第22話 1362年のフットボール

 僕は、そんな野蛮な儀式に参加したくはなかったので、断るつもりでいた。

 だけど、最初に話を聞いたときは、参加者不足で盛り上がらないと思ったけど、テストマッチと違い数時間で終わるし、ルールが単純だから、野球部も野蛮族も皆楽しみにしてるようだ。


 さらに、話をアーサーから聞いたサッカー部とラグビー部の何人かは、フットボールの源流の勉強ということで観戦をすることになった。これはアーサーからの頼みでもあった。また大乱闘が予想されるので、体力のある観戦者はできるだけ多いほうがいい。


 サッカー部やラグビー部まで、観戦とはいえ参加するのに、当事者の僕が抜けるのは気がひける。アンパイアの一人に決まった一樹に相談したら、

「形だけ参加したらどう?」と言う。

「形だけって」

「ゲーム開始のときは参加して、途中から足が痛いとか言って、見学に回ればいい」

「そうか。そうだな」

 選手として参加となると気が引けるが、観戦となると面白そうだ。それで僕は、途中退場を前提に参加を決めた。


 月曜になると、競技の具体的な内容が耳に入ってきた。


 本来は街全体を使う大規模なものだが、それは不可能なので、河川敷広場で行う。

 河川敷では百メートル程度しかゴール間がなく短いので、ロープを二本平行に張り、ピッチをに三つに仕切ってN字状にする。

 ロープは、黄色と黒が縞になった駐車場の仕切などに使うトラロープで、長さは百メートル。

 十メートルおきに高さ一メートルの木の棒を立て、それに固定してロープを張る。ロープを越えた移動は禁止。プレーヤーの人数制限はないが、各チームの人数差は三名以内。


 中世フットボールの基本ルールは少ない。乗り物で運んではいけない、殺人禁止、ボールを鞄などに隠してはいけない。他は教会の敷地に入ってはいけないことぐらいだ。

 本来は死人も出る危険なものだったが、今回の競技ではあからさまな暴力行為にはレッドカード。即退場。場所が河川敷と決まっているので、教会、乗り物、鞄は関係ないから、暴力禁止以外は特に注意しなくていい。


 競技時間は正午から三時半まで。中世のものに較べ時間は短いが、少人数で行うので消耗度は激しい。途中、ゲームの状況を見て休憩を入れる。それまでに入れた点数の多い方が勝ち。

 服装は自由。オフサイドルールはなし。


 まだこれで確定というわけではないが、中世イングランドやスコットランドでおこなわれていたものに比べて、小規模で単調なものになりそうだ。

 相田先輩によると、中世のフットボールは街全体を使った大規模なもので、参加人数が千人を超えるものもあった。家屋にボールを隠したり、馬で運んだり、山、林など土地の変化を利用したり、想像するだけで面白そうだ。

 負の面も大きく、家屋や農地が破壊され、死者重傷者が多数出るなど危険すぎて、今の日本では無理だ。年に一度の庶民の祭りだけど、本当にこれを楽しんでいたのか疑問だ。


 初期のパブリックスクールには庶民の子供もいて、彼らを通じて、その荒っぽさが生徒たちに引き継がれた。それでも十九世紀前半には、今日のスポーツらしさが確立されてきた。

 そもそもスポーツというものは、上級生による下級生いじめの手段だった。上級生と下級生といっても、日本の高三と高一程度の差ではなく、下は五歳くらいから上は十八歳だから、残酷を越えて滑稽だ。


 前日の木曜には野球部員は準備に駆り出された。学校から一輪車、スコップ、レーキを一つずつ借りて、河川敷で土ならし作業とロープやゴールの設置だ。見物人も来ることから、場所を広げるため、草刈り用の鎌を何人かが持参した。


 河川敷広場の東側には道路、西側には川がある。川に面する西側を除いて、背の高い草が生えていて、大雑把にいうと、使える部分はおよそ百メートル四方。東西から見て中央、南から北にかけて百メートルのロープを二〇メートル離して二本張る。(x,y)のデカルト座標でいうと、x、yともに0~100の平面に、(40,Y)と(60、Y)で、Yの値が0~100の直線が二本あるってこと。わかりにくい? 高校生以上なら大丈夫だよね。

 なんでロープをそんなふうに張るかというと、フィールドを長くすることが目的で、両ゴールの間隔はおよそ三百メートルになる。ゴールはN字の両端にあり、バスケのように高さニメートル以上の棒を立てて、上にかごをつけたものを使う。


