第3話 無情な夢とサブリミナル
少年は、妹のエリの手を引き走る。
あの男の顔をした黒竜から逃げる為、宛もなく兄妹は足を動かす。
『クヒャヒャ! マテ! クウ! クウカラマテッテ! フヒャッヒャ!!』
下品な笑い声と
「いやあああああ! キモイよおおおおおお!」
「振り向くな! 走れエリちゃん! 走るんだ!」
捕まったら、間違いなく酷い目に遭う。
本能がそう訴えてくるのだ。
恐怖のあまり泣き出すエリを彼は引っ張り続けていると、視界の先にまた粒子の固まりが出来始めるのが分かる。
200メートル程先だろうか。茶色い粒子達が形成を始め四角い形と成していき、やがて扉が一つ形成された。
「あれは……」
少年は、また既視感を覚える。
あの扉に入れば、目を覚ます。
そんなことが、またしても感覚的に分かってしまった。
「エリちゃん! あそこだ! あそこを目指そう!」
どうしてそう思ったかなんて理由を考える暇がなかった。とにかくあの扉を目指さなくてはと、少年の気持ちは先行する。
「きゃっ!」
エリはつまずき、その場に転んでしまう。汗ばんでいた手の平のせいで、そのまま二人は手を離してしまった。
「エリちゃん!」
少年は咄嗟に振り向き、考える間もなくエリの元へと急ぐ。
『クヒャッヒャッヒャ! イッタダキマース!』
「いやあああああああ!」
黒竜の男の顔が歯並びの悪い口を大きく開き、そのままエリを口内へ入れ込もうとする。
黒竜より先に、少年がエリの元へとたどり着く。しかし、彼女を立たせている間に黒竜は二人共飲み込もうとしてしまう。
「お兄!!」
「くそ!!」
必死に妹を抱えようとする。が、このままでは一歩間に合わない。大きな口に覆われる間際だった……
「待ちやがれ! この玉なし野郎が!」
*
今度は真横から濁声の男性の声が響きわたった。
その瞬間、黒竜の顔にいくつもの大きなニンジンが刺さり爆発した。
『イッデエエエエエエ!!』
痛みでひるんだ黒竜は、直進していた進路をズラし、表情を歪めながら制止する。彼等は、何が起きたのかと濁声の主を捜す。
すると、離れた所に一羽の白いウサギが居た。
いや、ウサギに見えるが明らかに違う。ウサギの胴体に昔のテレビ画面の形……ブラウン管が頭の代わりくっついている。ブラウン管からアンテナのようにウサギの耳が生えており、奇妙な生物が現れたのだ。
もっと簡単にまとめるなら、ブラウン管にウサギの耳と胴の生えたシュールな生物である。
「(・×・)」
テレビウサギの画面には顔文字が映し出されているが、少年達を見るやいなや砂嵐と共に違う物が映し出される。
そこに映し出されたのは、白衣に黒縁メガネを装着した金髪で白人デブで口元にチョコのついた三十代ぐらいの男だった。
「ようやく
「エリちゃん。なんかまた変なのが来たから早く逃げよう」
「うん」
「おい! 待てって言ってんだろうがファッキンジャップ共! その場で大人しくしねぇと、俺様が開発したニンジンミサイルで風穴空けるぞゴラ!」
言い争いが始まりそうな中、黒竜は体制を整え、テレビウサギに目を向けた。頬は焼け焦げながらも目は血走っており、歯ぎしりを鳴らす。
『コロス!!』
黒竜は息を吸い込むと黒いガスのような気体状の物を口から吹き出す。その黒い物質はテレビウサギを覆い尽くそうと向かって行く。
「臭そうなもん撒き散らしやがって! 当たるかよ!」
画面内の男が舌打ちすると、テレビウサギはまさに脱兎の如く移動する。テレビウサギは黒竜の背後に向かって、草を巻き上げながら旋回した。
『シネ! シィネェェ!』
背後に回ったウサギを黒竜は黒光りする尻尾で叩き壊そうとするが、その大振りを縄跳びのようにバク宙で避ける。そのままウサギは前足で竜の尻尾に掴まり、背骨に沿って素早く駆け登って行く。
「死ぬのはテメェだ! 死ね!」
テレビウサギが叫ぶと、黒竜の頭部で高く跳ね上がり、さらに身を翻して舞い上がる。
そして、ブラウン管を黒竜の居る下へ向ける。テレビウサギの何もない目の前の空間から例の大きなニンジンがいくつも作り出し、雨のように降り注いだ。ガトリングのように放たれていくニンジン達は、着弾する度に爆発し炎を上げる。
