第33話 やはりテンプレでしたか
――とある酒場にて。
店内は薄暗く、知らぬ人間が見れば素直に営業前なのかと思うだろう。しかし、ちらほらと客の姿も存在し、それらのほとんどが昼間だというのに出来上がり、赤らめた顔でくだを巻いている。彼らの言い分はほとんど同じで、仕事がうまくいかないだったり、家族や仲間への不満だったり、稼ぎの悪さを自分ではなく周りのせいだと責任転嫁したりと、まあ要するに愚痴である。
そんなダメ人間ばかりがたむろするような店に、少々毛色の違う人間がいた。
男の二人組だ。片方は長い髪を後ろで一つにまとめた偉丈夫で、その精悍な顔つきは服の上からでもわかる鍛え抜かれた体つきと相まって、正しく歴戦の猛者という空気を放っている。
もう片方は、先の男に比べれば小柄であり、その柔和な相貌もあって文官のようにも見えるが、油断なく構え、いつでも動けるよう椅子に浅く座る姿は、こちらも普段から戦場に身を置いていることを窺わせる。
二人は人を待っていた。
「依頼を出したのが一週間前。たった一週間で何かわかりますかね?隊長」
小柄な方が口を開く。
「ここで隊長はよせ。大丈夫だろう、奴はその辺の冒険者とは違う。人脈も手段も、実力もある。少なくとも何かしらの情報は仕入れてくるはずだ」
偉丈夫が答えた。
「しかしまさか隊長が『疾風』と知り合いでしたとは」
「昔、王都でちょっとな」
「ところで、Sランクの冒険者とはいったいどのような人物なのですか?」
「……お前、知らないのか?」
「噂程度でしたら」
「そうか。う~む、あいつはなぁ――」
部下からの質問に隊長は答えに詰まる。なんというか、世間の評価とかけ離れた人物なのだ。
『疾風』とは三年ほど前に突然現れ、瞬く間にSランクへと駆け上がった冒険者の二つ名である。
王都近辺を荒らしていた盗賊団を壊滅させたのを切っ掛けに、王都御前試合初出場初優勝、エニスの港町をモンスターの氾濫から守り、おとぎ話の存在だったリンリー遺跡の発見とその制覇。と功績を数え上げれば枚挙に暇がない。
『疾風』というのは、彼の戦闘スタイルもさることながら、それらの功績をわずか一年で打ち立てたその早さからも来ている。
ついでに言えば『疾風』はその一年で冒険者を引退している。まさに風のように駆け抜けた男だった。
そのように、何も知らない人々からすれば半ば伝説と化している『疾風』だが、本人を知っている隊長からすれば何かの冗談にしか思えなかった。
もちろん本人に実力があることも知っているし、成し遂げたことも事実だとわかっている。そもそも隊長が彼と出会ったのは、彼が優勝した御前試合での試合だ。その強さを誰よりも知っていると言っても過言ではない。
だが、本人の実力と人格は別問題である。
「……軽い」
「え?なんですか?」
隊長の答えに、一瞬何を言われたのかわからず聞き返す部下。
「奴を一言で言うと、軽いんだ」
「……あ、あ~、フットワークがってことですね。なるほど、兵は拙速を尊ぶ。その行動の速さが『疾風』の強さの秘密なんですね」
部下はそう言って自分を納得させようとする。まさか国に意見することも出来るSランクの冒険者が『軽い』と評価されるとは思わなかったのだ。
しかし、
「そうじゃない。悪い言い方をすると、軽薄だ」
「……」
現実は無情である。
その時、店のドアが開いた。噂をすればなんとやら、そこには彼らの待ち人が立っていた。
部下はそこで初めて『疾風』の姿を見る。想像していたよりも細身だった。自分のことを棚に上げるが、とても戦えるような人物には見えない。顔つきのせいか常にニコニコ笑っているように見えて接客業に向いていそうだ。
本当に彼が『疾風』なのだろうか?
