第29話 わたし、怒ってます?

「はぁ~……」


 料理を注文してカウンター席で完成を待ってる間、もう何度目になるかわからないため息がまたこぼれた。


 わたし、何やってるんだろう……


 わかってる。イチに悪気なんてなかったし、あんなのは売り言葉に買い言葉でつい熱くなってしまっただけだ。どっちが悪いかと言うならば、最終的に手を出してしまった自分が悪い。


 ただ、なんとなくイヤだったのだ。エルさんの手を握ったことがではない。いや、あれも良くはないけどわたしが気にしてるのはそこではなくて、というかイチって実は結構手が早いのかな?そりゃエルさんは女のわたしから見ても美人だと思うけど、あんな露骨に態度を変えなくてもいい気が…………ごほんっ。そう、気にしてるのは別のこと。

 もしかしたらイチが『わたしがイチのことを良く思ってない』と思ってるのではないかということだ。

 勿論そんなつもりはないけれど、イチにはわたしの態度が冷たいものに見えていて、だから当て付けのようにエルさんにあんな態度を取ったのかもしれない。


「はぁ~……」


 星渡りであるイチと出会ってからおよそ一月半。最初は色々あったけど、今では秘密を共有する唯一の人間だ。そんなイチと一緒に生活してきて、わたし達は随分と打ち解けたと思う……そう思っていたのだけど、もしかしてそれは自分だけだったのだろうか?

 とにかく、わたしはイチに悪感情なんて持っていないのに、そう思われるのが嫌だった。


「はぁ~……」


 イチは変わり者だ。わたし達が獣人だとわかっても少しも態度を変えなかった。この世界、ディアクルーシェとは文化の違いもあるのだろうが、人間は基本的に自分と違うものを怖がるものだ。だから種族差別は起こるし、例え同じ種族でも優秀であれば妬まれ、強すぎる力は恐怖を生む。


 多分、だけど。もしかしたらイチもだったんじゃないかな?優秀だとか、力が強いってことじゃなくて、ただ普通の人とが違う。


 前々からイチは『命』というものに対して、他の人とは考え方が違うように見えた。死生観が違うというか。時々すごく怖くなる。

 この前初めてスキルのペナルティを使った時、あの時もう少しでイチはあの商人を殺していた。幸い兄さんが止めたから大事には至らなかったけど、問題はそこじゃない。問題なのは、もしもあそこで商人を殺してしまっていたとしても、イチはきっと何も感じない。そんな予感がすることだ。


 あの時のことは、あの後兄さんと相談してもう少し様子を見ることにした。とにかくイチという人間を知らなければ判断出来ないことだから。けど、もしもイチがわたし達にとって有害で、わたし達の命を脅かす存在だとしたら、その時は……


「嫌だなぁ……」


 それは嫌だ。

 実はイチは生まれて初めて出来た友人なのだ。

 事情があって子供の頃は友人が作れなかった。

 大きくなってからは、作るヒマもなく故郷を出なくてはならなかった。

 ユルグの村では年の離れた大人や子供たちばかりしかおらず、一番近いマリーさんも雰囲気が大人っぽいせいか頼れるお姉さんといった感じで、友人という感じではなかった。

 それに、例え友人になれたとしても万が一獣人であることがバレれば、その時点で友人ではなくなってしまうだろう。だからこそ、獣人だと知ってなお好意的に接してくれるイチの態度が嬉しかった。


 自分は一体どうしたいのだろうか。

 熱くなった頭は討伐依頼を受けている間に十分冷めた。本当はイチに会ったら謝るつもりだったのだ。

 けれどもいざ会ってみると、肝心のイチはまるで先ほどのことなどかのように話しかけてくるではないか。

 確かにあれは自分が悪かったと思う。殴ってしまったのはやりすぎだった。だけど……だけどイチにも少しは責任があるんじゃないだろうか。

 自分はイチとの友情を壊したくなくて、こんなにも悩んで謝ろうとしてたのに、イチの方はまるで先ほどの事などどうでもいいことだと、露ほども気にしていない態度なのが悲しかった。


「はぁ~……」

「どうしたんだい?そんなにため息ばっかり吐いちゃってまあ」

「……おばちゃん」


 気付けば目の前に、この酒場の料理を一手に引き受ける名物料理長『おばちゃん』が立っていた。

 名前は知らない。みんなおばちゃんと呼ぶし、一度名前を聞いたら「ずいぶんと可愛い名前だから教えたくないんだよ。あんたくらい若けりゃまだいいが、この年になるとね。おばちゃんで結構さ」とカラカラ笑っていた。


「そんな辛気臭い顔をしてたら、ただでさえ不味いあたしの料理が一層不味くなっちまうよ!」

「おばちゃんの料理は美味しいよ?」

「謙遜に決まってるじゃないか。そんな真面目に返されたらおばちゃん照れちゃうよぉ。そういう時は笑ってりゃいいんだよ!」

「あはは……」


 おばちゃんは凄く豪快な性格をしている。その恰幅のよさもあって、肝っ玉母さんって言葉の良く似合う人だ。そのくらいでないと、荒くれ者の多い冒険者が集まるこの酒場で働くことなど出来ないのだろう。

