010 深夜の客

「お前、死霊みたいな顔してたぞ」

 イルスはテーブルに頬杖をつき、黙々と茹でた芋を食べている同居人を、呆れ顔で眺めた。

「なのに、よくそんなに食うな。食えるんなら、まともな時間にまとめて食えよ」

「いや、今夜は特別腹が減って」

 スィグルは悪びれずに言い、銀のフォークで塩茹でしただけの芋をつついている。

「ヒーヒーわめいてたくせに、変わり身の早いヤツだ」

 深々とため息をつき、イルスは葡萄酒を舐めた。とにかく眠気を押しやるのが一苦労だ。

「僕、なんて言ってた?」

 スィグルが不安げな上目遣いをする。聞かれるとまずいような事があるのかもしれない。これが故郷の悪友たち相手だったら、適当な嘘でからかって一揉みしてやりたいところだが、相手のことを良く知らないこともあって、イルスは正直に答えてやることにした。

「共通語で寝言を言うヤツがいたら会ってみたいぜ。お前が何をわめいても、黒エルフの言葉で言ってるかぎりは、俺にはわからないよ」

 スィグルはふと緊張がほどけたように微笑した。

「じゃあ今度は共通語で叫ぶから、よろしく頼むよ」

「冗談いうヒマに食え」

 あくびをかみ殺して、イルスは言った。スィグルがクスクスと小さく笑い声をたてる。

 「イルス、けっこう強いね。感心したよ。金髪の連中は、君に近づくこともできなかった。気味がよかったよ。その長剣、いつも持ち歩いているのかい」

 薬でも飲むように、用心深い仕草で葡萄酒のグラスをあげながら、スィグルは言う。いつもそうして、もう二度と酔っぱらわないように用心してもらいたいとイルスは願った。

「剣は戦士の命だ。手の届かない所に置いてあったら、役に立たないだろ」

 それを聞いたスィグルは、軽く肩をすくめる。

「僕は剣が使えないんだ。今度教えてよ」

 イルスは呆れて、華奢なスィグルの顔を見つめた。剣が使えないなんて、イルスの故郷では恥ずかしすぎて誰にも言えないくらいの悩みだ。スィグルは少し気後れしているようではあるが、恥ずかしがっているようには見えない。

 「使えない? …どうして?」

 驚きのあまり上擦った声で、イルスは尋ねた。スィグルが撫然とする。

「重い」

 分かりやすい答えだ。

「…お前、それでも砂漠の黒い悪魔と呼ばれる族長の血を引いているのか?」

「いやだなあ。これでもリューズ・スィノニムの再来と言われてるのに」

 黒エルフの族長の名をあげて、スィグルはにっこりと笑う。イルスは信用できなかった。スィグルはきっと、母親の血を濃厚に受け継いだに違いない。

 何千という捕虜の首を次々と落とし、死体から溢れ出る血で、自軍の砂牛の渇きを癒させたという逸話を残した黒エルフの美貌の長は、敵からはもちろん、同盟者である海エルフからも、あらゆる意味で恐れられていた。本当か嘘かわからないような、その類の血生臭い武勇伝が多い族長だった。勝利を得るためには、手段を選ばない残酷さで知られる男だ。剣も振れないというスィグルとは、まったく種類が違うように思える。

 しかし、喧嘩を売ってきた山エルフをいたぶっていたスィグルの、残酷な目を思い出して、イルスは黙り込んだ。確かに、目の前で茹でた芋をつついている華奢な少年は、砂漠の黒い悪魔の血統を受け継いでいるのかもしれなかった。

 「どうしたのさ、イルス。難しい顔して」

「…砂牛に血を飲ませた話、本当なのか」

 胸が悪くなるような気分で、イルスは尋ねた。スィグルは一瞬きょとんとしていたが、得心がいったのか、やがて嬉しそうに微笑んだ。

 「本当らしいよ、その話。父上が話していた。補給が大切だって」

「補給?」

 見当はずれな話をされている気がして、イルスは眉間にシワをよせた。スィグルがうんうんと頷く。

 「水が足りなかったんだ。一番近くのオアシスまで行こうとすると、自軍の兵に飲ませるのが精一杯でね。兵を乗せる砂牛の分までは回らない計算だったんだってさ。運悪く、戦いに勝った後だったから、捕虜も山ほどいてね。困ったんだろう」

 当たり前の事を話しているように、スィグルは説明している。

「お前の部族では、捕虜をなぶり殺しにするのか?」

 それは恥ずべき行為だ。イルスは、剣を持たない相手を傷つけるなど、考えるだけでも卑怯者だと教えられて育った。

「どうせ死ぬんだ。助けようとしたって、飲ませる水がないんじゃあ、助けようもないよ。砂漠に置き去りにされて渇き死ぬより、首を斬られた方が楽だって知らないの、イルス」

「じゃあせめて葬ってやれよ。ケダモノに血を飲ませるなんて侮辱だ」

 顔をしかめて言うイルスを、スィグルは不思議そうに見ている。

「砂牛が死ねばオアシスまでたどり着けない。血なんて水と大して変わらないんだよ。侮辱かどうかも大切だけど、自分の兵を生きたまま連れて帰る事の方が、大切だと思わないの?」

