未来

放たれた硬球は、二度と手元には返って来なかった。

 彼は、汗がTシャツに染み込み体に張り付く不快感に奥歯を噛みしめながらも、周りに顔を合わせようとせずに下を向く。

『負けた』

 その三文字が脳内を支配する。邪念だと、振り払おうとも彼の頭を離れることはない。人生で初めての大敗。九回表、6対2

 甲子園という大舞台に立ち、準決勝で無念の敗退。そういうレッテルが彼の背中に貼られている気がした。

 投げることなど出来るはずがない。それでも、彼は投げ続けた。

 死を目前にした生者のあがき。

 見るに耐えない。それでも、僕の目には彼の『負け』に抗う意志が己のように感じられた。

 次の三人を抑えてベンチに帰る彼の足取りは鉛のように重く、重圧に今にも倒れそうだった。

 そんな彼にチームメイトは背中や頭を叩き、喝を入れる。

 彼は頭を上げて、チームメイトに微笑む。それは、無理した笑顔だとすぐに解った。

 裏の攻撃は、三者凡退。彼の夏は終わった。この悔しさを糧にして彼はもっと強くなるだろう。

 僕はグラウンドに立つ彼を見届けて、球場を後にした。

 


 人生の分岐点に必ずいる悪魔と天使。そして、わたし。

 魅惑の悪魔はいつも甘く囁く。弱いわたしは疑わずに、餌を待つ鯉のようについて行く。

 厳格な天使はそれに見かねて、わたしにすぐさま駆け寄り将来について諭す。わたしのちくわの耳を通り過ぎ、その重大性に気づかない。

 『私』の声は届かない。悪魔の声は熟れたイチゴのようだ。

 狂言だと知っていても彼女にはそれに抗う意志がなかった。

 いつの間にか天使は消え去り、悪魔たちが彼女を手を取っている。

 今の私に彼女はなる。

 選択肢を間違えたばかりに。

 悲嘆にくれ、地面に貼り付く新聞紙のように彼女はなるだろう。


 

 生物の傍らを片時も離れない複数のそれには既に未来が決められている。間違いを正す時間をそれは過ぎた後に与える。

 

 扉は言う。

「開いてみないとわからない」

 

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