農協おくりびと (84)使わなければ、ただのゴミ
午後6時を過ぎると、勤めを終えた男たちが練習場へやって来る。
ゴルフ愛好家がこれほど居るのかと思うほど、バックを抱えて、次々打席へやって来る。
OLだろうか。ちひろと同じような世代の女性たちもやって来た。
60打席ある練習場があっという間に、ほぼ満杯状態になって来た。
「凄いのね。あっというまに打席が、埋まってしまいました。
ゴルフブームなのかしら。世間にはまだまだ不況の風が吹いているというのに」
「日中のボール代は7円。
しかし午後6時から、3時間限定の打ち放題タイムに突入する。
入場料込みで1500円払えば、体力が続く限りボールを打つことができる
それに騙されて、おおくのゴルファーたちがやって来る。
みんな弱いのさ。限定サービスや、時間限定の打ち放題という言葉に」
「少し待っていてくれ」と、山崎が打席を外す。
顔見知りが多いのだろうか。山崎とすれ違った男たちが一様に会釈していく。
「よぉっ」と声をかえていく常連風の客もいる。
打席に立ちつくしているちひろにも、「今晩は」とついでに声をかけていく。
どうやら山崎は、練習場の有名人らしい。
3分ほどで、「待たせたね」と山崎が戻ってきた。
肩に女性用と思われる、少し派手なキャディバックを担いでいる。
「これ使って」とちひろの足元へポンと降ろす。
「え・・・新品に見える道具じゃないの。困ります、こんな高価なもの・・・」
「新しく見えるが新品じゃねぇ。手つかずの放置品だ。
早い話。使い手が居なくなった、粗大ごみみたいなもんだ」
「どう見ても粗大ごみのようには、見えませんが」
「姉ちゃんが2年前に買った、フルセットだ。
ゴルフには道具の数に規制が有る。全部で14本のクラブを使うことが出来る。
買ったのはいいが、半年後に妊娠してそのまま嫁にいっちまった。
いまは育児に追われて大忙しだ。
おまけに2人目を妊娠したらしい。このままいくと年子が誕生することになる。
ということで当分の間、こいつはホコリをかぶって放置される羽目になる。
いわくつきの道具だが、これでよかったら使ってくれ」
「ものは悪くねぇ。俺が見立てたおすすめ品だからな」カラリと音を立てて
山崎がバックの中から、クラブを引き抜く。
「ゴルフを始める女性は 当面は、あまり高価でないレディス・セットを
購入してはじめる。というのが一般論だ。
だけど、俺に言わせれば、それは大きな勘違いだ。
適度に重さがあり、しっかりしたクラブでないと、スイングが手打ちになりやすい。
しっかり体を使うスイングを身に付けないと、いつまで経っても上達しない。
そういう基準で、俺が姉ちゃんのために選んだおすすめ品だ。
年齢も姉ちゃんと同じ。見た目と背格好も、姉ちゃんとほぼ互角。
姉ちゃんから使用する許可はもらってきた。
こいつで良かったら、使ってくれ」
「ゴルフをはじめるのが、すでに既成事実にされていますねぇ。
其処まで言われたら、断る理由が見つかりません。
うまく乗せられてしまったようです。
はい。よろこんで、ゴルフをはじめたいと思います」
「おっ、いい覚悟だ、気に入った。じゃ、早速はじめるか。
君の背中へ回り、手取り足取り、どこかの親父のように密着して教えてもいいが、
残念ながら、そういう指導は俺の趣味じゃない。
クラブの握り方と、体の回し方を見本として見せるから、それを真似してくれ。
遠くから遠隔操作で指導するのが、俺のやり方だ」
「あらぁ・・・レッスンは、遠隔操作になってしまうのですか。
残念ですねぇ。肌が触れ合わない距離では、寂しいし、心がトキメキません。
いまさら他人行儀に振る舞うこともないでしょう?
やっぱり。いつものように密着して教えてください。お願いします」
「おっ、おう!・・・」という驚きの声が、周りの打席から一斉にあがる。
「良いなぁ山崎。やっぱりイロ男は違うなぁ、頑張れよ。アツアツのレッスンを!」
隣りの親父の声に、山崎が顔を真っ赤に染める。
「あ、いや、その、ただの根拠のない誤解です、俺たちはまだ、これといって
何もまだ、していませんから・・・」と、山崎が真っ赤な顏で周囲に向かって、
必死にしどろもどろの言葉を吐く。
(85)へつづく
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