第2話 旧鼠
それはまだ肌寒いが、季節では春に該当する朝のことだった。
俺は縁側に座り、茶を飲んでいる時だった。
「なあ、歳三。もしお前が、『この世に不思議なことなど、なにもないのだよ』と言われたらどうする?」
不意に聞こえてきたガラガラ声した爺の問に少しの時間だけ考えると、ちらりと声が聞こえた方向に俺は視線を向け、簡潔に答えた。
「殴る」
「……だとは思った。期待を裏切らない答えで、爺は嬉しいぜ」
俺の答えに、爺は忍び笑いを浮かべていたがやがて、その爺は巷ではレンガ本と呼ばれている本へ目を移した。
俺の名は宮野歳三。年齢は三十六歳。容貌は俳優のN村T流に似ているというが、あいにくと芸能界には興味が無いので、どんな俳優かは知らない。
職業は古物商すなわち骨董屋である。T都M市の駅前裏通りの骨董屋『井筒屋』の主であり、この店は美術品の販売はもとより、鑑定やら修復なども行っている。
そのせいだろう。この業界で俺は『美術品業界の何でも屋』と陰口を叩かれているらしい。
先ほど俺に問いかけた爺の名は宮野鴨。ただしこの爺、ただの爺ではない。一見すると白い猫であるが、尻尾が二つに分かれている。
この爺の正体は妖怪『猫又』。猫又とは、古くは兼好法師の随筆『徒然草』を筆頭に、伊勢貞丈、新井白石、最近では水木しげるなどの様々な著名人に、「老いた猫は『猫又』となって人を惑わす」と記述されている妖怪のことである。
「妖怪!!人間に害を与えないの?」と驚く者もいるかと思うが、大丈夫だ。問題はない。
この爺は俺が生まれる前から俺の祖父に飼われていた元猫であり、さらにこの爺猫又、ビール大好き美味いもの大好き、本はなんでも大好き、人間観察大好きと人間を害する存在大嫌いと、本人?の供述によれば「猫又界の変態」だから人畜無害な妖怪だそうなので、安心してもらいたい。まあ、気心知れた相棒のようなものである。
庭の梅の木には花が咲いていた。甘い香りに俺は少しだけ笑みを浮かべた。この後仕事がなければのんびりと花見と洒落込みたいものである。だが。
「さてと……修理の続きをするかね……」
俺は立ち上がった。とある掛け軸の修復の仕事があるからである。
「難しいのか?あの掛け軸の修復は?」
伸びをしながら廊下を歩く俺に、鴨は問いかけてきた。
「ああ。だが俺が修復する。任せてくれよ。爺さん」
鴨は一瞬だけ目を丸くしたが、笑った。
「頼んだぜ。歳三」
俺は鴨の言葉に対して軽く手を振り、作業部屋に戻った。
◇◇◇
この絵を修復する事になったのは、今から三ヶ月前の寒い冬の事だった。
大学に向かう用事があり、その用事を終わらせ家に帰ってくると、鴨は祖父愛用のメガネを掛け、電卓を叩きながら帳簿付けを行っていた。
鴨はこちらを見ず、眉間にしわを寄せたまま、つぶやいた。
「今月どうするよ。赤字だぜ」
「まあ仕方ないだろうな。最近じゃ、でっかい会社がこの業界にも現れだしたからな。うちのような零細の仕事が減っていくのもしかたがないといえばしかたがないだろうよ」
「あとは、壊れたらポイ捨てか?」
鴨の言葉に、俺は笑ってしまった。
「壊れても、手をかけてやればまた使えるんだけどなぁ」
鴨の手には銀継ぎした茶碗があった。
『金継ぎ』『銀継ぎ』は、割れたり欠けたりした器を漆で接着し、継いだ部分を「金」もしくは「銀」で装飾しながら修復する、日本の伝統的な器の修復方法である。
この修復方法の最も大きな魅力は、偶然のヒビや欠けに装飾された「金」もしくは「銀」によって、元の器とは違った風情や味わいが出てくるのだ。
鴨は二本足で器用に立ち上がると、もう一つ、銀継ぎした茶碗を手にし、其処に茶をそそぎ入れ、ちゃぶ台の上に置き、器用に俺の前に差し出してきた。
猫又が茶を淹れる風景は、この家では日常光景である。
茶碗には茶柱が立っていた美味そうな茶があった。
「何かいいことありそうだな」
「おいおい。陰陽師なら自分で占ってみちゃどうだい」
「占いはしない主義なんだ」
「どうして?」
「結果が百発百中だからさ。無能だろう?」
俺の言葉に、鴨は青い目を細めた。
俺の本業は骨董屋である。だが、もう一つ、先祖代々の仕事もしていた。
俺の家すなわち「宮野家」は先祖代々陰陽師である。
陰陽師とは映画にもなったが古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職 の一つである。陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮及び地相などを職掌とするとして配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになった。代表的な者としては安倍晴明があげられるだろう。
ただし、中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在する。
俺も陰陽師である。陰陽道の占術も使えるが、結果は百発百中。一見すると有能に聞こえるかもしれんが、これはいい結果悪い結果問わずに、回避ができないということだ。
回避できない未来を見る意味はないだろう?