 身体を使った妨害が可能なので、バスケシュートじゃなかなか決まらないけど、一点でも入ったら試合終了という中世フットボールの精神を尊重してのことだ。


 夕方には山田さんも来て、一緒に手伝ってくれた。

 暗くなって山田さんが帰る頃には、アーサーはじめ僕らは、丁重にお礼をいった。それからすぐ僕らも、学校に一輪車等を返し、明日に備えて家に帰った。



 翌朝、昌喜を誘って自転車で向かった。着いたのは正午十分前で、そのときにはもう大勢集まっていた。

 道路の東側は畑が広がっている。広場よりやや南側の道路際に空き地があるので、僕らはそこに自転車を駐めた。他にも自転車とバイクがそれぞれ十台以上駐めてあり、山田さんの車もあった。まだ昼になったばかりなのに、いくら刑事といえどもこんなところでさぼっていていいのか。


 バーベキューなど僕ら以外の利用者も、車やバイクで来ているはずだ。というのも、人が通ることで自然に出来た河川敷に降りる獣道は、広場の南のほうにあるからだ。


 僕と昌喜がその獣道を通って下まで降りると、見物人が二十人ほどいて、道路側の草むらの前に集まっている。中央より南よりなのは獣道から近いからと思ったら、近づくと、下に青いシートが敷かれているためだとわかった。昨日は地ならし優先で、草刈りに時間をかけられず、プレーに邪魔にならないよう見物席を確保するには、その辺りが一番なのだろう。

 サッカー部、ラグビー部が合わせて十人くらい来ていて、僕の存在に気づくと、「がんばってね」とか「死ぬなよ」とかふざけていた。もちろん卒業したばかりの相田先輩もいる。


 部外者に近い昌喜は、遠慮したのか見物人席の端っこに座った。僕は一応選手なので、二本あるロープ付近で暇そうにしている競技参加者に加わった。

 アーサーはロープを支える棒の一本に片手をつき、動かないでいる。上下お揃いの灰色のフード付きトレーニングウェアはこの日のために買ったのか、僕は初めて見る。四月になったばかりで、選手でも汗っかきでもないのに、首にタオルをかけているのは、今日の試合が相当のものになると覚悟しているようだ。


 樋口君は僕を見つけると、

「アーサー、場所とられないように朝早くから来ていたんだって。その間に地ならしたりしてたみたいだけど、なんだか体調悪いみたい」といった。

 南側の小屋の近くに一輪車とスコップがおいてある。体調が悪いのは、一人で張り切って汗かいて、風邪でもひいたんだろう。

「地ならしって、昨日の状態で完璧なのに」と僕はいった。

「だから場所とりのための暇つぶしだよ。人の話ちゃんと聞けよ」

 と、樋口君は僕の不理解をなじった。


 そこに、「速水、ひょっとして来たの?」

 と、キャプテンが近づいてきて嫌みを言う。

「ええ、まあ」

「向こうの人数足んなかったら、おまえ外すからな」

「はい」

 野蛮族チームの競技参加者が、うちより四名以上少なかったら、こちらを減らす決まりだ。僕からすると望むところだった。


 それから数分で正午になった。疲れている様子のアーサーは、

「時間になりました。試合を開始します」と宣言した。


 両チーム、向かい合って一列にならんだ。

 ラグビー部のキャプテンとサッカー部のキャプテンである一樹もいる。首に笛をかけているのはアンパイアを任されているからだ。

 バーバリアンズは十二名。ベースボーラーズは十五名。人数調整する必要はない。こちらのほうが多いから、仮に途中で僕が抜けたとしても、向こうを減らす必要もない。


 それからルールの説明。暴力禁止などのわかりきった注意事項をアーサーが説明する。

「これってバスケじゃねえ?」

 途中、バーバリアンズの一人がそう言っているのが聞こえた。クリケットのときにはいなかった顔だ。


 アーサーは見物席のほうを見て片手をあげた。相田先輩がバスケットボールくらいの大きさのボールを彼に向かってほうりなげた。アーサーがそれを受け取ると、紅白の太極球だった。

 彼はそれを僕らに見せ、

「他のボールとすり替えられないように、この珍しいデザインのボールを使用します」といった。

 考えてみれば、草むらにボールを投げ込み、その間に用意した別のボールにすり替えれば、試合展開は有利だ。他にこんなものを持っている者はいないだろう。大きさも重さもあり、荒っぽいゲームにぴったりだ。