鱗を爆風によって剥がされていく黒竜は、悲鳴を上げながら煙に包まれていった。そして、テレビウサギは呆然と見ていた少年達の目の前へ華麗に着地してみせた。
「フッ、どうだクソガキ共、これが天才エンジニアでありFPSランカーで最高にクールなデーブ様の実力……」
「ウサギさん! 危ない!」
「あん?」
エリがテレビウサギの後ろを指さす。
決めポーズまで決めたウサギの後ろで立ちこめる煙の中から、大きく黒い腕が伸びてくる。隙をつかれたウサギは、なすがままに持ち上げられてしまう。煙が晴れると血眼をカッと見開いた男の顔が現れる。
「うおっ!? 生きてたのかテメェ!?」
『オマエハゼッタイコロス!! ズタズタニヒキサク!! ヒネリツブス!! スリツブス!! ミンチニシテヤル!!』
「ふっざけんじゃねぇぞ! 三日三晩の探索でようやく
デーブと自称する男が言い終わる前に、テレビウサギは地面へと叩きつけられ、土煙と共に茶色い粒子が舞い上がる。ウサギの身体はピクピクと痙攣し、テレビの液晶画面にヒビが無数に入ってしまった。
「やべぇぞ! ウサテレのデータが損傷した! これは復帰に時間が掛かる! ちくしょおおおおおおお!」
デーブは画面越しにガチャガチャと何かキーボードを打ち込んでいるように見える。だが、ウサギの上から黒竜は腕で押さえつけ、圧殺しようとしていた。
それを遠目から兄妹は見ていた。
「お兄! 助けなきゃ」
「いや、その必要はないよ。これは夢の中なんだから、助けたって意味なんかない。そんなことよりも早くここから出よう!」
「それでも……」
兄の制止に、妹は首を横に振った。
「それでも、困ってる人を見捨ててはおけないよ。私剣道もやってるし、強いからアイツをぶっ飛ばしに行ってくる」
あれだけ怖がっていたエリは、助けたいという強い意志を乗せた目を兄に向ける。少年は、彼女の目を見て思い出したことがある。
エリは確かに強い。
剣道の道場に通っているのもあるが、単純に喧嘩が強いのだ。
「エリちゃん! 君が本当に強いのは経験則から認めるよ。でも、相手は化け物なんだ。たとえ夢の中でも勝てるわけ……」
「勝てるかじゃないよ。救うか救わないかだよ!」
強さへの過信もあったかもしれない。だが、すでにその意志は正義感に変わっていた。
少年は、溜め息を漏らす。
「わかった……僕が行ってくる。絶対ここから動いちゃダメだよ」
「え?」
エリが驚いている間に、少年は走り出した。
**
少年は、自分自身喧嘩が強くないのは知っている。いつも平穏で穏やかな生き方をしていたいと思っているのだ。しかし、妹を危険な目にあわせるなんて彼には出来なかった。
たとえ、夢の中だとしても……
少年は、黒竜の前足の元に駆けつける。テレビウサギの姿が見当たらず、完全に前足の下敷きにされているのだと判断した少年は、大きな黒竜の前足の下を覗く。
すると、ひしゃげたブラウン管がこちらを覗いていた。
映像は歪みながらも、デーブの顔が歪んで映し出されていた。
「テメェは……
「助けに来たんだ。前足か耳をこちらに向けられないかい?」
彼は右腕でわずかな隙間を作りだし、そこから左腕をウサギの元へと伸ばす。
「何やってんだ! お前は
「ああ、僕もそう思いますよ……でも、妹が君を助けたいって言うことを聞かないんだ。どうせ夢の中だから、死んじゃっても平気だろうしね」
その少年の言葉に、デーブは目を丸くする。
「妹だぁ!? てかお前、ここが夢の中だって知ってるのか!?」
「ああ……やっぱりそうなのか? ……いや、これも都合良く話を合わされているだけかもしれないのか? アナタも夢の中の存在だし……」
「いや、ちげぇよ! 俺様達はなぁ……」
そんな言い争いをしていると、遠くから声が近づいてくる。
「お兄! 上! ドラゴンが!」
エリが彼等の頭上を指さす。
黒竜が大口を開け、黒い煙の固まりを作り出している。それをどうしようとしているのかは、容易に想像出来た。
「ガキ! 早く逃げろ! 俺様のことは構わねえから!」
「はいそうですか、なんて引けませんよ! 良いから掴まって! 早く!」
チグハグな二人のやり取りを嘲笑うように、黒竜の黒い煙がさらに大きくなる。
「お兄いいいいいいいい!!」
黒煙を降り注がれるその時だった。
エリの叫びと共に、少年の黒い包帯が巻かれた右手が、突然光り輝き……
