第6話 赤と白の太極ボール
木造モルタル二階建てその家は、パン屋の角から続く道に面し、右側の隣家との間に車が一台とまれるほどの庭がある。家屋の右側にその庭に出られる物置の扉があるのだが、そのときは気にせず、表に面した物置の窓に注目した。窓ガラスは割れておらず、カーテンで中を見ることができない。
表側の中央に引き戸タイプの玄関があった。表札もインターホンもない。玄関のすぐ右、物置の左が今で言うところのダイニングキッチンなのだろう。そこの窓から明かりが漏れている。小さな窓で磨りガラスなので、中の様子は見えない。
「呼んでみようか」
と昌喜が言うと、僕はうなずいた。それで二人で、
「すいませ~ん」と呼ぶと、すぐに玄関の引き戸が開き、アーサーが現れた。
「オー」と驚くと、「どうしたのですか?」と丁寧に聞く。
外国人にとって日本語の敬語が面倒なのはわかるけど、彼みたいに敬語しか話さないのもどうかと思う。
昌喜が英語で事情を説明すると、アーサーの顔色が変わった。
「ホミサイド? 聞いていないです」
僕らは、中に入れてもらった。
僕は戸を閉めるとき、玄関の引違い戸中央の鍵が二カ所あることに気づいた。一カ所は普通のもので、その下にもう一つ追加してある。犯罪に巻き込まれた家の防犯意識の高さを感じた。
アーサーの話では、僕の予想通り、友人と共同でこの家を借りたそうだが、事件があったことは何も聞かされていないという。
「不動産屋も、借り主が外国人だから黙っていたのかな」
僕が疑問を口にすると、昌喜は、
「そういう場合は、説明する義務があると思うよ。そのランスさんが、アーサーに秘密にしておいたんだ」
アーサーは事情を把握したようで、頭を抱えて落ち込んだ。知らずにいたなら問題なかったのに、僕らも悪いことをしたような気分だ。
それからアーサーは、ランスという人の話をしだした。
三月までうちの学校のALTで、アーサーも彼の紹介で、今の仕事に就けた。タレントをして、地方局のレギュラーテレビ番組に出演している。
そんな話で盛り上がっていると、玄関の扉が動く音に続いて、
「アイムホーム」
と、妙に陽気な声がしたので、僕ら三人は玄関に向かった。
同じ外人でも、アーサーはどちらかというとまじめな顔だけど、このランスはきっとおもしろい人なんだと思える顔立ちだった。身長はアーサーより少し高いから一九〇センチ近いと思うけど、凄く痩せていて顔が骨張ってる。でも、そのときはそんな特徴は気にならなかった。
なぜなら、そのときランスさんはシャーロック・ホームズの格好をしていたからだ。僕らも驚いたけど、アーサーの反応はすさまじくて、さっき殺人事件の話を聞いたときより驚いてた。
「ねえ、聞いて聞いて。ホームズの役決まったんだ。ところで君たち誰? ああ、生徒さんね」
と、日本人とほとんど変わらない発音で話してくるから、僕も普通に早口で、
「ホームズって? ドラマ出るの?」と彼に聞いた。
「まあね」
「どこのテレビ局?」
今度は昌喜が聞いた。
「某公共放送。それより君たち、僕がいた高校の生徒でしょ。この噂、学校中に広めてよ、広めて。ん? ホワッツロング?」
しばらく言葉を失っていたアーサーは、事件のことを思い出したようで、ランスと口論になった。僕らはそれをなだめて、事件のあった部屋に案内してもらった。
玄関のすぐ前の廊下の左側が居間で、右側が食堂、それから台所と続き、その向こうが問題の物置で、間の引き戸は一枚で、窓がはまっていない板戸だった。幅は一メートルもない。
ランスがその引き戸を開けると、中はコンクリート土間の十畳ほどの部屋だ。敷居は土間より一センチ程度高いだけで、スノコを置けばつっかい棒代わりになるのがわかった。
今はスノコはない。足下にはサイズの大きなサンダルが一足あった。遠慮なく僕が履いたので、他の三人はスリッパのまま土間に進んだ。
中央にはサンドバッグ、そのすぐ傍に見慣れないボールが転がっている。赤と白が不思議な形に混ざっていて、バスケットボールほどの大きさがあった。
「何あれ?」
と僕が言うと、ランスは、
「ホワイト君が仕事が決まった記念に、通販で買ったのさ。僕も一度使ったら、彼がボクシングしようと誘ってきて、それ以来二度と使っていない」
とサンドバッグの説明をした。
僕がボールを上からかがみ込んで見てると、
「ああ、それ。太極球といって太極拳の練習に使うもの」
赤丸が両端にある白地と白丸が二カ所ある赤地を球体に張り合わせたようにしたデザインは、太極図からとったのだ。材質はゴム製で表面は固い。
いってみれば、玩具のスーパーボールを大きくしたようなものだ。
「太極拳するの?」
「二人ともしないけど、サンドバッグのついでに買ってみた」
「どうやって使うの?」
ランスの代わりにアーサーが見本を見せてくれた。太極拳のように足を開いて立ち、ボールを両手で抱えて身体の周りに動かす。
「太極拳の套路の練習用で、重さが何パターンもある。僕らが買ったのは五キロと比較的軽いものだけど、それでもサッカーボールなんかに較べるとずっと重い。彼が今動いているのは、ネットの動画で見て覚えた。身体の柔軟性やバランスを高めるのに効果があるそうです」
と、ランスが説明してくれた。
套路とは、中国武術の練習法で 一連の決まった動作をする。
「いくらしたの?」
「五千円くらいかな」
「結構するね」
アーサーは套路を中断すると、僕にボールをほうった。受け取るときずっしりと重みが伝わった。ランスのいうように五キロはありそうだ。僕も、見様見真似で套路をしてみた。