「だから俺は、呪禁がメインとなる悪霊やら妖怪退治を引き受けているんだよ」
呪禁とは、道教に由来する術すなわち道術で、呪文や太刀・杖刀を用いて邪気・獣類を制圧して害を退けるものである。古い日本の律令制にも典薬寮に呪禁博士・呪禁師が設置された。だが、早い時期に呪禁に関する職制は衰微していき、同じく道術の要素を取り入れて占いなどにあたった陰陽道の役割拡大とともに、この技は陰陽道へと吸収されていった。
俺は爺の表情を観て、思わず苦笑してしまった。聞いてはいけないことを聞いてしまったというようななんとも言えない表情をしていたからだ。
「とはいえ。今日あたりに客がくるからな。気にするな」
「お前……」
「あくまで、俺の勘だがな」
俺は再び茶碗に視線を向け、中のお茶を啜った。その時だった。
「すいません。井筒屋とはこちらですか?」
子供のような幼い声が聞こえた。
俺は聞こえてきた声に、立ち上がると店へ向かった。しかし、俺の視線の先には誰もいない。
「いない?」
「いやいる」
鴨は俺の疑問に淡々と答えた。
「いるのは三毛猫だけだぜ?」
店の中には一匹の三毛猫がおり、お行儀よくこちらを見つめていた。
「……歳三。現実逃避は其処までにしておけよ」
三毛猫は俺たちをじっと見ていたが、やがて二つに別れた尾を振ってみせた。
「……お前のご同類かよ。鴨」
どうやら今回の客は、三毛猫の猫又のようである。俺は盛大に溜息をつきつつ、覚悟を決めた。 なんの覚悟が?タダ働きの覚悟である。お人好しと笑いたければ笑え。
◇◇◇
数刻後、居間では宴会が繰り広げられていた。
「歳三。つまみ!!つまみもってこい!!」
聞こえてきた声に、俺は米神を抑え、盛大にため息を付いてしまった。鴨は三毛猫の猫又・スズナと一緒に酒を飲んでいたからだ。
スズナはM市N町にある観音寺の和尚の飼い猫だそうだ。律儀な性格で、手土産として、スズナは和尚が隠し持っていたであろう大吟醸を持ってきていた。
俺はオイルサーディンの缶詰を開けて、鴨とスズナの目の前に置き、続いて豆腐と水菜のサラダを目の前においた。
「それにしても、よく此処がわかったなぁ」
「妖怪の中ではお二人は有名でございます。ささ、どうぞ」
スズナは手にした熱燗を鴨の猪口に注いだ。
「そうなのか?」
俺は烏龍茶を片手に鴨達の話に耳を傾けた。
「はい。歳三様は、猫又山の妖将軍とまで言われた鴨様とともに戦う若き陰陽師と大変な評判でございます」
「猫又山の妖将軍?」
猫又山とは確か富山の毛勝三山の一つだ。なんで東京の猫又が富山に?俺は鴨に視線を向けた。俺の視線に毒を感じたのだろう。鴨は苦笑いを浮かべて白状した。
「二十年ぐらい前か……お前が京都で修行している頃にな。暇だったんで日本一周していたんだよ。で、ある日猫又山に行ったら、妖怪たちが大喧嘩。若い頃だったからそれ見て頭にきてなぁ……全員叩き潰した」
旅行先で喧嘩に巻き込まれて、ブチ切れて全員叩きのめしたら、へんな噂がたったというノリに、俺は再び米神を抑えた。
「歳三、大昔の話だ。気にするこたぁねぇよ。で。スズナ、手土産持参でこんなところに来て、いったい何があった」
「鴨様と歳三様にお願いがあります。何卒、私の旧鼠退治にご協力をお願いします」
その言葉に俺は再び溜息を付いた。どうやら厄介そうな仕事のようである。
旧鼠とは妖怪の一つで、ネズミが歳月を得て、妖怪となったもののことである。「絵本百物語』『翁草』などの江戸時代の古書や民間伝承にその存在が伝えられている。
