第18話 尾行追跡は探偵の基本中の基本
海から帰った次の週。
夏休み中のことなので、何曜日だったか、僕もアーサーも思い出せないけど、料金が安かったから、平日だったのは間違いない。アーサーが、僕をバッティングセンターに誘ってくれた。
理由は、野球のバッティングを体験してみたいからだけど、相手が僕なのは、野球部なのに、野球経験がほとんどというか、全くないかららしい。
学校でやればいいのにと思ったけど、野球部の前で恥をかきたくないので、こっそり僕と行くらしい。
昼食を食べるとすぐ、アーサーがバイクで僕の家に迎えに来た。僕は、アーサーの後ろにまたがって、バッティングセンターのある市の南部に向かった。
このあたりは郊外で、土地が安いせいか、道路は新しくて広い。畑の中に工場があったりして、人はあまり住んでいない。その工場も最近は減ってきて、量販店や貸し倉庫になっている。
バッティングセンターの道路を挟んだ向かいにも工場があったけど、いまは大きな空き地になっている。空き地といっても市が管理していて、四方をフェンスに囲まれ、野球なんかに使われている。
バッテイングセンターは、ゴルフ練習場も併設していてるからかなり広い。入り口もロビーも受付も共通で、その後で分かれる。
バッティングセンターのほうに入ると、僕らは並んで、ピッチングマシーンの球に向き合った。野球経験のない僕だけど、何が何でもウィケットを守らなければならないクリケットをやってるせいか、球に当てるのは割と得意みたい。その代わり、当たってもあまり飛ばない。
野球部にクリケットを教えているアーサーは、クリケットとはかなり勝手が違うみたいで、空振りばかり。僕よりずっとクリケットが上手なのに、当たらないということは、バットを思いっきり振るからだろう。
「もう、やめましょう」
彼は、自分から誘っておいて、すぐに投げ出した。
「ええ、もうやめるの?」
「代わりにゴルフ行きましょう」
それで、また同じ受付に行って、追加料金(バッティングセンターの後なので若干安くなる)を払って、打ちっ放しのゴルフ練習場に入った。
もちろん、クラブはレンタル。
僕は、こっちのほうはからっきしだめだった。アーサーは、ゴルフの経験があるみたいで、高くていい球を打つ。バッティングと違って、順調だったけど、問題発生。
アーサーの打った球が、ネットを越えてしまった。ありあまる力のなせる技だ。
ネットの向こうはここの駐車場なんだけど、そのとき、運良く車体にも人にも当たらなかった。だけど、ちょうど、車から出て来たばかりの人がいて、びっくりしていた。
係りの人も初めてのケースだと驚いていた。当然、アーサーに責任はない。ネットを高くするか上を覆うとか、対策をしなかったことがいけない。
責任はないけど、アーサーは少し落ち込んだみたいで、一時的に打つのをやめ、休憩をとることになった。
僕らは、ロビーの自販機でドリンクを買い、片隅にある休憩スペースに向かった。ソファの向こうに緑の絨毯が見える。
近づくと、絨毯ではなく、かなり大きめのパターマットだった。そこで、ちょっとしたパターの練習ができるようになっていた。
すでに二人組がやっていたから、僕らは座って、見学することになった。
グリーンのポロシャツ姿の年輩の男性と、スーツ姿の若い男性の組み合わせが奇妙だった。おそらく、年輩のほうが、取引先の社員を誘ったのだろう。
若い男性は、パターを二、三度素振りすると、
「社長、うちに寄った後、毎週ここに来てるわけですね。こっちが本命で、うちのほうがついでですか」
と聞いた。やはり、どこかの会社の社長と取引先の営業マンらしい。
「ゴルフはお宅に行ったついでだよ。週に一度の休みなのに、仕事のためだけで外出したくないからね。毎週、休みは昼飯食べたら、ゴルフ着に着替えて、おたくに行って、それからここ。そのほうが防犯上もいいじゃないか」
「確かに、あれだけのものがキャディバッグに入っているなんて気づかないですからね」
僕は、その言葉を聞いて、テツのゴルフバッグに日本刀が入っていたのを思い出した。
「昔は、そっちから訪問してくれたのに、有料って。この不景気に月一万円も出せなんて、いじめだな」
「一万円くらいどうってことないじゃないですか。何百万もする新車、現金購入って、僕らじゃ無理ですよ」
「前のが古くなったから、買い換えただけだよ」
