第19話 クリケットの甲子園

「コカイン?」


 九月になった。

 昌喜に教室の隅に連れられ、その話を聞いた。

 彼は、あのときのランスとアーサーの会話の内容とその場の状況から、あれはランスが中東系の売人からコカインを受け取ったのだと判断していた。

 予想はついていたが、昌喜の口からはっきりそう言われると、深刻さが増す。


「大きい声だすなよ。一瞬見ただけだけど、結構量があったよ」

「コカインって犯罪だよな? ホームズやってるのに、コカインはまずいだろう」

「ホームズ自身コカイン中毒だったから、その点はいいんだけど。今の日本で薬物使用したら、明らかに犯罪だな」

「で、アーサーは、あのとき取引を阻止したってこと?」

 彼は、ランスと一緒に生活していたので、気づいたんだろう。

「ブツを受け取った後だから、阻止自体はできなかったことになる。売人には逃げられるし。ランスから取り上げただけ」


 芸能人で、薬物に手を出す人は後を絶たない。ランスにも誘惑があったんだ。そう考えると、少し彼に同情してしまう。

「警察には通報したのかな?」

 僕は聞いた。

「証拠を川に捨てるくらいだ。してないと思う。それにランス、相変わらずテレビに出てる」

 友人の犯罪をかばうことも、アーサーのいう騎士道なのか。

「でも、このままじゃまずくないか」

「どうしようもないし……それにランス、今回が初めての取引で、まだ一度も使っていないって言ってた」

「誰でもそう言うよ」

「そうだよな……僕がランスの立場でも出来心とか言うよな」


 昌喜の態度がどこかおかしい。ランスをかばいきれないでいる。

それで、「他に何か知ってるの?」と僕は聞いた。

「実は桜田さん、アーサー調べる振りして、ランス調べてたんだ」

「え、そうなの?」

 アーサーが諜報局員とか、もう少しリアルに暴力団と関係してるとかいう、ランスの妄想に彼女がつき合ったのはそのためか。あの妄想もコカインの影響だったのかもしれない。彼女にしてみれば、売り出し中のタレントが覚醒剤を使用していたとなると大スクープだ。


「じゃあ、桜田さんはコカインの件を見抜いてたわけ?」

 昌喜は首を振った。

「彼女は、ただ単にタレントとしてのランスを取材してただけなんだ」

「え? 彼女、芸能記者だったの」

 直接タレント本人に趣味や現在つきあっている女性にていて聞いても警戒されたり、見栄を張られたりするかもしれないけど、友人のアーサーについて相談することで、ランスに密着でき、彼のことをより深く知ることができる。手の込んだ取材方法だ。


「芸能でもスポーツでも殺人事件でも、珍しそうなことがあるとなんでも食いつく。そういう人だから」

「桜田さん本人に聞いたわけ?」

「僕の推測だけど、そのくらいは誰でもわかるよ」

 授業が始まったので、話はそこで中断したんだけど、授業中気になったことがある。アーサーはコカインを簡単に捨てたけど、結構高額なものに違いない。ランスは、売人に代金をすでに払っているんだろうか。


 部活の時も僕は、このことをアーサー本人に聞くことができなかった。

 アーサーは僕らが気づいてないと思っているのか、いつもどおりサッカーやクリケットの面倒を見てるか、一人でシャドウボクシングしていた。


 実は、僕にはもうひとつ心配事があった。普通に考えたら大して深刻なことじゃないけど、僕にとってはそっちのほうが大きな関心がった。

 海の家の麻衣ちゃんとは、一応携帯番号の交換はしておいたけど、あまり親しい仲じゃないので、僕のほうからしつこくするのもあれなんで、連絡はとらなかった。

 けど、八月の下旬になっても音沙汰ないから、忘れていると思い、こちらからかけてみた。しかし、何度かけても携帯がつながらない。


 それで九月に入ってから、吉田先輩に相談してみた。先輩は、海であった時よりさらに日に焼けていた。


「麻衣なら、先月雨の日にこっちに来たよ」

「え? 聞いていない」

「本当? 一樹君、沼田キャプテンも呼んだから、話し伝わってたかと思った」

「え? 麻衣さんから一樹に連絡したんですか?」

「そうじゃなくて。私が麻衣に、せっかくうちに遊びに来たんだから、この間のサッカー部員呼ぼうかって言うと、うんと言うから、沼田キャプテンと金田君に連絡したんだけど」

