第12話 初心者のためのクリケット入門
クリケット練習が本格的になり、さらに野蛮族もどんどん参加するようになって、ついに桜田女史に野球部のことが知れてしまった。きっとミス研の連中が漏らしたんだ。
放課後の練習途中、僕はうちのキャプテンから、
「今日、向こう少ないから、速水、悪いけど向こう行ってやって。こっちいいから」
と言われて、クリケットに参加した。
それで、野球部の中野キャプテンに、
「ああ、悪いね、速水君。今日、攻撃ね。こいつの次、すぐアウトになるから待ってて」
と待機を命じられた。
ここでクリケットのプレーについて簡単に説明するけど、まだよくわからないから、間違ってるかもしれない。
クリケットは、野球と同じように投手が投げた球を打者が打ち、走者が走って点を入れていく。投手はボウラーと呼び一人。打者はバッツマンというんだけど、打つ番のストライカーと打たないで走るだけの番のノンストライカーの二人いる。チームの人数はそれぞれ十一人。他にアンパイアとスコアラーが、正式には二人ずつ必要。
二人のバッツマンは、ピッチと呼ばれる長さ約二十メートル、幅三メートルの長方形の両側に立ち、ボウラーはストライカーの反対側から投げる。ピッチの両端、バッツマンのすぐ後ろには、ウィケットと呼ばれる高さ七十センチの棒を三本並べたものの上に、二本の横木を乗せたものが立っている。
バッツマンはこれを崩されたらダメで、平たいバットで相手の投球から守る。投球側チームの残りのメンバーは、ボールの飛んできそうな場所に立って、ボールが飛んできたら捕球して、ウィケットキーパー(捕手)やボウラーに投げたり、ウィケットに直接ぶつけたり、ボールを持ったままウィケットまで走るなど、素早くウィケットを倒す行動をとる。
ストライカーがボウラーの投げた球を打てば、二人のバッツマンはピッチの反対側に向かって走ることができるが、ウィケットを守ることが目的なので走らなくてもいい。野手側がウィケットを倒すまでに、二人のバッツマンが両方とも、反対側のピッチのクリース線を越えたら点が入る。ウィケットが倒されるまで、どれだけ走ってもいいので、往復すれば2ラン、それ以上も可能。
クリケットは攻守がなかなか交替しない。野球が一試合九イニングなのに対し、クリケットは投球数制限がある場合は一イニング、ない場合が二イニングと少ない。
ということは、一イニングの時間がとても長いことになる。
ちなみに野球と攻守の概念が逆で、ボールをバットで打ち返し、地面に立てたウィケットを守るのがバッティング(打撃)側。ボールを投げるほうは攻撃側となる。しかし、得点が入るのは打撃側。だから、野球部のキャプテンの表現は間違っている。
交替条件は、打撃側のバッツマン全員がアウトになることで成立するが、バッツマンはペアなので実質一〇アウト。
アウトの内容は、こんな感じ。
1 ボウルド
投球でウィケットが倒れる。
2 コウト
野球でいうフライ。ノーバウンドのボールがキャッチされた場合。
3 ランアウト
野球でいう内野ゴロ、バッツマンが走っている間にフィールダーが送球、またはボールを持ったままウィケットまで走ってウィケットにタッチした場合。どちらのバッツマンがアウトになるかは、走り始めてまだ両者が交差していない場合は、倒されたウィケットを離れたほう。すでに交差していた場合は、倒されたウィケットに向かって走っていたほう。
他にも、クリース線から離れて打って空振りした球を、キーパーに捕球され、ウィケットを崩されるスタンプト、バッツマンの交替時間が間に合わないタイムアウトなど反則的なアウトもあるけど、大きくはこの三パターン。
空振りしても、ウィケットに当たらなければそのまま続けられるし、ボールを打っても走らなくてもいいから、優秀なバッツマンは、アウトになるまでいくらでも得点を稼げる。一人で一試合に百得点もありうる。
こんなルールだから、試合途中でランチタイムやティータイムがある。テストマッチと呼ばれる国同士の対抗戦などの投球数制限のない正式な試合では、一日六、七時間程度のプレーで最大五日間かかる。全体で二イニングだから、まる一日守備だったり、攻撃だったりということになる。守備側のベンチ待ち時間は、相当長くなると覚悟しなければいけない。