「え?」
『ハ?』
「はぁ!?」
巨体の黒竜が持ち上がった。
少年の片腕一本で大きな黒い化け物は自分の質量を全て持ち上げられ、胴も足も地面から離れてしまったのだ。少年も手が震えることなく、発泡スチロールを持っているかのように顔色一つ変えない。
まるで、少年がとんでもない怪力であるようにしか見えなかった。
「おい坊主! 何が起こった! っていうか何をした!?」
「えーっと……ええ……」
困惑を隠しきれない一人と一羽だが、一番冷静でいられないのは持ち上げられた黒竜だった。
『ハナセ! ハナセヨオオオオ!!』
少年の頭上で身体をウネらせるが、ビクともしなかった。
「うーん……」
少年は、しばし状況を顎に手を当てて状況を整理した後、何とか終わらせる為の方法を模索し……
「えい」
投げ飛ばすことにした。
だが、思った以上に肩の力が入ったらしく、黒竜は凄まじい勢いで青い空の彼方へと飛んでいく。
『アアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ……』
悲しい断末魔と共に、星となって消えてしまった。
しばらく辺りは静寂に包まれるが、走ってきたエリが少年の元に駆け寄る。
「お兄凄い。勝ったよ!」
「……うん」
目は隠されているが目を輝かせる妹とは対照的に、兄の方は眉間の辺りに手を当て考え込む。
「何なんだ、このご都合主義は……」
無事に事なきを得たので良かった。しかし、あまりにもアッサリ倒してしまったことに、達成感のようなものはなかった。別に達成感を求めていた訳ではないのだが、あれだけアタフタしていた相手があまりに拍子抜けだったことによる脱力感が、一気に彼の疲れへと変わったのだ。
「ん?」
少年が右手の包帯に目をやると、手の甲に漢字が二文字記載されていることに気づく。
「……
手の甲には、漢字二文字の[剛腕]と書いてあった。
少年が文字をマジマジと見ていると、倒れていたテレビウサギから声をかけられる。
「おい坊主! 何なんだ今の力……おい! 聞こえ……おい」
テレビウサギの映像が途切れ始めたと同時に、彼等が向かおうとしていた扉が開き、中から光が漏れだしていく。
「こ、今度はなんだ!?」
「お兄!」
黄金色の光は瞬く間に辺りを飲み込み、兄妹達ごと包んでいく。
「……待って!」
ふと、扉の反対に居る負傷したテレビウサギから女性の声が聞こえた。少年はとっさに振り向くと、光に包まれつつある倒れたテレビウサギの映像が見える。
そこには、先ほどまで映し出されていたデーブと名乗っていた肥満の白人男ではなく、栗色の髪を一つに束ねた白衣の日本人女性が映し出されていた。
彼女は、必死な形相で少年達に問いかける。
「君は誰!? ……君は何者なの!?」
その女性の問いかけに、少年達は返す言葉が出なかった。どういう意味なのかをすぐに理解することが難しかったからだ。
それでも、彼女は問いかけ続ける。
「アナタは……水瀬エリちゃんの……何……」
音が途切れていくテレビウサギに、少年はようやく自分に問いかけられた質問であることを理解する。
すでに辺りは光に支配され、辺りの物達も
「僕は……エリちゃんの兄」
呟くように、少年は口を動かす。
そして、完全にウサギが視界から消えるその瞬間。
「水瀬……ショウ!」
ちゃんと、聞こえるように自身の名前を叫んだ。
・・・・・・
・・・
・
***
「……ッ!」
水瀬ショウが勢い良く起き上がると、彼はベッドの上に居た。
目の前には勉強机と家族の写真。親に買って貰ったタブレットや通学用の鞄、しばらく着ていない学生服がある。
彼は、ここがよく見慣れた自分の部屋であることを認識する。
部屋は蒸し暑く、窓の外から強い日差しとセミの鳴き声がうるさいぐらいに夏であることを伝える。
ショウは、ふと自分の右腕を見てみると、いつも通り普通の腕であった。
「……やっぱり、夢か」
汗ばんだ寝間着を摘まみ、皮膚から剥がすように空気を入れ込む。何となく彼は、壁に吊る下がったカレンダーに目を向ける。
「そうだ……今は夏休みだ」
ショウは、ここが現実だと認識したのだ。
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