 中央付近、二本のロープに対し、垂直に一本の線が引いてある。これがハーフラインだ。アーサーはそのラインの上、両側のロープから等距離のところにボールを置いた。

 コイントスでベースボーラズが勝った。キャプテンは自陣ゴールを南側で川に近いほうにした。僕らは北側の道路に近いかごにボールを入れればいい。こちらが先攻かと思ったら、アーサーは両チームのキャプテンに、両側からボールを触らせる。


「まずキャプテン同士でボールをとりあいます。他のメンバーは離れてください」

 そう言われても、両チームともなかなか距離をとらない。そこでアーサーは、選手達を二本のロープの外側に出した。ロープを越えることは許されないから、中央まで走る必要がある。


 そして笛が鳴った。両チームの選手達は急いで中央に駆け寄るが、総長と中野キャプテンの力較べに手を出せないで様子を見守る。

 キャプテンがボールを自分のほうに引き寄せた際、ひじを相手の腕にぶつけた。野蛮族が怒るが、アンパイアは反則をとらず、そのまま続行を指示。その程度では反則にならないのか。キャプテンはボールをパスせず、そのまま前に進もうとする。しかし、相手も数人がかりでそれをとろうとする。

 降着状態だが、そのまま続行。

 これでは疲れる。僕は密集の少し後ろで、相手が抜けた場合に備えた。

 試合が始まったのを見届けたアーサーは、見物席に行った。体育座りの状態で、頭を伏せ休んでいる。


 密集の押し合いが続く。

 野蛮族の川辺がボールを奪って、川側のロープに身体を着け、ボールを持った両手をロープの向こうに突き出した姿勢のまま、横歩きで北に進む。川辺の後ろはバーバリアンズが囲んでいる。ベースボーラーズが押すので、ロープが川のほうに引っ張られる。

「ロープが外れる。一旦下がって」と一樹が注意した。


 それで、川辺以外の人間は彼から離れた。その隙に川辺は北へダッシュ。

 敵味方ともに川辺を追う。

 向こうは人数が少なくて、密集の後方に人がいなかった。それで川辺はパスを出せずに、自分でボールを持っていかなければいけない。

 ロープの長さは百メートル。川辺は、ロープが終わり川側のコースへ曲がったところで、敵に後ろから抱きつかれた。倒れるとき川のほうへボールを投げた。そのボールをみんなで追う。

 野蛮族の一人がそれをとるが、すぐに密集ができる。密集は川のそばに移動していく。このままじゃ密集ごと川の中だけど、二人のアンパイアはそれを見て談笑している。


 予想通り何人かが川に落ちたが、アンパイアは笛を鳴らさない。

「ボール流されるなよ」と一樹は笑っている。

 限られたスペースでプレーしているが、中世フットボールにはタッチラインもゴールラインも存在しないのだ。

 川での奪い合いに勝利したベースボーラーズが、ボールを陸に投げゲームは続く。


 この状況に野蛮族が文句を言い出した。ベースボーラーズのほうが三人多いことが、決定的に不公平だという。同じ人数とは言わないが、せめて一人か二人の差にしてくれと要求した。二人のアンパイアは相談して、彼らの言い分を認めた。

 それで、僕ともう一人が見物席に向かった。


 僕は、相田先輩と話している昌喜の隣に座った。二人は話が合うみたいだけど、先輩は僕に遠慮して、話し相手を近くにいたラグビー部員に変えた。けど、内容はほとんど変わらない。


「十九世紀頃までラグビー校のラグビー、言ってみれば本物のラグビーはこれよりもっと壮大だった。場所は中央に大きな木のある校庭で、生徒達は戦略としてボールを木の上に上げ、休憩をとったりした。木の枝にひっかかったボールを落とすのに、大勢でスクラム組んで、木を揺さぶったんだよ。

 一度に百二十人から百六十人が参加したから、すごい光景だよね。礼拝堂の鐘の音で試合終了、ノーサ イド」

 聞き役のラグビー部員は、

「へえ~そうなんですか」と感心したようにいった。

「伝説のラグベイアン、ドロップキックの天才。チャールズ・ダキンス。彼がボールをとると、『PUP』と生徒達はざわめきたった。どんな体勢でもキックを打て、タックル受けた状態でもキックを打ったことがある。ジャンプ力も凄くて、門や生垣、川なんかを乗り越えたという」