 けどそれだけじゃなくて、失敗して落ち込んでる冒険者を励ましてくれたり、慣れない新人にあれこれ世話を焼いてくれたり、そんな細やかな気配りが出来る人でもある。

 今のだって、落ち込んでるわたしを見て笑わせようとしてくれたのだ。


 だからわたしは、そんなおばちゃんの厚意に甘えてちょっと相談することにした。


「ねぇ、おばちゃん」

「なんだい?」

「その、と、友達と喧嘩しちゃった時って、どうすればいいの?」

「……へぇ~、あんたみたいな子でも喧嘩なんてするんだねぇ。相手はどんなだい?男かい?女かい?」

「お、男だけど」

「あっはっは!そりゃいいや。あんたを怒らせるなんてその男もよっぽどのことしたんだろ。ほっときなほっときな!その内そいつの方から謝ってくるよ」

「ち、違うの!その人も確かに良くなかったかもしれないけど、どっちかと言うとわたしの方がわ、悪くて」

「ふ~ん?何したのさ?」

「えっと、ちょっと言い争いをして、殴っちゃった」

「……その男、死んでないだろね?」

「死んでないよ!……ちょっと気を失った程度で」


 おばちゃんは長くこの店にいるだけあって、たくさんの冒険者を知っている。勿論わたしのことも。なので、殴られたと聞いてイチの心配をし始めた。


「あんたに殴られてそれで済むなら、その相手の男も大したもんだね」

「それは、ちょっとひどくない?」

「はっ、な~に言ってんだい!普段あんな重い武器を軽々と振り回してるくせに。今日だってマッドベアを仕留めてきたじゃないか」


 マッドベアとは体毛の赤黒い、全長5メートルを超える巨大で凶暴な熊だ。先ほど兄さんとフォレストウルフ討伐をしていたところに襲いかかってきたので、返り討ちにしたのだ。


「あ、あれは襲いかかってきたから仕方なく……」

「マッドベアの討伐適正ランクはCランクパーティー以上だよ。あんたの実力がランクに見合ったものじゃないのは知ってるけど、Dランクの女の子が個人ソロで倒すものじゃないことくらいわかってんだろ?」

個人ソロじゃないよ。兄さんもいたもの」

「ほ~。ジンと二人がかりだったのかい?」

「……」

「すぐわかる嘘ついてんじゃないよ!まったく」


 返す言葉もない。


「それであんたはどうしたいんだい?」

「だから、それを教えてほしくて……」

「そうじゃなくて、あんたはこれから先、その男とどう付き合っていきたいんだい?もっと仲良くなりたいのかい?前と同じ?わだかまりを無くす程度?」


 どう?

 どうなんだろう?

 わたしはイチとどうなりたい?

 友達?親友?こ、恋人?……どれもしっくりこない気がした。

 今まで友人のいなかった弊害か、うまく想像することが出来ない。

 わたしにとっての理想は……

 友達というほど離れてなくて、とても近いけど親友と呼ぶほど同じ方向を向いてなくて、背中合わせだけど恋人と言えるほど互いに寄りかからない、けれどもちゃんとお互いを想っていられるような、そんな……


「……家族?」

「ん?」

「その、兄さんみたいに血が繋がってる訳じゃないけど、けどいつも一緒にいて、好きなところも不満なところも遠慮なく言い合えるような」


 以前、イチから聞いた三ごくし?ってお話に出てくる、何とかって三人みたいな、


「そんな家族みたいな仲になりたい、かな?」


 それが自分でも合ってるのか確信が持てなくて、最後はちょっと疑問系になってしまったけど、言葉に出してみればそこまで違わない気がした。


 わたしの答えを聞いたおばちゃんは、ふふんと笑うと優しく教えてくれた。それはおばちゃんの経験してきた長い人生を感じさせてくれる声で、


「だったら、まずはちゃんと謝ることだね。そんでまた喧嘩しな。それを繰り返して、それでもまだお互いに一緒にいたいと思えたら、そうなれるかもしれないよ」

「うん」

「やっちゃいけないのは、相手の思いを決めつけることだ。あんたたちがどんな言い争いをしたのかは知らないが、相手の言葉はあんたの思ってるのとは別の思いから出た言葉かもしれないからね」

「?」

「あんたにゃまだ早かったかね。もっとたくさん友達を作りな」

「お、おばちゃんには関係ないでしょ!」

「だったらこんなとこであたしに悩み相談なんかしてんじゃないよまったく!ほら、さっさとこの料理持っていきな!あんたの話が長すぎて、ずいぶんと冷めちまったい」


 そう言っておばちゃんは料理の乗ったトレイを渡してくる。言われたとおり料理は冷めていたが、それでもおばちゃんの料理は美味しそうだった。

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