〈38〉二人で朝ごはん

 真奈美は自分の部屋のベッドに顔をうずめていた。泣きはらした赤い顔には白衣のボタンの跡がつき、その白衣も涙でぬれていた。真奈美は自分が小さかったころの博士との過去を思い出していた。




 翌朝、目を覚ました真奈美は、自分が応接間のソファで寝ていることに気づいた。


(あ、あれ……いつのまにか、寝ちゃってたんだ……って、え?)


「zzz……」


 雅也も向かいのソファで眠っている。


(そっか……いてくれたんだね)


 優しい顔でしばらく雅也の寝顔を見つめる真奈美。


(キスしちゃおっかなー)


 そう思った瞬間、雅也が突然真奈美に背を向けるように寝返りを打った。


(……ちょっと……どういうことよ!)


「むにゃむにゃ……まなみん……大丈夫だから……zzz……」


(……もう、しょうがないなぁ)


 もう一度表情をゆるめると、真奈美は立ち上がって朝食の準備を始めた。



 ◆◇◆



「zzz……ん? あれ?」


 目を覚ました雅也はすぐに昨晩のことを思い出した。キッチンで真奈美が泣き疲れて眠った後、応接間に運び、いろいろと考えているうちに眠ってしまったのだ。


 扉の向こうから料理を作っているような音が聞こえる。


 ゆっくりと起き上がると、そっとキッチンのドアを開けた。


「おはよう! よく眠れた?」


 髪を後ろで結び、エプロン姿で鍋にはしを突っ込んでいた真奈美が言った。


「あ、おはよう」


「もう少しで作り終わるから座って待ってて」


 真奈美は髪をとかして結び直したようで、表情もすっきりしていた。



 ◆◇◆



「できたよ。食べよ」


 真奈美が朝食をトレーに乗せ、応接間に運んでくる。


 気丈に振る舞う彼女を手伝いながら、雅也は心が痛んだ。


「いただきます」

「いただきます」


 今朝の献立はご飯と味噌汁と浅漬けに、焼き魚。


「いつも自分で作ってるの?」


「うん。なんかフードデリバリーの料理って味気なくて……食材だけ運んでもらってるの」


 何事もなかったかのように真奈美が答える。


「ひょっとして、まなみん、料理上手?」


「え? そ、そうかな?」


「うん、おいしいよ」


「あ、ありがと」


 しばらく無言のまま食べ続ける二人。


「あ、あたしたち、新婚生活みたいだねー」


「何言ってんの。まだ14だよ? 僕ら」


「じゃあ、リアルおままごとかなぁ?」


 そういえば昔、そんなことしたな、と雅也は思った。


 幼稚園児のころ、近所の女の子に無理やりつき合わされて、嫌だったことを思い出す。


 いや……違う、確か誰かと女の子を取り合っていたような。


 そんなことを考えながら、これまで気になっていたことを口にした。


「まなみんって、将来についてどんなビジョンを持ってるの?」


「え? あたし? そうね。幸せな家庭を築きたいかな」


「それって、一般的な家族ってこと?」


「そうよー。変?」


「ううん、いいと思うよ。ただ、なんかもっといろいろやりたいことがあるんじゃないかなって思っていたから、ちょっと意外だった」


「そりゃあるわよ。だから両立できるように頑張るの。一度きりの人生だもん」


 そう答え、静かに味噌汁をすする。


 あまり過去のことに触れないように未来の話を振ったつもりだったのに、逆に自立した姿勢を見せつけられた気がした。お椀を置いた真奈美が一息ついて続ける。


「自分がやりたいことをやるのは誰だって当たり前だけど、そのためには身近な人に頼られるような人間にならなくちゃいけないって、思うじゃない? そっちのほうが自分が何のために生きているのか、実感できるっていうかさ」


 彼女の意外な一面に、雅也は感心しつつも、自分をかえりみて、少しへこんだ。



「ところで雅也、背伸びた?」


「そう? 見てみようか」


 自分の端末で個人データを確認してみる。


「168cmだった。去年の年末に測った時が165だったから、結構伸びたかも」


「いいわねー。あたしまだ152みたい。涼音も背伸びてきてるから結構あせるわー」


「僕だってデックぐらいになりたいんだよ。10cmくらい違うし」


「あたしだってかすみんくらいになりたいわよ。10cm差って大きいよね。といってもうちの家系、みんな背が低いから難しいかもだけど」


 しゃべりながらご飯をほおばる真奈美。


 こうして二人でいる時間が雅也には不思議と安定して思えた。昨日あんなことがあったのに、まるで大人のように振る舞われ、朝食までごちそうになって、むしろ自分のほうがなぐさめられている気がした。


「でもさ、こうしてあんたと話してると、なんていうか、幸せを感じるな」


「えっ?」


 意外な言葉に雅也はびっくりした。


「なんでだろ……昨日、一生分泣いちゃったからかな」


 湯飲みをテーブルに置きながら、真奈美がうつむき、微笑む。


「なんか僕にできること、あるかな?」


「こうして……そばにいてくれるだけで……うれしいの」


 雅也は何も言えなくなった。



 しばらくして、顔を上げた真奈美が意を決したように口にした。


「あたしね、おじいちゃん、どこかで生きてるんじゃないかな、って思ってるんだ。なんとなく、なんだけどさ」


「…………」


「ほら、おじいちゃんに未来を予知する力があるんじゃないか、ってみんなで話してたじゃない? あれに期待してんのよ」


「どういうこと?」


「あたしね、ずっとおじいちゃんみたいになれるって思ってたの。昔からおじいちゃんの言うことって間違いないし、そんな先を見通す力がそのうち、自分にも備わるんだろうなって思ってた。よくよく考えてみればおかしな話なんだけどね」


 湯飲みを両手で持ちながら話す真奈美は、さびしげな表情に微笑をにじませる。


「おじいちゃんが言ってたの。あたしには強い意志があるって。それを大事にしなさいって。あたしにはあたしの良さがあるって。みんなに比べたらあたしの意志なんて、ぜんぜん弱いと思うんだけどさ」


 遠い目で窓の外を眺める。


「意志って現実を変える力があるんだって。けどね、そんなんじゃないの。あたし思うんだ。おじいちゃん、やっぱりどこかにいるんじゃないかって。いつか戻って来てくれる、そんな気がするの。だってあの部屋から消えるなんて、科学的に考えて不可能だもの」


 再びうつむいた真奈美の言葉は、おそらく彼女自身に言い聞かせるものだったのだろう。


 だが雅也は、やはり自分が励まされているような気がした。


「その理由を究明しなきゃあたし、前に進めない気がする。頑張らなくちゃ」


「僕が……助けられることがあったら、なんでも言ってよ。僕だけじゃない。きっとみんな同じ気持ちだから。一人になんか、しないから、さ」


「ありがとう。みんなのやること増やしちゃって、悪いね」


 下を向いたまま真奈美は、はにかんで笑った。


「今日、どうする?」


「研究室に行くわよ。あたしはもう大丈夫。雅也もおうちの人に連絡しときな。きっと心配してると思うから」


「うん、そうだね」

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