月と星のカルテット
椎堂かおる
序章 遠雷
嵐がやって来る……。
御者の息子は、遠くの山陰に目を向けた。
カッと閃く遠雷が、鋭い峰がいくつも伸びる暗い谷を、鮮やかな青紫に染めあげていく。
雨の匂いだ。重たい黒雲がのしかかる遠くの山の頂きあたりが、ぼんやりと灰色に煙っている。
少年が見渡すと、谷の向こうの峰々はすっかり、重たげな霞の中に姿をくらましていた。
夏場の嵐は足が速い。すぐにもここへやって来るだろう。
少年が振りかえって見ると、がたがたと揺れ動く御者台の隣では、父親が真剣な顔つきで鞭をふるっていた。
父親が馬を追いたてる低い声を上げて鞭を振り下ろすと、ぴしゃりという音と共に、馬の蹄が山道の石畳を蹴立てる音が速まっていく。
曲がりくねる山道を掴む車輪が、街道が大きく折れ曲がる辺りで、ぎりぎりと耳障りな唸りをあげた。流れ去る石畳が、まるで灰色の濁流のようだ。行き過ぎる断崖を見下ろすと、緊張で息がつまった。
大丈夫だ。少年は小声でつぶやいた。
父は当代一と誉めそやされる、腕の良い御者だ。山の宮殿に住む族長様の馬車の御者台にだって、座ったことがある。そこらの馬丁とは格が違う。この程度の山道で、しくじるはずがない。
今日のお客人も、父のその腕前を見込んで、特にと頼まれた、とても高貴なお方だ。神殿からやってきた、この上なく高貴なお血筋だという。
この馬車を御するのは、父にとっても、一世一代の大仕事。
明くる朝に仕事を控えた父は、気が昂ぶって眠れず、黙り込んだままいつまでも車輪の具合を確かめていた。この仕事をやり遂げれば、父の評判はさらに上がるに違いない。
頼もしく思って見つめた父の顔が、ひどく汗ばんでいた。
父親が鞭を振り上げるのを眺めながら、少年は心の中でだけ、いっぱしの御者がするように、ハイヨッと強い声をあげてみた。それと同じ父親の声が上がり、鞭が鳴り、馬が苦役に抗って首を振りたてる。
今はこうして、隣に座っている他にすることがなくても、少年はいつか、父の握るこの鞭と手綱を、立派に引き継いでみせるつもりだった。そして、父を越える御者になる。その時こそは誇らしく、声高らかに馬を追うだろう。
不意に、ぽつりと静かな音をたてて、大粒の雨が御者台を打った。
曇天を振り仰いだ頬に、肩に、叩き付けるような重たい雨粒が次々と打ちかかる。雨は見る間に豪雨になった。
思った通りだ、と少年はうんざりした。
降り始めた雨は、見る間に辺りの岩肌の色合いを変えていく。
乾いた地面が水を吸い、草いきれと砂地の匂いが湧き起こる。灰色の山道が見る間につややかな黒に濡れそぼり、遠目に見えていた堅牢な城門は、灰色の雨でぼんやりと煙って、霧の中へとかき消えた。
目の眩むような光とともに、雷鳴が轟いた。
胃の腑に叩き付けるような、激しい轟音が鳴る。驚いて嘶(いなな)き、馬脚を乱す4頭立ての馬たちの手綱を、父が引き絞る。馬車は速度をおとすことなく、石畳の坂道を駆け上がっていく。
少年は心配になって、御者台から後ろを振り返った。
揺れる馬車の後ろには、銀色の立派な甲冑で武装した護衛の兵士たちの馬が、何頭も付き従っている。雨を避けるために、どの兵士も、姿勢を低くおとし、兜の面覆いを降ろしきっていた。
山道の下は鋭い岩肌が続く崖。落ちればひとたまりもない。雨に濡れた石畳は滑りやすく、あやうげに車輪を受けとめては、ごろごろと天の雷鳴に劣らぬ轟音をたてた。