「僕は?」

「速水君、野球部で予定わかんないから。野球部のキャプテンって中野さんでしょ。どしゃぶりでも練習するかもしれないし」

「そうですか。わかりました」

「私から麻衣に、速水君に連絡するよう言っておこうか?」

「いえ、いいです」と僕は遠慮した。

 彼女が、一樹や金田と会おうがそれは自由だ。でも僕の電話に出ないのはどういうことなんだ。


 その夜、ついに麻衣ちゃんから電話があった。きっと吉田先輩が、彼女に連絡したに違いない。

「ごめんなさい。忙しくて連絡とれなくって」

「別にいいけど」

「また、そのうち遊びにいくね」

「ひとつ聞きたいんだけど」

「何?」

「一樹達から、僕から電話があっても出るなって言われてた?」

「うん。よくわかったね」


 廃墟ホテルで先輩達の悪戯を批判してた一樹も、結局やることは同じだ。

 金田と二人で盛り上がったんだろう。まあ、去年に続いて今年も県大会一次予選を突破したんだから、そのくらいの気晴らしがあってもいいけど。

 彼らからしたら、野球部でありながら甲子園どころか、野球そのものを放棄し、気楽に国内マイナースポーツをプレッシャーなく楽しむ、実質クリケット部に移った元部員を懲らしめる意味もあったのかもしれない。


 サッカーに加えて、ラグビー部も二次予選に進めた。しかも今年は単独参加。両チームとも決勝トーナメント出場に期待がかかっている。

 今年の秋の大運動会は、去年と違って何事もなく終了。

 昨年同様、オリジナル種目のアイデアを募集し、テニス部の一年生女子の「サッカーボールdeビリヤード」になった。

 スローインをビリヤードのキューに見立てて、ボールを特定のコーナーから外に出せば得点。プレーヤーは集中してやっていたが、見物人にとっては室内競技みたいで、盛り上がりに欠けた。


 今年も取材に来た桜田さんも、

「つまんないね」とこぼしていた。「最近なんか面白いことない?」

「特に」

 僕は、夏休み中の出来事を話すつもりはない。

「ランスはまだ学校に来てる?」

「最近顔みてないけど。僕なんかよりもミス研に聞けばいいでしょ」

「あそことはいろいろあって」

 彼女は、ミス研との間にトラブルでもあったのだろうか。例の事件の解釈をめぐる対立とか。そのことを彼女に聞くと、

「広い意味ではそうかもね。あそこは内部犯行説、少なくとも顔見知りの仕業にしたいみたいだから」

「ということは、桜田さんも僕と同じで流しの仕業という意見?」

「私というより警察の見方。だってそうでしょ。あのときあの部屋に被害者がいたことは、家族しか知らなくて、犯人は外からしか出入りできないんだから」

 と、彼女はしゃがれた声で訴えた。

「それからランスのことだけど」

「?」

「昌喜から聞いてないよね」

 僕は探りを入れてみた。

「イギリスに帰る件?」

「え?」

 逆に僕のほうが驚いた。すでに日本の警察から目をつけられているのがわかって、母国に逃げ帰るのか。

「なんだ、知らないの? 日本で有名になってきて、向こうのメディアが取り上げて。それでむこうのTVショーに出演が決まって。半年くらいこっちと行き来するって聞いてるけど」

