02-10

 放課後。嘉寿は、いつもの友達連中とだべる流れになりそうだったのを、「悪い、用事あんだよ」と抜け出た。

 急を要する話ではなかったが、抜け出られるときに出ておかないと居心地よくて抜けられなくなると困る。

 確か、会わせたい人がいると言っていた。だから、その人をあんまり待たせても悪いなと、根っこにあるお人好しの部分ものぞいていた。

 玄関で、上履きを脱いでげた箱にしまい、履き潰しているイチキュッパのスニーカーを放るようにおいた。

 そこでふと気づく。裕哉が会わせたいというのだから、たぶんオタクなんだろう。待たせても別にいいんじゃないか? いやいや、オタクだからってなにしてもいいわけがない。自分の人間としての品格の問題だろう。

 それに、オタクという人種は嫌いだが、オタクという個人はそこまで嫌わなくてもいいじゃないのかっていう結論だった気がする。

 でも、オタクかぁ。話なんて、これっぽっちも合わないだろうな。日本語で話せればいいなぁとか思いながら、靴を履き、玄関を出た。下校ラッシュは過ぎているので、人はまばらだ。

 嘉寿を知っている人間はいなさそうだ。と、無駄に気配を周囲に伸ばしてみる。

 裕哉の家は、同じ方向で少し嘉寿の家を過ぎた辺りにある。嘉寿は、自分の家によって、鞄を置き、学ランを脱ぎ、るみTも脱いでジーパンに無地のTシャツ、上に一枚羽織ると、裕哉の持ってきたマンガを鞄に詰めて家を出た。

 この時間には母親はすでに帰宅済みだったので挨拶だけしておいた。晩御飯は家で食べるからとも伝えておく。

 裕哉の家など何年ぶりだろうか。道は覚えているだろうか、不安だったが、十何年に及ぶ幼なじみの力は伊達ではなかった。考えごとしながら歩いていても無事についた。きっと、目隠しをしていてもつくのだろうなと、苦笑ものだった。

 数年ぶりに見る裕哉の家。相変わらず大きい。嘉寿の家より二回りも三回りも大きい。庭なんか、何倍では済まないくらい広い。きっと、豪邸というのはこういうこと言うんだろう。

 久方ぶりの訪問に緊張しながらカメラ付きのチャイムを鳴らした。三年前はカメラがついていただろうか。そんなことも覚えていない。だが、そんなところに頓着していなかったのもまた、幼さ故だった。あの頃よりは視界は広がっているのかもしれない。

 はーいと、きれいな声がマイク越しに応対にでる。嘉寿の母親とたいして変わらないのに声はずっと若い。自分の母親がおばちゃんなら、裕哉の母親はおばさまといったところか。

「こんにちは。あの……」

「あらあら、まあまあ、カズくん?」

 身分を明かす前に、言い当てられる。それにぎこちない笑い顔で応える。

 すぐに、ドアが開いて数年越しに見ても全然変わらない裕哉の母親が出迎えてくれた。相変わらずきれいという表現のしっくりくる人だ。裕哉は間違いなく、母親似だ。それで得してる。

「久しぶりね~。今日はどうしたの?」

「ゆうに誘われたので、お邪魔しにきました」

「あら、あの子の趣味を見てすっかり縁遠くなったのかと思ってたのに。幼なじみってすごいのねぇ」

 頬に手を当て、ほぅと息を吐いた。

「ああ、ごめんなさいね。立ち話もなんだからどうぞ」

「お邪魔します」

 ちょっと気恥ずかしさを覚えながらはにかんだ。

 家の玄関に入ると、やっぱり大理石の使い方の半端ないこと。嘉寿の家は石と木でできている。しかもたぶん木材の値段はかなり安いだろう。

「ゆうは、部屋でお友達と話してるから、好きにあがってちょうだい」

 そういって、スリッパを用意してくれた。

「ありがとうございます」

 靴を脱ぎ、家に上がると用意されたスリッパに足を通した。そのとき、裕哉の母親は見上げながら言う。

「あら、また大きくなった?」

「はい、高校に入ってから五センチ伸びました」

「いいわね、高い身長って。うちの子も後、一センチあれば百七十五なんだけどね」

「いや、ゆうは顔がいいですから、うらやましいです」

 あんまり、思ってもみないことだ。自分もかっこいいという部類に入るらしいことは周りに言われている。でも、人なつっこい感じの美形のである裕哉がうらやましいと思ったことがないと言えば嘘である。