父はいやに馬を急がせている。たぶん、雨がやって来る前に、馬車を目的地に着けたかったのだろう。雨中を走るのは、客人に気を使うことが多く、気持ちのいいものではない。
だが、そう心配することはなさそうだった。目的地の城門は、もう間近にあるはずだ。
少年が霧の中に目をこらすと、城壁の周囲に巡らされた深い堀が現れた。空堀は雨に濡れた黒土をさらしている。
それを渡る跳ね橋に車輪が乗ったのを感じて、父親が、ほっとため息をつくのが感じられた。
少年も、それにつられてほっとした。父は大役を果たし終えた。
そのとき。
激しい光とともに、耳を裂く轟音があたりを包んだ。
一条の雷光が、目の前の城壁を撃つのが見えた。
少年は息を忘れ、棹立ちになる4頭の馬の背を見送った。驚いた馬は半狂乱になり、父の手綱に従わなかった。
暴れまわる馬に引きずられ、馬車が傾く。
なにか大きな手で掬い上げられるように、馬車の片輪が浮き上がる。
少年は、抵抗する間もなく、御者台から放り出された。
跳ね橋の上に叩き出された自分のすぐ横で橋が終わり、はるか下にある空掘の底がみえる。橋の丸太にしがみついて、少年は震え上がった。
あと少しで、死ぬところだ。
そして、父がどうなったのかに思い当たって、少年は弾かれたように起きあがった。
「父ちゃん、どこだ?」
父は、少年よりも少し先へと投げ出されていた。そのすぐ側で馬が暴れているのを見つけて、少年の血の気が引いた。馬をつないでいた頚木が折れ、勝手に暴れ出しているのだ。
もんどりうって立ちあがり、少年は父を蹄にかけかねない暴れ馬を押しとどめようとした。父は、右腕を押さえて倒れ込んだまま、起きあがる気配もない。
少年が父親のまえに走り出して遮ると、狂った馬が驚き、激しく身をよじらせた。
日ごろ、とても大人しかった馬の目が、恐怖に濁って赤く血走っている。その目を睨みつけ、歯を食いしばると、少年は震える足を踏ん張った。どんなに恐ろしかろうと、父を踏み殺させるわけにはいかない。
少年の目から逃れようと見を翻した馬が、橋から足をすべらせ、ぐらりと宙に倒れ込んでいった。
その先には、なにもなかった。
馬はもがきながら、空掘に落ちていった。細く引き絞られた嘶きが急速に遠ざかり、豪雨の打ちつける暗い堀の底から、ぐしゃっと骨の砕けるいやな音がした。
少年の心臓は激しく鼓動を打った。
雨のしずくが次々の顎を伝い落ちていく。少年は、震える手を伸ばして、うずくまっている父親の背中を揺すった。うめき声をあげて、父親が目を覚ました。
「父ちゃん、大丈夫か」
少年が声をかけると、父親はもうろうと、青ざめた顔をあげた。
「馬車は…?」
豪雨にかき消された父親の声は、苦しげにひきつっていた。
「わからねえ」
きゅうにうろたえて、少年は小声になった。父親のことが気がかりで、馬車がどうなったかなど、考えもしなかった。
「この、馬鹿が!」
少年を押しのけ、馬車を見た父親が、低く悲鳴のようなうめき声をあげた。
跳ね橋のはじに、かろうじて引っかかるようにして、馬車が揺れている。繋がれたままの馬が興奮して暴れ、馬車もろとも奈落に飛び込みそうになっているのだ。
息子を突き飛ばすように押しのけ、父親は倒れた馬車にかけよった。尻餅をつきながら、少年はそのあとを目で追った。
後からついてきたいた護衛の兵士たちが、ものものしい気配で走り回り、馬車を引き戻そうと必死になっている。兜を脱ぎ捨てた兵士たちが、次々と馬車の扉にとりつき、中にいる者を助け出そうとしていた。