そこまで陽気な会話をしていた営業マンは、急に静かになると、球に精神を集中しだした。
「では、行きます」といって、球を弾いたが、大きくずれた。
「わざとはずした? こんなところまで接待しなくていいよ」
そう社長が聞くと、営業マンは、きっぱり否定した。
「とんでもないです。本気でやりました。やっぱりゴルフキャリアが足りないんです。学生時代から走るの専門でしたから」
営業マンは二打目に挑む。
「次で決めてよ」と社長はいったが、僕にはかなり難しいように思えた。
そして、二打目。ゴルフボールは曲線を描き、穴のあるほうへ向かう。
「入るよ」
僕は思わず声を出した。
社長に言われたせいか、結構距離があったが、成功した。
「お見事」と社長。「ナイスパット」
アーサーも拍手した。
営業マンは、手で頭をかきながら、「恐縮です」といって、社長に頭を下げた。
「これで終わりにするか。そちらも忙しいだろうから。それに外人さん、待たせちゃ悪いし」
と、社長は言うと、パターをアーサーに渡した。
アーサーはパターを受け取ると、
「どうもすいません」とお礼をいった。
「すいませんねえ。社長。僕のせいで、急かしてるみたいで」
と営業マンが言うと、
「これから大事な商談だからな」と社長はいった。
それから二人組は帰っていった。
「さっきのおじさんのゴルフバッグに何が入ってるのかな」
僕はアーサーに聞いた。
「やばいモノかもしれません」
「麻薬とか? まさか。あのおじさん、いい人に見えたけど、暴力団? 若い人なんかふつうの会社員にしか見えなかったよ」
後から考えると、アーサーがそう答えたのも、うなずける。そのときの僕は、麻薬犯罪など僕らの日常とは縁のない遠い世界の話だと思っていた。
アーサーはパターを譲ってもらったけど、さっきのネット越えのことが気になるのか、パターをそのまま僕に渡し、ソファに座りながら何か考え込んでいた。僕は、要領も教わらず、パター入れを一回やったきりで、休憩を切り上げ。
打ちっ放し再開。アーサーは、今度はクラブをドライバーからアイアンに変えた。それで、ネットを越えるようなことは起こらなかったけど、きっとアーサーは、ドライバーで思い切り打ちたかったんだと思う。
ネットの前は駐車場で、右側は道路。その向こうは空き地。その日は平日のためか、空き地には利用者がいなかった。
僕は空き地のほうを見て、隣のアーサーに話しかけた。
「ねえ、アーサー。市役所に言えば、あそこで野球の試合できるけど、クリケットはどうかな」
アーサーも空き地を見ると、
「私もそれ考えました。縦、横、広さは問題ないでしょう。いくら、かかりますか?」
「市民が利用するんだから、そんなに高くないと思うけど」
バッティングとゴルフで合計三時間ぐらい時間をつぶして、家に帰った。料金も結構高くなった。帰るとき、バイクを運転するアーサーに、
「たぶん、バッティングセンターより、あそこ借りたほうが安いと思う」
と僕はいった。あそことは、バッティングセンターの向かいの空き地のことだ。
「あれだけの広さなら本格的な試合も出来ます。だけど、選手が足りません」
クリケットは一チーム十一人だ。試合をするには二十人以上必要となるので、うちの野球部だけで二チーム分人を揃えることはできない。公式的には野球部だから、他校との対抗試合も出来ない。だから、選手が足りないという、アーサーの指摘ももっともだった。
それからしばらくして、夏休みが終わりに近づいた頃、昌喜からアーサーの件で電話があった。
「アーサーが大変なんだ」
「なんだよ。また喧嘩でもしたのか」
「サングラスとマスクつけて変装してる。駅前で挙動不審」
「誰かと待ち合わせじゃないのか」
僕はそう言っている途中に、頭の中に龍星会のことが浮かんだ。それで、
「昌喜、離れたほうがいい。危険だ」と忠告した。
「一人じゃ危険だから、お前誘ってるんだろ」
「行くわけないだろ」
僕はそう反発したけど、昌喜ひとりにするわけにはいかず、それに好奇心にも勝てなかった。
「行きたくないけど仕方がない。待ってろ、すぐ行くから」
「お前も、変装しろよ」
「そういうお前は変装してるのか」
「見損なうな。俺は探偵クラブだぞ」
僕はマスクだけつけて、急いで自転車を漕いで駅前に向かった。
駅前ロータリーに着くと、自転車に跨ったまま昌喜を捜した。すると、