「本格的な国際スターになってきたんだ」

 桜田さんは、運動会は大したニュースにならないといって、一時間ほどで帰った。それから僕は、昌喜にランスの一時帰国の件を話した。


「それ本当?」

「コカインの件とは無関係だよな?」

「コカイン中毒の妄想じゃないか」

「そんな具体的な感じに、妄想できるものかな」

 アーサーに聞いても、自分は知らないという。ついでに、

「ランスって何かおかしくない?」と聞いてみた。

「彼は最初からおかしいです」

「そうじゃなくて。腕や顔をかいたり、鼻水が出たり、夜眠れないとかない?」

 コカイン中毒の特徴を挙げてみた。

 アーサーは首をかしげた。

「妄想癖は強いですが、最初からです」

 彼は、知ってて隠しているのか。

「僕はもう関係ないけど、サッカー、ラグビー県大会がんばってよね。ファイトじゃなくてゴーフォーイット」

「サンクス。ありがとうございます」


 僕の応援が役にたったわけではないと思うが、ラグビーサッカーともに二次予選初戦勝利。

 その後、残念ながらラグビー部はベスト16止まりと去年以下の結果。サッカーのほうはなんと決勝トーナメント出場。ベスト4に勝ち残った。明暗が分かれた形となったが、部員が不足気味のラグビー部を責められない。


 サッカー部には学校の期待もかかり、僕ら野球部もグラウンドの使用をできるだけ遠慮し、彼らに思う存分練習してもらうことにした。だから僕らは、河川敷まで道具を持ってランニングし、練習に向かう。


 河川敷に行くには、この間、中東系外国人とランスが遭遇した工場跡地前を更に先に進めばいい。次の交差点から道路は狭くなり、建物も少なくなってきて、西側から川が近づいてくる。


 僕らが河川敷と呼んでいる広場は、工場跡地から五百メートル程度南のところにある。広場のすぐ南には橋がかかっていて、隣の市に通じている。

 河川敷自体はそのまま橋の南側にも続いていてとても長いんだけど、灌木が生えてたり私有地だったりして、広場と呼べるのは東西百二十メートル、南北百五十メートルくらいでそれほど広くない。そのうえ周囲から丈の高いイネ科の雑草などが押し寄せ、面積でいうとその半分程度しか使えない。

 クリケットのフィールドの広さは融通がきくが、本格的なものなら国際大会級の一二八×一〇八メートルは欲しい。この場所では練習試合程度だ。


 何故そうなったかというと、元々地元の草野球チームの要請で、予算不足の行政が整地したものが、当の野球チームが工場跡地を使うようになると、定期的に利用されることがなくなり、予算不足ともうひとつ大きな問題があって、行政が管理をやめてしまったからだ。

 それでもなんとか広場として成り立っているのは、近隣のバーベキューやラジコンの愛好者などが、時々手入れをしているからだ。そういう人達は、自分達が楽しめる広さがあればよく、むしろ周囲に草が生えていたほうが利用者が減って都合がいいので、河川敷道路から広場に降りるには、草をかき分けて行く必要がある。


 人間の背丈ほどもある草むらを抜けると、広場に出る。川に面する西側以外は雑草に囲まれ、南側にホームレスの小屋がある。小屋の両側まで雑草が押し寄せている。

 自宅がこの近くにある樋口君は、いろいろと噂を聞いているらしく、

「あそこの小屋の住人。もう今はどこかへ行っていないけど、こいつがやっかいな人間でね。ヤクザよりたちが悪い」

「どういうこと?」

「元ライトヘビー級のボクサーで、腕っ節がやたら強い。引退した後ヤクザの用心棒やったけど、いろいろともめて。それから建築現場なんかで働きながら、あそこに住み着くようになったんだ。野球チームとも結構あってね。行政が出ていってくれというと、暴れ出して手がつけられなかった」


 それって、テツが言っていたよしさんじゃないのか。ここの小屋の住人だったとは思わなかった。ヤクザの用心棒とか建築現場とか腕っ節の強さとか、アーサーと共通点がある。


「それでいなくなってからも、あの小屋はそのまま?」

「と思うよ。黙って撤去して、苦情が来るとやっかいだからね」

「役所もしっかりしてもらわなきゃ。何のために税金払ってると思ってるんだ」

 と、納税者でない僕が怒ると、

「自分が窓口担当やってて、ヤクザの用心棒やってた男が来たところ想像してみろよ」

 と、樋口君は役所の肩を持った。

 

