井筒屋妖かし奇譚 おっさんと猫又の事件簿
瀬古刀桜
第1話 幽霊画
「歳三〜茶の準備ができたぞ〜」
俺の仕事部屋に間が抜けた声が聞こえた。俺は声が聞こえた方向に視線を向けて、げんなりしてしまった。
「……おい、こら爺。てめぇ、店の商品で何やっているんだよ」
俺の声の先には尻尾が二つに別れた『白猫もどき』が二本足で器用に歩き、前足で茶を淹れていたからだ。よりによって骨董屋の商品である茶碗でだ。
この光景を見たら、大部分の人間が「猫が喋った!」「猫がなんで二本足で歩いているの?」「猫が茶を淹れるだと!!」と驚くだろう。
俺には皆が驚くのが、目に浮かぶ。
驚くのも無理がないが、しばし俺の話を聞いてもらいたい。
怪奇現象の主であるしゃべる尻尾が二つにわかれた『白猫もどき』は、青い目を細めて言った。
「良いんだよ。この茶碗自身の望みなんだから」
先に、自己紹介をさせてもらう。俺の名は宮野歳三。T都M市の駅前通り裏にある骨董屋【井筒屋】の店主を務め、古美術の販売、修復および鑑定も引き受けている。
年齢は三十六歳。天涯孤独。容貌は俳優のN村T流に似ていると言われているが、自分ではよくわからん。
歳三の名の由来は、お察しのとおり、新選組副長「土方歳三」からだと聞く。
俺が生まれてすぐに死んだ父親は、新選組の土方をリスペクトしており、この名前をつけたと俺は祖父から聞いた。
そして俺の目の前で優雅に茶を飲んでいる『白猫もどき』の名は宮野鴨。俺がコイツを『白猫もどき』という理由は、この猫が、すでに妖怪化……猫又に変化していることによる。
猫又とは、古くは兼好法師の随筆『徒然草』を筆頭に、伊勢貞丈、新井白石、最近では水木しげるなどの様々な著名人に、「老いた猫は『猫又』となって人を惑わす」と記述されている妖怪のことである。
皆の中には、「妖怪?猫又?現代にいるわけがないない」「猫又なぞ架空の存在だ」と主張する者もいるだろう。そういう者達には、俺は目の前にいる鴨を指さし、一言だけ反論することに決めている。
「俺はコイツで妖怪がいることを証明できるが、君は妖怪がいないことをどうやって説明するつもりかね?」
「悪魔の証明」という言葉をWIKIPEDIAで調べてもらえればわかるだろう。
まあ、妖怪・悪魔うんぬんの話はここまでにしておこうか。
「茶碗の望みってなぁ……一応、骨董屋の商品なんだぞ」
「関係ないさ。物にとっては人間に大切に、それこそ愛しい女を愛するように使わることに意味を見出す。歳三、お前さんは九十九神がどうやって生まれるか知っているかね」
俺は鴨の茶を受け取った。
「長い年月を得た道具などに、神や精霊などが宿ったものだろう」
「簡潔に言えばそうなるな。だがな。その説明だと、この店の殆どは九十九神が宿った存在だということになるぜ」
俺は鴨の言葉に周りを見渡した。確かにこの店には百年過ぎは当たり前、四百年前五百年前といった商品がずらずら並んでいる。
鴨は胸元に下げた袋から煙管を取り出した。俺はポケットに入れたライターで、煙管に火をつけた。
「器物が九十九神になるのに必要なものはな。人の【思い】さ。人が注いでくれた【思い】に応えたいと願った器物に、神や精霊が宿る。お前さんの刀である和泉守兼定がいい例だ。これまでの持ち主やお前さんが、あの刀に【思い】を注いだからこそ、あの刀は九十九神を宿し、人や物はもちろんのこと、霊や妖怪すら斬り伏せることができる名刀に化けた」
鴨の言葉に俺はもう一つの仕事で使用する和泉守兼定を思い浮かべる。有名な土方歳三が使っていたのと同じ刀匠が打った刀。子供の頃から共にあり、それこそ大事に使っていたが......
