第15話 ホームズ対007

 店の中に入ると驚いた。新入部員達が四人、入り口近くのテーブル席にいる。よく考えて見れば、驚くことではない。電車通学者が立ち寄るには、都合のいい場所だからだ。

 彼らから離れた奥の席には、ランスと桜田さんが座っている。僕は、新入生に気づかれないように奥に向かった。一年生達の後ろを通り過ぎるとき、一人が甲子園がどうのこうと話しているのが耳に入った。


「あれ、速水君も来たの」

 といって、桜田さんは意外な顔をした。僕はランスの横の席に腰をおろし、

「一年の連中もいますよ」と言うと、

「え、そうなの?」と意外そうに、桜田さんは彼らの席を見た。自分たち以外のことは、あまり気にとめていないようだ。


 いつも明るいランスが暗い。わけを聞くと、

「今すごく深刻な話してるところ」と言う。

「何深刻な話って?」

「この子にも話すつもり?」

 桜田さんがランスを牽制すると、ランスは、

「第三者の意見が聞きたい」

 と、僕を会話に加えることを主張した。

「まあ、そうね」

 彼女は簡単に折れた。


「実はアーサーのことなんだけど」

 ランスは切り出した。

「彼女が僕を調べているのはカムフラージュ、目くらましで、本当は僕のほうから彼女にお願いして、僕を調べる振りをして、彼を調べてもらってるんだ」

 なんだ、二人にだまされてたのか。僕もミス研も。敵を欺くにはまず味方からというから、その点は追求しない。


「なんでアーサーを?」

「それが僕は、あのホワイト君がシークレットではないかと疑っているんだ」

「シークレットって? 秘書?」

 それはセクレタリー。

「シークレットサービス。つまり諜報機関員。簡単に言うとスパイ」

「スパイ?」

 007と体育会系のイメージが重ならないが、そういえばアーサーは報告する義務がどうとか前に言ってた。


「僕は、彼を知るにつれて、あれだけの重い身体で素早い動きをし、フェンシング、ボクシングの強さといい、何か特殊機関で訓練したように思うようになった」

「単に運動神経がいいだけじゃないの」

「知的能力もかなり高いのに、得意なスポーツの数が半端じゃない。サッカー、ラグビーが得意なら、他はあまりというのが普通なのに、クリケット、スキー、ボクシング、カーレース、登山、ビリヤードなんでもござれ」

「根っからのスポーツ好きなんだよ」

「いくら外国人でも、日本のヤクザが怖いことくらいは常識。暴走族と喧嘩するあの勇気も、特殊機関で培ったんじゃないかと思う」

「うまれつきそういう性格なんだよ」

「よく報告をまとめると言っては、ノートパソコンに何か入力しているけど、決して僕に見せようとしない。誰に対する何の報告かも教えてくれない」

「必要がないから」

「それに極端な秘密主義で、家族のことや子供の頃のことも話してくれない」

「ランスは口が軽いから、話したくないんだ」

「それに以前こんなことがあった。夜、不審な人物が僕らの家を覗いていた。僕がそれに気づいて玄関を開けると、相手は急いで逃げていった。サンタクロースのように大きな袋をかついでたけど、その後ろ姿から大変体格がいい男性とわかった。僕は大慌てで警察を呼ぼうと主張したが、ホワイト君は落ち着いて、事を荒げたくないと主張した」