ランスは調子に乗って、聞きかじった知識で解説する。
「そのボールの白と赤はそれぞれ陰と陽を現している。物事に常に表と裏があるように、悪人と思える人物にもいい面があったり、逆に正義の味方にも悪の要素はある。根が真面目な僕も、ときどきふざけたことをするのはそういうこと」
「ランスさんにも裏で悪いことしてるの?」と僕が聞くと、「それは言えない」と否定しない。
「してるってこと?」
「人には言えないから裏なんだよ」
といって、不適な笑みを浮かべた。
僕らがボールに興味を持っている間、昌喜は引き戸を調べていたが、ごく普通のつくりで、敷居の溝の上を板戸が動くだけだ。昌喜は台所側から板戸を外せるか試していたが、明らかに無理だった。
表側の壁に沿って、ダンボール箱が数箱置いてある。家具類はほとんど片づけられているが、外に出る扉の左、裏側の壁を背に、幅も高さも二メートルはありそうな大きな棚がおいてあった。
「事件のあったときは、あの棚と壁の間に二段ベッドがあったけど、今は処分したみたいだな。棚はまだ使えそうだからとってあるんだろう」
といって、昌喜は棚の前に行った。
棚の中は、見えやすい位置にデジタル置き時計があるくらいで、ほとんどものが置かれていない。時計は電池が切れているので、ゼロだけが並んでいる。
「ゼロが四つ並んでるけど?」
と、套路を一時中断して、僕がいうと、昌喜は、
「西暦も表示するんだよ」とわかりきったことを言った。
それから昌喜は、身体の向きを変え、外に通じる扉を見た。
よくみかけるスチールドアで、随分新しい感じがする。
「人に貸すからドア取り替えたのかな。さび付いて動かなかったら貸せないからな」
と僕が言うと、昌喜は、
「ドアはそのままで、ドアノブだけ交換してある。ドアごと交換しなくても、それで動くようになるからね」
といった。確かに写真のものよりノブが頑丈そうだ。
それから昌喜は、
「排気孔らしきものはないな」
と探偵を気取り、その横でホームズ姿のランスがアゴに手をあてて、一緒に見上げている。
偽ホームズは、急に謎が解けたように明るい表情になると、
「そうか。ここで事件があったので、家賃が安かったのか」
と下手な芝居をした。
「不動産屋さんは話してるはずだよ。最初から知ってるくせに」
と昌喜があきれたようにいうと、ランスは今度は悲しそうな様子で
「実は殺害された高校生は、僕の教え子なのです」と打ち明けた。
「え?」
僕らは驚いた。アーサーはよくわかっていない感じだ。
「生徒の顔まで知りませんが、僕の授業受けたはずです」
「そうか。ランスさんはうちの他にもうひとつ高校受け持ってたんだ。被害者はそこの生徒か」
と昌喜は納得すると、今度は、
「でも、こうしてホームズ姿のランスさんといると、アーサーは体格的にもワトソンみたいだね。あの二人も家賃浮かすため同じところを借りてたんだ。ところで、二人はどうやって知り合ったの?」と話題を変えた。
「前に住んでいたアパートが同じだった。外国人専用。といっても家賃が安いだけのボロアパート。そこはアジア人が多くて、イギリス人は僕たち二人だけだった。年も同じだから自然とね」
「英語助手って給料安いの?」
「行政からは結構出てると思うけど」
ランスは、アーサーに聞こえないように、僕と昌喜を近づけて小声で、
「ALTの派遣会社、そこがピンハネするから少ししかもらえない。あれ悪徳業者かもしれない」
と裏事情を話した。
「そこをアーサーに紹介したの?」
僕が普通の声で聞くと、
「しっ!」
ランスは指を口の前で立てた。外人もそんなことするんだ。
「仕事があるだけまし」
ワトソン扱いされたのが不満なのか、僕らの内緒話が気に入らないのか、アーサーがふくれつらに見えた。ランスは彼に、
「いや、なんでもない、なんでもない」
と、弁解がましく笑顔でごまかそうとした。ランスは、お世辞抜きで本当に日本語がうまい。きっとランスといれば、アーサーも日本語上手になるよ。
それから昌喜はカーテンを引いて、窓を調べた。
「割ったガラスを入れ替えただけで、窓は当時のもの。普通のクレセント錠で、クレセントとは三日月の意味。この可動部分の金具が三日月に似ているからそういう名前。
さらに、金具を固定する小さなつまみがある。ミス研の資料によると、事件当時は二重に錠がおりていたとあるが、このつまみまでおろしていたということだ。外から細い紐で閉めるのは無理だろうな」
と、明らかに僕に聞かせるのが目的で、独り言をつぶやいた。
ミス研の資料では外から撮影した窓の写真しかなかったので、家の中から見ることは有意義なんだろうけど、ごく普通の窓で期待はずれだった。
それから十分ほどそこにいた。思わぬ偶然の結果、事件のあった家の中まで入ることが出来たが、大して得ることはなかった。
帰り際、僕と昌喜が玄関を出ようとすると、後ろからランスに呼び止められた。
「ちょっと君」
「え? 僕?」
と振り返ると、彼は、
「黙って太極球持っていかないでよ」といった。
僕は、片手に太極球を抱えていたのだ。
「あ、ご免。忘れてた」と 言い訳すると、
「そんなでかいもの持って、忘れるか」
とランスは非難した。仕方なく返したけど、できればあのまま家に持ち帰りたかった。
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