 河川敷での練習は学校の外だから、素敵な出会いがあるかもと期待してたけど、素敵でない出会いならあった。

 僕らはある男性と知り合う。

 秋も深まっていた頃、銀縁眼鏡をかけた五十歳くらいの人の良さそうな男性がゴルフの練習にやってきて、ついでに僕らの見学をしていた。大柄でがっしりした体つきで、昔は柔道なんかしっかりやっていそうだけど、今はゴルフ専門って感じだ。

「やってみます?」

 と、樋口君が声をかけたのが知り合うきっかけだった。

 白いポロシャツ姿の男性だったので、樋口君でなくてもクリケットにふさわしい格好と思ったはずだ。


「もう歳だから、いいよ、いいよ」

 と、男性は顔の前で手を振って遠慮した。

「年齢あまり関係ないですよ」

「じゃあ、一回だけ」

 男性のバットを構える姿が、ゴルフを連想させて笑えた。ボウラーは、わざと打ちやすい球を投げた。

 空振り。次の球を打ち返し、バットを捨てて走ったが、一点獲得にしておいた。

「もういいや」と男性はいったが、

「アウトになるまでやりましょうよ」

 となり、結局彼は最後まで付き合った。男性は帰るときに

「これ 何て言うスポーツ?」と聞いてきた。

 クリケットと聞き、首をひねった。聞いたことがないみたいだ。僕らはいつのまにか、クリケットの普及に情熱を持つようになっていた。


 その男性は翌日もいた。自分から参加したいと申し出ると、キャプテンは「いいよ」と許可した。

 名前を聞くと、「ん~」と一息おいて、「山田」と名乗った。

 その日はアーサーも参加していた。不思議なことに山田さんは、彼のことを知っているみたいだ。狭い街で外人だといろいろと目立つから、それほど不思議でもないか。


 山田さんの打順が来た。昨日もその予感はあったけど、山田さんはなかなか優秀なバッツマンで、すぐに五点を獲った。

「スポーツなにかやってたんですか」

 僕がボウラーの番になったとき聞いてみた。

「学生時代は野球一筋。働きだしてからは、柔道やらされたけど」

 野球一筋なら納得できる。

 山田さんは、僕の初球を打っても走らない。

 こんな時間から二日も続けてゴルフの練習とは、よほどのゴルフ好きなんだと思い、

「ゴルフはうまいんですか?」と失礼な質問をした。

「下手だから練習してるんだよ」


 二球目も打たれバウンダリー4。オーバルは決めてないから、草むらや川にボールが入るとバウンダリー。だからバウンダリー4や6は出やすいけど、打った後で探すのが面倒くさい。川に落ちたらバウンダリーマイナス4にしようぜ、という意見も出ている。

 四球目でランアウトでストップだけど、山田さんはまたバットを捨てて走っていた。

「癖でね」

 いつかの野球部みたいだ。


 アーサーはアーサーで、ホームレス小屋に興味があるみたいで、ベンチ待ちの僕を誘って、そこに入ろうとする。外壁は、どこかで拾って来たような錆の目立つトタンとベニア板で、物置小屋ほどの大きさがある。入り口の扉は、半透明の塩ビ波板を木枠で囲ったもので、床に敷いてある絨毯の一部が透けて見えた。

「汚いからやめようよ」

 と僕は止めたが、彼は波板の扉を開けた。


 扉の木枠には、ホームセンターで買ったんだろうけど、ちゃんと蝶番と掛けがね錠がついている。これで外からの不法侵入者を防ぐこともできる。波板だから、どうしても上下に少しだけ隙間ができる。冬は寒いかもしれないけど、換気に使えるからありだと思う。