観客のほうも、ゲームやクロスワードパズルなどを持ってくるのが普通という悠長なスポーツだ。一日で終了可能な、八時間程度で終わるワンデイマッチ(一試合あたりの投球数を三百球に制限)や、つい最近できた三時間程度で終わるT20(TWENTY CRICKET:一試合あたりの投球数を120【二十OVERS】に制限)というものもある。
アーサーは昔気質みたいで、何日かかってもいいから、まず投球数制限なしを体験してみて、その後で、ワンデイマッチやT20などの短時間でできるスタイルをやればいいと言っている。
僕は次の打順だったんだけど、手持ちぶさたで、サッカーに戻りたい気分だった。
そしたら、桜田さんがグラウンドをこちらに向かってきた。明らかに僕目当てだ。
「ミス研寄ったついでにこっち来ちゃった。また変わった事始めたらしいわね」
「ええ、野球部がクリケットやりたいっていいだして。正直いい迷惑です」
どうせ彼女は、ミス研から詳細は聞いているはずなのに、
「ふうん、すごいわね。速水君も野球部に入ったの?」と聞く。
「僕は人が足りないからって言われて」
彼女は見学しながら、
「ふうん。それで外部の社会人まで。あれどうみても大人ね」
と、最近よく来るひげ面の野蛮族を見ていった。
「老けてますが、まだ二十二歳って本人は言ってますよ。他にあそこ、バット持って暇そうにしてる人、ノンストライカーって言うんですけど、野球で言うランナー。バット持って打つほうがストライカー。ストライカーとノンストライカーの二人でバッツマン」
「なんか言ってること、よくわかんないだけど」
「僕もルールがよくわかんないです」
それでも、クリケットの基本ルールを簡単に説明した。
彼女は僕の話にうなずきながら、メモをとっている。
「これ記事にするんですか?」
「するかしないかは、デスクの判断次第」
僕は、以前から気になっていることを聞いた。
「桜田さんってよくうちの高校に来ますが、例の事件の関係ですか? ミス研と合同捜査してるんですね?」
「それは関係ないわよ。私も、あの事件が起きた当時はいろいろと調べたけど、新しい情報が出てこないし、警察も流しの強盗殺人って見解みたい」
「強盗って? 密室なのに? どこから出たんですか」
「ああ、そうだったわね。ミス研の人はそういうことに興味を持つけど。でも、それは二義的な問題だから。犯人捕まえて白状させれば、簡単にわかることじゃない? ああいうのって案外たわいもない勘違いだったりするものよ」
昌喜も同じようなこと言ってた。優れた密室トリックほど単純で、人の盲点を突くものだと。
「なんだホームズもメンバーに加えて、事件はもうすぐ解決かと期待したのに」
「ホームズって、ランスさん、見かけだけで推理なんてできないわよ。そうそう、あの人、その事件の被害者の授業は受け持ったけど、顔は知らないって言っていたって」
「はい。僕と始めてあった日に」
「殺された生徒の家って知ってて、そこ借りたのかな」
「さあ」
「もし知ってたとしたら、いくら家賃が安くても、自分が授業を受け持った生徒が殺害された家を借りる神経ってどうなのかな」
「外人だからそういうこと気にしないんじゃないですか」
「そうかな」
彼女は首をかしげると、何かをメモした。
「ランスが受け持った生徒数は、二校だから千人以上いるよ。いちいち誰が生徒か気にしちゃいない。それに中学と違って、高校は近くに通うとは限らない。不動産屋が話をするときには、被害者がどこの高校かなんてこと言わないと思う」
僕がそう答えると、桜田さんは頬をゆるめて、
「貴重な情報提供ありがとう。こうやってね、君たち高校生とコネがあるのも、この仕事やってる人間にとっては助かるのよ。ミス研さまさまって感じ。森脇君には本当に感謝してるわ」
と、以前のミス研部長の名前を出した。
それからすぐ「アウト!」の声が聞こえ、僕の番になった。
「投げるの好きなんだけど、打つの嫌いなんです。当たるかどうかなんて運みたいだし」