「すごいですね~」


 試合のほうは順調というか単調というか、二本のロープの間でもみ合いが続くだけで、アンパイアはつっ立っているだけだ。


 本家中世フットボールでは武器まで使用された。この試合も不良グループ同士の対決なのに、予想に反して誰も暴力に訴えない。両チームともテストマッチでアーサーに注意されたことがよほど応えたのか、それともクリケットを通して、紳士的なスポーツマンシップを身につけたのかわからないが、それが却ってゲームを単調なものにしてしまっている。

 そのことを昌喜に言うと、

「わかってないな、誠は。これが超危険なものだとわかってるから、彼らも真面目にやってるんだよ。少しでも暴力使ってみろ。収拾着かなくなることぐらい、いい年してるんだから、みんなわかってるんだよ。例えていうと核兵器が出来てから、大国同士の全面戦争がなくなったようなものだ」

 と、彼の有り難いご意見を聞かされた。

 理由はどうあれ、決まりが少なく、喧嘩も起きないので、二人のアンパイアは気楽そうだ。これなら肝心のアーサーが不調でも、問題なく進行していけそうだ。


 十二時半頃になると、見物人も増え、シートが狭くなってきた。いつの間にか山田さんも来ていた。

 アーサーはシートでは休めないと悟ったのか、立ち上がると、

「すいません。体の調子が悪いです。小屋で休んできます」

 と言い残し、立ち上がった。

「大丈夫? お医者さんに行ったら?」

 そう僕が聞くと、

「私が抜けることはできません」

 といって、南側にある小屋に入っていった。


「あんな汚いところでよく寝られるよな」と昌喜がいった。僕は、

「意外と中は綺麗だよ。それに、おまえだって、死にそうに疲れてたら、どこだって寝るだろう」といった。

「たぶん、死を選ぶと思う」

 といって、昌喜は格好つけた。


 アーサーが寝てしまったので、もともとゲームに大して興味のなかった二人のアンパイアは、さらにいい加減になってきた。二人にとっては本当にどうでもいい試合なんだろうけど、やっている二十五人はものすごくエキサイトしている。それを見物人が見て笑っているから、どうしようもない。


 勝負はまた中央付近でもみ合い。ラグビーのモールやラックみたいにルールがあるわけじゃないから、ボールを持った者はなかなか離さないし、それを奪おうとする者達と、奪おうとする者達を邪魔する者達が入り乱れてる。その周りで何もできず、ただ眺めているだけの者もいて、なんだか滑稽だ。

 反則じゃないからアンパイアも注意しない。専門知識もいらないこのアンパイア、誰にでもできそうだ。

 

 一時近くになると、見物人の中には飽きてきて帰る者も現れた。

 代わりに新しい野次馬が登場した。桜田さんとランスだ。

 ランスは来るなり、

「一時から開始って聞いてたけど、もう始まってるじゃないか。主賓の僕が来るまで待つべきだよ。それにしても二十一世紀のこの現代に、中世フットボールとは狂気の沙汰だな」

 と偉そうなので、僕は彼に、

「この間の件、アーサー怒っていたからな」

 と、身勝手なテレビ取材に対し苦情をいった。

「何を怒る必要があるんだ? 僕らは正式に許可を得て取材したんだからな」

「何この間の件って?」

 と桜田さんが聞くと、ランスは、

「まあね。ちょっとしたコミュニケーション不足」とうそぶく。

 二人が来ると、昌喜は無口になった。

「昌喜君、まだ怒ってるの」と彼女は聞く。

「別に何とも思ってないですよ」

 と彼はいったが、まだ怒っている感じだ。この二人の間に何があったのか、僕はよくわからない。


 両陣営とも最初の頃の勢いがなくなり、明らかに疲れが目立つ。そこを、佐藤君が体力をふりしぼり強行突破。ロープのこちら側までやってきた。

 目の前で見ると迫力がある。

 佐藤君は、ボールを持って全力でゴールめがけて走る。追いかけるバーバリアンズとの距離は十メートル以上はある。


 佐藤君はついにゴール下まで来た。シュートのチャンスだ。

 僕らは、彼の動きを見守った。

 かごの高さはバスケより低い。後ろから敵が迫る中、佐藤君はぎりぎりのタイミングで、両手でボールを上に放り上げた。直後、バーバリアンズは後ろから彼を倒した。


 ボールはかごの縁に当たると、下で倒れている佐藤君の背中へ落ちた。ランスは手を叩いて笑い続けた。やっぱりクスリやってる。

「何これバスケ?」

 と桜田さんが聞く。

「そういえば、前にベースケットボールやってたわね。あれ、もうやんないの? ところでホワイトさんは?」

「あそこで寝てるけど、風邪引いて調子悪いみたいだから起こさないでください」

 と僕がいった。


 僕のいるところからでも、波板越しにアーサーの腰の辺りが見える。向こうを向いて寝ているということは、波板越しに入る外の明かりを避けるのと、ゲーム展開を気にせずに休むことに集中できるからだろうけど、そんなことを考える余裕もなく、ぶっ倒れているのかもしれない。