父は血相を変えて馬車にとりつき、壊れた扉をはがした。しかし、お客人を助けるため中に入ろうとすると、馬車はぐらりと傾き、今にも堀の底へ落ちていきそうな、耳障りな軋みをたてた。
やめろ、父ちゃん。助けられっこない。
少年は肝を冷やして、揺れる馬車の上の父親を見つめた。馬車もろとも堀に落ちれば、命はない。
不意に父親が振り向いて、まじまじとこちらを見た。
馬車から飛び降りて、父が駆け寄ってくるのに気づき、少年は目を見開いた。父親は少年の腕を掴み、引きずるようにして馬車のそばに連れていこうとする。
「なにするんだ」
「お前が一番軽い。お前が行け」
馬車の道具入れから取り出した縄を胴回りに巻かれながら、少年は手短に告げる父の声を聞いた。
「い……いやだ、俺怖いよ……」
言い終わらないうちに、父親が腕を振り上げ、少年の頬を殴りつけた。
一瞬、眩暈がするほどの痛みが走って、気が遠くなった。
父に押し出されるまま、少年は朦朧と馬車の上に上がった。
「中に入ったら、お客人にその縄を結ぶんだぞ、わかったな!」
父の真剣な叫び声が追ってくる。
父ちゃんは、俺が死んでもいいんだな。
振り返る気もせず、かすかに震える手で馬車の入り口に手をかけた。観念して体重を移すと、馬車は意地悪く傾き、少年にはるか下にある空堀の底を見せつけてくる。
御者の息子は、かたく目を閉じたまま、馬車のなかに飛び込んだ。
なにか柔らかいものに手が触れ、驚いて目を開くと、すぐ近くに誰かがいた。
身なりのいい金髪の少年が、気を失ってぐったりとしていた。
自分とほとんど同じ年恰好だ。これが、神殿から来た高貴なお血筋のお客人。
馬車が倒れた時にぶつけたのか、お客人はこめかみから血を流していた。それ以外は、特に怪我もないようだ。上等の絹と革で装った姿には乱れがない。白い額に、血の雫を落としたような赤い小さな点がついている。それは、神殿に仕える中でも、特に位の高い神官であることの印だった。
少年は自分の胴に巻かれた縄を解きながら、悔しくなって歯を食いしばった。
このお客人に比べたら、自分の命はとても安いのだ。お供の兵士たちにはもちろんのこと、父にとっても。
少年は苦労して、神官の体を馬車の入り口まで押し上げた。沢山の手が現れて、神官の体を掴んだが、御者の息子を救い上げようとする手は無かった。
ぎしぎしと身の毛もよだつような軋みを立てる馬車から、少年は必死で這い上がった。橋の丸太を掴んだところで力尽きかけていると、父の無骨な左腕が少年の革帯を掴んで、乱暴に引きずりあげた。
ため息をついて、少年は父の顔を見上げた。しかし、父はもう、こちらを見てはいなかった。
兵士たちは、壊れ物に触るような扱いで、神官を橋の上に横たえると、自分たちの立派な外套をはぎとって次々と着せ掛けた。
そうしても、ひどく振り続く雨が、見る間に高貴なお客人を濡らした。
「猊下(げいか)が…!」
「誰か学院の医師を呼んで来い」
兵士たちが口々に喚き散らす声は、暴れる馬以上に半狂乱だった。
その引きつった声を聞きながら、御者の息子は橋の上にへたり込んだ。まだ脚が震えている。ふと見ると、すぐ傍に立っている父の指先も、小刻みに震えていた。
降りしきる豪雨を浴びる父の顔は、死んだように血の気がなかった。目を見開いたまま、兵士たちが揺り起こそうとする高貴な客人を遠巻きに見ているばかりだ。
