第11話 野球部曰く 「イッツ ノット クリケット」

 野球部のもくろみがわかってきた。

 クリケットをやりたいと言い出したのは、クリケットを通して自分たちと関われば、アーサーの学校内での評判が落ちるとの読みからだ。

 練習もひどいもので、アーサーのいうことなんか、適当に聞き流して遊んでいる。わざと野球と同じやり方をして、彼を困らせたりしている。野球の癖が抜けないと言い訳してたけど、野球の癖がつくほど野球練習してたっけ。

 だけどアーサーは粘り強く、「イッツノットクリケット」って言ってがんばってるけど、そんな連中相手にするくらいだったら、うちやラグビー部の面倒みてほしい。


 それにしても、野球部が堂々とクリケットをしているのが認められる学校って、何なんだろう。外で悪さをされて学校の評判を落とされるより、なんでもいいからおとなしくして欲しいというのが狙いに違いない。それに、すでにサッカーとラグビーの試合なんていう非日常的な前例を作ってしまった後だ。野球部だけ厳しいルールを適応するのもおかしい。


 元々あそこの顧問は名前ばかりでなにもしていないから、注意する人間がいない。理由はいろいろあるが、要するに学校側からすれば、迷惑をかけないかぎり、好きにさせておきたいのだろう。


 そんな学校の思惑とは裏腹に、野球部員はマイボール(ソフトタイプのゴム製クリケットボール。本物はコルクなので大変固く防具必須)を持参し、授業中休憩時間を問わず、クリケットのボールを投げて遊ぶようになった。クリケットはグローブを使わず、素手でキャッチするので、玩具のスーパーボール感覚で投げている。


 僕が見たときなんかは、廊下を通った野球部員が、授業中の教室の部員に投げ、教室側の部員は座ったままそれを受け、また投げ返してた。そのときは先生が黒板に書いているタイミングだったので、無事に終わったが、他の生徒からするとクリケットのイメージが悪くなり、ひいてはそれを指導するアーサーの評判も落ちるという作戦のようだ。悪知恵だけは働く。


 廊下や教室の後ろで、ほうきでクリケットスタイルで打ったり、休憩時間にボウリングのように転がしてモノを倒す遊びも始めた。見ていておもしろそうなので、野球部以外の生徒も遊びにつきあったりした。そのうち、放課後に実際にプレーしだした。

 もちろん、必要人数も足りないし、道具もそろわないから、ルールもいい加減。


 クリケットはウィケットと呼ばれる木の棒を三本立てたものを、投手はボールを投げて倒そうとし、打者はそれをバットで守るのだが、専用の棒の代わりに、野球のバットをグラウンドに立てて使っている。

 それを野球のバットで守り、唯一グラブを装着できるウィケットキーパーも野球のグラブを使うなど、ボール以外は野球の道具を使って、練習というか遊びというか、彼らなりに楽しんでいる。道具がないからアーサーも大目に見てる。


 それも次第に本格的になってきた。

 クリケットのバットは、オールのように平たいので、板を加工し手製のバットを作り、ついには本物のクリケットのバットを購入した。そのバットを持ち出して、チャンバラごっこや羽根突き、アーサーを真似てフェンシングしてる者もいる。それでも彼らは、野球部員以外が野球のようにバットを構えているのを見ると、アーサーの口癖を真似るのだった。

「イッツノットクリケット」

 直訳するとクリケットでないとなるが、公正でないと言う意味がある。その後、バットを下に構えるクリケット打法を披露する。野球だったら自分たちより上手な人間が大勢いるけど、ほとんどの日本人はクリケットについて知らない。きっと、ある種の優越感と自信を感じたに違いない。

  

 皮肉なことに、これらの行為が彼らにクリケットの楽しさを自覚させることになった。それは不思議なことではない。この競技も、元々羊飼いの単純な遊びから始まったといわれる。他のスポーツも子供のたわいない遊びが発祥だったりする。いわばスポーツの原点だ。


 アーサーを困らせるという不純な動機で始めた競技だけど、次第に練習に力が入っていく。

 僕は見ていて笑えたけど、アーサーは真剣で、教頭達も応援している。なにしろあの野球部が、朝練までするようになったのだから。

 これが体育教師の市ノ瀬にはおもしろくないらしい。僕以外のサッカー部員も、大事なコーチを引き抜かれたような気がして、あまりいい気がしないようだ。


 野球部の熱心さが知れ渡るにつれ、一時的に落ちたアーサーの評判も、以前よりあがった。だけど困ったこともおきた。

 アーサーに誘われた野蛮族が、野球部のクリケット練習を見学に来ることだ。フェンスに張り付いて外から眺めているだけでも迷惑なのに、なかには俺にもやらせろと校内に入ってくる奴もいる。そして、あれほど仲の悪かった野球部と一緒にプレーしている。


