Track7:Love of My Life

7-1

 終業式後、僕と三浦さんと亮平と小野は校長室に呼び出された。

 担任やら学年主任やら教頭やら校長やらが代わる代わる僕たちを尋問し、三浦さんは親に連絡までされ、まずは僕が一足先に解放された。僕の罪はなし。あえて言うならば「高校生の分際でセックスに挑もうとした」こと。特にペナルティは無かった。

 みんなをどこで待とうか。考えて、三階の空き教室に向かう。扉を開けて中を覗くと幸い誰もいない。僕は三浦さんたちに自分の居場所について連絡を入れた後、自分が飛び降りた窓を開き、身を乗り出してみた。結構な高さ。よく生きてたな。生きていて良かったな。そんなことを考える。

 やがて、亮平と小野が教室に現れた。亮平は僕の近くの机に飛び乗ると、馬の鞍に跨るように足で机を挟み、ふらふら前後に揺れ出した。本当に落ち着きのないやつ。

「三浦さんは?」

「家に電話してた。とりあえず全員反省文で済んだけど、プラスアルファあるかもな」

 亮平が天井を見上げ、「あーあ」とつまらなさそうに呟く。

「でも反省することないのに反省文とか言われても困るよなー。小野っちはいいけど」

「なんで俺はいいんだよ」

「反省点てんこ盛りだから」

「どこが」

「純くんのことイジメまくっただろ。曖昧にしねえからな」

 亮平がいつになく鋭い目つきを小野に送った。小野が目を泳がせ、やがて叱られた子どものようにしょんぼりした顔つきで僕を見る。

「安藤」

 小野はぽりぽりと首筋を掻き、僕から目線を逸らしながら、ぶっきらぼうに言った。

「色々、悪かったな」

 ――なんて雑な謝罪だ。あれもこれもそれも全て「色々」の一言で済まされた。許せない。許さない。

「本当に悪いと思ってるなら、一つ、教えて欲しいんだけど」

「……なんだよ」

「小野の一番お気に入りのAVってなに?」

 小野が固まった。攻撃成功。追い打ちに移行する。

「僕だけ一方的に性癖を暴露されるのは不公平だろ」

「そーだな! 間違いない! 他人の性癖を言いふらしたんだから、小野っちも同じ制裁を受けるべきだ!」

 いかにも楽しいことを見つけたぞという風に、亮平が高らかに声を弾ませた。机から飛び降り、立ち竦む小野の肩に腕を回す。

「言えよ。態度によっちゃ、ここだけの話にしてやってもいいぞ」

 小野がもごもごと口を動かし、助けを求める視線を僕に向けた。僕は冷ややかな視線を送り返す。小野はやがて、観念したようにポツリと呟いた。

「マジックミラー号」

 亮平が「あー」と声を上げた。僕は、男女AVのジャンルに詳しくない。

「なにそれ?」

「マジックミラーっていう、一見ただの鏡だけど、逆側から見たらガラスになってるやつがあるだろ。あれで全面を覆ったトラックを街のど真ん中に止めて、その中でセックスするんだ。外側からはただ鏡張りのトラックが停まってるだけだけど、内側からはみんなに見られながらセックスしてるみたいになる。それが、すげー興奮する」

 中から外が見えるトラックで街中セックス。よく考えつくものだと感心する。AVのバリエーションの多さは僕が異性愛者を羨ましく思う理由の一つだ。

「小野っち、見られたいんだー。ドM?」

「うるせーな。そーいうお前はどうなんだよ」

「あー、オレは――」

 ガラッ。

 教室の扉が開いた。全員が勢いよく振り向き、三浦さんが「え、わたし何かした?」という感じできょとんとする。亮平が、小野の肩に回していた腕を外した。

「彼女来たし、空気読んでオレら退散するわ。行こうぜ、マジック小野」

「クソみたいなあだ名つけんな!」

 教室に入ってくる三浦さんと入れ違うように、亮平と小野が立ち去る。三浦さんは僕の近くまで来ると、亮平たちが出て行った扉を見ながら不思議そうに呟いた。

「マジックってなに?」

「こっちの話。それより親御さん、どうだった?」

「安藤くんの件は問題なし。ただ、腐女子バレがねえ」

 三浦さんが、ふうと疲れたように息を吐いた。

「お母さんとか妹にはどうせバレてたからいいんだけど、今回の件でお父さんにもバレちゃってさ。男同士云々はともかく未成年がエロ本を買い漁るのは良くない的な、ごもっともなこと言われちゃった。BL禁止令出るかも」

「いい機会だし、ホモ断ちすれば?」

「無理。ビタミンBLはわたしの必須栄養素なの。安藤くんは明日から炭水化物無しで生きてねって言われてそういう風になれる?」

 なれない。特異体質は大変だ。

「夏休みはコミケもあるし、イベント目白押しだもん。――そうだ」

 三浦さんが、僕を上目使いに覗き込んだ。

「イベント、また一緒に行こうよ。今なら安藤くんも楽しめるかも」

「僕が楽しんだら絵的にマズいでしょ」

「大丈夫。男一人なら誰も気にしないよ。二人だと注目浴びるけど」

「なんで?」

「ホモ妄想するから」

 呆れた。これみよがしに溜息をついてみせる。

「BL星じゃないんだから、そんなホモがごろごろしてるわけないでしょ」

「信じればそこがBL星なの。安藤くんだってBL星に行きたいって言ってたじゃん。信じてよ。心の宇宙船BL号で一緒にBL星に行こう」

 話が無駄に壮大になってきた。僕は「そのうちね」とあしらい、話を切り替える。

「それより、僕に付き合ってよ。行きたい場所があるんだ」

 デートのお誘い。三浦さんは「え」と呟き、そわそわと目線を動かした。

「嫌ならいいけど」

「嫌じゃないよ! 行く!」

 力強い答え。続けて、期待に満ちた表情。

「どこ行きたいの?」

 さて、どう答えれば彼女のご期待に沿えるだろうか。僕は候補をいくつか考え、その中から、一番聞こえの良さそうな言葉を選んだ。

「海」


    ◆


 昼前、僕たちは教室を出て、一緒に下校した。

 僕たちは「BL星における女性の生活」について話しながら帰った。絶対数が少ないから女性向けのサービスは軒並み全滅し、ただでさえ男性社会なところに枕営業まで入るから社会進出も相当に厳しく、女性にとっては住みにくそうな星だという結論が出た。それでも三浦さんはBL星に移住したいという意志を曲げなかった。お金で買えない価値があるらしい。