「私が今の主に飼われることになりましたのは、今から三年前、まだこのように尻尾がわかられる前のことでございました。」
◇◇◇
三年前。
私はM市N町の交差点で、車に轢かれてしまった。
「『動物飛び出し注意』って書いてあるのに……法定速度ギリギリを走りやがって……」
道路に出る前に確認した。道に黄色に黒の看板。狸の絵が書かれていて、飛び出し注意って書かれていたのをみた。
だが、結局は車に跳ねられて道路端へぽい。
痛い。死ぬのか。私は。
わけもなく涙が出てきた。
その時だった。
温かい手が、血だらけの私の体を抱き上げてくれた。私はその手の主に顔を向けた。
頭を丸め、長いヒゲを蓄え、黒い袈裟をまとった僧侶姿の年老いた男が其処にいた。確か、この辺りの寺の和尚であった記憶がある。
「今、病院に連れて行ってやるからな。しっかりしろよ」
そう言うと、その和尚はきごちないながらも皺だらけの手で、私の頭を撫でた。今思えば、その皺だらけの手に安心してしまったのだろう。私は意識を失った。
その出会いが、すべての始まりだった。
私は動物病院で適切な治療を受けた後、観音寺の和尚の飼い猫として寺で暮らすことになった。
そして現在。
「事故から三年後、私は見ての通りの猫又になりました。猫又となった私は本来なら暇をし、猫又山に向かわなけばならないのですが、先日起きた地震から嫌な気配を感じるようになったのです」
「それが旧鼠というわけか」
鴨の問にスズナは頷いた。
「鴨。猫又になった猫は猫又山に向かわなければならないのはどういうことだ?」
「ああ、あそこは異界の入り口だからな。本来の理なら猫又になった猫は猫又山に向かうことになっている。これは人間に妖怪の存在を知られないようにする対策だ。俺はお前の使役鬼という扱いだからな。こうして店で暮らしているわけだがね。……なるほど、此処最近起きている連続殺人事件、もしかして旧鼠のしわざか?」
俺は鴨の言葉に気になり、スマートフォンを取り出し、ネットで検索をした。
確かに。M市N町の観音寺周辺で、何かの獣に喉を喰い破られて死亡した事件が複数発生していた。
「スズナ。旧鼠退治に協力するのは構わねぇんだが、和尚にはどうやって説明するつもりだ?」
スズナは鴨の問ににっこりと微笑むといった。
「それはお任せください。明日、すべて段取りを整えてあります」
俺は鴨と顔を見合わせた。
◇◇◇
翌日の事だった。観音寺の和尚から電話があり、俺はスズナの言葉の意味を理解した。なるほど。あの三毛猫の猫又、伊達に長生きしていない。
「鴨。スズナの飼い主である観音寺の和尚から電話があった」
「なんだって」
鴨は庭でハサミを手に盆栽の手入れを行っていた。器用な猫である。読書に盆栽。時に頼まれ編集者の真似事。お前ホントに妖怪なのかよというツッコミたくなる。
「面白い巻物が見つかったから、鑑定を頼むとさ」
その言葉を聞いた鴨も笑った。
「……あの婆さん猫又もしらっとした顔で上手いことをやっているなぁ。鴨、ちょっくら駅前の百円均一に出かけるが、何か買ってくるものはあるか?」
「特にはねぇな。あ、いや数珠一つ、買っておいてくれ」
「そりゃ構わねぇが……ホントに百均のでいいのか?」
「使い捨てだからな。百均ので十分だ」
そう言うと鴨は首に下げた小さな袋から煙管を取り出し、口に咥えながら庭を見た。
「歳三。明日の夜が勝負になるぞ」