「おい、こっちだ」という声がした。
サングラスとパーマの男に呼び止められた。変装している昌喜だ。上げ底靴で身長も高くなってるので、
「お前、昌喜なの?」
と、正体がわかっているのに確認してしまった。
彼は、僕を自転車置き場のほうへ連れていくので、自転車に乗っていた僕は、都合良くそこに駐めた。
「アーサーはどこ?」
昌喜の示した先、駅前自販機の隣のベンチには、新聞を大きく手前に広げて、人が座っている。
「でかいし、外人で目立つから仕方がないけど、さっきからずっと同じ姿勢を崩さないし、新聞もめくらない」
と、昌喜もあきれている。
向こうがこちらに気づく様子がないので、そのまま僕らは見張りを続けた。
急行列車が停まり、駅の改札口から数名の乗客が出てくると、彼はいきなり新聞を畳んだ。黒のパーカーのフードを立てた、サングラスにマスクの外人が現れた。外国人はあまりマスクをしないという話だけど、口ひげを隠すために、マスクは必須なんだろう。
顔は前を向いたままだけど、横目で改札口から出た乗客を見てるに違いない。
「あの外人怪しいな」
昌喜のいう外人とは、アーサーのことではなく、駅から出てきた中東系の顔立ちをした小柄な青年だ。
その外人は、携帯で話しながら自販機の近くに来た。すると、アーサーはまた新聞を読み出した。外人はアーサーに気づく様子もなく、相変わらず彼の近くで話している。
外人は携帯で話したまま、ロータリーを横切り、駅前商店街の方へ歩き出した。アーサーは相変わらず、新聞を読んでいる。きっと、動き出すタイミングを見計らっているのだろう。
外人の姿が僕らから見えなくなると、アーサーも動き出した。新聞を手に抱えているのは、相手が振り返ったとき、顔を隠すためかもしれない。
そのことを昌喜に言うと、
「そんなことしたらますます怪しまれる。一体、誰がアーサーのこと、MI6なんて言ったんだ」
もし本当にMI6だとしたら、相当間抜けな職員だ。
アーサーが僕らの視界から消えそうになると、僕らも移動を始めた。
商店街を抜けると、東西に横切る二車線のメインストリートだけど、横断歩道はなくて、歩道橋を使えということになっている。しかし外人は、自動車を確認しながら、真っ直ぐ南に進む。アーサーは歩道橋を使った。少し後で、僕らも仕方なくそうした。
「どこ行くのかな?」
僕は独り言のようにいった。
「先頭の外人次第」
昌喜も独り言のように答えた。
間抜けな尾行者のアーサーは、まさか自分が尾行されているとは気づかないようだ。
メインストリートを抜けると、家が少なくなり、代わりに工場や畑が多くなる。ずっと先に進むと、この間行った、バッティングセンターがある。
「結構歩くな。タクシー使えよ」
と、僕は先頭の外人に対し不満をいった。
「タクシー使ったら顔覚えられて、後で証言されるだろ」
と昌喜はいった。さらに、
「距離つめるぞ」といって、僕らはアーサーと出来る限りの接近。
道は広くまっすぐなので、見通しがいい。アーサーの前に、先頭の外人が歩いている姿が見える。
僕らは、道の反対側から怪しい人物がこちらに歩いてくるのに気づいた。まだ遠いのではっきりしないが、キャップを目深にかぶり、口にはマスクをしている。
「ここいらは取引にはいい場所かもな」と昌喜が言った。
道路の両側は、畑か空き地か工場で、通行人は少ない。そして予想した通り、外人とその人物は接触した。
外人との比較でわかったが、相手は身長がとても高い。といっても、昌喜のように底上げ靴を履いている可能性もある。
外人は何かをポケットから取り出し、相手に渡した。そのときアーサーがダッシュした。僕らも訳がわからないけど走った。
アーサーは、怪しい人物に詰め寄る。外人は向こうに走って逃げていく。
僕らは、外人を追いかけようとしたが、アーサーとその人物の会話が聞こえた地点で立ち止まった。聞こえたのはアーサーの「ホワイ」と「ウィリー」と叫ぶ声だ。
怪しい人物はウィリー・ランスだった。
僕と昌喜は、逃げ去る中東系外人を無視して、二人の会話に加わった。早口の英語で何言ってるか聞き取れないけど、責めるアーサーにランスが言い逃れしようとしてることくらいはわかった。
「ランス? 何してるの」
僕は口を挟んだ。ランスは帽子を上げ、マスクを外した。
「演技の練習してただけ」