 クリケットが紳士のスポーツというのは、本当だったんだ。

 それを見て僕は、ラグビー部との諍いがアントンボールを通じて、友情に変わったことを思い出した。


 そして、年が明ける頃には、野球部はクリケット部に生まれ変わることを決断していた。

 しかし、野球部を廃してクリケット部にするなど、学校側としては認められない。

 そこで野球部員達は、全員で高校球児(一応彼らもそうなんだけど)みたいに頭を丸めて、職員室に入っていき、一列に並んだ。中野キャプテンが、

「僕たちは、本当にクリケットが好きなんです。どうか正式にクリケット部として活動させてください」と言い、全員が深々と頭を下げた。その場にいた市ノ瀬が、

「それはおかしいよ。君達は野球部なんだから」

 と言うと、キャプテンは土下座をして、

「どうかお願いします」と泣いて頼んだ。

 教頭が、

「気持ちはわかるけど、今のままじゃいかんのかね」

 と言うと、キャプテンはひたすら、「お願いします」と言う。

 そして、残りの部員達も土下座をしたので、職員室は狭くなった。


「なんでそんなにクリケットがやりたいのかね?」と教頭が聞くと、

「僕たちが、いまさらいくら野球でがんばっても、甲子園なんかいけるはずありません。でもクリケットならどことも競わずに、自分たちで楽しめるんです」

 二年の社会担任で、性格のきつい中年の女の先生が、

「それってナンバーワンになるのをあきらめて、オンリーワンになるってことじゃないの? 自分から進んで負け犬になるのと一緒でしょ」と非難した。すると、教頭は、

「それは言い過ぎです」と、その先生をたしなめた。それからキャプテンに、

「どことも試合ができないがいいのかね」と聞いた。

「はい」

 教頭もどうしていいかわからず、

「今すぐここで返事はできない。必ず回答はするから、とりあえず職員室から出ていきたまえ」

 としか言えなかった。

 彼らは、職員室を出るときも、きちんと挨拶したので、

「あの不良達があんなに真面目に……」と、泣いている先生もいた。(安藤談)


 で、学校側の回答は、野球部の名称はそのままで、内容はクリケットでもかまわない。来年度以降は新入生の希望状況で、クリケット部を新設するかどうかを判断するが、メジャーなスポーツである野球部を廃部することは極力さけたいので、現在の一、二年が全員クリケット部に移ることは難しい、とのこと。


 練習も気合いが入っていた。

 クリケットの打者は360度どの方向に打ってもいいので、野球よりもグラウンドの中央寄りでプレーすることになる。それでサッカー部の練習場所と重なり、こちらにとっては邪魔で仕方がない。

 だけど、以前はむこうが練習しないので、こちらは余裕を持ってグラウンドを使わせてもらったし、あの真剣な表情を見ると、文句は言えない。


 アーサーにとっては、両方を同時に指導できるので都合がいいが、サッカー部にとっては余計な迷惑になる。野球部は人数が少なく、クリケット一チーム程度の人数しかいないので、二チーム分の人数を用意できない。

 それで、バッツマン二名を除いた打撃側のベンチ待ちメンバーをフィールダーに回したり、野蛮族が参加するのを歓迎したり、それでも足りないので、サッカー部から適当に補充することで、練習試合を行う。


 当然、サッカー部補欠の僕もかり出された。

「ルールがわからないんですけど」と僕が言うと、

「野球と同じでいい。ボールが飛んできたら素手でキャッチして、あのキャッチャーみたいなウィケットキーパーに投げろ。あの棒に直接当ててもいい。それだけ」

 と、野球部の中野キャプテンは、ウィケットキーパーの前に並び立つ三本の棒を指していった。

 キャプテンは、坊主頭から少し髪が伸びてきて、見た目は爽やかな感じがするが、以前の髪型は野蛮族の総長より派手だった。


 僕は、時には両方の練習に同時に参加した。

「速水、飯山マークしろ」とサッカーの指示。

「速水、ボールそっちいったぞ」とクリケットの指示。

「速水、あがって点入れてこい」とサッカー。

「速水、バッツマンやってみる?」とクリケット。


 両方のボールが、同時に僕のほうに飛んできたときは驚いた。

 サッカーボールをヘッディングしようとしたら、クリケットボールがフライで来た。

 なんと奇跡的にも、僕は両方の対応に成功した。

 ジャンプしてヘッディングした後、後ろに下がってフライをキャッチ。野球と違ってグラブがないから、両手で包むようにしないとボールを取りこぼす。スーパーファインプレーなんだけど、それを見た周囲は笑いだし、両試合とも中断。


