清らかな白鳥
だざいおさむし
第一部 作業所とは何か
僕は二十代の10年間は作業所に通っていた。そして、三十歳からは会社員になった。でも、それは大ざっぱに言ってだ。ああ、ちゃんと書こう。適当には書けない。
僕は22までニートをやっていて、23歳から作業所に勤め出した。そして、間に2年間ほど入院をはさんで(持病の幻聴の悪化が原因)、32歳まで通所し続けた。だから、実質は7年間、作業所で働いたことになる。
作業所(施設という言い方も)は就職するための勉強をする所でした。いや、職員さんがそう言っていましたし、僕もそうだなあと思っています。実際には、就職を目指さない人もいましたが、それは仕様がない人達のことで、そんな人達のことを思うと、いつも心が痛みます。大げさかも知れませんが。僕の論ではやはり「訓練」の場としての福祉作業所であり、いつかは羽ばたいていくべきだとそう考えています。
その「場」には「利用者」と「職員」がいて、職員は利用者の就職を応援してくれます。いや、職員さんがそう言っていたのです。一般の会社だったら、どこかに転職するなんて、持ってのほかですが、作業所はその点、基本的にあっせんしてくれます。転職を温かく見送ってくれるのは作業所ぐらいでしょう。
利用者はほぼ全員が障がい者でした。僕は合計四カ所の作業所を転々としましたが、健常者の利用者など誰一人としていませんでしたし、身体障害者は車いす、乗っていない人はびっこを引いていますし、片腕の失った人もいました。そして、私のような精神障がい者はというと、作業のスピードが遅い人、そして、なにより「変」な人が割合に多くいました。障害のタイプを分けると、本当に様々で、しかし、そのことを喜んで受け入れる人など、正直に言うと一人もいないのでした。
仕事は軽作業とパソコンの実習です。パソコンは検定試験に向けての勉強(ExcelとWord)で、職員さんはサポートをしてくれます。
工賃(給料と呼ばず、こう呼ばれます)ですが、一万円を満たすか満たさないかぐらいの額でして、帰りにコンビニに寄ると、半分が消えていくという貧困さでした。もう半分は、散髪に行ったり、本を買うと全部無くなってしまう有様です。しかし、私はこのハングリーな点も、就職の訓練、もしくは人間としての勉強だと思って堪えていました。
さて、今の彼女と出会ったのも、この作業所時代です。ですが、彼女との話はできるだけ秘密にしたいと思っています。なぜなら、本当に信用し合っている男女なら、だれにも知らせる必要性はないからです。二人だけの秘密にすることが、一番、二人にとって汚れのない恋愛だという方針です。
作業所ははっきり言って底辺。ニートの次ぐらいに底辺な職場だろう。両親が死んだ後、どうするんだ? この知人の問いには本当に返答に困った。まあ、きっと「生活保護をもらうよう申請するさ」とか答えるのが、妥当なんだろうが、しかし、その段取りが分からないという不安に襲われるのだ。
しかし、僕は作業所というもの自体を尊く考える。健常者から見るとショックを受けるぐらいに、魅力もないし、ハングリーだ。でも、私は一般会社に勤めている今でも、作業所は儚いものであり、それゆえにロマンチックな場であったと振り返って思う。
ところが「もう一度、作業所に来る?」と誘われても、間違いなく断るだろう。もう、僕にはあの場所に戻る度胸はない。確かに、やさしい気持ちになることはできるのだが。それでも、僕だけは――部外者はなんとも思わないのだろうけど――僕はあの日々を美しく思う。自分の人生で一番愛おしい期間であったという自負と共に。
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