「ただの変質者じゃないの」

「そのとき庭にジュースの空き缶が落ちていた。そいつが落としたと僕が言うと、ホワイト君はそれをわざわざハンカチで包み保管した」

「相手が誰か心当たりあるのかな」

「ホワイト君に日本に来た目的を聞くと、カルチャー研究としか答えない」


「ランスさんの目的は?」

 桜田さんが話をそらした。

「ずばりスターになること。もうなってるけど」

 スターかどうかわからないが、少なくとも外タレにはなった。そこで女性記者が質問をぶつけた。

「日本語すごく上手だけど、向こうでもそうとう勉強したんでしょ」

「子供の頃からおかあさんに教えてもらってたけど、日本に行こうと思った時から、自分でも勉強するようになった」

「それはいつ頃のこと?」

 彼女は、真剣な表情で聞いた。

「十二、三歳くらいかな」

「そんな頃から始めて、日本に来たのが二十代半ばになってから?」

「そう簡単にはいかなかった」


 そこからランスの苦労話が始まったが、僕にはどうでもいいことだった。B級タレントの話なんか記事にならないのに、細かくメモをとる桜田さんの表情は真剣だった。

 その間に、僕は肉卵焼きそばを注文した。テーブルには鉄板もあるが、自分で焼くのは面倒なので、出来あがったものを頼んだ。


「芸能界で恋人できた?」と僕が聞くと、

 ランスはうれしそうに、

「おお、ついに僕のスキャンダル調査ですか。一緒に出演した女優さんで気になる人はいますけど、まだ挨拶しただけ」

「出演たってドラマじゃなくてバラエティでしょ」

 と、僕は嫌みを言ったが無視された。

「まだ、こっちを引き払う気ないの?」と桜田さん。

「レギュラー番組入ったとはいえ、収入不安定だから、もうしばらく様子を見ます。本当のスターになったら、コンドミニアムに越すつもりです。最終的にはビバリーヒルズでしょうかね」


 店員が僕の注文した焼きそばを持ってきたとき、一年の一人が僕らに気づいた。

「あ、先輩だ」 

 新入生四人で僕たちのところまで挨拶に来た。記憶違いがなければ、六番バッツマンから九番までだった。

「今日はありがとうございました」

「ああ」

「お話したいことがあるんですけどいいですか」

 七番がいった。

「いいよ」

 先輩面できるのは、今日が最後かもしれない。

「で、何?」

「佐藤が試合のあと、クリケットやりたいって言いだして。あいつ一人で十五点以上あげてるから、気持ちはわかるんですけど。それに……」

「ぼくも、野球よりクリケットがいいかなって思ってるんです」

 と言ったのは六番だった。

「他の三人は?」

「反対」

 八番、九番。

「迷ってます」

 七番。

 試合の成績にほぼ比例している。


「ここでは賛成二人だけど、他の連中は」

 僕は聞いた。

「半々くらいじゃないかと思います」

 さっき甲子園がどうのと言っていたのは、おそらくどうやっても甲子園は無理、クリケットならそんなこと気にせず自由にやれるといった内容なのだろう。

「一年生の半分だけでは、五人くらいじゃ野球は無理だな。でもクリケットはやめる約束だから。僕はサッカーに戻るだけだから関係ないけど」

 と、僕は一応格好をつけておいた。

 すると、反対派の八番が、

「僕は野球派ですけど、今日の試合おもしろかったですよ」といった。


 その後、新入生達は帰ろうとした。店から出ようとしたとき、僕は彼らに声をかけた。

「それから君たち」

「はい?」

「ホワイトコーチがイギリスのスパイだってこと、秘密にしておいてね。もしばれると、君たちの命が危ない」

「え? そうなんですか」

 僕の冗談を本気にした七番の顔が見ものだった。僕も、この時点では冗談のつもりだった。


 僕たち残り三名の会話は、またスパイの件に戻った。

 ランスが心配事を打ち明けた。

「もし、ホワイトがMI6だとすると」

「MI5じゃないの?」

 僕がランスの間違いを指摘すると、

「国内はMI5、海外要員はMI6」

 僕の知識不足だった。


「彼はマスコミに潜入し、影響力を行使することが目的で、この僕に接近したんじゃないだろうか。僕を通じてテレビ局関係者に接近して、彼らの弱みをつかみ、英国の利益に都合のよいよう意のままに操る」

