第15話練りとナイト
もぐもぐとたこ焼きを頬張っているとメガホンで拡声された大きな声が聞こえた。もうすぐ練を行います、参加される方は中央に集まってください。
目を向けると本殿前の広場に男衆が集まっていく。練とはなんなのか見物しようとしたが、「男子諸君、さあ行くぞ」僕と岩水寺の肩に手を置き芝本さんが言う。続けて練りに参加しなければ男子に非ずとのたまう。
「練ってなんですか」岩水寺も知らなかったようで芝本さんに尋ねている。
行けばわかる、僕らを引っ張って芝本さんはずんずんと進む。力強く歩くため、おろおろしている僕たちは抵抗することもままならない。売られていく子牛のように問答無用で連れて行かれる。ドーナードーナーとBGMが聞こえる。
「まだ出荷されたくないです」岩水寺も同じことを思ったのか叫んだ。
救いを求めるように美園さんと西ヶ崎に伸ばした手は綺麗に払われる。彼女たちの満面の笑みで僕らは送り出された。
芝本さんに連れて行かれた先は男集団の中だった。僕らは広場に形成されたむさ苦しい塊の一部となった。塊の中心には三人の屈強そうな男が大きな旗を支えている。
これは何の儀式なのか。芝本さんに聞こうと探すけれどいない。岩水寺は、と探すが彼もいない。どうやら集団の中に入った所ではぐれたようだ。周囲は他人他人他人、男男男。肉の壁にぎゅうぎゅうと中へ中へと押し込まれる。隙間からわずかに見えていた外の景色が見えなくなるほど塊の内部に取り込まれた所で景気の良いラッパの音が響いた。
群衆が歩き始める。旗を周るようにゆっくりと歩き出す。後ろから押され僕も同調して歩き出す。
ラッパのテンポが少しずつ早くなる。男衆はラッパに合わせてやいそーやいそーと奇声を上げる。少しでも止まったら押し倒されて踏みつぶされてしまう。倒れないようにと集中する。まさに必死だ。
「おい兄ちゃん大丈夫かよ」声が聞こえた。歩くことに必死な僕は気が付かない。突然体勢が安定する。横を向くと全く面識のないおっさんに肩を組まれていた。
「練りに一人で参加するとは中々度胸があるじゃないか。でもギリギリみたいだからおっさんが肩を貸してやろう」
見ず知らずのおっさんにいきなり肩を組まされる。中々の怪談話である。男衆の歩みが早くなる。後ろから横から押され抵抗する暇もない。ついに足がもつれ体勢が崩れる。死を覚悟する。
不意に体が持ち上がり元の体勢に戻る。横のおっさんが助けてくれたらしい。大丈夫かよ、気持ち悪いほどの笑顔が僕に向けられる。
気味が悪いがしかし、これは凄かった。体が傾いてもすぐに正しく戻してくれる。人と肩を組むだけでこんなにも安定するとは。
「ほら兄ちゃんも叫ぶんだよ」
やいそー、やいそー、やいそー。おっさんが叫ぶ。肩を組んでしまっている以上逃げられない。腹をくくって叫ぶ。
やいそー、やいそー、やいそー。叫びながら歩くと意外と楽しいことに気が付く。個人なら羞恥に苛まれることでも集団で行えば恥ずかしくない。これも一種のお祭り効果に違いない。
人の波に揉まれながら力の限り叫ぶ。やいそー、やいそー、やいそー、やいそー。
一団を囲むラッパから聞こえる音が男達を煽り、呼応するように群衆は旗の周りを周り続ける。回遊魚のごとくひたすらに周る。群れに一度入ってしまうと止まることは許されない。個人の意思など無視した一つの大きな塊はぐるぐる周る。男たちがぶつかり合い熱気を作る。熱が熱を呼び空に小さな雲を作る。
ラッパの音、練りの速度、男衆の熱、全てが最高潮に達した時にラッパの軽快な音がやむ。群衆はゆっくりそして確実に速度を落とす。流れが止まった所でまた拡声された大きな声が神社内に響く。「ますますの発展と健康を願って」
「「「バンザーイ」」」「「「バンザーイ」」」「「「バンザーイ」」」
周囲の誰しもが万歳三唱をする。一人取り残されてその場に呆然と立つ。先ほどまで肩を組んでいたおっさんも万歳をしている。一人手を挙げていない羞恥よりも楽しみを共有できない悔しさが勝った。一抹の悔しさを感じつつ練りは終了した。
「兄ちゃんよう、祭りは楽しんだもん勝ちだぜ」人心地ついたところでおっさんに言われる。僕はその時扉の向こうの真理を見た気がした。
「今夜十二時にこの神社に来てみな。面白いものが見られるぞ」おっさんは僕に小さな声で耳打ちする。
絶対行きます、思考を停止して答えてしまう。普段の僕ならまず疑っていただろう。しかし、その時はすぐさま行くと言ってしまった。これも一種のお祭り効果なのだろう。おっさんとは固い握手を交わして別れた。
群衆から抜けた所でようやく芝本さんと岩水寺と合流できた。お互いに迷子になるなよとなじり合う。
そういえばと岩水寺が思い出したかのように言う。
「周っているときに一瞬八幡の姿を見かけましたけどあれ誰と肩を組んでたんですか」ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