「お、いたいた。おまっと~」
「……」
確かに軽い。間違いないようだ。
「遅かったな」
隊長が声をかける。
「いや~、昨日ギルドの酒場で新人が洗礼やっててね。つい飲み過ぎちゃって」
「洗礼って、あの酒を奢るやつか?あんなのまだやる奴いたのか?」
「本人の意思じゃなかったっぽいけどね。あ、マスター!テキトーに軽いの作って持ってきて」
そう言って『疾風』が席についた。
「いや~。それにしても久しぶりだな、おっさん。元気してた?こっちの人は見ない顔だね。初めまして~、俺は――」
「悪いが自己紹介は後でやってくれ。先に報告を聞きたい。あと、おっさんはやめろ。俺はまだ30前だ」
「その顔で何言ってんだよ。30前って言ったってそれもあと少しだろ?いつまでも認められないと見苦しいだけだぞ♪」
『疾風』のからかいに隊長は苦虫を潰したような顔をする。出会った頃からこういう所が苦手だ。
「それで、何かわかったか?」
「ん~、こっちの報告をする前にそっちで何かわかったことはある?」
「すまんがこちらでは何もない。王都は今回の件を異常だと捉えていない」
「そう。ま、予想通りだね。おっさんはどうしておかしいと思ったんだ?」
「……勘だ」
隊長が渋るように口にする。確かに人々は勘なんていうあやふやな理由で納得することはないだろう。
だが、勘というのは存外馬鹿に出来ないものだ。
それは経験則とも言えるもので、長く冒険者をやってきた人間が自分の勘を信じて命拾いした例などいくらでもある。
『疾風』も隊長もまだ若いが、潜ってきた修羅場の数が違う。むしろ彼らの口から出たのであれば、そこには勘以上の何かを感じられた。
「切っ掛けはフォレストウルフの異常発生だ。通常人里まで下りてこないヤツらが畑を荒らすという案件がいくつも入ってな。多くは冒険者が駆除したが、騎士団でも処理を手伝ったことがある」
「知ってる。ギルドの掲示板にたくさんあったよ」
「そして、原因を確かめるために死体を調べたんだが、ある共通点が見つかった」
「それは?」
「栄養失調だ。ほとんどの個体がもう何日も食べておらず餓死寸前だった」
「フォレストウルフの数が増えたから餌が少なくなったんじゃないの?」
「そうだ。本部もそう考えているから動かないんだ。フォレストウルフ程度なら数が増えても問題ないとな」
「ふ~ん。けど、おっさんはそう考えてないわけだ」
「ああ」
確かにフォレストウルフの数が増えただけならばそこまで問題ではないだろう。数は脅威だが、ギルドからの依頼で冒険者も動いているし、いざとなれば騎士団が隊を率いて山狩りをすればいい。
だが、隊長はどうしても嫌な予感が拭えなかった。何かが起こる気がする。しかし根拠が勘では騎士団を動かして調べることは出来ない。
そのため、こうして昔の知り合いに頼むことになったのだ。
「それで、何がわかったんだ?」
「いい報告と悪い報告、どっちから聞きたい?」
その言葉を聞いて、思っていた以上に状況が悪いことを悟る。大した問題でもない事案にこの言葉を使う奴などいない。
隊長は暗鬱な気持ちで口を開いた。
「いい方は?」
「まだ時間がある。今ならまだ王都の騎士団本部に連絡を取って、全軍を持って事にあたれば何とかなるかもね」
「ちょっ、ちょっと待って下さい!全軍って、戦争でもする気ですか?」
『疾風』の言葉に部下が反応する。
王都クインノッドはこの辺りを治める大国だ。当然騎士団の規模も大きく、全軍ともなればその数は万を容易く越える。そんなものであたる事など戦争ぐらいしか思い浮かばなかった。
「そうだよ」
「そうだ、って……」
ただ事実を述べるだけ、という口調に二の句を継げなくなる。
隊長は改めて目の前の男に尋ねた。
「
「ああ。正確ではないけどね」
「……どういうことだ?」
「戦争といっても相手は国じゃない。けど国の方がマシかもな。どちらかが降伏すればそこで終わるんだから。あっ、あんがと♪」
しゃべりながら届いた食事に手をつける『疾風』。とても重大な話をする態度ではない。
だが隊長は知っている。この男は真剣な話ほど努めていつもの態度でいようとすることを。
「……何が起こる?」
「
「――!?」
自分の勘が憎い。昔から悪いことほどよく当たる。だとしてもこれほどとは思わなかったが。部下も飲み込みきれていないのか目を点にしている。
「おっさんから依頼をもらってすぐに昔の仲間に連絡を取った。確認が取れたのは昨日だ。北の大森林の向こう、この国と比べ物にならないほど小さいけど、フェブリルって国があるのを知ってるか?」
「あ、ああ」
当然だ。大森林という天然の巨大な防壁があるとはいえ、隣の国なのだから。
「なくなってたってさ」
「は?」
耳を疑う。この男は今何と言ったのだ?