兵士たちがどよめくのに気づいて目をもどすと、気を失っていたらしい貴人が、ゆっくりと目を開いたところだった。
うつろな表情を浮かべた目は、灰色がかった緑色だ。
少年は、神官の顔をよく見たくて、のろりと立ち上がった。
起きあがる神官の姿をみて、兵士達が深い安堵の息をついている。少年もほっとして、父に微笑みかけようとした。だが、父親の顔は、さきほどにも増して青ざめていた。
「行け…」
小声で、父が告げた。
「逃げろ」
少年の体を山道のほうへ押しやって、父はこちらに見向きもせずに命令した。
「どうして?」
踏みとどまり、少年は問い返した。
「殺される」
固い声でいう父親の視線をたどり、少年は、立ちあがった神官がこちらを見ているのに気づいた。
ゆっくりと歩いてくる神官の少年を追うように、兵士たちが甲冑を鳴らしてやってくる。無表情な神官の少年の顔を見つめ、御者の息子は動揺した。
まさか。命がけで助け出したのに、まさか。
神官が前に立つのを待たずに、突然、父親が膝を折って這いつくばった。
「息子はお許しください」
喚くような大声で言う父親の姿を、御者の息子は驚いて見下ろした。
「息子はお許しください!」
懇願をくりかえして裏返る父の声は無様だった。
どうすればよいかわからず、御者の息子は目の前で立ち止まった神官の顔をみつめた。神官の顔は端整だった。
肩口までで切りそろえられた金髪は、濡れそぼって顔に張りつき、豪華な絹と革の衣装もぐっしょりと濡れて台無しになっていたが、その神官の持つ不思議な威厳は、すこしも衰えはしていない。
ぽたぽたと雨の雫を滴り落としながら、神官は這いつくばる父の背中を見下ろしている。その顔は無表情だった。これほど無表情な顔というのを見たのは、初めてだった。
ゆっくりと口を開いて、金髪の少年は、父になにか問い掛けてきた。
だが、その言葉は聞きなれない響きのある異国のことばで、御者の息子には、少しも意味がわからなかった。
「猊下(げいか)が、御者の右腕はどうしたのかとお尋ねになっている」
怒鳴りつけるような声で、付き従っている兵士が言った。
「お許しください、なにとぞ。息子は見習で、横に座っていただけでございます。どうか命だけは、とらないでやってください。どうか、どうか、お慈悲を……!」
父がますます、橋に額をこすりつける。そうしている父親は、当代いちの御者ではなく、ただの惨めにくたびれた男に見えた。いきり立った兵士たちと、無表情な神官が、それを見つめている。
少年は、どうしていいかわからず、凍りついたように立ち尽くした。できるものなら、誰の目からも、こんな父親の姿を隠してしまいたかった。
ふと顔を向けて、神官がこちらを見つめてきた。灰色を帯びた、暗い緑色の目は、暗雲を押し開いて現れる雷光の閃きに似て、冷たく容赦がないように見えた。
いたたまれず、御者の息子は自分も膝を折った。跪きながら、神官の顔から目をそらすことができず、御者の息子は高貴な血筋の客人をまじまじと見詰めつづけた。
父は、この不始末の責任をとらされる。お客人の命を助けようが、あのまま死なせようが、どちらにせよ父は殺されるに決まっていたのだ。たぶん父は、それを知っていた。
混乱した頭の奥で、その考えが閃くと、少年は自分の体が冷えるのを感じた。父が殺される。自分も殺されるのだ。馬車がひっくり返ったせいで。
父を連れて、さっさと逃げればよかった!