「店の古物達に取っては、商品だからと飾られるだけでは物足りないらしくてな。こうして使ってもらわないとゴネる」
「ゴネる?」
「九十九神とはいえ、神だからな。夢を渡り、俺の夢の中でせつせつと『使ってくれ』と訴ってくる。おかげで俺は寝不足だ」
ふあぁぁぁと鴨は欠伸をした。
俺は鴨が淹れた茶を飲んだ。見かけによらず鴨は丁寧に茶を淹れる。そのせいかひどく旨い茶であった。
「そういやあ、話は変わるが猫医者がついに電子小説作家デビューしたんだと」
「ほう。そりゃあ、めでたい」
猫医者=獣医師。鴨のかかりつけ獣医師は、俺の同級生である坂本千秋である。この近くの坂本動物病院の院長であり、鴨が猫又であることを知る俺の古い友人の一人である。
「ネットで公開された文を読んだんだが、猫医者の書いた小説……【陰陽師・土方紫】シリーズだが......ありゃ俺とお前がモデルだな。猫医者は、お前をえらく可愛い美女にキャラクターを書き換えていたぜ」
そういやぁこの猫又、タブレットを使いこなすことができたな。それにしても、猫又が電子書籍を読む。世も末だな。
その時だった。
「すいません。井筒屋とはこちらでしょうか?」
俺は店先から聞こえてきた声に、茶碗を置き、店の奥から顔を出した。
俺の視線の先には、年の頃は三十過ぎの涼やかな青年がいた。
だが、俺は相手の顔とその後ろに見えた【アルモノ】に、これは骨董商の客ではないと判断した。
いるのだ。
青年の背後に、血塗れ傷だらけの【女の怨霊】が。
怨霊は俺を見ると、ニタリと笑った。
◇◇◇
俺は彼を店の奥の部屋へと案内した。この部屋は骨董屋としての客ではなく、もう一つの仕事の客であると判断したためだ。
俺のもう一つの仕事は、陰陽師……正確には刀を使っての【怨霊・妖怪退治】である。
俺の家系は、悲しいことに先祖代々続く陰陽師の家系であり、俺もこう見えて、陰陽師の端くれでもある。
この仕事は、どちらかと言えば広めたくない仕事であり、俺は紹介制の形をとっていた。
「えっと……初めまして。えっと、N文庫の加山陵と申します」
加山と名乗る男が差し出してきた名刺を受け取る。
そこには、『N文庫社長 加山陵』と書かれていた。
「N文庫?聞いたことないな」
俺は首を傾げてしまった。耳にしたことがない出版社名だからだ。
「最近、電子書籍を専門に取り扱う出版社として創業しましたので、知名度が低いのは無理ありません。この店には、坂本ちあき先生の紹介で伺いました」
『電子書籍』、『坂本ちあき』……ああ、なるほど。千秋の知り合いか。
坂本ちあき先生=坂本千秋。
あの野郎、ほぼ本名で作家してやがる。俺は苦笑を浮かべ、加山さんを見つめた。
最近流行のN島H俊に似た感じである。ずいぶん若い社長様だ。
俺は彼に茶を出すと、目の前に座った。鴨は加山さんの膝の上に座り、顔を見つめる。
憔悴している加山さんの様子に、俺から本題に切り出したほうが早いと考え、彼に問いかけた。
「背中に【アルモノ】が見えるのですが……覚えはないですか?」
「【アルモノ】?」
俺の問に、加山氏は首を傾げた。
「女の怨霊。髪は長く、片目は腫れ上がり崩れ落ち、血塗れの姿で貴方を狙っているようだ」
俺は彼の質問に簡潔に答えた。俺の返答に、加山さんの顔色が変わった。
「……覚えがあるようですね」
俺の言葉に、コクリと加山さんは頷くと、話し始めた。
「一月前、俺は会社立ち上げを決めました。出版社の事務所としてH市にある古い古民家を借りることができたので其処に居を写し、作業していました。その頃から化け物を見るようになったのです」
俺は加山さんの話に、黙って耳を傾けた。
◇◇◇
一ヶ月前、俺は長年の夢である会社の事務所を構えました。
父の知り合いである不動産屋から自宅兼事務所として古い古民家を借りることができ、のんびり修理しながら仕事を行おうと考えて、引っ越しを行ったのです。
引っ越しした夜のことでした。
風呂にいくと、お湯の中に黒く長い髪が浮かんでいたのです。
ーーーーーーはて?