明日の夜は朔すなわち新月。妖怪が動き出すには最も最適な夜である。またM市N町の観音寺周辺でおきている事件の周期からも、明日の夜に動き出すと俺と鴨は見ていた。
俺は立ち上がると、車のキーを手に部屋を出た。
◇◇◇
百円均一で必要なものを買い込み、俺はその足でM市N町観音寺の周辺を歩いてみた。
「なるほど……」
ひどく嫌な気配を感じるのだ。よく見ると、細かい雑鬼がウロウロしているのも見えた。
俺の正体に気づいたのだろう。一匹の雑鬼が俺に襲いかかってきた。俺は屈み、靴に仕込んでいたナイフを抜くと、その雑鬼を斬り捨てた。
「お……の……れ」
「襲いかかってきたら防御するのは当たり前だろう。俺はな。人間に害をなすものには情け容赦もねぇんだよ」
「くくく……もう遅い……」
「?」
俺はその雑鬼を見つめた。
「しゅ……て……ん…さまが、よみがえ……」
俺はその言葉を聞かず、雑鬼に向かい再び刃を振り下ろした。
雑鬼が消滅したのを見て、俺は懐から煙草を取り出し、口に咥え、煙草に火をつけた。
「しゅてん……酒天童子か?よみかえる?まさかな」
酒天童子とは、平安時代に京都・大江山に住む鬼の名であったと記憶していたからだ。ひどく嫌な予感がする。俺は左右に頭を軽く振ると、車に戻り、百円均一で買った数珠を手に戻った。
「随分と気が乱れているが……まあ、とりあえず明日まで持てばいいか」
俺は指先をナイフで軽く傷つけ、浮き出てきた血を使い、数珠に霊力を込めながら呪を記した後、その数珠をバラバラにし、嫌な空気を強く感じるところに落としていった。
「多分、この土地に何かあるんだろうなぁ。調べりゃ出てくるかな」
明日の仕事はおそらく下調べが必要だと判断した。面倒だとは思うが、仕方がない。俺は盛大に溜息をつきつつ、近くのコンビニでビールを買うと、家路へと急いだ。
◇◇◇
翌日、俺は鴨とともに観音寺に出掛けた。観音寺はM市N町にあるが、山奥にある街であり、道路には狸の絵で飛び出し注意の看板があった。
山の中腹には茅葺き屋根の家もあった。
「なあ、鴨。此処日本の大都市T都だよなぁ」
「……T都でも動物飛び出し注意の看板とかあるだろう」
「そりゃあ、山の方のA市だとかH村だとか割りと山奥の方なら理解できるんだがな。此処、TNタウンの一角だぜ?」
「最近じゃ、寂れてきているけどな。
鴨は俺のジャンバーの懐の中に潜り込み、俺の首元から顔を出してその光景を見つめていた。目的の場所の前に到着し、俺は再び硬直した。
急勾配の階段が目の前にデンとあったからだ。
「これ登るのか?」
「そうだな」
俺は肩を落として落ち込んだ。仕方がない。車に戻ると、風呂敷包み荷物を手に、その階段を登りだした。だが。
「重い……死ぬ」
懐には猫又。手には道具。正直、重い。
「ほら、頑張れ。」
心にもない鴨の応援に、俺は珍しくカチンと来てしまった。
「お前、降りろ」
懐の中に手を突っ込み鴨を其処から引きずり出そうとするができなかった。
「やだやだ。寒い。凍死する。お前には爺をいたわる気持ちはないのか!!」
俺は鴨を引き剥がそうとするが、ガッチリと爪が食い込んでいる。ダメだ。
しばらく鴨と戯れていたが、昨晩の一件を思い出した。
「鴨」
「どうした」
鴨の青い瞳がじっとこちらを見つめてきた。
「昨日な。此処の周辺を見て回っていた最中、雑鬼に襲われた。仕方がないんで、その雑鬼を斬り捨てたんだが、今際の際に奇妙な事を言っていてな。どーも気になる」
「奇妙なこと?」
「『酒天童子が黄泉かえる』だとさ」