 スィグルの言うことももっともなように思える。だが、イルスはその選択を迫られる状況を想像するのに耐えられなかった。

「…もういい。黙って食えよ」

 血のように赤い葡萄酒が疎ましく思えて、イルスはグラスを脇へ押しやった。スィグルがくすくすと笑う。

「意外とヤワなんだね、イルス」

「お前と違ってマトモな神経なんだよ」

「僕のどこがマトモじゃないっていうんだ」

 スィグルは、すねたように言う。

「白系種族の連中が嫌いなのはお前の自由だけどな、だからって、好き放題痛めつけていいなんて思うなよ。今日のことだって、おかしいぞ。髪や肌の色が多少違ったって、奴等にだって血も肉もある。俺たちと変わらないんだぞ」

「でも、あっちはそう思ってないよ。僕らのことを生きてる価値のない虫けらだと思ってるか、血も涙もない悪魔だと思ってるかだ。僕の父上が奴等の血を砂牛に飲ませたって君は驚くけど、それは部族を救うためだよ。意味もなく殺したわけじゃない。白い連中が僕らに何をやってきたかは知らないんだろう。奴等は楽しみのために僕らの同族を殺してきたんだよ。君たち海エルフだって、別に今まで何事もなく暮らしてきたわけじゃないじゃないか。どうして奴等の肩をもつんだよ」

 スィグルの声は冷静だったが、その裏には絶対に譲ろうとしない頑強さも潜んでいた。スィグルと言い争う気はなかったはずなのだがと思い、イルスはため息をついた。

 「うまく言えないけど……白系種族にだってお前と気の合うヤツはいると思うぞ」

「いないね、そんなヤツは」

 強い口調で早口に言い、スィグルはイルスの言葉を遮った。

「砂漠に残してきた僕のオアシスと、高貴な母上の美貌にかけて、誓ってもいい。僕は奴等が嫌いだ。できれば片っ端から殺していきたいくらいにね。ここで僕と気が合うヤツがいるとすればね、イルス、それは君一人だけだと思うよ」

 食欲がなくなったのか、まだ料理の残っている皿にフォークを転がし、スィグルは語尾を濁らせた。うつむきがちな顔から、瞳を丸く太らせた黄金の目が、じっとイルスを見ている。

「…君が僕を嫌いだっていうなら、それも諦めるほかないけど」

 小声で言って黙り込むスィグルを見ていると、イルスは猛烈に居心地が悪い気分になった。ここで自分がスィグルを突き放せば、この黒エルフは、本当にたった一人になってしまいそうな気がする。スィグルが白系種族を嫌っているのは、冗談の付け入る余地のないほど本気のことで、この学院にいる白系種族でない者は、イルスとスィグルだけなのだ。

 ひ弱な花なのか、危険な猛獣なのか判別のつかない、この黒エルフが、学院で孤立してしまえば、何が起こるのか予想もつかない。ろくでもない事が起こりかねないのは確かだ。

 「お前な…そういう風に言えば、俺が嫌いだとは言わないって計算してるだろう」

「あれ…イルス、意外と鋭いんだね」

「……………」

 肩を落とし、イルスは苛立ちをやり過ごすために、大きく息をついだ。

 「これからな、もし喧嘩を売られるようなことがあったら、絶対に俺を呼べよ」

 目を閉じたまま、イルスは忠告した。

「助っ人してくれるんだ」

「ちがう」

 嬉しそうにしているスィグルを睨み付けて、イルスは言った。

「お前が無茶しないか見張るんだ。この調子だと、お前はいつか誰かを殺しちまうぞ。そうなってからじゃ、遅いんだからな」

 真剣に言うイルスを見て、スィグルはふふんと鼻で笑った。しかし、黒エルフの少女のような赤い唇は、否定の言葉をつむぐ気配もない。

 「お前ひとりの問題じゃないんだぞ。お前も俺も、同盟のための人質なんだ。お前が起こした不始末は、そのままお前の部族に返される。わかってるんだろうな」

「憶えておくよ。…でも、僕は自分のやりたいようにやるさ。でもまあ、他でもない君の言うことだから、少しくらいは聞いてあげてもいいけどね」

 にっこりと綺麗な微笑を見せて、スィグルは言った。痩せて華奢なせいで、スィグルの美貌は男でも女でもないように見える。実際には弱くなどないくせに、保護してやらないといけないような気分にさせるのが、この黒エルフの小狡いところだ。

 イルスは何度目かのため息をついた。気が重い。巻き込まれるとろくな事がない予感がひしひしとするが、自分がスィグルを嫌いなわけではないこともわかる。

 「僕はね、君のこと気に入ったよ、イルス。お節介なところもね」

「俺はお前の喧嘩っ早いところと、酒癖が悪いところと、味音痴なところが嫌いだ。剣が使えないっていうのも呆れるな。なんとかしろ」

 思いつく限りの文句を並べて、イルスは恨みのこもった目でスィグルを見た。

「他はともかく、最後のはなんとか努力してみるよ。明日から練習だね。よろしく、先生」

 テーブル越しに右手を差し出して、スィグルはにこやかに言う。いつのまに教えることになったのかと、イルスは考えかけてやめた。スィグルはなんでもやりたいようにやる気なのだろう。抵抗してもムダだ。

 イルスは仕方なくスィグルの右手を握った。その手は骨張っていて冷たかった。

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