01-2

「起きよ。起きろ、かず。朝だよ、起きるんだ」

 コンポのスイッチが入り、CDが再生される。

「早く起きてくれないと、私も遅刻してしまう~」

「う、う~ん」

 昨日、結婚のために夜更かしし、そして、興奮して眠れなかったせいで、寝覚めが悪い。

「お・き・ろ。起きないと悪戯するぞぉ?」

 様々な目覚めの声がかかる。

「悪戯、してくれ~」

 そして、もう二、三言いうとCDは全トラックを再生し終わった。

 だが、彼は起きなかった。

 そして、静かなときが五分ほど過ぎた。鳥が活発に鳴き、これから暑くなるであろう季節を感じさせる力強い太陽光。それを遮るカーテンの内側で少年はのんきな寝息を立てている。

 とんとんと人が階段を上がってくる音がする。

「まず」

 反射的に飛び起きる。そして、部屋の鍵を素早く見やり、閉まっていることを確認し――確認すると閉まっていない。

「まずい」

 こんこんと彼の母親が扉をノックする。

「嘉寿くん? もうそろそろ起きないと学校遅刻するわよ?」

 嘉寿かずは、戸に張り付くようにして扉のノブを持つ。彼の家は押し下げるタイプのノブだから、持ち上げていればとりあえずは大丈夫だ。

「嘉寿くん?」

 侵入してこようとする母親。

「だ、大丈夫。起きてるよ! 今着替えてるから入ってこないで!」

 必死の防戦。母親は、扉のノブに抵抗感を感じて、いつも通り鍵が閉まっていると勘違いしたのだろう、特に激しいアタックもなく、下に降りていった。

「ふう~、危なかった」

 戸に背中を預け、ずるりとずり落ちた。

 ふと時計に目をやると、確かにやばい時間だった。

 嘉寿は、お手製のキャラクタープリントパジャマを専用の洗濯かごに放り込むと、クローゼットを開ける。そこには、お手製のキャラクタープリントのTシャツがずらりと並んでいた。

「おっと、今日は火曜だから体育がある日か。あぶねーあぶねー」

 そこからはシャツを出すことなく、別のところから無地の黒シャツを引っ張り出した。

 携帯電話を覗けば、「おはょー」と題したメールが来ていた。本文にも小文字やデコメやらでごてごてしている。だが、用件はシンプルに昨日のドラマを見たかということだ。

 当然嘉寿は、そういう女子が喜びそうなものはチェックしていた。もちろん、女子とお近づきになりたいからではない。ある種のタイプで見られるのが嫌だから偽装しているのである。

 返信で、「キリタクはマジやばい。脇のまっつーも良すぎだろ」と送った。

 ある種のタイプとは、「オタク」である。キャラクターのプリントされたというかした、シャツやパジャマ、キャラクターボイスによる目覚まし。これらを持ちながら、嘉寿はオタクと呼ばれるのがいやだった。

 暗そうだし、引きこもってそうだし、自分の話しかしそうにないし、不潔そうだし、なにより思考が不潔っぽい。そんなイメージである。

 そういう意味では、嘉寿はオタクであると言えるしオタクではないとも言える。それは、彼が愛しているのはアニメとかゲームとか媒体ではなく一人のキャラクターだからだ。プリントシャツにも、パジャマにも、目覚ましの声も、昨日パソコンでやったゲームも、ゲーム機で用意した画面もみんな一人のキャラクターをしめしている。

 神姿かみしるみな。最初は、ライトノベルから始まったキャラクターである。『神姿るみなの七転抜刀』のメインヒロインだ。現代に生きる武士の少女が配下を集め、敵と戦うのかと思えば、暇と戦う、のんびり系のライトノベルだ。

 彼女との出会いは、筆舌に尽くしがたく、まさに一目惚れ。その当時はオタクなんて死ねばいいと思ってすらいた。なんせ、二次元と結婚とか言い出す人種だ。頭がまともだとは思えなかった。

 でも、書店の片隅でそれの最新刊が積まれているのを見たとき、嘉寿の直感に電撃が走った。この子は、かわいい! ふらふらとそこに近づき、そこにあった最新刊までの六冊を購入した。いわゆる絵師買いである。高度な業だが、ひらりと嘉寿はこなして見せた。

 でも、中身を読んでさらに惚れ直した。以来ずっと、彼女一筋だ。現実で好きな子がいたがそんなものには目もくれず。良い意味でも悪い意味でも嘉寿は一途だった。

 今では、全部初版を持っている。全冊、透明のビニルカバーに入れて大切に保管してある。

 ライトノベルというものを完全にバカにしていた。だが、その本を読み始めたとき、一瞬にして引き込まれ、寝食忘れて読み耽ったものだった。

 そして、着替えが終わり、完全に制服姿になっているにもかかわらず、ノベルの背表紙を触りながらうっとりと思いにふけっていると、下から母親の声が聞こえてきた。

「やべ、本格的にまずい。朝飯パスだな」

 部屋を出て、しっかり鍵をかける。

 この部屋は自分以外に知られてはならない。絶対に。

「ごめん、寝坊したから、ご飯パスするわ」

 階段を駆け下りると、そう母親に告げながら、洗面所に駆け込んだ。歯みがきとと洗顔をさっとしかしてぬかりなく済ませる。そして、ジャージの入った袋だけ手にして、家を飛び出した。

 母親は寝坊などほとんどしたことのない息子の珍しさに苦笑だけしていた。

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