その言葉に鴨は無言となったが、やがてポツリと言った。
「わからんことが多すぎる。だが、今は窮鼠を退治することを考えるとしようか」
「ああ」
俺は階段を登る足を止め、再び周りの光景を見渡した。やがてどうにかこうにか山門の前に到着した。
「ようこそ。井筒屋殿」
白く長いヒゲを蓄え、目つきが鋭く、黒い袈裟をまとった僧侶……この寺の住職・龍玄和尚に俺は頭を下げた。
挨拶をした後、俺は龍玄和尚に連れられて、堂内の一室に案内された。向かいの庭を見ている時だった。龍玄和尚は中くらいの箱を手にやってきた。
「これが鑑定してもらいたい代物だ」
「こちらが。中を拝見します」
俺は懐から黒の手袋を取り出し、手につけると箱を開けた。
中は掛け軸のようだ。
「ああ。昨日なんだが、うちのスズナがこの箱を咥えて、俺の枕元に置いてなぁ。気になるんで鑑定と修復をしてもらおうかと思ったのだよ」
「……コイツを解読・復元するには、至難の業だなぁ」
できないわけではないが、時間がかかる。
その時だ。鴨が懐から顔を出してきた。
「おお、めんこい猫だなぁ」
和尚はグリグリと鴨の頭を撫でてきた。かなりの猫好きのようである。
「すいませんねぇ。此処に可愛い猫がいると聞いて、コイツ、何が何でもついてきたがったんです」
「はははは。構わんよ。にしても、人間の言葉がわかるような賢そうな猫だのう」
……すいません。猫じゃなく猫又です。
俺は内心で冷や汗をかいていたその時だった。
なやあ。
スズナが姿を表した。
鴨は俺の懐から抜け出ると、スズナの後ろについて歩き出した。おそらく寺の中を見て回るつもりなのだろう。
「龍玄様。一つお聞きしたいのですが……」
俺は昨晩調べたことについて、龍玄殿に聞きたい事があったのだ。
◇◇◇
しばらくして和尚は別の用事があるということで席を外した。それを見計らったかのように、鴨が戻ってきた。
和尚には、コイツが猫又であることを見抜かれたということはないだろう。多分。
鴨はじっと掛け軸を見つめていた。鴨は見ようと思えば、人や物の過去を見ることができる。サイコメトリーというやつである。だが、何を見ているんだ?コイツ?
やがて、ガリガリと頭を掻いて、鴨が説明を始めた。
「昔々、江戸時代の頃だ。高い法力をもつ僧侶がおり、全国を行脚していた。で、ある時、その僧侶は一匹の猫を拾った」
「まあ、ありがちな話だなぁ」
スズナや俺の祖父が鴨を拾った時の状況とよく似ていたからだ。
「猫とその僧侶は、全国を行脚していたが、ここ、観音寺付近である噂を耳にした」
「ほう」
俺は鴨の話に相槌を打ってやる。
「その噂は、【大ネズミの妖怪が、夜な夜な人を食い殺す】というものだ。その僧侶と猫は、その大ネズミを退治するため、当時荒れ寺であった観音寺に篭もり、三日三晩の死闘の結果、その大ネズミを【封印】することができました。」
俺は、【封印】という言葉に、引っ掛かりを覚えた。まさか、その【封印】が解かれたとか言うんじゃねぇだろうなぁ。俺の考えを表情から読み取ったのだろう。鴨はポツリといった。
「お前の考えているとおり、この間の地震で、【封印】が解かれちゃったんだよ。」
「……」
俺はがっくりと項垂れてしまった。和尚から聞いた話と鴨から聞いた話が、ものの見事に符号していたからだ。
「悪いことに、あの和尚、化けネズミを封印した和尚とソックリでな。ほぼ間違いなく、襲ってくるぞ」
「それを、俺は猫又二匹と一緒に阻止しろと」
「そ」
