02-1
「ええか、オタク言うんは、もはや趣味の呼称にあらへんねん」
「オタクな人とオタクじゃない人に分かれるというのは聞き飽きたぞ」
「オタクじゃない人なんてこの世におらんねん。なにかしら好きなものや得意なものがあって、それを極めんとすればそれすなわちオタクや。そう、我々狭義のオタクはその対象がたまたま二次元だっただけやねん。ゲームや、マンガ、小説だけやってん。実際、ドルオタや、鉄ちゃんやて立派なオタや。野球好きも相撲好きも競馬好きも高じれば全部オタや。三次元のオタは正常で、二次元好きなら異常っておかしくないか?」
今、嘉寿は病床に伏せっている。その横で、動けないことをいいことにオタ論をぶちかまされている状態だ。
いい加減頭痛も酷くなってきたし、ここらで一撃を食らわせてやることにした。とっておきの一言をぶちかまし返すことにする。
「オタクはみなそう言うんだ」
たいていのオタクを黙らせることができる魔法の呪文。
「そうや、誰が言いよったかてオタクが言ったことになるんや。なぜならみなオタクやさかいな」
黙らせられなかった。失敗だ。手強い。
今日は、土曜日で、休みのはずなのだが、急な呼び出しとかで親は二人ともいない。僥幸だ。こんな状況で看病されたらかなわない。
母親は、学校から連絡を受けて青くなっていたが、それでも部屋に入るのだけは止めた。危うく、この状態でラスボス降臨の憂き目に遭うところだった。薬を飲んでおとなしく寝ているから邪魔しないでくれと言い含めた。
そして、親が外出し、一人心安らかに療養できると思っていた。だが現実は、なぜか目をきらきらさせながら、オタク論を展開し続ける裕哉には絡まれている。
親が出ていく音を寝ぼけまなこで聞き、また深い眠りに落ちようとした瞬間。家のチャイムでたたき起こされた。家には誰もいない。無視するのも手かと思ったが、チャイムの主はしつこい。
重い体を起こし、るみなパジャマを脱ぎ、親が買ってくれた部屋着に袖を通す。ふらつきながら階段を下り、玄関にいくと、裕哉が朗らかな笑顔でそこに立って、手を振っていた。
部屋に帰ると、るみなパジャマに着替え直し、ベッドに戻った。裕哉は「律儀なんは相変わらずやな」の一言。いらっと来たが怒る体力がない。ため息だけが漏れた。
「なあ、おまえなにしに来たの? オレはゆったりと体を休めて、月曜には学校行きたいんだけど」
「おお、そうやった。大事なことを忘れるところやった」
裕哉は、自分のトートバッグをごそごそとし始めた。なにやらオタクグッズが登場するのは堅い。鉄板だろう。問題はそれがなんであるかである。なにやら、フィギュアの箱を取り出しているが、それは勘弁だ。
嘉寿は、公式以外のものを認めていない。アニメやマンガやゲームも絵を描いてる人間はばらばらだが、そこは基本の話を「るみなの七転抜刀」の作者が書いているので公式としている。
アニメは実際かなりグレーゾーンだ。ただ、オリジナルストーリーを作者が書き下ろしたゲームが最初にできて、それについていた声と一緒だったし、話自体は慣れ親しんだものだったので許容範囲としている。そういう意味では、勝手にあれが許せてこれが許せないと声高に語るオタクとたいして変わらない。
でも、フィギュアは違うようだ。見れば、るみなでもなければ、七転抜刀のキャラでもない。
裕哉は、実際かなり美形に入ると思う。周りでも、眉目秀麗、成績優秀で通っており、みなは共通して「オタクじゃなければね~」と口を揃える。女装とかさせたら、かなりの美人になるのではないかと思う。
まあ、どんなに見た目麗しくても目の前でフィギュアにうっとりされたら、千年の恋も先年の恋と成り果てるだろう。
それに、こいつには彼女がいるという噂だし。いつも一緒にいる女子がいるらしい。腐女子という単語が精通してきた昨今、まさに腐女子だというのだ。嘉寿にとっては、腐女子とオタ女の違いからして怪しい。というか、関わりのない人物の分類などどうでもいい。
「なあ、うっとりしてるところ悪いが、フィギュアにうっとりするのは家に帰ってからにしてくれないか。オレは、もう少し寝たいんだが」
「しまった! マリナのフィギュアの凛々しさと、美しさ、そして塗りの良さに感激してしまった」
「言葉が標準語に戻ってるぞ」
「あかん。ダブルミスや! でもな、この表情良くできてるやろう? さすが山岳堂や」
顔の造形を指して言っているのだろうが、嘉寿は元がどういうキャラクターなのかわからないので、似てるとか、良くできてるという実感が全くわかない。
「だからそういうのは、そういう友達とやれ。オレは興味ない。寝かせてくれ」
素っ気なく言い放つ。
「なんや、つれないなぁ。おまえもるみなのフィギュアやったら興味示すんか?」
ぴくりと反応する。座っていた体勢から、横になろうと掛け布団を掛けようとして止まった。
