第2話 形成されし兄妹のフラグメント

「う……んん……」


 少年は草原の上で目を覚ます。身体を起こし、徐々にぼやけた意識を整えていく。


「……ん?」


 彼が体を起こす為に使った左手に違和感があった。見ていると手元に生えていた雑草を握っていたのだ。

 自分が起きたのはベッドの上ではなく、草原の上であることに気づいた。少年は、自身の右手を見てみる。


「……なんだこれ?」


 右手には、黒い包帯が巻き付けられていた。外してみようとしても何故か外すことが出来ない。何処どこかが痛む訳でも、動かし辛い訳でも、むず痒い訳でもない。


「うッ!?」


 だが、突然頭に痛みが走る。

 記憶の中から何かが産み出されていく感覚が映像として迫ってくる。



 公園の中――

 少年は、ツインテールの少女とゴシックワンピースを着た少女の三人で遊んでいた。花火で遊んでいた最中、突然叫び声が聞こえてくる。



 と……記憶はそこで途切れた。

 少年は自身に巻かれた右手の包帯を見つめていた。


「なんだ……今の……僕の記憶?」


 頭を押さえながら考えをまとめていく。とりあえず少年は、何故自分がこんな所に居るのかを考えた。だが、脊髄反射に答えがまたしても思考の中にインプットされたのである。


「これは……夢か……」


 暫定的ではなく、彼は今夢を見ているのだと認識が確定したのだ。具体的な理由などは特になく。ただ感覚的に、これは夢なのだと彼は理解したのである。


「時々あるよね、こういうの……自分が夢を見てるのが分かるやつ」


 何て独り言を呟きつつ、少年は自分の身体を調べてみる。白い半袖のワイシャツと紺色のジーンズを身に纏い、髪に触れてみるといつも通りの短めに切った地毛が生えていた。右手に黒い包帯を巻いていること以外は特に変わったところはないようだ。


「それにしても、リアルな夢だな……僕は何の夢を見ているんだ?」


 少年は立ち上がり、心地の良い風を受けながら青く広がる空を見上げた。


「……お兄?」


 彼が空を見上げていると、少女の声が聞こえる。少年は声の元を辿ると、ロングツインテールに水色のパーカーと短パンを身につけた背の低い少女が近づいてきた。

 少年は、これも脊髄反射的に理解する。彼女は六つ離れた自分の妹、水瀬みなせエリであることを……


「エリちゃん?」

「お兄、良かった。誰も居なかったから怖かった……」

「エリちゃんも夢の中に? それにどうしたんだその目は?」


 彼はエリと夢の中で出会った驚きよりも、彼女の目を鉢巻きのようにグルグルと黒い包帯で巻き付けていることが気にかかった。完全に目隠しされた状態たいだが、ちゃんと見えているような足取りで、少年に近づく。

 エリ自身、少年の言葉に気づいたのか、自分の目元を確認する。


「なにこれ? なんか目に巻かれてる」

「今気づいたのか……目は見えているの? 痛くない?」

「え? うん、巻かれてることも気づかなかった」


 少し落ち着き過ぎにも見えるエリだが、少年もまた落ち着いていた。ここは夢の中だという確信のせいか、焦りを感じなかったからだ。


「お兄……」

「ん?」


 少年が少し考え込んでいると、エリが話しかけてくる。


「お兄は、私のお兄なんだよね?」

「え? 何を言っているんだエリちゃん?」


 包帯越しだが、不安そうにエリが見つめていることに気づいた少年は、彼女の目線に合わせるようにしゃがみ込む。


「そんなの当たり前だろ? 何で急にそんなことを?」

「……何となく」

「……そっか」


 少年は、不安そうな表情を浮かべる妹の頭を撫でる。

 きっと、このよく分からない夢の中で困惑しているのだろうと彼は思う。いや、これは自分の見ている夢であって、この妹も夢の中だけの存在なのかもしれない。

 どちらにしろ、少年は自身の妹をないがしろに出来なかった。


「大丈夫だって、ここは夢の中なんだから、直に目が覚めるよ」

「夢の中?」

「ああ、どうやら僕達は夢の中にいるみたいだ。だからこんな見たこともない平原のド真ん中に僕達二人だけしかいなくて、くっついて離れない黒い包帯を何故か巻いているんだ。何でこんな夢を見ているかなんてフロイトさんしか分からないけど、たぶん僕達は疲れているんだ。なんなら、頬を抓ってみれば起きられるかもしれないけど、せっかく夢の中に居るっていう自覚があるならもっと有意義に……」