「これは、住人が自分で作ったのですか?」とアーサーが聞く。

「このくらい誰でも造れるよ」

 と僕はいったが、結構面倒だと思う。


 六畳程度の広さのある小屋の中は、思ったよりも整理されているというか、物がほとんど置いていない。窓はないが、入り口と屋根が波板なので、中は充分に明るい。

 屋根は、何枚かの色違いの波板を、内側から防水テープでとめてつないであり、扉よりも透明度が高いものを使っていて、昼の間は上からの明かりに不自由しない。


 どこで拾ってきたのだろう。青系統の模様の入った絨毯は毛が長く高級品みたいだ。部屋の広さぴったりに絨毯が敷かれているのは、絨毯に合わせて小屋を建てたように思える。絨毯に地面の水がしみこまないように、下にはスノコのようなものが置いてある。なんでわかったかというと、絨毯の端の先に、細い板がたくさん並んでいるのが見えたからだ。


 アーサーは扉越しに外を見て、

「ドアの前に人が立てば、中からわかります。なかなか便利です」といった。

「でも透明じゃ、中が見えて恥ずかしいよ」

「見えるのは扉の近くまでです」

「たしかに少し離れるとぼやけるからね。でも、僕だったら木のドアにするな。明かりなら上から採れるし」

「ここの住人もそうだったのでしょう。しかし、この素材にする必要があったのです」

「どうして?」

「外に誰か立っていないか、中から知るためです」


 ホームレスの襲撃事件の話もよく聞く。何も盗まれるものがなくても、用心に越したことはない。

 何を思ったのか、アーサーは絨毯の上に寝転がった。

「シラミやダニがいるよ」

「平気です」といって、彼は気持ちよさそうに身体を伸ばす。

「屋根が透明で、中まで陽が当たるから、殺菌されて清潔です」


 外国人は、細菌が足を伝わって上がって来ることはないという理由で、裸足で汚い場所の上を平気で歩くという話を聞いたことがある。合理的といえば合理的なんだけど、僕はつき合いきれずに小屋から出て、身体をはたいた。それでも、日本人のほうが異常な清潔好きで、あれが普通なんだと思った。


 暗くなったので、僕らが練習を終え帰ろうとしても、山田さんはひとりゴルフの練習のためそこに残った。

「クリケットのせいで、ゴルフが練習できなかったよ」

 と、笑いながら愚痴をこぼしていた。


 帰り道、アーサーが僕の横に来て、

「彼、刑事です」といった。

「え? なんでわかるの?」

「働くようになってから柔道を始めました。これは警備関係か警察関係者です。クリケットのせいでゴルフの練習ができなかったといってあそこに残りましたが、クリケットの待ち時間でもできたはずです。ゴルフの練習が目的ではありません。あそこで怪しまれないように、時間を過ごすことが目的で、ゴルフの練習はカムフラージュの手段です」

 そういえば山田という名前を、少し考えてから言ってた。その場で思いついた偽名なんだ。

「でも、刑事がなんのためこんなところに?」

「わかりません。しかし、彼は私のことを知っていました」

 僕の頭にランスのコカイン疑惑のことが浮かんだ。アーサーも関係者だ。

「まずいよ」

 僕は心配していった。

「?」

 アーサーは、僕の言おうとしていることがわからないようだ。

「私の住んでいる家で起きた事件。その担当の刑事ではないでしょうか」

 僕の早合点みたいだ。

 

 サッカーの県大会決勝トーナメント初戦。僕も試合会場に見にいった。もう関係者じゃないからベンチに入れないけど、観客席からでも応援はできる。

 大勢のマスコミ関係者にまじって、当然、桜田さんもいた。

「こういう時だけ取材に来る大手マスコミってなんか卑怯よね。私みたいに普段からおたくの高校に地道に取材してるとこから優先権もらわないと」

 と愚痴をこぼしていた。

「でも、僕みたいな個人的な知り合いがいるから、他と違った記事が書けるじゃないですか。特に外人コーチの役割とか」

「言われてみるとそうよね」


 試合が始まると、僕は観戦に集中した。さすがにベスト4に勝ち残るだけあって、相手校の動きは巧みで計算尽くされているように思えた。対する当校はまだ荒削りで、勢いでここまで来たような印象を受ける。