「なーに、言ってんの。かずくんだって、充分過ぎるほどかっこいいわよ。うちの子はどこでどう間違ったのか、趣味がねえ」

「……」

 ある意味裕哉よりディープなところにいるかもしれない嘉寿は返す言葉がなかった。

「今日も、女の子連れてきてるのよ。邪魔してやって」

「はい。それじゃあ、盛大に邪魔してきます」

 そういって、階段を上る。家の階段なんてみしみしいっているというのに、この家の階段は体重全部を受け止めて微かな音すらしない。たすたすというスリッパのこすれる音だけが響く。

 戸には、『ゆう☆ミ』と描かれていた。

 その扉を一応ノックする。中からあいよー、という声が聞こえたのでドアノブをひねり、数年ぶりにその部屋に入る。いわゆるオタクの部屋。どんな風景が広がっているのか正直怖いもの見たさで、足を前に出した。

「よう」

 裕哉は、明るく挨拶をしてくる。

「おう、毎度……」

 嘉寿は、言葉を失っ――えなかった。

 自分の部屋の方が軽く見積もっても百倍くらい、嘉寿自身がイメージするオタクの部屋に近かったからだ。

 確かに、マンガ、ラノベ、DVD、ポスター、テレビゲーム、それらはたいてい嘉寿の部屋にもある。だけど、抱き枕は見えないし、キャラクターのシャツまで作り込んではいないし、写真立てに飾っているわけでもない。唯一ないのは、フィギュアが飾られているくらいだろう。

 部屋は相変わらず広い。嘉寿の部屋の倍はある。ベッドと机を置いてなお床に卓がおかれていて、そこに裕哉は陣取っていた。

「どうしたん?」

「いや別に」

「そうか。それにしても良く来てくれはったな」

 部屋の全貌の次に目に入ったのは、一人の少女だ。裕哉と同じ卓についてマンガを一心不乱に読んでいる。大きさからして同人誌、だろうか。

 そちらに目をやると、マンガから目を上げて無言で会釈してきたので、なんとなしに調子を合わせて頷く。無口ではなく引っ込み思案、もしくは根暗という言葉がすぐに浮かんだが、失礼もたいがいにしないといけないので、すぐに訂正した。

 制服は、嘉寿たちの高校のものだが、見た覚えが全然ない。……いや、たまに裕哉と歩いている姿を見たかもしれない。

 身長百五十センチくらいで、ものすごく小さい。顔は、るみなほどではないが好感が持てる顔立ちで、昔好きだった子に顔のタイプが似ている。美人というよりはかわいい系の顔が好きなのである。髪は、染めたりせずに美しく手入れされたポニーテールか長髪が良い。その少女は手入れした黒髪をしていた。

「じゃじゃーん。この人がかずに会わせたかった人やで」

「どうも、桜井 嘉寿です」

「文川 真白ふみかわ ましろ

 蚊の鳴くような声より心持ち大きな声でぼそりと名乗った。

「……」

「……」

 会話が途切れる。

「あの、一応、ゆうとは幼なじみでクラス一緒、です」

「知ってる。ゆうとのカップリングは毎日ごちそうさまです」

「?」

 意味がわからない。

「かわいいやろ? お人形さんみたいやろ?」

 やたらと嬉しそうに話す裕哉。これも意味がわからない。来た早々、もう飲まれている。急に帰りたくなった。

「そんな帰りたそうな顔すんなや。せっかく、数年ぶりに来てくれたんに」

「で、文川さんとオレと会わせたのにはなんの理由が? あれか、彼女自慢か?」

「アホか、おまえに彼女自慢してどないせいちゅうねん。そんな意味ないことせんわ。それに、わいと真白は同胞や。恋人でも友達でもない、同志なんや!」

 ぐっと、握り拳を作って熱弁する。

「そう、同志ゆう」

「イエーイ!」

 裕哉のテンションは不思議に高い。

「いえー」

 それに、無表情かつ静かなサムズアップで応える真白。ノリは悪くないらしい。

「で、今日の目的はなんだ?」

「友達、しかも幼なじみの家に行くんに理由いるん?」

「おまえが来ないかって誘ったんじゃないか」

「用事ならたった今、終わったで」

「まさか、文川さんと顔を合わせるだけが目的だったのか?」

「そうや」

 あっけらかんという裕哉。

「じゃあ、文川さん。学校では見かけても話しかけないでくださいね?」

 ひどいことをさらりと言う。るみなのためなら平気で言える。ましてや相手は初対面。まだ知り合いにもなっていない関係。情報はどこから漏れるからわからない。注意しすぎてもきっと無駄にはならないはずだ。