「大丈夫かな」と僕が心配すると、昌喜は僕に顔を近づけ、

「もしかして、あれ仮病かもしれない」と小声でいった。

「何でそんなことするわけ?」

「いつもの展開を避けるため」


 それだけで昌喜の言いたいことがわかった。このまま試合を続けると、怪我人が出て、人数の少ないバーバリアンスにアーサーが補充され、バーバリアンスが勝利する。それで、アーサー本人が体調不良で、競技に参加できないことを見せつけて、いつものパターンを避けているという昌喜の読みは鋭い。

 さすが、ミス研と言いたいけど、

「このゲーム、別に人数決まってないから、人数調整は問題ないよ」と僕はいった。「それに、ラグビー部やサッカー部が大勢いるから、いくらでも補充できるし。ラグビー部なんか自分が参加したくてうずうずしてるし」

「じゃあ、風邪でも引いたんだろう」

 と、昌喜は自分の見当違いについてはコメントせず、人ごとのようにいった。

「海でぶっとおしで泳ぎ続けた体力も、風邪には勝てないんだ」

 と僕が言うと、

「一緒に海水浴行ったの?」と彼に聞かれた。

「話してなかったっけ?」

「聞いてないよ」


 僕はランスや桜田さんに聞かれたくないので、シートから離れ、昌喜と立ち話をした。暇だったのと、昌喜が異常に話に食いつくので、僕は一年のときの海水浴から廃墟ホテルでの出来事まで事細かく話した。

 話の最後に、

「先輩達もそんな馬鹿な真似するとは、部活引退でよっぽど暇だったんだ」

 と僕が締めくくると、昌喜は、

「なんかひっかかるな」と首をかしげた。

「何が?」

「矢印はインクが乾いていなかったから、直前に描かれたはずだ。犯人は、まず君達の関係者だと思って間違いはない。フロアには扉がなかったから、君たちはホテルに着くと必ずフロアから入る。フロアに着けば荷物を置くだろう。そこから大広間など一階の奥に進むにせよ、二階よりうえの客室を調べるにせよ、一階 フロアの階段下のすぐ横当たりに矢印を描いておけば、そのまま誘導できるはずだ。

 それが、二階から三階にかけての階段から始まっている。それでそのままでは気づかないから、二階で音をたてて、おびき寄せた。そんなリスクを冒すより、最初からフロアの階段下のところに目立つように、描いておけばいいじゃないか。ついでに君たちの名前も書いておけば、必ずおびき出せる」

「そりゃそうだけど……何が言いたいの?」

 僕は、段階を踏んで話を進めようとする昌喜を急かした。


「犯人は君たちより、後にそのホテルに着いたということ」

「僕らがいたから、フロアに矢印を描けなかったってこと?」

「そう。本当は前もって描いておいて、本人はフロアの外か一階のどこかに潜み、君達が矢印に誘われるのを待って、目的を果たす予定だったはずだ。

 それが、そいつがそこに着いたとき、すでにフロアに君たちがいるのを目撃して変更。

 フロアはガラス張りで、暗くなってもソーラーライトがあるので、外から中の様子がわかる。そいつはフロアに入るのを避け、外階段を上り、最上階へ。そこから二階まで矢印を描きながら来た。それより下に行くと気づかれるので、二階廊下で音を立てて、君達を二階におびきよせたというわけ。

 音が小さかったのは、まだ始めたばかりだったから。誠が階段の踊り場にいたから、それで気づいたけど、君達が気づくまで音を大きくしていったと思う」


「ということは、僕らが三階に上がるまで、二階に隠れていたということ? 廊下にはいなかったし、客室に隠れようと急いでドアを開け閉めすれば、音がするからわかるよ」

「部屋の中にいて、ドアを少しだけ開けておいて、隙間から棒を出して廊下の床を叩けばいい。君たちが上がって来るときに、そうっとドアを閉めれば気づかれない」

「そうか、あのとき相手が廊下にいて、部屋に逃げ込んだことを想定して、ドアの開け閉めをしたから、目立つ音がしたけど、最初から部屋にいてドアを少しだけ開けておけば、たぶん気づかないよな。でも、僕らに部屋の中まで確認されたらどうするつもりだったの?」