今日、引っ越しの手伝いに来てくれた編集部員の真城遊人・文之兄弟の髪も、編集長の皆川弘子も髪は短い。
何故、こんな髪の毛が、水に浮かんでいるのか?
俺は、水に浮かんでいた長い髪の毛を摘み上げたその時だ。
背中にゾクリとした怖気を感じ、俺は後ろを振り向き、目の前の光景に悲鳴を上げた。
いたのだ。
血塗れの着物を纏い、髪が長く、片目が腫れ上がり崩れ落ち、口から血を流した女の怨霊だった。
目の前にいた女の怨霊は、俺を見るとニタリと笑い、右腕を掴んだ。
右腕に痛みが走った。その痛みこそが、この光景が夢ではないことを証明していた。
「うわぁ!」
俺は、怨霊の腕を振り払った。
「……」
怨霊は俺に何かを言うと、姿を消した。
◇◇◇
「助けてください」
一通り経緯を話し終えた加山さんは、話の終わりにそう言った。
「どう思う。鴨」
「偽りの話はしていない。加山殿の過去に問題があるかと思って、すこし【視て】みたのだが、全く問題なかった」
鴨は加山さんの膝の上に乗ったまま、俺の問に答えた。
鴨はやろうと思えば触れた【もの】の過去を見ることができる。
聞こえてきた鴨の声に、加山さんはキョロキョロ周りを見渡し、声の主が膝の上にいる猫又であることに気づいたのだろう。口をあんぐりと開けて、驚いていた。
加山さんの驚いた表情が、携帯の絵文字の驚き顔に似ていると、訳もなく彼を見つめながら、鴨に聞いた。
「彼の女関係とかはどうだ?」
見かけだけなら、加山さんは美丈夫といった風貌である。女に恨まれて……と言った可能性を考えた。だが。
「全く問題なし。見かけによらず中身は【さくらんぼ坊や】だぜ」
「さくらんぼ坊や?」
俺が軽く首を傾げる姿を視て、鴨は一言言った。
「英訳すれば、なんとなくだが意味がわかるだろう」
さくらんぼ坊や=CherryBoy=!
あ、なるほど。
「えっと……俺は夢を見ているのでしょうか?猫が喋っている?」
加山さんの言葉に、鴨は青い目を細めていった。
「現実逃避せず、とっとと戻ってこい。このスットコどっこい。戻ってこないと、隠している秘密をいろいろとネット上にバラすぞ。例えばお前にとっての嫁はKこれのHで、毎夜フィギュアをうっとり眺めるのが癒やしだとか……そのかばんの中に、KこれのNんどろいどをが入っているとか……」
「……止めろ鴨。加山さんの生存値はもう0だ」
コイツが激おこなのはなんとなくわかるが、あっさり秘密を暴露されるのは哀れである。
加山さんを見ると、魂が抜けたような表情を浮かべ、机の上に倒れこんでいた。鴨にいろいろと暴露されたのだから、無理も無いのだが。
「加山さん。そこにいるのは、鴨。妖怪・猫又で俺の相棒だ」
「猫又……確かに。今気づいたのですが、尻尾が双つに分かれていますねぇ。まるで、【陰陽師・土方紫】シリーズの中に紛れ込んだみたいです」
「そりゃ、そうだ。加山くん。あのシリーズのモデルは、このコンビだからね」
声が聞こえた方向を見ると、其処には猫医者こと坂本千秋がいた。
「え!この方々がですか?」
「おう、作品の中じゃ君の大好きな美少女だが、実際のモデルはコイツ。30過ぎのいかついおっさんがあの作品のモデルだぜ」
「マジですか!それ!!」
驚く加山さんに、千秋は苦笑を浮かべると、鴨と俺に頭を下げた。
「大学の後輩なんだ。彼を助けて欲しい。それとこれ」
俺は千秋が差し出してきたファイルを受け取り、それに目を通した。ファイルの中身は新聞の切り抜きのようだ。
「加山君から話を聞いて、俺なりに調べてみたんだ。今から十年前、今、加山君が住む周辺で児童連続行方不明事件があったようだ」
鴨が見えるように、俺はそのファイルを机に上においた。鴨は引き出しから器用に愛用の赤い老眼鏡をかけると、その新聞記事に目を通した。
事件は行方不明児童は五人。未だ、児童の行方は知れない。
写真を見た鴨は目を細めた。何かに気づいたのか?