「そっちの気に目覚めたのかと我が目を疑いましたよ」
「祭りだからな、見知らぬ人と肩を組むこともあるだろうさ。普段できないことをやってしまう」
「これもお祭り効果の効力ということですか」
「祭りは楽しんだもん勝ちなんだぜ」おっさんの言葉を得意げに引用した。
そこからは教示通りに祭りを満喫した。
東に元気な子供あれば行って一緒に走り回り
西に酔いつぶれた父あれば背中をさすってやり
南につまらなそうな人あれば行って一緒に屋台を梯子しようといい
北に喧嘩があればやんややんやと囃し立てた。
「目を輝かせすぎよ。年相応に落ち着きなさい」美園さんに首根っこを掴まれるまで境内の中を縦横無尽、上に下にと走り回った。
共に行脚していた岩水寺も西ヶ崎に捕まっていた。
楽しい時間ほど早く過ぎる。気が付けば日も傾いていた。
「そろそろ帰ろうか」芝本さんの言葉で僕らはぞろぞろと車へ移動し始める。何か忘れている気がする。記憶の海を彷徨うけれど思い出せない。
「なにか悩んでるみたいね」隣を歩く西ヶ崎に指摘される。
「忘れていることがある気がするんだ」
「本当に大切なことは絶対に忘れないって聞いたことあるわ。だから忘れていることはどうでもいいことね」
珍しく気遣ってくれる。何か良いことでもあったのだろうか。
「それならいいんだけど」それからふと思った事を口にする。
「それはそうとお祭りの間何度か知らない男に声を掛けられていたようだけれどあれは知り合いか?」おおよそ答えの予想できている質問をあえて聞いた。
「知り合いな訳ないじゃない」
「その後に岩水寺と手を繋いでいるのを見かけたけどもしかして」
どちらかが告白すればすぐにでも成就するこの恋にもついにハッピーエンドが訪れたのか。
「あれは恋人のふりをしてもらっていたのよ」
深く落胆し大きなため息をついてしまう。この男は何をしているのだと前を歩く男の背中を睨む。他人の色恋にとやかく言うものではないがここまで鈍感だと口も挟みたくなる。
それにしても、「そんな嬉しそうに頬を赤くされてもねえ」
「夕日のせいよ」平静を装っているのか普段と変わらない口調だ。
口角が上がって顔がゆるんでいることは指摘しないでおいた。
芝本さんの車で送迎してもらった後の帰り道。夕日に照らされて赤く染まった道路を歩く。
「西ヶ崎と岩水寺の恋は中々進展しませんね」隣の美園さんも苦笑して頷く。
「でも私たちは二人の気持ちを知っているからもどかしく感じるだけで当人達から見たら今日のことは大きな一歩だったはずよ」
岡目八目よ、冷静に彼らの気持ちを読み解く。それから僕を見て苦い顔をする。
「それにしても西ヶ崎は羨ましい限りね」
「どうしてです」
苦い顔をさらにしかめる。般若の表情を見せ、諦めたように前方を向いた。
「西ヶ崎と一緒に私も男に絡まれていたんだけど」
その時の光景を思い出す。確か僕は三杯目のトロピカルジュースを買うために列に並んでいた。弁解するならば僕も駆けつけようと一歩踏み出しはしたが岩水寺が彼女たちの方へ走り寄って行ったのを目の端でとらえ、また列に戻ってしまった。
「岩水寺君のおかげでその場が有耶無耶になって乗り切れたけれど」
だくだくと止め処なく流れる冷や汗を感じつつ続きの言葉を待つ。
「屋台の列に並ぶ知人と目があった気がしたけれどあれは気のせいだったのかしら」
全身の毛穴から吹き出した汗で服が湿る。
「平に、平にご容赦下さい」土下座せんばかりの勢いで謝る。その時は顔を上げる勇気を持ち合わせておらず地面をばかりをずっと見ていた。
ふっと空気を漏れる音がしてやっと顔を上げた。どうやら美園さんが笑いを堪えきれなくなって吹き出したようだ。先ほどの般若はどこにもいない。
「そんなに気にしていないわ」面白いものを見たと笑いながら言う。
何か腑に落ちなかったけれど怒ってなくて安堵する。
「羨ましかったのは本当だけれど」小さな声で発した一言を僕は聞き洩らさなかった。
「はてさて私のナイトは一体どこにいるのかしら」夕日が眩しいのか美園さんは目を細めた。
アパートの階段、上の階へ右足を踏み出した時にそうそうと美園さんが投げかけてきた。階段の影に隠れて姿は見えない。
「あの神社って夜にも何か催しがあるみたいよ」
それじゃあおやすみ、その報告を残し美園さんの足音が離れていく。夜に神社、二つの言葉が繋がり忘れていた記憶を思い起こさせる。絶対行きますと胸を張って答える自分の姿が脳裏に蘇る。忘れていたほうが良かった。絶対行きますなんて無責任に言ってしまったために苦悩する。これで行かなくては僕のちっぽけな心臓が罪悪感で押しつぶされてしまう。
その場の勢いに流されて返事をすることは今後一切やめよう。そう心に誓っても過去は変えられない。
不幸中の幸いと言えば零時までは時間があることだ。落胆しつつ部屋へ歩いた。
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