俺は、鴨の頭を思いっきり、引っ叩いた。簡単に言おう。八つ当たりである。
「いてぇわ。とりあえず、道具は持ってきたんだろうな」
鴨の言葉に俺は頷いた。
文句を言いながらも持ってきた風呂敷包みの中には、100円ショップで大量購入した小さな招き猫と一振りの刀である。刀の銘は『和泉守兼定』。
かの新選組副長・土方歳三が使っていた刀と同じ刀工が打った刀である。ただしこの和泉守兼定、普通の刀と異なり、鬼や妖怪を斬り殺す九十九神を宿した刀だという。過去には怨霊を斬ったこともあるから、切れ味は確かなのだろう。
「さっき、いつでも結界を張り巡らせるように、買ってきた数珠に俺の呪力を込め、それをばらばらにして、寺の周りに落としておいた。後は夜になるのを待つだけか」
そう言うと鴨は首に下げた袋から煙管を取り出し、咥えた。俺は何気なく空を見上げた。
皮肉かとい言いたくなるような赤い夕焼け空が見え、俺は己の懐から煙草を取り出そうとしたが、切らしていたことを思い出し、盛大に溜息をついた。
◇◇◇
その日だが、俺は龍玄和尚に頼み込んで、寺の蔵に一晩泊めてもらうことになった。蔵にある品も見たところかなりの逸物であり、一通り鑑定した方がいいと判断したからだ
夜。
空には月はない。新月であった。こんな日はマジで怨霊やら幽霊やらが蠢き出す。俺は和泉守兼定を抱え、軽く仮眠をとっていたが、ズン、ズンという足音とともに聞こえてきた声で、目を覚ました。
「どーこーだー。慶雲はー」
龍玄和尚の話によれば、慶雲とは化けネズミを封印した和尚の名前である。
物騒なお客様がおいでなさったようだ。俺は刀を手にしたまま、庭へ向かい、目の前の光景に思わず声を上げた。
「でけぇ!!これ、ほんとにネズミかよ!!」
体長2メートル超えの化けネズミがそこにいた。正直、熊にしか見えない。
一番最初に動いたのは、小柄なスズナであった。スズナは鴨と同じく猫鬼……体長一メートル三十センチぐらいで、額に小さな角と鋭い牙と爪を持つ姿へと变化し戦っていた。スズナは、化けネズミの目を狙って、爪を振るうが届かない。
スズナとともに、小さな白猫が化けネズミに襲いかかっていった。
おそらくあの白猫は、俺が持ってきた100円ショップの招き猫だろう。
鴨は依代(この場合、白の招き猫になる。)に妖力を注ぎ、自分の手足のように動かすことができる。
ま、言ってみれば、陰陽師の式神のような代物である。
そういえば、鴨は何処行った。
鴨も猫鬼に……体長一メートル五十センチぐらいで、額に角とサーベルタイガーの如き鋭い牙を持つ姿へと変貌していた。
「化けネズミが二匹もいるのかよ!!聞いてねぇぞおお!!」
「俺も二匹もいるとは思わなんだ!!」
「鴨!!スズナの援護にいけ。こいつは俺が仕留める!!」
「分かった。死ぬんじゃねぇぞ。相棒」
そう言うと鴨は、化けネズミから距離を取り、スズナの援護に向った。
◇◇◇
俺は鞘に収まっている和泉守兼定を抜いた。切れ味が最上大業物として著名であり、二代の孫六兼元の作風を受け継いだ十一代目会津兼定が打った刀の一振り。三本杉、わかりやすく言うのなら、高低差のない互の目の刃文が姿を表した。
化けネズミは俺を見てあざ笑うと、爪を振るってきた。
襲いかかってきた化けネズミの爪を、俺はある動きを用いてその攻撃を避けた。
「先、向可出之便門、申事由於玉女 次、観五氣、三打天鼓、而臨目思」
前歯を三回噛みあわせた。
「逃げまわるしか能力がない小童が、小賢しいわ!!」
ギン!!