「千秋、加山殿の住む家に行ったことあるか?」
「ある。凄い嫌な気配を感じた」
鴨の問に、千秋は答えた。千秋は自覚はないが、霊感に優れている。その男が嫌な気配と言っている。
おそらくだが、今借りている古民家に【何か】があるのではないかと思った。
「先輩、なんでそれ言ってくれないんですか!!」
「根拠がなかった。君、変なところで理系だろう?物語なら妖怪やら怨霊を好むだろうが、現実に起きたらまず、否定する性格だ」
加山さんは千秋に文句を言うが、千秋は取り合わない。その様子に鴨は呆れた表情を浮かべながら言った。
「現場に行ったほうが早いな。歳三、車と護符の用意。あと兼定を頼む」
「わかった」
俺は鴨の言葉に頷き、支度を始めた。
◇◇◇
T都H市。
M市から車を走らせておおよそ三十分ぐらいのところにある。
俺達は、加山さんが住む古民家へと赴いていた。
「……こりゃ、ゴーストハウスだ。おじいちゃん、ちょっとびっくり」
「自分で爺いうな。爺」
鴨はおどけた口調であるが、表情は真剣だった。一応、真剣と書いてマジと読む。
「今日は真城兄弟と皆川編集長はいるのかい?」
「ええ」
千秋の問に、加山さんは頷いた。鴨は忌々しげに目を細める。
鴨は自分の姿をあまり見られたくないのだろう。
家の中に入ると、男が2人、女が1人いた。
一人は灰色の髪にメガネを掛け、タキシードを着れば、執事になれそうな男。彼が、真城兄こと真城遊人。
もう一人が、茶色い明るい髪をした短髪のどこかの文系の大学生のような男。彼が、真城弟こと真城文之。
二人とも、何かを見たのかすでに顔が真っ青である。真城弟に至っては、加山さんがが戻ってきたのを見た途端、抱きついてきた。
男二人のラブシーンは、一部の女性には人気らしいが、猫又とおじさんには無意味である。
「邪魔するぞ」
尻尾が二つに別れ、二本足でひょこひょこ歩く鴨を見て、二人とも目が点になっていた。
「……社長。俺は幻覚を見ているのでしょうか」
「そういう驚きは好きなんで、いつもなら少し相手するんだが......今は黙っていろ。小僧ども」
何かを言おうとした、真城兄を鴨は一喝して黙らせた。鴨が起こる理由も、何となくだが、俺は察していた。思っていたよりも状況は悪いからだ。
フリーズしている真城兄弟を横目に、鴨は何かを探していた。
「加山さん。頼まれたものは用意しておきましたよ。......それにしても、随分面白いお客様がお見えのようだ。何かをお探しで?」
黒く短い髪にメガネをかけ、鋭い目つきでこちらを見る女性は皆川弘子。恋愛小説作家であり、この出版社の編集長を務めているそうだ。
鴨はキョロキョロと周りを見渡しながら言った。
「今回起きている怪異の原因と思われる幽霊画をな。ちいとばかし探しておる」
「幽霊画ですか?」
「どういうことだ。鴨」
幽霊画とは、文字通り死者の魂、幽霊を描いた絵を指す。江戸から明治時代に多く書かれた絵であり、この絵は一つのジャンルをなすほど人気があった。怪異物で知られる葛飾北斎、歌川國芳らが多くの作品を残している。
俺と皆川さんの問に、鴨は頷くと言った。
「此処にいる真城兄弟、皆川嬢、そして加山殿が見た幽霊の特徴は、【血塗れの着物を纏い、髪が長く、片目が腫れ上がり崩れ落ち、口から血を流した女の幽霊】に間違いないな」
鴨の問に、四人は頷いた。