 このころにはアントンボールに関してはサッカー部は撤退し、ラグビー部だけで行っている状態になった。それもラグビー部らしく接触プレーを増やし、一チーム五人と内部だけで試合ができるようにした。正式名称もアントン・ウォール・ゲームと変えていた。これはイートン校オリジナル競技が、サッカーに近いものがイートン・フィールド・ゲームで、ラグビーに近いものがイートン・ウォール・ゲームであることに倣ったものだ。

 イートン校のものは壁沿いにプレーするのだが、当校ではそんな都合のいい場所はない。それなのに格好つけてウォールゲームと名乗る図々しさにはあきれるが、通称はアントンボールで通っていて、誰もわざわざウォールゲームなんて呼んでいないらしい。


 実のところ、期待された県大会の成績が思わしくなく志気が下がり、練習にこない部員が続出。花園どころか、ラグビーそのものの継続が困難で、県大会も交流試合もないウォールゲームになぐさめを見いだしているのだろう。

 野球部はクリケット、ラグビー部はウォールゲームと、他校と勝負しなくていいから気楽だ。野球部にしろラグビー部にしろ、他と較べて実力が劣るとわかっているから、ああやって他で通用しない競技をがんばるんだ。それが出来ないならば、以前の野球部みたいに不良になるか、ラグビー部みたいに必死になるかどちらかだろう。


 元々、スポーツはそれぞれのパブリックスクール内で行われていたもので、それが交通網の発達で、他校と試合を始めるようになった。勝者はそれなりに楽しいかもしれないが、敗者は勉強のできない学生がグレルのと同じで、惨めさを味わい続ける。そんなことなら昔みたいに、オリジナル競技を内部でだけ楽しめばいい。

 

 アーサーは、野蛮族の連中にもクリケットを教えようとしている。部活の終わりに、

「もう無免許レースやってないよね」と僕が聞くと、

「ソーリー。もう無免許では運転しません」

「免許はとらないの?」

「そのうちとるつもりですが、今はお金と時間がありません」

 時間がないのはわかるが、ALTの給料って安いんだ。僕の気持ちをくみとったのか、彼は、

「クリケットボール、バット、ウィケット、いろいろ買いましたから」と言う。

「え? あれ、野球部の連中が自分のお金で買ったって聞いたけど」

「彼らの分ではありません。彼らは自分からクリケットをしたいといいました。私が買う必要ありません。しかし、暴走族のみなさん、私がクリケットすすめました。それで私が買いました」

「働いている奴もいるのに、アーサーが払うなんて」

「それは問題ありません。それよりマコト。あの……」


 彼は、突然話題を変えた。

「何?」

「マコトのクリケット、見ましたが筋がいいです。ボウラーもバッツマンも」

「よしてよ。そっちの人数不足してるから、ちょっとやってみただけだよ」

 と僕は言ったが、彼がお世辞を言うタイプでないことは知っている。それで少し気分をよくしたのだが、

「ソッカー部は人数余っています」

「たしかにそうだけど……」

「ソッカーやめて、クリケットに来ませんか?」

「それって、僕にサッカーの才能ないってこと?」

「人には向き不向きがあります。今日本ではソッカー人気あります。それで皆ソッカーしたいです。ソッカーは自分からボールに向かっていかなければいけません。クリケットは番が回ってきます。それにソッカーのように長時間走り続けることはありません」


 間接的に向いていないと言っているようなものだった。でも、彼の言っていることは当たっている。確かに僕はスタミナと闘争心に欠けている。それで僕は何も言えなかった。

「マコト、ソッカーしていて楽しいですか?」

「さあ、そんなこと考えたこともないけど……」

「楽しくないのに、我慢して続けるのはよくないです」

「ほっといてよ」

 僕はそこで会話を打ち切った。コーチの彼に言われると、随分こたえる。


 アーサーは、不躾なことを遠慮なく随分はっきり言ったけど、日本語下手だから仕方がないのだろう。僕も国語の作文が苦手なので、人のことはとやかく言えない。それでも、あまりいい気持ちがしないのは確かだ。 

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