 前半は両チームとも無得点。

 後半、うちのチームに疲れが見えた。パスボールを取りこぼすミスが続出。押され気味で、二十分ほどでコーナーキックからヘッディングシュートを決められた。

「あ~あ」

 僕の周囲でため息が漏れる。

 さらにもう一点入れられ、試合終了。実力の差を思い知らされた。


 僕がしばらく無言でいると、後ろの席にいた中野キャプテンが聞いてきた。

「お前、サッカーやめて後悔してないよな?」

「していないです」

 観戦中は、正直僕もピッチに立ってみたいと思った。だけど、実際にプレーに参加するとなると、プレッシャーで大変だと思う。今のように、自分たちだけで楽しんでいるほうが性に合ってる。しかし、キャプテンは、

「俺達も、こんな風に広い場所で本格的にやりたいな」

 と、サッカー部をうらやんだ。


「本格的ってテストマッチのことですか」

 と、僕はキャプテンに聞いた。

 クリケットでは、投球数制限数がなく、日数を決めて(最大五日間)2イニングスをプレーする伝統的な試合をファーストクラスクリケットと呼び、そのうち正式な国際試合のことをテストマッチと呼ぶ。僕らは、ファーストクラスクリケットのことを、名前が長く呼びづらいので、テストマッチと呼んでいた。


「無理だよな」

 キャプテンは寂しそうだった。進学をしない彼は、まだ練習に参加しているとはいえ、ちゃんとした試合はしていない。

 普段は一チーム六人くらいで、スコアラーもアンパイアもなしでやっている。それも丸一日プレーできないから、数日かけて一イニングをこなす。 ピッチの外に立つアウトフィールダーの数が少ないから、バッティングチームの待機メンバーは、相手チームのフィールダーに回されることが多い。

 選手も替わってばかりで、プレーを始めたときと違うチームにいたりして、どちらが勝ってもあまり意味がない。

 卒業までにテストマッチを組んであげたい。でも、相手がいない。場所がない。時間がないの三重苦。


 相手はいないことはない。

 野蛮族。

 うちの練習に参加してくる者もいるし、自分たちでも練習してると聞く。場所は探せばなんとかなるだろう。例えば例の工場跡地。平日なら空いているから、貸してもらえると思う。

 一番問題なのは時間だ。五日連続といえば、冬休みくらいしかない。けど、クリスマス、 大晦日、正月とイベント続出で、少ないメンバーを集めて、拘束するのは無理だろう。


 先輩は僕の考えていることを読みとったのか、

「今度の春休み、俺達もう卒業してるけど、そこでやれねえかな」といった。

「いいアイデアですね」と僕は答えた。「やろうと思えばやれると思います」

 キャプテンは上機嫌で、

「やっぱ、俺頭いいな」と自賛した。


 それからキャプテンは、アーサーに相談したけど、そこでこう言われたそうだ。

 クリケットは、怪我などによる試合中のメンバー交代は、一人までしか認められておらず、補欠選手は、フィールディングのみで、バッティング、ボーリングをすることができない。これまでその辺りを自由にしていたのは、人数の関係で無理とわかっていたから。しかし、本格的なファーストクラスクリケット、ましてやテストマッチを名乗るとなると、その辺りだけルーズにするのはおかしい。


 春休みとなると今の一、二年はなんとかなるとしても、先輩達はすでに卒業していて、バイトやすでに仕事を始めている人もいたりして難しい。

 それに、対戦相手の野蛮族のほうも、五日間の間十一人揃えるのはほとんど不可能だろう。結局、結論が出ないまま正月を迎え、正月明けには河川敷に集まって、ああでもないこうでもないと議論をしていた。


 そこへ山田さんが来た。僕はアーサーから刑事ではないかと聞かされていたので、少し緊張した。

「今日はクリケットやらないの?」

 と聞かれ、僕らの事情を話した。

「そういうことか。大学生くらいならなんとかなりそうだけど、高校生や社会人じゃむずかしいな」

 実は仕事とはいえ、昼間からゴルフをしている人に言われたくはない。だけど、その後で役立ちそうな助言をしてくれた。

「一部のメンバーにだけ、偽名を使ったらどうかな」

「どういうことですか」

「たとえば山田太郎という架空の選手を登録しておいて、山田太郎枠は誰がプレーしてもいいことにする。交代しそうな選手は、その山田太郎という名前で出場する」


 言いたいことはわかった。僕のようなフル参加できる者は実名で、それ以外に働いていたりして途中しか参加できない者は、架空の選手名を作って、その選手に関しては誰がプレーしてもいいことにする。