と、僕が桜田さんに言うと、
「じゃあ、私はこれで。がんばってね」といって、彼女は帰っていった。
僕は、アウトになった野球部員から平たいバットを受け取ると、両手でグリップの部分を握った。
ウィケットは、七十センチ程度の木の棒 を三本並べて地面に立て、上に二本の横木を乗せたもので、ピッチ(クリケット用語、フィールドの一部で投打を行う)の両側にある。
野球部は木の棒の代わりに、プラスチック製の台座付きウィケットを使っている。本来なら地面から抜けた木の棒を挿し直すのだが、これなら簡単に倒れたスタンプを戻せる。
僕はウィケットの前に立ち、膝を緩め、バットを後ろ斜め下に構える。
向こうのウィケットの両側にボウラーと、僕とバッツマンを組むノンストライカーのひげが見える。僕はひげに会釈をした。
ボウラーは、中学の野球部でピッチャーだった部員だ。これはそのときたまたまそうだったのであって、クリケットでは六球(一オーバー)投げたら、ボウラーは交替しなければいけない決まりになっている。最少人数は二人ですむが、今ここでのプレーは、フィールダー全員にボウラーを経験させている。
交替したボウラーは、前のボウラーがいた反対側に立つため、それまでノンストライカーだったバッツマンがストライカーになる。当然、フィールダー側もそれに対応しなければいけない。クリケットでは長方形のピッチのどちら側でも、投げたり打ったりしていく。
ボウラーは向こう側に歩いていく。五メートルほど歩くと、急に振り返り、こちらに走ってくる。ピッチに来ると、軽くジャンプして上から投げた。野球と違って、肘を曲げて投げること(スローイング)は反則だ。
ボールは、僕のすぐ目の前でバウンドする。バウンドさせなくてもいいが、ワンバウンドまで許されているので、打ちにくいように大抵はワンバウンドで投げる。これは慣れるまで大変打ちにくい。
僕は、ボールにバットを当てて止めるだけのデフェンスを狙った。バウンドする位置がすぐ手前だったので、片膝を地面に着け、低い姿勢をとった。しかし、ボールはバットにもウィケットにも当たらず、ウィケットキーパーの手に。野球ならストライクかもしれないが、クリケットでは何の意味もない。
だけど、バットを振ったとき、僕の両足がクリース線より前に出てしまうと、スタンプトというアウトになる。そのことがわかってるから、足の位置を強く意識していた。慣れて来ると、あまり気にしなくなるみたいで、スタンプトはよく起こるみたいだ。
クリケットの打法は、大きくデフェンスとドライブの二種類ある。
デフェンスはウィケットにボールが当たらないように止める守りの打法で、野球のバントに近い。ドライブは点の獲得を狙った打法で、ボールをすくいあげるように打つ。
続いての投球。僕はバウンドしたボールを強めに打ったが、ボールはちょろちょろと転がっていった。僕はひげに、
「ノー」とコールした。走るのはやめという合図だ。
三球目。
僕は思いきりスウィングした。打球は左前方に高く飛んだが、フィルダーが近くにいた。上達すれば、フィールダーのいない空間を狙って打つのだが、そんな余裕はない。
「ウェイト」
待てと合図。フィールダーは捕球に失敗。
「イエス」
走れの合図で、僕とひげはバットを持ったまま、それぞれ逆方向に走る。
ピッチのクリース線を越えたところで一ラン。まだいけるので逆方向にもう一走り。僕の目は、キーパーがフィールダーの投げたボールをキャッチする姿をとらえる。僕がクリース線を越えてバットをつけたすぐ後に、キーパーは僕の横のウィケットにタッチした。
セーフ。
それから僕とひげのコンビは、十ランもの得点をあげた。
ひげがコウトでアウトになり、僕は次のバッツマンとコンビを組むことになった。三ランをあげたところで、もう遅いから帰れと言われた。
続きは明日になるのだが、同じメンバーでやるのは無理なので、あまりゲームの意味はない。野球部や野蛮族が、もっと本格的なプレーを望むようになってくるのは理解できる。
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