「ドアに鍵をかけたか、見つかるリスクを覚悟してやったと思う。知らない相手なら問題だが、顔見知りなら悪戯ですむからね」

「ということはアーサーが確認した部屋ではなく、向かい側の二〇三だったかな……そこに潜んでいたのか。それと、さっき目的って言ったよね? ただの悪戯じゃないの?」

「矢印の先に薄気味悪い人形とかあれば単なる悪戯で説明つくけど、一周しただけだろ? そいつの目的は君達を一周させること。一種の赤毛連盟ってこと」

「何? 赤毛連盟って? 暴走族?」


「説明面倒だからしないけど、何か盗まれたものなかった?」

「僕は特にはないと思うけど……他の三人はわからない。ちょっと聞くけど、そいつって言ったのは相手一人ってこと?」

「そう。少なくとも当時の三年生じゃない」

「なんでわかるの……あっ、そうか。先輩達は早めに帰ったから充分な準備時間あるし、僕らが夕方にはホテルに行くってことも知ってるから、僕らより後に着くとは思えない」

「そういうこと」

「で、何で一人ってわかる?」

「絶対に一人かっていうと自信ないけど、もう犯人が誰かわかっているから」

「誰?」

 僕が聞くと、昌喜はランスを指さした。


「え? あのとき海に来てないよ」

 僕は、ランスに聞かれないように小声で言った。

 昌喜は僕の耳の傍で、

「今年も同じ所には行きたくないと前から断っておいて、わざわざアーサーに九州で撮影だと強調したのはアリバイ工作。そこに行くからだよ」

「わざわざ何を盗もうとしたの? ダイオウイカぐらいしかないよ」

「それは僕にもわからない。本人に直接聞いてみたら」


 コカインの件もあって、ランスにそのことを直接聞くのは気がひける。そこで彼の近くにいって、

「ねえ、ランス。九州のお土産買ってないよね」と聞いてみた。

「九州? 行ったことないけど」

「アーサーから、ランスは撮影で九州に行ったって聞いてるけど」

「ああ、それきっと料理番組の撮影中のことだね。行列の出来るランチメニューって企画だけど、その週は九州料理特集。場所は都内だよ。黒豚食べてたら、お店のご主人にイギリスの名物料理は何かと聞かれて、ローストビーフと答えたけど、知らねえなとか言われて。

 それでホワイト君に他にいい物ないかって聞いたら、『Toad in the Hole』はどうかって。穴の中のヒキガエルって意味だけど、プリンじゃなくてヨークシャプディングの中にソーセージを詰めたグラタンみたいな料理。そんなのご主人絶対知らないって言うと、おいしいから勧めてみたらって。カメラ回ってるから日本語で聞いたんで、彼、場所を勘違いしてるみたいだな」


 ランスはあの日、九州に行っていなかったのだ。


「へえ、なんだ行ってなかったのか。お土産もなしってことね」

 と、僕は質問の目的を悟られないようにごまかした。

 昌喜の元に戻ると、

「アリバイは崩れたけど、アリバイ工作もしてなかった」

 と僕は小声でいった。昌喜も僕とランスの話を聞いていて、

「ちょっと僕の早合点かな」と珍しく反省した。そこで、

「やっぱりアーサーの推理が正しいんじゃない。先輩達、海に二度行ってるよ」と僕が言うと、

「たぶん二度目なんだろうけど、だからといってホテルの犯人とは限らないだろう」と譲らない。


 なんだか釈然としなかった。昌喜も全てを解き明かしたわけではない。仮に彼の言うとおり、犯人がランスだとしても、何の目的で僕らを一周させたのかわからない。といって、本人に確かめるわけにもいかない。聞いても知らないと言われるだけだろう。


 試合のほうは相変わらず。とにかくボールが動かない。

 奪い合いの結果、ボールを抱え込む人間が変わっても、周りに大勢が押し合うので、パスもキックもない。タックルされたらボールを離すとか、地面のボールは足で扱うとか、やはりラグビーはゲームとしてよく考えられていると僕は思ったが、そのラグビー部は、見物席で関係ない雑談で盛り上がっている。

