第2話 赤い報せ、恐怖
約一ヶ月後のとある日曜日、その日は珍しく両親は買い物で出払っていて、家には僕しかいなかった。
リビングでぼーっとテレビを見ていたら、いきなり報道フロアのような場所にいる緊張した面持ちの女性が映っている画面に変わった。
「緊急速報です。たった今行われた会見で、尊厳死案が正式に施行されることが決定致しました。繰り返します。尊厳死案が正式に施行されることが決定されました。・・・」
はっとした。その話はもう忘れていた。
そこで初めてその案についての情報を調べた。
多くなりすぎた人口を減らそうという目的で発案されたこれは、日本国民から約3億人を無作為に選出し、安楽死剤投与によって死なせるもの。選出された国民のもとには「政府認定尊厳死決定状」というものが届けられるらしい。それを国民の間では実際のその紙の色、そして死を呼ぶものと掛けて通称「アカガミ」と呼んでいるようだ。
怖かった。まるで映画の世界の世界に迷い込んだようだった。
死ぬかもしれない。それがこんなに近くに来るなんて。
おばけとか、犯罪者とか、そういうものに対して感じる恐ろしさとはまた違った、
こんなことがこの国の中の正しさになっていって、それに殺されるような抗いようのない恐怖。
その時はただただ、何もできずにいた。
夕方になると父と母が帰宅した。あのニュースをもうどこかで知っていたのか、深刻そうな表情だった。
「ねぇ父ちゃん、あのアカガミってやつほんとに来るのかな」
「まだよく分からないけど、国の色々な機関があんな強引な事をすんなり許すとは思えないけどな。」
食事中になってもその話が気になってしまい、いつもほど食事が喉を通らなかった。
「とにかくお父さんも瑞希もさっさとごはん食べちゃいなさい。今考えたってどうにもならないんだから」
うちの家族はどちらかというと女性が強い。母ちゃんも姉の遥も基本的に何があっても狼狽することがない。僕と父は色々と考えてしまう方なので、こんな人が母で良かったなと、呑気にも思ってしまった。
でもやはりそんな母も気が気ではなかったらしく、姉に電話をかけていた。
姉は大学やアルバイトで忙しいらしく、しばらくこっちには帰ってきていなかったけれど、さすがに今回のことが不安で、明日帰省してくることになったらしい。
その夜、テレビでは日本各地で尊厳死案に対する反対運動が激化し、暴動も起きているというニュースが流れていた。
あまりにひどい場合は暴動を起こしていた人たちは警察に逮捕されるなんて話も耳にした。
きっとみんな必死なんだろう。一番人間らしい行動といえば人間らしい行動なのかもしれない。
お風呂を済ませてベッドに入ってからも、僕はまだその現実を受け止められずに、夢であるようにと祈った。
なかなか眠りにつくことはできなかったけど、気付いたら眠っていたようだ。
次の日教室に入ると、あの話題で持ち切りなのは以前と同じだったけれど、
話しているみんなの表情が明らかに深刻そうだった。
これは僕も含めてだけど、みんなずっと他人事だと思っていたことが実際自分に関係してくるかもしれないとなってくると、もうどうでもいいなんて言える人はいなかった。
まるで、漠然とずっと先にあると思っていたはずの「死」が突然目の前に現れた。そんな感覚だった。
生きている以上、常に死ぬ可能性はある。それを頭では理解している。
だけど、実際明日死ぬかもしれないと思って生きている人間なんて、病に侵されているとか特殊な状況じゃない限りいないだろう。
僕らは17、18歳にして、最も恐ろしい恐怖と対面していた。
こんな時に授業なんか受けてられないと、教室を出て行ったり、無断欠席はある程度いたらしいけれど、それによる暴力沙汰はうちの学校では起こらなかったようだ。
「裕、聞いた?僕たち殺されるかもしれないって。」
「あぁ知ってるよ。でもまぁ今どんだけ騒いだって国はこの方針を変えないだろ。」
「反対運動とかデモとかすごいらしいね、都会の方は。それにしても裕は落ち着いてるよね。」
学校中、いや日本中が恐怖で覆われているようなこの状況でも、裕は相変わらず動じていないように見えた。特に騒いでる様子にも怯えている様子にも見えなかった。
「俺だってそりゃ怖くて仕方ないけどさ、運命だろ。死ぬときは死ぬし、生き残るときは生き残るだけだよ。俺が後者だとは言い切れないけど。」
なんでこんなに俯瞰して物事を捉えられるのだろう。
裕は元々両親を幼くして亡くしており、祖父母とともに暮らしていた。
彼はあまり自分のことを語ろうとしないが、生死に関しては嫌でも向き合わなければならない人生を送っていたのだろう。
それもあってか、何事にも達観しているように見えた。
その日は生徒、教師も、共に動揺を隠しきれずにいた様子だったけど、通常通り授業は行われた。
みんな必死にいつもの日常を装っているようにみえた。
この現実と向き合おうと覚悟を決めたのか。あるいは、あれは何かの間違いだと疑っていたか。この時の僕は完全に後者だった。
それは人によって違うと思うけど、この非日常になってしまうかもしれない現実の中で、できるだけ日常を装おうと一生懸命なんだと思う。僕だってそうだった。
そしてその日、時間はあっという間に過ぎて、放課後になった。
「瑞希ー、今日部活休みになったから帰ろうー。」
「あ、ごめん裕。ちょっと課題残っててさ。これやんなきゃだから先帰っててよ」