 それにしても山田太郎とは、自分が偽名を使っていることを認めるようなものだ。僕だったらクリケットの巨人、W・G・グレースにする。


 問題は、頭の固いアーサーがこのやり方を認めるかどうかだ。

 それで、翌日の昼食時に彼とキャプテンと僕とで、焼きそば屋てつちゃんに行って話し合いをした。話が込み入ってきたときのために、英語もできる昌喜にも参加してもらった。

 アーサーは、はっきりと反対はしないものの、奇抜なアイデアをそのまま受け入れてくれそうにない。


「存在しない選手の名前を使うのは好ましくありません。そうするくらいなら、たとえば斉藤速水のように苗字をくっつけて、一選手にするほうがよいと思います」

「それだと、柔軟性に欠けるから、架空のほうがいいと思う」

 と僕はいった。

「言いたいことはわかります。しかし、ファーストクラスクリケットのルールを変更するくらいなら、最初からワンデイマッチにすればいいです」


 ワンデイマッチは、一試合の投球制限を設けて、時間を短くしたルールだ。それでも八時間くらいはかかる。ファーストクラスクリケットより格下だが、インドなんかはこれで人気が出た。


「テストマッチがやりたいから、困ってるんでしょ」

 キャプテンも負けていない。テストマッチは、彼にとってのクリケットの想い出づくり、クリケットをしたという証なんだろう。

「それならテストマッチと呼ばずに、他の名前で呼びなさい」とアーサーが言うと、

「俺はテストマッチがやりたいんだよ」

 といって、キャプテンは譲らない。


 キャプテンは、アーサーの頭の固さがわかっていたので、高田顧問に相談した。それだけでなく、教頭やラグビー顧問の市ノ瀬など他の先生にも、テストマッチ開催を訴えた。うちの顧問はいつものとおり、反応が鈍いが、根っからの体育会系市ノ瀬は、キャプテンの情熱を理解したみたい。

 それで、市ノ瀬はアーサーにテストマッチ開催を説得したらしい。それも、体育会系らしく、職員室や酒場でのことじゃなく、駅伝大会でのことのようだ。


 アーサーの出現により、スポーツで盛り上がる当校は、生徒だけではなく、先生もいいところを見せようと、今年から市民駅伝に参加することになった。もちろん、体力自慢の先生だけ。一人五キロで五名。当然、アーサー、市ノ瀬はメンバーだ。


 僕は見にいかなかったけど、クラスの女子が何人か見物にいったんで、携帯で撮ったものを見せてもらった。昨年優勝の消防署チームに遅れることおよそ一分。三人抜かして絶好調のアーサーは、二位銀行チームと接戦の三位。


 だけど、アンカーの市ノ瀬につなぐとき、問題発生。学校名の入ったタスキを渡すため、すでに手に握ってたはずなんだけど、目の前に市ノ瀬がいるのに、何していいか忘れたようで、ぼうっと突っ立ってた。

 市ノ瀬のほうからアーサーに近づいて、タスキをとったから、数秒は費やしたはずだ。それでペースが乱れたのか、鮮魚組合やなんとか樹脂に抜かれて、最終結果は五位。でも、初出場にしてはよくやったと思う。


 駅伝って日本発祥で、海外ではほとんど行われていないから、仕方のない面もあるし、三人抜かしたんだからチームにとってはプラスだと思う。だけど、ミスはミスなんで、アーサーはこのことで市ノ瀬や他の先生たちに平謝り。そのとき、優位な状況を利用して、市ノ瀬がテストマッチを開催するよう諭したという噂になってる。二つ返事ではいとまではいかないけど、これでテストマッチに大きく前進した。


 僕ら偽野球部には、甲子園も花園もない。テストマッチ実現こそが、僕らにとっての甲子園であり花園なのだ。

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