 こんな感じではいつまで経っても得点シュートが出ないと知って、帰る人も増えていく。


 僕も、いい加減見ていて飽きてきた頃、

「あ、アーサー起きたみたい」

 と、昌喜が小屋の扉が開くのに気づいた。

 アーサーは、小屋から出ると両手を上に伸ばしあくびをした。トレーニングウェアの首の周りにタオルをかけて、こちらへランニングしてくるのは充分休めたというアピールのような気がした。

 一時間寝た程度で、体調が良くなるとは思えない。まだ疲れているように見えた。彼はこちらに来ると、山田さんに親指を立てて笑顔を作った。

 山田さんは、

「ご苦労さん。ひょっとしたら大捕物になるかもしれないから、身体休めないとね」

 と、意味不明なことを言った。


 アーサーはランニングで身体が暑くなったのか、腕で額の汗をぬぐった。それからシートの上に体育座りで座り、しばらくすると、またこくりこくりと船を漕ぎだした。もっと中で寝ていたほうがいいと僕は思うが、主催者としての責任感がそうさせないのだろう。


 シートが空いてきたので、僕と昌喜は山田さんの隣に移動した。

「山田さんって刑事さんって噂本当ですか?」

 僕が切り出した。

「ああ、よく気づいたね」

 案外簡単に秘密をばらしてくれた。

「いつもここで何してるんですか?」

「最近シフトが多くてね、暇つぶしにゴルフの練習」

「本当はあの小屋の住人が戻って来てないか、チェックしているんですね。最近、目撃情報があったからですね」

「彼に聞いたんだね」

 山田さんは、居眠りしてるアーサーのほうを向いていった。

「関係ない人間に話しちゃだめなんだけどな」

「アーサーは関係してるんですか」

「なんでか知らないけど、彼は私が警察の人間って気づいてね。ここによく来るみたいだから、協力してもらってたんだ。で、どこまで聞いたの?」

 僕の代わりに昌喜が、

「アーサーが今住んでいる家で事件があってから、あそこに住んでいたホームレスが消えた。その他の情報からも事件と関係がある可能性が高い。最近、ここでそのホームレスが目撃された。そのときホームレスは、小屋が残っているのに驚いていたという程度です」と答えた。


 事件と関係があるとはどういうことか? 加害者かそれとも目撃者か。昌喜はその情報をどこから得たんだ?

「それ以外にも市内での目撃情報があり、この街に戻ってきたと思われる。そのホームレス、以前は河川敷に来る人間を片っ端から追っ払ってたそうで、小屋を勝手に使ったり、ここでゴルフでもしていれば、怒って向こうから接触してくると考えたんですよね」

 

 そこまで詳細を知っている昌喜には隠しておく必要がないと判断したのか、山田さんは知っていることを語り出した。

「がんばって捜査したけど、容疑者の目処がたたなくてね。それが一年くらい前に被害者の家族の方から、以前この河川敷にいたホームレスが事件直後に姿を消したという情報があった。ビラ配りとか熱心にした甲斐があったんだろうね。

 それでそいつがどこに行ったか調べたけど、行き先不明。ところが十二月にここでの目撃情報があったので、怪しまれないように張ってみることにした。一人でゴルフの練習じゃ目立たないから、君たちがここでクリケットしてくれたのはありがたかったよ。

 特に今日みたいに大勢で大騒ぎすれば、のこのこ出てくるかと思ったけど、なかなか現れないね。まあ、刑事の仕事なんて、そう簡単に結果が出ないものだけどね」


 昌喜は満足そうな顔をした。彼が被害者の家族に会いに行ったことが、こうして警察を動かしたのだ。いや、それ以前にアーサーがウメちゃんのためにテツと闘ったことが、事件解決の始まりだった。


 山田さんの目的を知った僕は、いいアイデアを思いついた。

「小屋にペンキで落書きでもしたらどうですか。この小屋建てた奴馬鹿とか」

「はは、いいアイデアだけど、役所に迷惑かけそうだな」

 昌喜は、さらに過激な意見を出した。

「誰かあそこに住ませたらどうです?」

 僕らは一斉に笑い、アーサーを見た。そのせいか目を覚ましたようだ。

「いけない。寝坊しました」といって、彼は立ち上がり、相変わらず中央で争っている選手達の元へいった。いつの間にかランスはいなくなっている。売れっ子も大変だ。


 試合のほうはさらにだらだらしてきて、もうどちらが優勢なのかわからない。アーサーは、両チームとも疲労が激しいと判断して、そこで休憩を宣言した。

 試合開始から一時間半。

 サッカーでも四十五分で休憩をとるのに、これ休みなしで九十分はきつい。それでも選手達から文句が出ないのは、夢中でやっていたからなんだろう。中世の本物のほうは休憩なんかないから、それでいいのかもしれない。