「お、脈ありか。今のところ、るみなのフィギュアは全部で十二種類。サブキャラ含めたらもっとあるけど、興味なさそうやし調べてへん。で、十二種類のうち五種類がスリムボーイ、いわゆるガチャガチャやガチャポンと呼ばれてるやっちゃな。でも、残念なことに全部邪神や。おまえが見たら切れるわ。間違いなく」
「邪神て何語だよ?」
聞き慣れない言葉に眉を顰める。きっとオタク用語でろくでもない意味なんだろう。
「は? 邪神は邪神やろ。邪神おっこす知らへんの?」
「知らん。そんな淫靡な響きの名前のキャラはオレの知識に必要ない」
「うはー。マジで言うてはるの? まあ、知らないことは知らないわな」
なにやら、裕哉のテンションが上がってきたようだ。
「なにがそんなにおまえの元気のツボを刺激した? オレは、もう一眠りしたいんだが」
「まあまあ、そうつれないこと言わへんで聞いたってくれや」
「その話だけな」
強く念を押すように言ったつもりだが、そこに含まれた感情は上手く伝わっていないように感じた。
「その昔、あるところにオタクが一人、いやもっとたくさんおった。そのオタクどもは、あるゲームが好きで続編を期待していた。でな――」
「おい、ちょっと待て。その話どこまで長くなる?」
実に嫌な感じのする立ち上がりだ。こうなんていうか、腰を落ちつけたという表現がしっくりくるような話し方だ。こんなところに根を張らず、さっさと用件を済ませたら早く帰って欲しい。
なぜなら、裕哉がいると部屋の鍵を閉めなくてはいけないので、眠ることができない。それに、置いておいて裕哉にるみなを触ってもらいたくないからだ。
「え~と、あのときの衝撃やったら三十分は語れるな」
「二分にまとめろ」
「ちえ~、なんやけちくさいな」
「おまえは、本来なにしに来たんだ?」
風邪の頭痛とは別の痛みが頭を席巻してきている。
「お見舞いやけど?」
「だよな? 賢い賢いゆうくん。お見舞いとはどういう状況においてされることでしょう?」
「知り合いが病魔に冒されたときや怪我に見舞われたとき、心配してやることやな」
「ご名答! で、病人はどっちでしょうか?」
「それは、人間的な意味で? 身体的な調子の意味で?」
「身体的な調子の意味に決まってるだろ」
答えるのも馬鹿馬鹿しい。だけど、ここらで終わりにしないと命の危険を感じるくらいに調子が悪い気がする。
「まあ、どっちの意味でも、かずやけどな」
純真無垢に笑ってみせる裕哉。
「もうなんでもいいから、用件を済まして帰ってくれ。オレは横になりたいんだ」
「いけずやな。わかった。そう怖い顔せんといて」
そういうと、再びトートをごそごそとして、中からマンガを数冊取りだした。四コマ誌などで多く見られるサイズだ。
それをベッドの枕元に積む。
「これでも読んで、元気だしいな」
表紙は、確かに、「るみなの七転抜刀」だが、雰囲気というか、絵柄が違う。そう、同じキャラを別の人が書いているような感じだ。
「なにをいぶかしんどるんや?」
「これ、誰が描いてるんだ?」
「ああ、それは黒猫曹長がって言っても通じへんもんなあ」
「いや、ノベルやゲームと絵師が違うよな?」
「おう、これは、集まった絵師やマンガ家たちが好き勝手に『るみなの七転抜刀』をマンガにしたもんや。いわゆるアンソロジーというやつやな」
「オレは、公式以外認めんぞ?」
「そんな了見の狭いこと言わんで、目ぇ通したって見てや」
「だって、それはるみなじゃないだろう?」
「そんなことはないで。それぞれのるみながそこにいるんや」
病人に対してどこまでも熱く語る裕哉。嘉寿は、それを冷めた目で見ていた。そして、いつものように思う。これだからオタクは嫌いなんだと。
「……オレのるみなは、こんなところにいるとは思えない」
「まあ、次のステップというやつや。一応、見とき。それから、おまえのパソのアドレス教えてくれへん?」
「なんでだよ?」
「SNSって知っとるか?」
「ソーシャルネットワークなんとかってやつだろ? それがどうした?」
「そうや。そこにはるみな好きが集まってコミュニティを作ってるかも知れへんで? そういうところで同好の士を募ってはどうや?」
数秒、嘉寿は裕哉の顔を観察した。いつも通りのほにゃっとした笑顔。他意や悪意というものは読み取れない。軽くため息を吐くと、パソコンのメールのアドレスを教えた。
「おまえ、そういうコミュ、だっけ? があるの知ってて言ってるだろう?」
「あら、気付かれた? 当然やろ。るみなはわいも好きやしな」
「わかったから、おまえもう帰れ。オレは親が帰ってくる前に一眠りしたいんだ」
「悪かったな、長々と。んじゃ、お大事にぃ~」
そう言って、裕哉は部屋を出て行った。そして、部屋の施錠をしっかりとし、ようやく静かに横になれた。長い息を吐き。眠りについた。
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