「お前こんな時に勉強って。変なとこ真面目だよな。じゃまた明日な」
変なとこってのは余計だ。
さっきも言ったけど、こんなことがあってもやっぱり裕は相変わらずだった。
クラスメイトが続々と教室を出ていくなか、僕は机上の課題をすすめていた。
しかし、尊厳死案が正式に決まったことが頭から抜けず、課題はなかなか捗らなかった。
気が付くと時刻はもう完全下校時間になっており、教室には僕だけが残っていた。
さすがにもう帰ろうと思い荷物をまとめて廊下に出ると、そこにたまたま唯が通りかかった。
彼女も委員会で残っていたらしく、廊下には二人きりだった。
珍しく元気のなさそうな様子だったので声をかけてみた。
「唯、どうした?」
「あ、瑞希。ううんなんでもないよ」
唯は僕に気付くと驚いた様子で、一瞬で表情を笑顔に変えた。
「何でもない様子には見えないけど」
さっきの唯は普段見たことないような深刻な表情をしていたので心配だった。
「あはは、ばれたか。あの尊厳死案?だっけ。あんまり考えないようにしてたんだけどさ、すごい恐くて。友達と話してればなんとなく気が紛れるんだけど一人になるとどうもね。」
当然といえば当然の反応だ。
唯はこんな性格だけど17歳の女の子なんだ。
「きっと大丈夫だよ。反対運動だってすごい数起きてるらしいし。それ全部無視して実行なんてできないよ。中止になるさ、多分。」
「でも、実際決定されてるんだよ!?あたしも、瑞希も、お母さんやお父さんも、友達だってみんな死んじゃうかもしれないんだよ!?」
呆気にとられていた。唯はいつも声が大きいけど、こんな風に声を荒げているのを初めて見た。そして同時に、僕の中の忘れようとしていた恐怖が再び顔を見せた。
「あっ・・・、ごめん。あたし誰にもこわいって言えなくてさ。じ、じゃあもう帰るから、また明日ね。ばいばい。」
いつもは元気のない僕を叱ってくるような奴だったのに。
こんなに怯えている彼女を見るのは初めてで動揺していた。
そして輪郭の見えていなかった恐怖は、僕の中でその姿を現し始めていた。
考えていなかったわけじゃない。頭では理解していたんだ。
自分は死ぬかもしれない。それはわかっていた。
だけど自分の周りの人、大切な人も死ぬかもしれない。
自分のことで精いっぱいだった僕はそれを改めて理解した瞬間、また大きな、そしてどす黒い恐怖に覆われた気がした。
例えば家族が死ぬことになったら。
友人たちが死ぬことになったら。
そして唯が死ぬことになったら・・・・。
唯のことを異性として好きとか、嫌いとか、そういうのは思ったことがなかった。
あまりにも幼いころから一緒に居過ぎたし、彼女との思い出というと、情けない僕をいつも叱ってくる姿だった。そのせいなのかなとも思った。
こんな僕も恋愛の一度や二度くらい経験したことがある。なかなかうまくいかなかったけど。
そして同じように唯に彼氏ができたこともあって、その時はなんだか少し寂しいような、僕の方が唯のことたくさん知っているのに。という名もつけられないような感情になった。それはもう恋だという人もいるかもしれないけれど、そう簡単に僕の唯への思いは片付かなかった。
でも一つだけ言えるのは、唯は僕にとって、間違いなく大切な存在ということだ。
そんな彼女の命もどこかの偉い人達に天秤にかけられていると思うと、許せなかった。
唯には笑顔が一番似合うから、これからも笑ってほしい。笑っていてほしい。
ただ、そう強く思った。
その後、僕は職員室に課題を届けに行った。
職員室では今回の件についての会議なようなものをやっていた。
先生たちだって自分や家族のことで精一杯なはずなのに、こうやって僕らのことを考えてくれている。
すごいとも思ったけど、同時にかわいそうにも思えてきた。
無事課題を担当の先生に届け終え、時刻は19時を回ろうとしていた。
いつの間にか辺りは暗くなっており、家へ帰った。
「ただいまー。」
「おかえりー。遅かったわね。」
「あれ?姉ちゃん帰ってくるって言ってなかったっけ?」
「それが帰ってこれなくなったらしいのよ」
姉は今日帰ってくる予定ではいたんだけど、いつアカガミが届くかわからなかったし、
国から、アカガミは住民票に記載されている住所の元に届けられるから、しばらくはその住所の場所にいるようにと呼びかけがあったので、帰省することが難しくなって帰ってこれずにいた。
母はとても心配そうにしていた。僕だって父ちゃんだって姉のことが心配だったけど今僕らはどうすることもできなかった。
それからのこと、テレビや新聞では尊厳死案を取り挙げたものがほとんどになってきて、反対運動は激しさを増していたらしい。
それによって、政府が考え直すことになればいいなと思っていたけど、案の定そんな簡単なものではなかったのだろう。反対運動が法的に禁止され、公的に処罰されるようになり、政府も力尽くで反対組織を潰しにいっているというのが見て取れた。
その後、反対運動は段々となくなってきて、僕はそれが非常に恐ろしい光景に見えた。
それから二週間ほど経ったけど、実際に僕ら国民にアカガミは送付されてくることはなかった。
なにかに怯えるということは存外、心も体も疲れるもので、みんな疲れ切っていたのか、
段々と普段の様子に戻っていった。
そしておよそ二週間後・・。
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