 アーサーは選手達を休ませている間、競技でずれたロープを真っ直ぐに張り直す。

 一樹が彼の身体を気遣って、

「僕がやりますよ」と言うと、彼は、

「休んだ後は、身体を動かしたほうが治りが早いです」

 と、本当かどうかわからないことをいった。


「これいつになったら終わるの?」

 サッカー部の女子マネージャーの声が聞こえた。僕は、

「五時にスコアレスドローで終了」と予測した。

 そのとき、山田さんの携帯に連絡が入った。

「はい。え? はい、近くです」

 山田さんは、電話の声に何度もうなずいていた。電話を切ると、

「悪い」と言い残し、急いで河川敷から出ていった。

「なんか事件かな」

 といって、僕は心配した。

「わかった。この状況を見て、ついにホームレスが現れたんじゃないか。あの連中には文句言いづらいから、役所に直接行って大暴れ。数人を人質に」

 と、昌喜は推理した。


「ということは一度ここに来たってことだよね? でも全然そんな人いなかったじゃないか」

「道路に来たとしても、僕らの後ろだからわからないよ」

 昌喜は、広場の北側の道路沿いにある看板を指して、

「或いは、あの後ろに隠れて覗き込んだのかもしれない」と分析した。

 あながちあり得なくはない。看板は大きいので、その後ろにいれば広場からではわからない。

「ボクサーでヤクザの用心棒か。ここに来たとしたら怖いな」

 と僕はいった。

「気の荒い人間がこれだけ大勢いれば安心だよ。こっちの集団のほうが危険だよ」


 元々喧嘩の代わりに、この野蛮な競技がプレーされているのだ。休憩に入っても両チームの興奮は収まらない。そういう僕も片方の一人だけど。


「本当はバーバリアンズとベースボーラーズって仲いいんじゃないの?」

 昌喜の言葉に僕は驚いた。

「え? どういうこと」

「一緒にいたいから、こんなことしてるんじゃないのかってこと」

「そうかもね」

 僕もベースボーラーズの一員だけど、人ごとのように言った。


 桜田さんの携帯にも、電話がかかってきた。

「はい……え、銀行強盗? じゃなくて、盗難ですか……たまたま田山君が近くに居合わせた。あの子、運がいいのかどうか。場所は生徒さんに聞きます。すぐ行きます」

 彼女は、電話を切ると僕に聞いてきた。

「速水君。河西信金ってこの道伝いでいいよね」

「はい。その道をずっと北に行ったところです。そこが何か」

「その駐車場で、現金入りのバッグが盗まれたって。うちの新入社員が近くにいたんだけど、一人じゃ無理みたい。結構、大きい金額みたいだから、そっちに行かなくちゃ」

 といって、彼女は去っていった。

「ホームレスの仕業かもね」と、昌喜は冗談っぽくいった。


 アーサーがロープを張り直し終えると、試合は再開された。

 休憩中にバーバリアンズは作戦を立てていたようだ。これまで単調な展開だったのがそこで面白くなった。試合再開早々、なんと道路のほうへ思い切りボールを投げたのだ。そこには彼らの仲間が、二人準備していた。一人がボールをとると、もう一人がハンドルを握るバイクの後ろに乗った。そのまま北へと走り去ろうとする。


 きっとその辺をバイクで一周して、南側に来て小屋の後ろあたりから、バーバリアンズにパスするつもりだろう。中世フットボールでは乗り物使用は禁止されていたが、今回は場所が広場に固定されているので、その規程はない。反則行為に当たるかどうか微妙だ。

 サッカーでいうとタッチラインから出たことになるから、相手チームがスローインすべきだけど、そこまで話し合っていない。シュートが決まれば、あのバイクの二人は自分たちとは関係ないと、バーバリアンズは 主張するに違いない。


「反則だ」「おいかけろ!」とベースボーラーズは口々に叫び、道路に向かって草むらをかきわけて行く。

 バイクの二人はそのまま逃げ去るかと思ったが、看板の裏辺りで、バイクが転倒する音がした。

 その後すぐ、脇にボールを抱えた大男が看板の裏から現れた。


「ホームレスが帰ってきた。よりによって、なんで山田さんがいないときに来るんだ」

 そう昌喜がいった。

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