と明らかな嘘を吐いた。アーサーもマスクを外したが、サングラスはかけたままだ。
彼は、やっぱり僕らの尾行に気づいていなかったみたいで、
「マコト、マサキ、君たちこそ何をしてるんですか?」
と、僕と昌喜を問いつめた。昌喜はランスの口振りを真似て、
「歩いていただけ」といった。
生徒の存在で興奮が静まったのか、アーサーは、
「彼には演技の練習があるから邪魔してはいけません。行きましょう」
といって、僕と昌喜の肩を叩いた。
僕らは彼に歩くように促され、歩き始めた。その瞬間、アーサーがランスから、なにかを受け取ったのを見逃さなかった。
それから、僕ら三人はランスを残し、そのまま道を進んだ。
僕らは、何も話さず、黙ったままだった。どうしても気まずい空気が支配してしまう。道の先、左側にバッテイングセンターが、右側に工場跡地の空き地が見えてきた。アーサーは、工場跡地の空き地のことを僕らに聞いてきた。
「どうしてあの空き地は建物が建ってないんですか?」
学校のグラウンドの三倍の広さはあるだろう。敷地の周囲は高いフェンスネットで囲まれている。
「前は大きな工場があったんだけど、円高で海外に移ったから、今はただの空き地。持ち主が市に提供してるけど、そのうちショッピングセンターとかできるかもね」 と昌喜が答えた。
その日も空き地は利用者がいなかった。
「日本はイギリスより広いですが、日本に来てみると、土地が狭いです。イギリスの学校、大きなグラウンドがあります。日本の学校、グラウンド狭いです。こんな土地があっても、利用しないのは残念です」
と、アーサーは残念がった。
たしかに、市民が借りることができても、滅多に使われず、フル稼働にはほど遠い。
「国土面積は日本のほうが大きいけど、山がちで、平地はイギリスのほうがずっと広い。それに日本のほうが人口が多いから、余計に狭く感じる」
と、昌喜は客観的に分析した。
後で彼に聞いた話だけど、シャーロック・ホームズの作者のいたストーニーハーストという学校なんかものすごくて、今では、照明設備付き人工芝のホッケーコート一つ、サッカー場が二つ、ラグビー練習場5、ラグビー試合場5、テニスコートが7、バスケコートが2、ネットボール(バスケに似た競技)のコート4、200メートル陸上トラック、クリケットコートが4、クリケット専用休憩棟、クレー射撃場に9ホールのゴルフコースまであるくらい。屋内も充実していて、各種コートやプールはもちろん、ジムやローイング・マシン(ボートの練習機械)まで用意されてる。これだけのものを、五百人くらいしかいない中高生が使うんだから、嫌になってくる。
狭いグラウンドを他の部と共同利用せざるを得ない、日本の公立高校とはまったくの別世界だ。
アーサーはネット越しに空き地の地面を見て、
「とても広くて素晴らしいです。ほんの少し草が生えていますが、整備されていてスポーツにぴったりです」
といった。彼は工場移転の事情よりも、スポーツ施設としての価値に興味を持ったようだ。
「学校の名前で申請すれば、使わせてもらえると思う。土日は野球で使う人がいるけど、平日だったらまず空いているはず」
と昌喜が言うと、アーサーは黙って考えこんだ。
さらに先に進むと、大きな川がある。橋が見えると、
「走りましょう」とアーサーはいった。
「さっきから歩きすぎで疲れた」と昌喜が反抗した。
「暑いからいいよ」と僕も遠慮した。
アーサーは面白そうに、
「てめえらハシル」といって、両腕で僕らの首を抱えて、そのまま走りだした。
「わかった。自分でハシルから離して」
彼はなかなか放さなかった。僕はその状況を楽しんだけど、昌喜は暗かった。僕の耳ではアーサーとランスの会話は聞き取れなかったけど、昌喜は内容がわかったはずだ。
橋まで着くと、彼はパーカーのポケットに右手を入れ、何かをつかんで、それを川に向かって思い切り投げた。あまり飛距離は伸びずに、白いものが下に落ちていった。
太陽光の反射からビニルに包んであるとわかる。ランスから取り上げたものだろう。それが覚醒剤の類であることぐらい僕でもわかる。それなのに彼は微笑んで、
「ランスもお芝居の勉強で大変です。私達もがんばりましょう」
と爽やかに言って、今来たばかりの道を走っていった。
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