第二部 労働とは何か
会社のことを書こうかな。そう思い至ったのはつい先日でした。一年以上前から勤め出した某病院での様子や感じ方などをエッセー作品としてアヴァン・ポップに描けないか。私のつまらぬ文章について来れる者がいるとしたら、それは気の毒な人か、尊ぶべき人なのかも知れない。
感謝――――すべき人は少なからず、いや、自分の隣の人ということになるかも知れないけれども、会社の中にも、社会という枠の中でも、確かに該当者はいる。僕の仕事の面倒を見てくれる担当の人、僕と昼食を共に食べてくれる友人、そして何より僕を雇ってくれた上司の方々、大勢の人が僕にとってあり難い、感謝すべき方々だ。ちなみにプライベートからサポートしてくれる恋人にも世話になっています。ありがとう。
僕は障がい者枠のパート雇用で働かせて頂いています。会社(病院で事務をしています)の組織でいうと最下層に属するのだろうけど、「雑草」の精神で励んでおります。いろいろ作業のスピードやいかにミスを無くすかを考えて試行錯誤を繰り返しましたが、結局、マイペースでやる以外方法はないんだというところに落ち着いています。なぜなら、休憩したり、頑張ったりすること自体もマイペースに含まれるからです。
そして、仕事については、与えられた仕事をどうこなすかにかかっていると考えています。無理に自分から仕事を探してやる必要もないし、怠けると注意されるのでやめたほうが良いということでしょう。でも、怒られたからといって、くよくようじうじ悩んでも仕方がないです。ちなみに、私は仕事がわりと好きです。「楽しい」という表現は違いますが、真面目にコツコツと几帳面に作業することは「真面目」です。それは私的には満足のいく体験です。
つまり、仕事は嫌々やるものじゃない。こういうと、また夜雨が決めつけて言っているとお思いになる方がおられるかも知れませんが、物事を決めつけると思想性が生まれると考えています。なお、決めつけない思想など面白くないと思っているんです。さらにみな様の中には「そんなに真面目、真面目っていうのならプロになって結果を出せ」という人がおられるかも知れませんが、僕に言わせれば逆に「だから真面目にサラリーマンをやっているんだ」と答えます。私の「善」の活動は既に始まっているし、何の変哲もない普通の『労働』こそが思想活動ということになります。それは革命性はまるでない。ところが、僕はこの生き方を変えるつもりはないのです。それは信念であり、理念なのです。
仕事の話に戻りますが、私は仕事が終わって友人とコンビニに寄ることが、儚いたのしみです。もちろん、仕事に涙はあり得ない。しかし、そこから出ると少ししんみりすることがないでもないなあと、のほほんと考えたりもします。
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