや、ない」

 即、断る。

『ええ! じゃあ、真白の情報をっておまえが言って、わいが一週間に一つずつな、っていう会話はどこいくん?』

「好きなところへいけばいい」

『はぁぁぁ。そっけなさすぎや。もっと、幼なじみ、いや、同志としての会話があるやろ!』

「じゃあ、虚数空間にでもいけばいい」

『棒読みキタコレ!』

「あ? なにが来たって?」

『すまん、一般人上がりのおまえには通じへんのな』

 悲しそうな声色だ。

『まあ、ええわ。ノートなら貸してやるさかい、取りに来てや。わいはこれから、やらないかんゲームがあるから出られへんねん』

 やらなきゃやならないゲームなんて、おまえはデバッガーか? と突っ込もうとしてやめた。話が膨らんでは困る。ノートを借りに行って、帰ってきて写してそれから、復習をはじめなくてはならないのだ。

 嘉寿は、るみなパジャマを脱いで、ジーパンに白い薄手のパーカーをTシャツの上に着て階下に向かった。

 途中、母親に呼び止められる。

「あら、嘉寿くん。こんな時間にどこ行くの? 危ないわよ?」

「ちょっとゆうの家に金曜のノートを借りに行ってくる。すぐ帰ってくるよ」

「最近、ゆうくんと仲いいのね。幼なじみは大事にしとくといいわよ。これは、体験談」

「うん、まあ、昔のケンカのわだかまりも解けたし、ぼちぼち。大事にするよ」

 そういって、土間部分に降りて靴を履く。まだ外は、少し涼しい。それを見越しての長袖だから問題はない。

 今日は、曇りの名残か、まだ空がすきっとしない。もとから、星が見えるような田舎ではないが、今晩は月も見えてない。それでも、道に暗さはなく。それ故に、時間に関係なく軽快に歩を進めた。

 よく考えれば、まだ九時過ぎ。コンビニどころかスーパーだってやってるところはやっている。そんな時間だ。人通りも無い訳じゃなく、ほんの五、六分強歩いて裕哉の家に行くまでに何人かとすれ違った。

 家の前まで着たが、このような時間にチャイムを鳴らすのはためらわれた。なので、携帯電話を取りだし、裕哉を直接呼び出すことにした。

『なんやー?』

「いや、家の前に辿り着いたから」

『ちょっちまってえな……オーケイ。今、降りるわ』

 そういって会話が切れる。

 音もなく開く玄関のドア。それだけで高級感が感じられる。家のドアなんかぎぃぎぃ音がするのに。

「あい、おまたせ。どのノートがご所望や?」

「英語と数学と化学」

「ほいほい」

 持ってきたノート束から、三冊抜き取った。それを嘉寿に手渡してくる。

「サンキュ」

「明日には、英語だけでいいから返してな?」

「わかってる。助かったよ。……ゲームの邪魔してすまなかったな」

「ほんまや。今めっちゃいいところだったのに。って嘘や。これくらいわけないわ。でも、いいところなんは本当だから戻るな」

「ああ、じゃあ、また明日」

 裕哉は手だけ上げて、家の中へと戻っていった。

 家について、意気揚々とノートを開く。物凄い大事なことを忘れていた。裕哉の字は達筆すぎて読みにくいことを。まるで、ミミズが這ってるようだと表現するが、まさに絵に描いたようにそんな状態。

 中学の頃は、なんとか読めていたが、さらにレベルがアップしている気がする。だけど、中学までの十年ちょっとの付き合いがある。読んで読めないことはない。しかも、作文を読むわけではない。教科書に書いてあることをまとめて写しているのだ。ヒントはある。

 自分なら出来る。そう出所の不明な自信に包まれてノートの複写を始めようとして、英語のノートを開く。数学や化学ならともかく、英語は明日あるのにも関わらず、惨憺たる状況だった。

 まず、どっちの言葉で書かれているかわからない箇所が散見される。だが、挑まねばならない。まごまごしていても、明日は来るし、明後日は来る。テストもやってくるし、受験もやってくる。

 時間はかかったが、やり終えた。基本教科書の訳が多いのが幸運だった。わからない部分だけ見ればいいのだ。後は、だいたいだ。最後に、言葉が違っても文意が大きく逸れてないことを確認して裕哉のノートを閉じた。

「はあ、しんどい」

 ため息を吐いた。机に飾ったるみなの写真を見て癒される。

 数学と化学のノートを開く気力は残っていなかった。なので、英語の教科書を開き、明日の予習をして眠ることにした。

 そう決めて教科書をあらかた見終わると、パソコンが起動しっぱなしなのに気付く。長時間放置していたのでモニターの電源が切れて、るみなのスクリーンセイバーも見えなくなっていた。

 マウスを動かすとモニターの電源が入り、低い頭身にデフォルメされたるみなたちが踊っていた。その画面はすぐに切れて、デスクトップの画面に移行する。ブラウザが起動したまんまだった。

 そしてなんの気無く、ファインディアにログインした。すると、赤文字で、メッセージがありますと表示されていた。どきどきしながら、メッセージボックスを開いてみる。ゆんゆん@マイワイフではない、知らない人からのメッセージだ。

 コーイチ、というニックネームだ。内容は、先ほどの書き込みに共感したらしいことが綴られていた。内容的には、そんな特殊なことを書いたつもりはなかったが、なにか共感されたらしい。

 そして、その人の名前をクリックしてページに飛んで、プロフィールに目を通してみる。まずトップ絵がるみなだった。別に驚くところではない。るみな好きのコミュに集うくらいだ。好きなんだろう。そして、プロフィールには、そのことが一番に書かれており、さらには結婚をするつもりがあることも書かれていた。

「……」

 なにか、心が動く気持ちだった。嫉妬? 羨望? 動揺? わからなかった。だけど、るみなが自分だけのものじゃないということを思い知らされたような気分。強制的に教え込まれた、とも表現できるかもしれない。

 とりあえず、丁寧にメッセージを返しましょうという注意が小さい文字で書かれていたので丁寧に、共感してくださってありがとうございます的なことを書いて返信した。

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