「どうして? そんなこと思いつくの?」

 桜田さんが聞いた。

「最近、TV局の知り合いが大勢できてね。まあ僕の紹介ならむこうも信用するだろうから、彼にとって僕は都合のいい存在ということになる」

「それおかしいよ。二人が知り合った頃、ランスは無名だったんだろ?」

 僕は反論した。

「諜報局員のとぎすまされたセンスが、将来のスターを見つけたんだ」

 ランスの妄想は相手にするのもばからしいが、桜田さんは食いついていく。

「そうか。MI6も注目するとはね。もしかして彼は、日本のマスコミに潜入するのが目的じゃなくて、世界的スターを政治利用するため近づいたんじゃない?」

「僕が英国政府の飼い犬になるなんて悪夢だ」とランスは叫んだ。


 それからもランスの妄想は続き。お好み焼きを食べ終わった僕が、

「もう遅いから帰る」といって席を立ち上がると、

「僕がおごるからいいよ」とランスが微笑んだ。案外いいやつなんだな。

  

 店のドアを開け外の空気に触れたとき、店内に残った客はランスと桜田さんの二人だけだった。二人は僕がもう帰ったものだと思い、安心したんだろう。

 だから、今まで言えなかったことも言えたんだ。

「彼が龍星会とつき合いがあるのもそれで? イギリス政府が日本のヤクザと手を組んで、何の得があるの?」

 桜田さんがそう言ったのが、聞こえてしまった。

 僕は扉を閉めた。ちょうど電車が駅に近づいているところで、駅に向かって走っている何人かの姿が目に入った。


 龍星会って聞いたことがあるけど、きっとテツのいる組の名前なんだ。でも、アーサーはウメちゃんを組から抜け出させようと、テツ達と交渉しただけで、彼らと縁は切れたはずだ。なのになんで今更そんな話になるんだ。同居しているだけあって、ランスは僕の知らないことも知っているのかもしれない。

 そんなこともあって、その日はよく眠れなかった。


 月曜日の一時限目の授業が終わると、僕は昌喜を廊下に連れ出して、昨日のてつちゃんでのことを話した。すると、

「ランス妄想癖あるな」と一笑に付された。そして、

「桜田さんもランスに調子を合わせて、相変わらずやり方がせこいよ」

 と、彼女に対する不満を漏らした。


 昌喜が否定しても、僕は不安で、

「でも、MI5とかそんなすごいのじゃなくても、産業スパイくらいだったら考えられるよな」

「産業スパイだったら、高校で英語なんて教えてないよ。少なくとも放課後の部活につきあうなんてことはしない」

「でも、夜に何してるかわからないじゃないか」

「ランスが同居してるんだろ?」

「最近、ランス、こっちに居ること少ないから」

「相手が外人だからというだけで、そんなこと考えてもきりがない」


 放課後、部室に行くと、樋口君が着替えの最中だった。

「これから野球やるのかな?」

 と彼に聞かれて、僕は昨日のてつちゃんでのことを話した。 すると樋口君は、

「このまま野球部になるとは思えないし、かといって新入生達がクリケットやるとは思えないし」

 彼も僕と同意見だ。

 その疑問は、グラウンドに行くと解決した。


 一年生四人が、クリケットの練習に参加していた。

 そのうちの一人に、

「他の一年は?」と聞くと、

「野球はあきらめて、サッカー部とか他の部にするそうです」

 と返事をされた。

「あきらめがいいんだな」

 僕が感心すると、彼は、

「試合に勝ったとはいえ、今の状況じゃどうやったって野球無理じゃないですか。野球によく似たクリケット選ぶか、他の部に行くしかないんです」

 と不満を漏らした。僕は彼にかける言葉が浮かばなくて、

「じゃあ、がんばってな」と肩を叩いた。


 結局、入部希望者十名のうち五名が野球部に入部することになった。活動内容はもちろん、クリケットだけど。

 クリケットの練習といっても、他校との交流もなく、指導できるのはアーサーひとりで、そのアーサーも掛け持ち。一時は英会話クラブの面倒を見ていたランスも多忙のため、またアーサーが受け持つことになり、ますます彼がクリケットにかけられる時間は削られる。結局、生徒達自身で研究しながら進めるしかなかった。


 そんな感じで一学期がすぎ、夏休みを迎えることになった。他の部活は三年生が引退していくんだけど、野球部は交流試合もないし、もともと愚連隊みたいなものだから特に引退はなし。中野キャプテンもそのまま残留だけど、書類上は樋口君が新キャプテンということになった。

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