「千秋、歳三。【血塗れの着物を纏い、髪が長く、片目が腫れ上がり崩れ落ち、口から血を流した女】と聞いて、俺はある物語を思いつくんだが、なんだと思う」
「……四谷怪談」
「ご名答」
鴨の問に、千秋が答えた。
四谷怪談の正式な題名は、東海道四谷怪談。
四代目鶴屋南北の代表作。浪人.四谷左門の娘お岩とお袖の姉妹を巡る怪談劇で、おもにお岩の夫・民谷伊右衛門の極悪非道な行いによって、物語は進行していく。
この物語でとりわけ有名なのが、伊右衛門を孫娘の婿に迎えたい伊藤喜兵衛が仕込んだ毒薬によって、お岩の面相が変わり、恨みを残して死んでいく【元の伊右衛門浪宅の場】だ。
「四谷怪談は幽霊画の題材として選ばれる事が多いからな。俺が此処に来て視えた過去の情報からも、幽霊画があることは確信している。そしてその絵が今回の事件の要だなぁ」
鴨の言うとおりだった。東海道四谷怪談が流行して以来、南北の影響は日本画・浮世絵の上においても顕著で、この「四谷怪談」だけでも北斎の「百物語」をはじめとして、幕末から明治時代にかけて多数のお岩の絵が、存在している。
その時だ。
ぴちゃん
ぴちゃん
何かが、上から滴り落ちてきた。滴ってきたものを見て、俺と鴨以外の者の顔色が真っ青になった。
手についていたのは、血であった。
その次の瞬間。
ボコボコボコ。
壁に複数の人の顔らしきものが浮かび上がってきた。
「「ヒィ!!」」
加山さんと皆川さんは、目を大きく剥いて驚き、真城兄弟は二人揃って抱き合って怯えていいた。まあな。こんな怪奇現象を目の当たりにすりゃあ、誰だってそうなる。
だが、これは序の口にしか過ぎない。
空気が一気に重くなった。
「……お出ましだぜ。歳三、結界!!」
「わかった!!」
俺は即座に印を結び、全員を守るための結界を張った。
鴨を見ると、猫鬼……体調はおおよそ一.五メートル、額に大きな角を生やし、口元にサーベルタイガーのごとき牙を持つ鬼の姿に变化していた。
「ぐるぐるるるるる」
鴨は唸り声を上げる。
「うぉおおおおおおお」
鴨の唸り声に呼応するかの如く、壁から女の怨霊が姿を表し、鴨に襲いかかってきたのだ。
鴨は怨霊の喉に噛みつき、喰いちぎった。だか怨霊は、噛まれた喉から血が吹き出すのも構わず、鴨に襲いかかる。
一合、二合と怨霊と猫鬼に变化した鴨がぶつかり合う。その様子を見て、俺はまずいと思った。
鴨のほうが、分が悪い。
怨霊の腕が鴨をなぎ払った。鴨は壁に激突しつつも、俺達を守ろうと立ち上がる。だが、このままでは鴨が負ける。どうすればいい。
「……歳さん、あそこの壁からすごく気持ち悪い気配を感じる……」
千秋の顔は真っ青を通り越えて、白くなっていた。だが彼は、ある一点の壁を指差していた。
それは先ほど、人間の顔が浮かび上がった壁だった。
「……さっきの現象を見たからじゃないのか?」
「……いえ。あの現象を見る前から、私たちはあの壁の近くにいると、体調を崩して いました。頭、痛い......」
皆川さんが頭を抑えながらも、倒れそうになる千秋を抱き支えた。
俺は二人の顔を見比べる。千秋はもちろんだが、皆川さんも霊感が鋭いように思えたからだ。
その言葉を聞いて、あの壁に【何か】あると思った。根拠はない。勘というやつだ。そして、その勘がその【何か】を壊さないかぎり、鴨に勝ち目はないと訴えていた。