化けネズミの爪を兼定の刃で受け、火花が散る。
次の瞬間、目の前の化けネズミの体が凍りついたかのように動かなくなった。
「この俺が、ただ避けていただけかと思っていたのか?」
俺は化けネズミの攻撃を交わしながら、反閉を行っていたのだ。
反閉とは、道教に端を発した歩行呪術の一つである。
俺は、呪を唱えながら刃を振るった。
「吾此天帝使者、所使執持金刀、令滅不祥、此刀非凡常之刀、百練之鋼、此刀一下、何鬼不走、何病不癒、千殃万邪、皆伏死亡、吾今刀下、急々如天帝太上老君律令」
俺は兼定を振るい、化けネズミの両腕を斬り落とした
「ただの……刀が……なに、ゆえ……」
「……この刀な、残念ながら九十九神を宿した破邪の刀らしいんだわ」
「しゅ……てん……さ……ま……もう……しわけ……あり……ません」
俺は懐から呪符を取り出し、化けネズミの心臓を兼定で貫いた。
化けネズミから刀を抜き、俺は鴨とスズナへ援護へ向かおうとしたが、丁度スズナが化けネズミの首元の喉笛に噛み斬った。
俺は、再び懐から呪符を取り出し、化けネズミの心臓を貫いた。
庭には化けネズミの亡骸と、粉々になった招き猫の焼き物の破片が転がっており、鴨もスズナも猫鬼の姿から、猫又に戻っていた。
だが、全身傷だらけであり、特にスズナのほうがひどい。
寺の連中が、騒がしい。ようやく騒ぎに気がついたようだ。
「張り巡らせておいた結界を解いた……つうか、そろそろ結界を解かないと俺の身体が持たん」
「だろうな。まあ……どうにかなるもんだな」
結界を解いても問題はないだろうと俺も思ったからだ。
俺はぐったりとしているスズナを抱き上げた。
「お主達、これは一体……」
庭に倒れこんでいる巨大なネズミと、俺たちを見て、和尚は何かを察したようだ。
俺の腕にいる傷だらけになったスズナを見て驚く。
「スズナ!!」
「……スズナは此処にいた化けネズミから和尚、アンタを守るために戦ったんだ。忠義の猫だよ。大丈夫……和尚。とりあえずコイツを猫医者のもとに連れて行こうぜ。俺の知り合いの猫医者、腕だけは良いからな。いくぞ」
俺の言葉に和尚が頷くと、急いで荷物を取りに戻っていった。
俺は、車である場所へと駆け込んだ。
坂本動物病院。院長は坂本千秋。俺の古い友人である。
電話で俺の話を聞いた千秋は治療室で待機していたらしい。
「遅いよ」
鴨とスズナを見た坂本は、傷が深いスズナの治療を始め、俺達に待合室で待つように命じた。俺と和尚はその従い、治療室から出た。
「スズナ……生きてくれ。頼む。儂をまだ一人にしないでくれ……」
「大丈夫だ。和尚。和尚はスズナと約束したんだろ?最後まで共に生きようって……最近は動物医療も発展しているからなぁ・・・あれぐらいの怪我、どうにかなるよ。」
俺の慰めにもならない言葉に、和尚は少しだけ笑った。
「なあ。」
「ん?」
「あのバケネズミは一体・・・」
「旧鼠だな。この間、大地震があったろ。あれで冬眠していた化けネズミが目を覚ましたんだとよ」
この説明だと、いろいろと端折っているが、これ以上は素人が知るべきではない。
「お主達は……一体何者じゃ」
「古道具屋の主とその飼い猫。そういうことにしておいてくれや。あと、化けネズミの供養だけは頼む。」
「勿論だ。」
しばし沈黙が流れた。
「お二人さん。中入って良いよ」
坂本の声が聞こえ、俺と和尚は部屋の中に入った。
にゃあああん。
スズナは和尚が現れると、飛びついて甘えた。
「おおおお」
「片目だけ失明してしまいましたが、あとは問題ありません。ゆっくり休養させてください。」
にゃああん、にゃあ。
何気なく後ろを見ると、ぶっ倒れている鴨が見えた。こいつ、スズナに何かやったな。
「とりあえず和尚、スズナを連れて先に帰ってくれ。どうやらうちの鴨は少々具合が思わしくないらしい。」
ぎゃあお。
猫のモノマネして猫又が苦情がいうが、俺はスルーした。
「先生、ありがとうございました。」
和尚は俺と坂本に頭を下げると、スズナとともに山寺に戻っていった。
タクシーで和尚を山寺へ送った後、俺は治療室に戻った。