 一緒に電車に乗り、先に僕の降りる駅に辿り着き、別れる。電車を降りて改札口に向かう。左手一本で財布を出す作業に手間取っていると、後ろから声をかけられた。

「手伝いましょうか?」

 振り向くと、僕と同じ制服を着た短髪の少年。「いいですよ」と断ろうとして、どこかで見たことがあると気づいた。声が、脳内に再生される。

 ――なー、二年のホモの話、聞いた?

 思い出した。僕が飛び降りた日、食堂で僕の話をしていた一年生。言葉を失い立ち竦む僕を見て、少年がその心中を察する。

「覚えていましたか。あの時は、本当にすいませんでした」

 少年が深々と頭を下げた。僕は狼狽しながら、どうにか言葉を返す。

「ここの駅、使ってたんだ」

「いいえ。使っていません。今日は先輩の後をつけてきました」

「……謝りたいの?」

「それもあります。でも言いたいのは、それだけじゃありません」

 少年の目線が下がった。だけどすぐキッと顔を上げ、胸に手を当てて口を開く。

「僕もなんです」

 僕も。

 それだけで言いたいことは十分に伝わった。ああ、なるほど。そういうことか。ああいう派手なことをすれば、こういうことが起きてもおかしくはない。

「僕も、ずっと悩んでいて」

 少年がわずかに顔を俯かせた。

「辛くて、苦しくて、なのに同じように苦しんでいる先輩を傷つけるようなことを言ってしまって……先輩が飛び降りたと聞いてから、僕がトドメを刺したんじゃないかとずっと後悔していました。でも今日、たくさんの人に激励されて、それを真正面から受け止めた先輩を見て、すごく自分勝手な話なのは分かっているんですけど――」

 少年が、深く頭を下げた。

「生きる勇気みたいなものが湧いたんです。本当に、ありがとうございました」

 裏表のない賞賛。思えば中学からずっと帰宅部だったから、年下から慕われるのは初めてだ。想像以上に照れくさい。

「あのさ」左手で頬を掻く。「あの日、食堂で最初にゲイ話出したのは君だよね」

 少年の肩がピクリと上下した。申し訳なさそうに答えを返す。

「……はい」

「そっか。じゃあ一緒にいた子のこと、好きなのかな?」

 返事は無かった。

 少年は口をあんぐりと開け、呆然と、本当に呆然としていた。驚いたふりをしてこちらを騙そうとしているんじゃないか。そういう演技を疑いたくなるほどに分かりやすい。そこまで心揺さぶるつもりはなかった。何だか申し訳なってくる。

「いや、僕にも覚えがあるからさ。気になる相手にゲイネタ振って反応見るの。誰もが通る道なんだろうね。ゲイあるあるっていうか」

 僕は、少年の肩をポンと叩いた。

「お互い、肩の力抜いて頑張ろう。僕ら、100望んで10返ってくればいい方だから、ゆるく生きていかないと壊れるよ。僕は今日、それを学んだ」

 ぶっ壊れかけたくせに偉そうに。つい浮かびそうになる苦笑いを抑え、頼りになる先輩を装う。少年が、屈託のない笑顔を僕に向けた。

「はい」


    ◆


 家に帰ると、リビングに母さんがいた。

 鼻歌を歌いながら、上機嫌に台所でウィンナーを炒めていた。今日はパートの出勤日のはずだ。まさか、そういうことなのだろうか。僕は恐る恐る探りを入れる。

「仕事は?」

「今日は休むことにした。純くんが久しぶりに学校に行くのに、帰って来て一人きりは寂しいでしょう」

 そういうことじゃなかった。僕はほっと胸を撫で下ろす。母さんは続ける。

「なんか、ものすごいことがあったらしいね。先生から連絡来たよ」

 そういうことでもあった。僕は「うん、まあ」とはぐらかし、部屋に向かう。扉を開けようとドアノブに手をかける僕に、母さんが声をかけた。

「後でちゃんと教えなさいよ」

 パチパチ。拍手みたいに、油の跳ねる音が響く。

「母さん以外に、純くんを愛してくれている子のこと、知りたい」

 ――話すよ。

 僕を愛してくれている女の子のこと。彼女が僕に伝えようとしたもの。僕が彼女から受け取ったもの。明後日、海沿いの街に二人で旅行に出かける予定を立てていることもちゃんと話す。誤魔化したりなんかしない。ちゃんとこれまでの話をして、それから、これからの話をしよう。

「分かった」

 強く頷き、部屋に入った。学生鞄を床に置いて、ノートパソコンを立ち上げる。左手一本で操作しているから中々上手く進まない。どうにかこうにか、今はもう使っていないメッセンジャーツールを立ち上げる。

 彼はオフライン。

 チャットウインドウを開く。オフライン相手でもウインドウを立ち上げるところまでは出来る。メッセージ欄に言葉を打ち込み、機能しない送信ボタンをクリック。

『明後日、行くよ』

 ミスター・ファーレンハイト。

 君に、会いに行く。

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