その時だ。手に携えていた和泉守兼定からカタカタという武者震いに似た振動を感じた。
……いちかばちかやってみるか。
このままでは、全員共倒れである。ならば。
俺は和泉守兼定を鞘から抜いた。三本杉の刀文の刃が姿を表す。鴨はこの和泉守兼定には、九十九神とはいえ、神が宿っていると言っていた。そして、その神は使い手を愛していると。
ならば、俺の思いに答えてみせろ。
そう念じつつ、俺は構えた。
狙いはただ一点。
刀を構えた俺を見た幽霊が、怯えたような表情を浮かべ襲いかかってきた。鴨は俺の狙いに気づいたのか、再び立ち上がると幽霊に襲いかかった。その間に、俺は結界をとき、先ほど、人の顔が浮き出た壁へ向かって和泉守兼定を突き刺した。
ぐしゃり。
突き刺した壁から手応えを感じた。
ああ、謎がとけた。
崩れた壁の中から現れたのは、複数の白骨死体と、一軸の掛け軸であった。そして、和泉守兼定の刃は、掛け軸を貫いていた。
怨霊が悲鳴のような雄叫びを上げた。俺は構わず、壁から和泉守兼定を抜き、怨霊へ刀を振るった。
ぶつり。
肉を断つ手応えを感じた。
目の前の怨霊が暴れ、複数の人間の魂が、浮かんでは消えていった。
ふと見ると、小さな子供の幽霊が残った。俺はその顔に見覚えがあった。千秋が持ってきたファイルの中にあった新聞紙の切り抜きに残っていた写真……十年前に起きた連続児童行方不明事件の最後の被害者の男の子と同じ顔をしていた。泣きべそを浮かべながらも、彼は言った。
「……おじちゃん。おかあさんとおとうさんがどこにいったかしりませんか?」
俺は男の子の霊に視線を合わせるためかがみ、その子の目を見つめながら、言った。
「もうすぐ、会えるからな。待ってろ。それと、俺はおじちゃんじゃない。お兄さんだ」
ポンポンと小さな男の子の幽霊を撫でる。
「歳三」
猫鬼から猫又に戻った鴨が、小さな招き猫を投げ渡した。
「其処に入れてしばらく眠りにつかせてやれ」
「おう」
俺は、小さな男の子の幽霊を抱き寄せると、静かに祝詞を唱える。抱き寄せていた小さな男の子が、砂粒のように消え、手の中の小さな招き猫に収まったのを感じ、祝詞を唱えるのを止め、周りを見渡した。
鴨は壁に塗り込められていた掛け軸を咥えて戻ってきた。
「おい、こら。何やってんだよ。仮にも殺人事件の現場を荒らすんじゃねぇよ」
「いや。事件の元凶の絵を見てみたいと思ってな」
俺はため息を付き、ポケットに入っていた黒い絹の手袋をはめ、鴨から掛け軸を受け取り、中身を見た。
予想通り、作者不明ではあるが、東海道四谷怪談の「元の伊右衛門浪宅の場」のお岩が書かれた掛け軸であった。
「千秋、加山さん、皆川さん。悪いが警察を呼んでくれ。早くこの子達を親元に返してやりてぇ」
「……わかった」
俺の言葉に千秋は頷くと、最寄りの警察署に電話をするため、部屋を出た。
◇◇◇
あの事件から数日後、何故かN文庫のメンバーが井筒屋に訪れていた。
「ぜひともN文庫で新設するNL小説の編集者に!!」
「いやいや、兄さん、今は時代はBLだよ。ぜひともBL小説の編集者に!!」
鴨は真城兄弟にとっ捕まり、NLがどうのだBLがどうのだという話を延々と聞くはめに陥っていた。
そうこうしているうちに、真城兄弟同士が喧嘩を始めてしまった。
喧嘩している真城兄弟をみて、鴨はため息をつきながら頭を横にふった。
だめだこりゃあ。
