第16話おっさんと儀式
午前零時十分前、僕はまた神社に来ていた。過去の自分の無責任な約束の為に自転車で三十分も走った。自転車の明かりが消えると辺りは真っ暗となる。本当にここで何か行われるのか、おっさんと美園さんへの猜疑心が強まる。
「やあやあよく来たねえ」
突然暗闇の中に昼に会ったおっさんの顔が浮かび上がった。思わず声を上げてしまう。
「いやいやびっくりさせてすまないねえ。それにしても本当に来ると思わなかったよ」
暗闇の中でにこやかに微笑むおっさんの顔は中々の恐怖だ。全身真っ黒の衣装であるために顔だけが暗闇に浮かんでいるように見える。それでも人がいたことに安堵する。少なくとも騙されてはいないようだ。
深夜の神社で何が行われるのか好奇心と不安とが入り混じる。何が催されるのか美園さんも知らないようだった。
「一体何が行われるんですか」
「数年に一度の祭事だよ。珍しいものだからぜひ見ていくといい。学生のうちに貴重な体験をしておくと就職に役立つぞ」
嬉々として言うおっさんの言葉に胸を膨らませる。これは面白そうだぞ、僕の中の期待値が少し上昇する。
おっさんは僕を神社の中へ招き入れる。境内には白装束を纏った人たちが十数人いた。昼に練りが行われていた広場で円を描く様に立っている。
「あれは」呆然と立ち尽くす僕におっさんが言う。
「降臨の儀式だよ」
まるで説明になっていないのですが。質問したい事だらけだ。
「君は神社と寺の違いを知っているかい」質問しようと口を開きかけた時、反対におっさんに質問されてしまう。神社と寺に違いなんてあるのだろうか。御萩と牡丹餅くらいにしか違わないと思っていた。
「同じものじゃないんですか」
「君は本当に大学生かい」驚いたと言わんばかりに声を荒げたためにムカムカする。
「時間がないから簡単に説明するとだね、神を祀るところが神社でお坊さんの住むところが寺なんだ」
「それは知りませんでした。それがこれから始まることに何か関係あるんですか」
無論、とおっさんは胸を張り勿体つけるように話す。
「いいかい、一年に一度だけ神さんが人間界に降りてくる日がある。それが祭りの日の今日なんだよ」
「神さんというのはやっぱり天照大見神とか八百万の神とかそういうもののことですよね」
そう尋ねずにはいられなかった。遠目から見ても白装束を纏った人たちは子供には見えない。目の間にいる男性もそうだ。大の大人達が神などという妄想に本気で囚われているとは考えたくなかった。
「もちろんそれ以外に神なんぞいないだろうに。君が神を信じられないという気持ちも分かる。私だって私の見ている世界、信じている世界が絶対真実だなどとは考えてはいない。人の目の数だけ世界は存在していると思っている」
これはもしかして宗教の勧誘なのではないか。一歩二歩と後ずさりする。やはり来なければよかったと選択の誤ちを後悔した。
「この状況で恐がらないでくれと言っても難しいか」
苦笑するおっさんの姿は思い描いていたような悪徳宗教の印象はない。
これはあんまり言いたくなかったのだがなあ。照れたように頭を掻いた。
「本当に怖いのならここから去ってもかまわん。ただなこういう馬鹿馬鹿しいことできるのも学生のうちだけだと思うぞ。まあ私は学生ではないがな」
そう言ってガハハと豪快に笑った。おっさんの言葉は単純で暇を持て余す大学生にはとても効果的なものだった。神を降臨させると大それたことを言いつつもそれを馬鹿馬鹿しいことと言っていることも僕を安堵させた。
「遠くから見ているだけなら」いつの間にか僕は言っていた。
うんうんとおっさんは嬉しそうに頷いた。零時一分前、さあ始めようとポケットからペットボトルを取り出した。
「ここから先は私はしゃべることができないから君も静かにオーケストラの演奏を聞くような態度で頼むよ」
言葉の意味を理解する前におっさんはペットボトルの蓋を開けて中にある液体を口に含んだ。口内の液体を呑み込む素振りは一向に見せない。しゃべることができないってそういう物理的な理由かと頬を叩いて、液体を吐き出させたくなる。
おっさんは右手を振ってじゃあねとジェスチャーして広場へ走って行った。目を凝らしてよく見ると白装束の人たちも各々ペットボトルを取り出して中の液体を飲んでいる。俄然僕の中の好奇心と期待が沸々と湧き上がる。これから特別なことが起こるのではないか、これは壮大な物語の序章なのではないか。
しかしファンタジーのようなお話はそうそう起こるものではない。おっさんを含めた得体のしれない不気味な集団は広場で奇妙な動きを繰り返すだけだ。黒服のおっさんを白服の人たちが囲みくるくると回ったり、全員で右へ左へ行進したりと集団行動の演技を見せられているようだ。深夜の神社で珍妙な集団が珍妙なことをしている、最初の数分は僕もほうほうと興味津々で見ていたけれど十分もしたら飽きてしまう。
「これのどこがオーケストラなんだ」
そんな皮肉が口に出てしまったことを誰が責めようか、いや責めるはずがない。三十分近く行われた集団行動を傍から静かに見ていた僕は褒められて当然である。
ようやく終わったのか液体を口に含んだままおっさんが走り寄ってきた。満面の笑みで迫ってくる彼を邪険にすることもできず七割くらいの愛想笑いで迎える。僕の前まで来ておっさんの頬が萎む。口内の液体を呑み込んだなと、どこか他人事のとして見ていた。
「どうだった」
「正直よく分かりませんでした」
深夜に境内で歩き回る人たちを見た感想など持ち合わせているはずもなく思ったことをそのまま口にする。気を悪くしてしまったかなと心配する一方でこれは仕方ないだろうと言い訳している自分もいた。
「そうかそうかやっぱりか」ガハハとまた豪快に笑いながら僕の肩を叩く。
「実の所私たちも何をやっているのか分かっていないんだよ。古来から伝わる由緒正しきものだと先代は言っていたのだがなあ」
「そんな心持でいいんですか」
「案外伝統なんてそういうものなんじゃないのか。きっと私のあずかり知らない所で意味が生まれるんだろう」
うんうんと自分の言葉に納得したようだ。確かにそうかもしれないと僕も少しだけ感化されそうになったことは秘密だ。
「どうだいこれから打ち上げだけど君も来るかい」
これ以上一緒にいては流され取り込まれてしまうのではないかと恐怖する。おっさんの人柄が良いからかずるずると引き込まれていく未来が想像できた。
僕はこの辺でとその場を後にしようとする。そうかという残念そうな声が聞こえて立ち止まりそうになった。
「今日はほんとにありがとうございました」
頭を下げて足早に立ち去る。自転車まで戻り漕ぎ出すと涼しい夜風を感じた。冷静に考えると危ない所だったなと冷や汗をかく。
何はともあれと思い返す。あれが就職に役に立つはずがない。
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