「きびしーな。現実の女の子にも優しくしたってや?」

「忘れているようだからもう一度言っておくぞ。オレは、オタクが、嫌い、なんだ」

 文節を細かくわけ、強調しながら言う。

「あかんて、そんな自分を卑下したったら」

「してない!」

「鬼畜メガネキャラ」

 真白は、突如目をきらきらさせてそんなことを口走った。そして、なにかを待つかのように期待したまなざしで嘉寿のことを見ている。餌をくれるのを待つ犬のような感じと言っても過言ではない。

「真白は、どエムな腐女子なんや。なー?」

 実に楽しそうに言う。

「メガネは正義。メガネを強く薦める」

「腐女子?」

 聞き覚えのある単語だ。確か、BLとかに興味のある女子だっただろうか。細かくは知らない。ただ、オタクの一部であることは知っている。

 実物を見ると、かなり引ける。見た目はかわいいのに脳味噌は、いつも男子同士の絡み合いでいっぱいだと思うと非常に残念という言葉がしっくりくる。

 なるほど、冒頭のごちそうさまはそういう意味か。自分と裕哉のエロ。想像しただけで気持ちが悪い。

「真白」

 真白は、自分を指さして、自分の名前を言った。

「え?」

「真白でええて。初対面なのに、気に入られるなんてすごいなカズは。わいかて一週間かかったんやで」

「カズ」

 指をさしてつぶやく。次に自分をさして「真白。同志」と、無表情で言うのだった。背筋に薄ら寒いものが走った。

 意味が分からない。それはそうだろう。まだ自己紹介と話しかけないでの二言で友達じゃなくて同志認定? 勘弁して欲しい。

「めっちゃ嬉しそうやね、真白」

「♪」

 無表情だが、こくんと頷く。

 どこが? めちゃくちゃ突っ込みたいが我慢する。ここで、漫才のような関係を構築するわけには行かない。

 だが、局面的にはここで折れるのが妥当だと防衛本能がささやく。腹をくくる。もう、たぶん裕哉からは逃げられない。そして、真白からも。

「オーケー、真白。オレのことはカズでいいけど、学校では他人。これだけは守って欲しい。話があるなら、ケータイか帰ってからこうして会おう」

「♪」

 またも無表情で頷いた。

「かぁ~、真白はすごいな。こいつもオタクに関してはたいがいきびしーんやで?」

「あ、これ借りてたマンガ。持ってきた」

「そこら辺においといて。それよりも。いつまでも入り口に立ってないで、こっち来て座りぃや」

 裕哉は卓の反対側をさして着席を促す。嘉寿は用件が終わったので帰りたかった。それに、もともと用事が終われば長居するつもりもなかった。

 でも、少しオタク同士の会話に興味がなくはなかった。帰る理由も特に思いつかなかったので、言われるままに座る。

 だが、声優の話や、アニメ監督の話、漫画家の話、小説家の話、どれ一つとっても理解できるものがなく、置いてきぼりだった。

 そして、裕哉たちは、嘉寿がオタク嫌いの理由の一つにあげている、自分たち中心主義の会話に没頭した。嘉寿は辟易し始める。

 だが、裕哉は嘉寿が我慢の限界に来てるのを察して『るみなの七転抜刀』の話を始めた。きっとわざとだろう。

 だけど、そうなれば俄然と理解できるようになる嘉寿。こだわりのエピソードや、作画監督までどこまでも語れる。こと『るみなの七転抜刀』に関しては、オタク二人より戦力が上だった。

 まだまだ語れると言うところで、嘉寿の携帯電話に母親から電話があり、婉曲に帰宅を促された。この場を終えるのは、とても惜しい気がしたが仕方がない。きっと、また今後も呼び出されるのだろうことが容易に想像がつくのであきらめはわりと簡単についた。

「じゃあ。オレはもうそろそろお暇するわ」

「了解や。でも、おまえの語りっぷりは凄まじいな。ええんやて、また来て語ってや」

 真白も黙って無表情に手を振っている。

「……さよならのキス……」

 なんかつぶやいているが、スルーする。

 裕哉の家を後にする。夕焼けも落ち、暗い道を街灯が無機質に照らしている。そんな道をゆったり歩く。

 今日の残った感触は、楽しい、だろうか。少なくとも不愉快ではない。裕哉たちのオタク性については、好きになれそうにはないが、でも、裕哉や真白という個人で見たときにはおもしろいかもしれない。なんせ、裕哉たちは知らない話にも積極的に耳を傾け聞いてくれる。

 自分の好きなことを語れるというのがこんなにも楽しいことだとは知らなかった。少し視野が広がった気がしたそんな月曜日だった。

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