俺はその様子を眺めながら、同じく訪れていた皆川さんへと視線を向けた。
あの後、千秋は地元警察に通報した。警察の話しによれば壁に塗り込められていた遺体は、十年前の連続児童失踪事件の被害者たちだったそうだ。
事件の犯人は、あの家の先々代持ち主であった男だと聞いた。
「気なことがあるのですが、お尋ねしてもよろしいですか」
「どうぞ」
彼女は鴨が出した茶を一口飲むと、口を開いた。
「何故、殺され、壁に塗り込められた子供たちは子供の姿ではなく、四谷怪談のお岩の姿で現れたのでしょうか。私にはそれが不思議でなりません」
「あの掛け軸は、魂を宿しやすい掛け軸だったからだな」
俺の言葉に、目の前の彼女は軽く首を傾げた。
「あくまで、鴨が見た過去のことだが……幕末の頃、一人の売れない絵師がいたそうだ。絵を書いても書いても売れず、生活には苦労した。そしてその絵師は病に……今で言う結核に罹患してしまった。だが、絵師は血を吐きながらも絵を描き続け、最後は己の血であの絵を仕上げたそうだ。文字通り、あの絵は、絵師にとっての最高傑作となった。よく言うだろう?名作には魂が宿るって。あの掛け軸も魂を宿しやすい代物だった。絵が飾られて百数十年後、事件が起きた。絵の持ち主が子供を連続して殺した」
「……」
無言になった皆川さんに俺は話を続ける。
「警察に聞いた話によれば、犯人があの絵を壁に隠したのは、殺した時、子供の血しぶきが絵に飛び散ったからだそうだ。そういった形で、ともに壁に塗り込められ、あの掛け軸の絵は、殺された子供の恐怖、無念、怒り……そういったものをあの絵は蓄積し続けた。その結果、九十九神化し、絵から動けるようになってしまった。それがあの女の怨霊の正体さ」
「……なるほど」
「ところで社長は何処行った」
「坂本先生のところに打ち合わせに言ったそうです。転んでもただでは起きない男ですからね。今回の事件を作品に仕上げようといろいろとやっているみたいですよ」
「たくましいなぁ。ところでよう。どうしてああなっているんだ?」
鴨の前で、相変わらず真城兄弟が、わちゃわちゃしていた。あ。鴨のやつ、尻尾で二人を殴った。
「鴨さんは電子書籍を読むそうですねぇ」
「ああ。あの爺さん、かなり乱読だなぁ。普通の文学作品はもちろんのこと、ホラーや時代物、恋愛小説、BL小説と結構節操なしに読む」
「あの二人、猫又が読んでも面白い作品は売れると考えたのでしょう。編集者として口説くそうです」
「アホか……猫又に編集者をやらせるつもりかよ」
「ぜひとも鴨さんにはあの二人の指導役をやってもらいたいですねぇ。私にはあの兄弟、あそこまでコントロールできません」
「フリーダムだなぁ。おい」
様子を見ていると、どうやら鴨はガチギレしたらしい。二人を正座させ、説教を初めていた。鴨の説教は結構長いんだが、大丈夫かねぇ。
呆れた俺に、目の間の皆川さんは笑った。
数カ月後、N文庫の編集室に一軸の幽霊画の掛け軸が掛けられることになった。
社長の加山陵は、この掛け軸をみて驚く客に、こう言っていると聞く。
「この掛け軸は、絵画であれ漫画であれ小説であれ、作家は己の命を削って作品を生み出しているということを忘れないための戒めとして、此処に飾っています」
END
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