「だからなくなったんだって。国が。丸ごと」
「……」
「原因は今言ったようにスタンピードによるものだ。生き残った人から聞いた話だとオークの群れだったらしい。どこで異常発生したのか知らないけど平野を埋め尽くす規模だったらしいよ。少なくとも十万はいるんじゃないかな?」
「……」
「フォレストウルフは増えた訳じゃない。北側にいたのがこっちに逃げてきたのさ。そのせいで南側の餌が足りなくなって飢えたやつらが人里に降りてきたんだ」
「……」
『疾風』が説明を続けるが半分くらいしか頭に入らない。あまりのことに現実感が希薄になる。
オークによるスタンピード。オークは猪の頭を持った人型の種族だ。多くは2メートルを超える巨体であり、その怪力やタフネスはヒトなど比較にならない。
そんなものが十万?悪い冗談だ。
「ごっそさん。とにかく伝えたぜ。この情報を信じる信じないはそちら次第だ。もちろん、どう動くかもな」
そう言って立ち上がる『疾風』。
呆けてる場合ではない。そのまま立ち去ろうとする背中に声をかける。
「ま、待て!お前はどうするんだ。まさかとは思うが……戦うのか?」
今回とは規模が違うが、目の前の男は以前一つの街をモンスターから守ったこともある。ほんの一欠片の希望を混ぜてそう尋ねた。
だが、
「んにゃ、俺は逃げるよ。俺はもう戦えないし戦いたくない。村に戻ってかみさんや村の人たちを連れてさっさと避難することにするさ」
「―――」
『疾風』の答えはひどくあっさりとしたものだった。ともすれば無責任とも取られるほどに。
確かに彼は軍人ではない。すでに引退しているため冒険者ですらない。国のために戦うことも、ギルドからの要請によって協力する義務もないだろう。
だが、それでも元Sランクだったのだ。僅かでも期待してしまうのは無理からぬことだったろう。
「ふざけるな!あんた元はSランクの冒険者だろう。それが尻尾を巻いて逃げるっていうのか!この国を見捨てるっていうのか!!」
必然、『疾風』のその態度に部下がカッとなった。
協力してくれてもバチは当たらないだろう。そんな思いからつい言葉が溢れた。
「……」
「っ――」
『疾風』は特に言い返すこともない。しかしその瞳を見たとき、部下はそれ以上言葉にすることが出来なかった。
目の前の男は、態度とは裏腹に決して軽い気持ちで逃げると言ったわけではない。それが理解できたから。
「部下がすまん。こいつも悪気があったわけじゃないんだ」
「わかってる、気にしなくていい。見捨てようとしてるのは事実だ」
「お前は軍人じゃない。国よりも守りたいものがあるんだろ」
「……まあな。俺は正直、おっさんも逃げろって言いたいところだけど――」
「無茶を言うな」
「だよな~。隊長さんは大変だ」
「全くだ。俺はただの一兵卒でよかったんだがな」
そう言って歯を見せる隊長。出会ってからたかだか三年。それでも初めて会ったときよりも随分と老けて見えた。少なくとも年相応には見えない。
苦労の多い役職なのだろう。しかし浮かべる笑みからは言葉ほど後悔があるようには聞こえなかった。
「……なるべく死ぬなよ」
『疾風』も、出来ることなら友人の力になりたかった。だが自分の手には届かないものもある。その言葉が精一杯だった。
『疾風』を見送ったあと、隊長はいつまでも立ち上がれない部下に渇を入れる。
「おら、さっさと立て。いつまでも呆けてんじゃねぇ!」
「あっ……し、しかし隊長、いったいどうすれば?」
「あいつも言ってたろうが。まだ時間はある。やれることをやるだけだ」
「しかし……」
部下の腰が重い。気持ちはわからないでもないが、迫る脅威にもはやそんな時間はなかった。
椅子ごと蹴りとばす。
「うだうだ言ってる暇があるなら動け!あちらさんは待っちゃくれねぇぞ!お前も軍人ならやることやってから死にやがれ!!」
「はっ、はいぃ!!」
そう言って手足をバタつかせながら店を飛び出していく部下。
全く、筋は悪くないのに一歩目が遅いのがあいつの悪いところだ。
心中ため息を吐きながら椅子を直す。主人に少し多めに金を渡し、隊長も店を後にした。
時間はある。やれることをやるだけ。そうは言ったが間に合うだろうか。
王都の騎士団本部への連絡と支援要請、大森林への偵察や街の防衛の強化、市民の避難に避難先の手配、やることは山積みだ。
だが、ここで自分が諦める訳にはいかない。それが軍人としての、隊長としての貫きとおす意地だった。
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