7-4

 僕たちが砂浜に着いた頃、海水浴場の遊泳可能時間は終わっていた。

 人気の少ない海岸を波打ち際まで歩き、砂浜の上に二人並んで座る。僕が右、三浦さんが左。水平線に沈みかけた太陽がオレンジ色の光を放つ。潮風と波音の中、三浦さんが目を細めて呟いた。

「今日のお墓参りした人たちも、こんな風に一緒に夕日を見たりしたのかな」

「見たらしいよ。海を渡って結婚する話をしたって言ってた」

「そうなんだ。天国で一緒になれるといいね」

「――そうだね」

 僕は頷いた。地獄になんか行っているものか。彼らは天国に行って、フレディのライブを聞いている。ジョン・レノンに捧げた『ライフ・イズ・リアル』を、当のジョン・レノンと共演するフレディを見て、感激に卒倒しそうになっている。僕がそう決めた。

 三浦さんの頭が、少し僕の方に傾いた。甘える仕草。

「ねえ、安藤くんが一番好きなQUEENの曲って、なに?」

 一番好きな曲。僕はポケットから音楽プレイヤーを取り出し、巻き付いているイヤホンを解いた。

「聞かせてあげるよ」

 イヤホンの片方を三浦さんに渡す。二人でイヤホンを分けあう形で耳に挿し、目的の楽曲を再生。ピアノとハープからなる美しい旋律の後、フレディが艶やかな声でタイトルにもなっている歌詞を口ずさむ。

 三浦さんは目を瞑り、うっとりした様子で曲に聴き入っていた。僕も同じように目を瞑る。三浦さんの熱を感じる。寄せては返す波の音を背景に、優しくて切ない歌声がじんわりと身体中に染み渡る。

 やがて、曲が終わった。左手一本でイヤホンを音楽プレイヤーに巻きつける僕に、三浦さんが余韻の抜け切っていないとろんとした声で尋ねる。

「今の曲、なんてタイトルなの?」

「『ラブ・オブ・マイ・ライフ』。別れの歌だよ。ちょうどフレディが恋人と別れた時期の曲だから、その人のことを歌っていると言われている」

 三浦さんが、ほうと湿っぽい吐息を吐いた。

「男同士、やっぱり大変だったのかな。こんな綺麗な曲が出来るぐらい好きだったのに別れちゃうなんて」

「腐女子モード入ってるなら申し訳ないけど、違うよ。この時の恋人はメアリー・オースティンっていう女の人。同棲までしてたけど別れちゃったんだ」

 音楽プレイヤーをポケットにしまう。三浦さんが、今まさに口から魂が抜け出ている最中と言った感じの呆けた顔で僕を見ていた。そこまで驚くことだろうか。

「フレディには彼女もいたって、前に言ったよね?」

「聞いたけど、女を抱けるゲイかもとか言ってたじゃん。そんなガチの恋人がいるなら絶対にバイでしょ」

「でもそのメアリーがフレディをゲイだって言い切ったらしいから」

 三浦さんの顔に浮かぶ驚愕が、さらに濃くなった。

「どういうこと?」

「フレディがメアリーにカミングアウトしたんだって。自分は男にも興味があるバイだって。そうしたらメアリーは、貴方はバイじゃなくてゲイだって言ったらしい。まあ、僕も人に聞いた話だから、どこまで本当かは分からないけど」

 好きな相手が何を見ているかは分かる。亮平の言葉を思い出しながら、僕は視線を海へと向けた。太陽はもう半分以上、水平線に沈んでいる。あと少しで夜が来る。誰が誰を見ていても分からない、優しい夜が。

 三浦さんの声が、左の耳に届いた。

「メアリーはフレディと別れた後、どうなったの?」

 緊張を感じる固い声。僕は、海を眺めたまま答える。

「別れた後もメアリーは、フレディと仲の良い友人として付き合い続けた。ツアーにもついて来て、フレディの傍にはいつもメアリーがいたらしい。そのうちメアリーは別の人と結婚して、家庭を築いた。子どもも産んだ。その後に離婚したけどね。そしてフレディの死後、莫大な遺産がメアリーに渡った」

「どうしてフレディの遺産がメアリーに渡るの?」

「フレディの意思だよ。ステディな関係にはなれなかったけど、魂の深いところで繋がっている親友だったんだ」

「……そっか」

 三浦さんが口を噤む。長い沈黙が訪れる。だけど僕には言いたいことがある。きっと三浦さんも同じ。だから「もう帰ろう」とは、どちらも言い出さない。

 先に口を開いたのは、僕だった。

「三浦さん」

 三浦さんの方を向く。三浦さんも僕の方を向く。瞳と瞳をしっかり合わせて、話す。

「僕、転校することにした。夏休み中に大阪に行く」

 三浦さんの眉尻が下がった。ああ、やっぱり。そういう表情。

「逃げるんじゃない。自分を試してみたいんだ。僕のことを何も知らない人たちと触れあって、自分自身の可能性を探りたい」

 だから――

「安藤くん」

 言葉が、強い呼びかけに遮られた。

「わたしたち、別れよう」

 波音が大きくなった。

 言葉を失う僕。ニコニコ笑う三浦さん。空白になった頭に、ざらざら、ノイズみたいな波音が響く。

「……は?」

「だって遠距離とか無理だもん。そろそろ潮時かなーと思ってたし。安藤くん、いくらなんでも口悪すぎだよね。愛嬌じゃ済まされないレベル」

 三浦さんが大きく口角を上げて笑いながら、僕の額を指さした。

「これで、フッたのはわたしだからね」

 つきつけられた指先が、震えていた。

 ――ごめん。

 浮かんだ台詞を胸に留める。それは違う。僕はフラれるのだ。身勝手の代償として愛想をつかされ、惨めに、哀れに。

「分かった。別れよう」

 感情を込めず、淡々と言い切る。三浦さんが僕につきつけていた腕をだらりと下げた。そしてゆっくりと立ち上がり、僕に背を向ける。

「ちょっと、お手洗い行って来る」

 声が揺れていた。三浦さんが砂浜を駆け出す。僕は左腕と両足を広げ、ギブスで固めた右腕を腹に乗せて、砂浜に寝転んだ。

 薄く暗幕のかかり始めた空に、輝きの強い星がちらほらと浮かぶ。少しばかりドット抜けがある広大なモニター。そこに、チャットウインドウを展開させる。

『フラれちゃった』

『見ていたよ。当然の報いだ』

『酷いね。慰めの言葉はないの?』

『期待していたのかい?』

『まさか』

 海風が砂を巻き上げ、顔の上を通り過ぎた。とっさに目を閉じ、開く。切れ味の鋭いメッセージが、ピントの合わない瞳にぼんやりと浮かぶ。

『ところで、もう全て終わったつもりかい?』

 返事に詰まる。その隙にもう一つ、諭すような言葉。

『まだ大事な仕事が残っているだろう』

 僕は、ギブスの中の拳を軽く握った。

『分かっているよ』

 ウインドウを消す。その後ろに隠れていた星の輝きがやけに眩しくて、僕は優しい波音に抱かれながら、眠るように瞼を下ろした。

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