「千秋。馬鹿鴨の具合はどうだって・・・」
「前足にヒビが入っちゃってますねぇ。あと全身裂傷および噛み傷だらけ。まあ二匹分の怪我をしている状態ですが、比較的軽い怪我ですよ。」
「馬鹿言うな。アホ三。」
病室に戻ると、ぐったりとした鴨がいた。
千秋は鴨が猫又であることを知っている一人であるので、目の前の光景をさほど問題視していない。
「お前、スズナの怪我の大部分を自分に『移した』な。」
陰陽道の中には、形代という物がある。おそらく鴨は己を形代として、スズナの怪我を大部分自分に『移した』のだろう。それ故、鴨は二匹分の怪我を負っていた。
「あーーーーいてぇなあーーーー」
俺の問に鴨は反論すらしなかった。
「止めろ。千秋。無茶するなぁ、この頑固爺」
「申し訳ないですが、俺に鴨様を止めることは不可能です。先輩」
千秋は茶が入った湯のみ茶碗を持ってきた。三人分である。
「……スズナのすべての怪我を治すことは、【世の理】に反しそうでなぁ。さすがの俺もできなかった。俺は奴を生かす代償として、奴が持っていた【妖力】と【見鬼の瞳】を奪った」
「【見鬼の瞳】?」
千秋の問に俺が答えた。
「妖怪や幽霊を見ることができる能力のことさ。有名なところだと陰陽師・安倍晴明の奥方だろうな。」
「おお」
千秋はその言葉に驚く。
その昔、安倍晴明の奥方は旦那が使う式神を見ることができるため、異様に怖がったという。俺は鴨にもう一つの意図を感じた。
本来、猫又になった猫は飼い主から暇乞いをし、猫又山に向かわなければならないと聞く。だが、猫又ではなく、普通の猫ならば、出会った時にかわした約束を守ることができる。
猫又だが、お人好しだと俺は苦笑してしまった。
「スズナは生まれ変わりさ」
「生まれ変わり?」
俺の言葉に、鴨は頷き肯定した。
「輪廻転生。その昔、慶雲和尚とともに大化けネズミと戦った清白が、スズナの前世だ」
「……は?」
俺は鴨をまじまじと見つめた。鴨はニヤリと笑うと、首に下げた布袋から煙管を取り出し吸った。
「更に悪いことにあの和尚の前世は、慶雲和尚でなぁ。天敵の生まれ変わりが揃ったのも、今回の事件のきっかけだったようだ」
ぷかり。
煙管で煙草を吸っていた鴨が◎の形をした煙を吐き出した。
「……馬鹿だろう。大化けネズミーず」
俺の言葉に、鴨は軽く首を傾げた。
「復讐なら本人にしろよ。生まれ変わりの一人と一匹に復讐したって、何にもならないだろう。相手はこれっぽっちも自分のことを覚えていないんだ。無意味だぜ」
俺の言葉に、鴨は笑っって頷く。
「復讐なんてそんなもんさ。周りの迷惑も考えず、憎しみだけで動いてしまう。悲しいほどくだらないことなのにな」
「で、お前さんはうっかりお節介を焼いちまったというわけか。このバカ猫。しばらく入院していろ」
俺の言葉に、坂本と鴨は笑った。
結局鴨は、一週間病院で入院することになった。
一週間後、鴨は一人で井筒屋に戻ってきた。俺は寺から預かった巻物の修繕・修復の仕事にかかりきりだった。
「どうだ。治りそうか?」
「ああ。だが、コイツは売らねぇほうがいいなぁ。」
中の絵は、和尚と白い猫又が、大きな化けネズミが戦っているのが描かれていた。作者はおそらくだが歌川国芳だと思われる。
「少し出かける。留守を頼んだぜ」
「気をつけてな」
俺は報告のため観音寺へ向かった。
数カ月後。
俺が修復した掛け塾は、寺の宝となり、展示室に飾られる事になった。和尚とスズナは、観音寺で達者に暮らしている。
和尚の話しによれば、大化けネズミの亡骸は、朝になると骨となり消えていたという。和尚は、自腹で供養塔を立て、毎朝、読経を捧げているそうだ。
だが、俺には気になることがある。
「『酒天童子が黄泉かえる』……いったいどういう意味だ」
俺は縁側で煙草を吸いながら、考え込むが答えは出ない。
だが、何が動き出す予感がした。
井筒屋妖かし奇譚 おっさんと猫又の事件簿 瀬古刀桜 @tubaki828
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