少年は激しく後悔した。馬鹿は父ちゃんのほうだ。そして悔しかった。とても悔しかった。
「お答えしろ!」
すごんだ兵士が、腰に帯びていた細身の剣を抜き放ち、父親の頭の上に振りかざした。はじかれた雨が、白く小さな霧となって剣を包む。
御者の息子は、死を覚悟した。恐ろしいと思い、それから逃れたかったが、自分にはどうすることもできないことは、考えるまでもなく腑に落ちた。
貴人が自分たちのような身分の低い者の命を顧みるはずがない。
御者の息子は、父親が殺されるのを見たくなかった。だが、震え上がってしまい、その場から目をそむけることさえできない。
どうせ死なねばならないなら、自分から先にやってほしかった。父が苦しんで死ぬのを見たくない。怖い、怖い……死にたくない。
不意に、金髪の神官の手が兵士の剣を持つ手を掴んだ。その手が自分に触れたことに、兵士は度肝を抜かれたようにたじろいでいる。
神官は自分よりも背の高い兵士の、兜の面覆いを跳ね上げた下にある顔を見たまま、細身の剣の刃先に指を滑らせた。きらめく銀色の剣の刃先におりた、わずかな血のりが、雨に洗い流されて消えて行く。それを見て、兵士の剣を握る手が、傍目にも明らかなほど震え始めた。
御者の息子は、神官が自分に向き直り、傷ついた指先を伸ばしてくるのを、呆然と待ちうけた。傷口が開いて血のしたたる指が額に触れ、ゆるい滑りのある感触を残していく。
神官は平静な振る舞いで御者の息子をやんわりと押しのけ、父親のそばに片膝をつくと、這いつくばったままの父親の顔をあげさせて、その額にも、同じように血を塗りつけた。父は見開いた目で、神官を仰いでいる。
父はしばし、沢山の言葉を飲み込んだように口篭もってから、はっと振りかえり、息子の額にも血の印がつけられているのを確かめた。それを見つけて、父は突然、吠えるように泣いた。
「ありがとうございます」
再び這いつくばる父を、神官は興味のないふうに一瞥し、その場から歩き出した。
我に返った兵士たちが、おお慌てでそれを追い始める。うるさく鳴る甲冑の音がいくつも、少年の横や後ろを通り過ぎていく。
「ブラン・アムリネス猊下(げいか)が、お前たちを聖別なさった。よって、命は預け置く。本来なら一族皆殺しのお仕置きがあっても然るべきところだ。猊下のお慈悲に、感謝を怠るな」
父に剣を振りかざしていた兵士は、緊張の残る震えた声で言った。他の兵士達からやや遅れてあとを追っていくその兵士は、何度か剣を鞘におさめようとしていたが、手がふるえ、うまくいかないために、とうとう諦め、抜き身の剣を背後に持ったまま進んでいった。
御者の息子は立ち去って行く高貴なお客人の後姿を見送った。屈強な兵士に取り囲まれた、雨に濡れそぼった姿が、堅牢な城門をくぐっていく。
激しい雨音をついて、どこか遠くから、ファーーンと長く引き伸ばされた、耳慣れない獣の鳴き声が聞こえ始めた。
ゆっくりと繰り返すその声は悲しげで、すすり泣く女の声のようにも、はぐれた仲間を呼び集める寂しい獣の声のようにも聞こえる。
神官の顔が、咆哮(ほうこう)に耳を傾けるように、城壁に隠された天を見上げた。その横顔は、うっすらと笑っているようにも見えた。
それを確かめる間もなく、神官は首を垂れ、城壁の中へと進み始めた。
ああ、そうか……。
あの神官は、たった今、自分と父親の命を救っていったのだ。
自分はそれに気づかず礼を言うのを忘れた。
もう一度こちらに目を向けて欲しい。
御者の息子は出し抜けにそう願った。
鎖の鳴る音が響き渡り、城門の鎧戸が降り始める。一抱えほどもある丸太の格子が、城門の奥にある景色を遮る。
ずしん、と厳かな地響きをたてて、鎧戸が降りきった。
雷鳴が、うるさい犬のように吠えたてている。その音を従えて、またあの長い鳴き声が聞こえた。ファーーンと悲しげに、何かを呼ぶように。
「竜(ドラグーン)だ……」
少年は、呆然とつぶやく父の声を聞いた。打ちつける激しい雨が痛い。
雷光がにわかに辺りを照らし、少年の目を眩ませた。
そして、ふたたび辺りに雨中の薄闇がもどった時、神官の姿は、甲冑の一団にかくれてしまい、すっかり見えなくなっていた。
それっきりだ。
神官は一度も振り返らなかった。
その一夜、雨はますます山々を濡らし、雷鳴は鳴り止むことない激しさで吠えつづけた。
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