「お兄! あれ見て!」


 少年が蘊蓄うんちくのたまっていると、兄を無視してエリは空を指さす。彼も話を中断して妹の指さす先に目を向ける。


「うわっ!? なんだ、あれ!?」

「凄い! 凄いよ! いっぱい飛んでるよ!」


 エリが笑顔を浮かべる方向を見てみると、動物達が羽を羽ばたかせ空を飛んでいた。鳥ではない。猫や犬、象やキリン、カバやワニなど、現実の空を楽しそうに駆けるはずのない動物達が、到底飛べるはずがないと思える程の小さな羽を一生懸命パタつかせて浮いているのであった。

 少年は口元が引きつりつつ、軽く息を吐く。


「……さすが、夢って感じだね」

「アレの上に乗れないかな!」


 少年とは対照的に、鼻息を荒くする妹。「乗りたいの?」と少年が確認するとエリは、力強く頷いた。


「……分かった。乗れるかどうかは分からないけど、とりあえず近づいてみようか。僕も気になるし!」

「うん!」


 意気揚々と彼等は動物達の群に近づく。

 だが、あと少しで動物達の元へ辿り着く思った矢先。動物達は種類を問わず、鳥の鳴き声を上げながら兄妹達から勢い良く離れていった。


「あ! 逃げちゃった……」


 エリがガッカリしている最中、少年はふと辺りを見渡す。

 何かが変だった。

 今まで心地よい風が吹いていたのだが、気づいた時にはすでに止まっていた。風景は変わっていないのに、何か妙に不気味な雰囲気を感じ取ってしまう。


「……エリちゃん、何かよく分からないけど、ここから離れよう」

「え? なんで?」

「分からない……でも何故か、凄く嫌な予感が……」


 少年が言葉を言い終わる前に、急に彼等の周りに陰が広がる。太陽は存在しないのだが、雲が陰ったのかと思った。しかし、それと同時にゴオォという風がこちらに向かってくる音が聞こえた。

 とっさに彼等は真上を見上げると、大きな黒い固まりが落ちてきていることに気づく。


「エリちゃん! 危ない!」


 声を出すことも忘れて呆気に取られるエリを抱え、少年が陰の外側へと走る。息を止め、走ることに集中するも黒い固まりの落下速度に間に合うかどうか……とにかく急いでいた少年は、一か八かで抱えた妹を庇うように前へと飛んだ。

 陰の下から抜けたのを確認した途端、爆発が起きたかのような音ともに土煙が上がる。土煙はそのまま地面に落ちず、小さな茶色い粒子に変わり、そのまま消失してしまった。


「お兄!? 大丈夫!?」


 抱えられていたエリは、急いで兄の安否を確認する。

 少年は特に傷などなく、ゆっくりと妹を解放する。


「う、うん……特に怪我はしていないと思う……いてて」


 彼もゆっくりと起きあがり、流血等をしていないか確認する。怪我はないのだが、身体の痛みは感じ取れる。


「おかしい……痛いって思うなら、夢から覚めても良いんじゃないのか……」


 彼が起き上がろうとした時、彼等の上から落ちてきた黒い固まりが視界に入った。そして、彼等はそれを見て目を丸くする。


「ドラ……ゴン?」


 エリは、見たままの形をそのまま述べた。そこには現実世界の象なんかを簡単に丸飲みしてしまいそうな程の巨大な黒い鱗の竜がいたのだ。

 黒竜はルビーのような赤い三つの瞳を光らせ、兄妹達に顔を近づける。そして、徐々に大きな口を広げていく。


「な!?」

「ひっ!?」


 兄妹達は、食べられると思って声を上げたのではない。黒竜は口を開けると、口内ではなく肌色をした大きな人間の頭を覗かせたのだ。髪の毛の生えていない人の頭は、目を閉じているが二十代後半ぐらいの男性顔であることが分かる。

 竜がある程度顔を近づけた所で、カッと男の顔は目を見開いた。二つの黒い大きな瞳と白い強膜が、無表情に少年を見つめ、次にエリを見る。すると、無表情だった男の顔は徐々に口元が歪み、ニンマリとおぞましく下卑た笑みを見せた。


『オジョウチャン、ミーツケタ!!』


 男の顔は、男や女や子供や老人が一斉に話したかのような、気持ちを掻き乱す声を上げる。

 少年に悪寒が走った。

 これは悪夢だ。

 自分が見ている物は、間違いなく悪夢に違いない。

 ならば、覚めてほしい。


 しかし、どれだけ頬を引っ張っても、この悪夢覚めることがなかった。

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