第8話 窮鼠猫噛

 突然だがオレは好き嫌いが多い。しかしその境界線が他人には分かりにくいらしい。

 例えばの話をしよう。オレの通っていた学校には佐藤先生という男性教師がいる。人格者で生徒に親身になって接し、誰からも好かれるような好青年だ。オレも嫌いではない。そんな彼がある時殺人を犯したとする。動機も証拠もあり完全にクロの状況でも、もし彼がやってないと言えばオレは信じるだろう。嫌いではないからだ。

 別の例を出そう。その佐藤先生が学校の屋上でタバコを吸っている姿を見たら、オレは多分タバコごと顔面を蹴り飛ばすだろう。

 オレがひどい嫌煙者でタバコを吸う人を嫌悪しているから。というわけではない。単純に『佐藤先生』に『タバコ』が似合わないと思うからだ。

 以前萩村姉弟とたまたまそんな話になったとき、文月からは「いっちゃんの好みは極端でめんどくさくて解りづらいよね。でも、だから好き♪」と意味不明なことを言われ、樹雷からは「今日の晩飯はカレーだな!」と天才的な答えをもらった。



 閑話休題前置きが長くなった

 別に化け物に感情があるのがわかったからってどうにかなるわけではない。そんなひらめき一つで何か逆転の策が思いつく、主人公のような生き方はしていない。

 単純にムカついただけ。

 圧倒的強者であるコイツが、弱いものイジメをして悦に入ってるのが気に食わないだけだ。

 強いやつには強いやつなりの立ち振舞いってのがある。弱いものイジメで喜ぶような奴は小物でしかない。別に押しつけるわけではないし、モンスターに言っても仕方ないが、そんな小物に怯えた自分が腹立たしい。


 だから、


「待てよ」


 目の前で嬉しそうに振ってた尻尾を思い切り掴んでやった。


「ウウゥゥ~~!!」


 この化け物にとってオレは、そこら辺に落ちてる小石以下の存在だろう。そんなゴミクズに尻尾を掴まれて怒りの声をあげてやがる。ははっ、ざま~みろ♪


 ドガンッ!!


「がはっ!?」


 後ろ足でふっ飛ばされた。驚くヒマも痛がるヒマもなく化け物が突進してくる。

 スポーツも格闘技もまともにやったことはなく、体育も苦手ではない程度のオレにかわすことなど出来るはずもなく、勢いそのままに地面に押し倒される。


 もうダメか。


 このまま頭を噛み砕かれて終わりか。そう思ったが、噛みつかれたのは右肩だった。


「ぎぃあああ~~!!」


 この野郎、この期に及んでまだいたぶるつもりか!


「クピッ!?クピィ~!!」


 そしてやはりペンギンはオレを助けるつもりだったらしい。化け物をオレから引き剥がそうと懸命にタックルしている。

 なんてカッコいいペンギンだよ。オレの中のペンギン好感度がうなぎ登りだぜ。


 しかしそんなことより先にこの化け物をどうにかしないといけない。オレはまだ生きるのを諦めていない。


 運はある。一つ目はコイツがまだ遊ぶつもりでオレを即座に殺さなかったこと。二つ目は噛みつかれたのか右肩であること。右腕のケガのせいで元々ほとんど動かせなくなっていたからだ。逆に左腕はまだ動く。そして三つ目は左腕の届く範囲に木の枝、というか棒が落ちていたことだ。


「こっ、の、くそ野郎が!!」


 拾った棒を化け物の顔面に突き刺す。狙いは目だ。一つだけ、ギラギラと己の意思を主張するような光を放っていたもう一つの左目。そこを目掛けて力の限り突き出した。


 だが、


「なっ!?」


 ガッ、と運よく狙い違わず左目に当てることに成功した。けれども当たった感触はまるで鉄の壁に棒を突き立てたような、全くダメージを与えることが出来ないものだった。

 見れば奴の目と棒の間にごく僅かな隙間があった。まるで見えない壁でもあるかのように。


 どうやら最後の最後で運はなかったようだ。やっぱりオレは主人公にはなれないらしい。

 まあしょうがない。しょうがなくないがしょうがない。人間諦めも肝心だ。オレはオレに出来る精一杯だった。これでダメならどうしようもない。

 つか、主人公補正もない一般人のオレがここまで出来ただけでスゴくないか?普通だったら何も出来ずに死ぬよねきっと。

 だからまあ、もういいよ。ペンギンもさ、何で見ず知らずのこの世界の人間ですらないオレなんかをそんなに必死に助けようとするのかわからないけど、もう逃げろよ。お前さっきまではまだ斑模様まだらもようだったけど、今はもう真っ赤ッかだぜ。お前まで死んじゃうって。

 それはあまりよろしくない。この化け物を喜ばせるだけだ。そうだよ喜ばせる必要なんかない。


 だってのになんでテメーはそんなに嬉しそうにしてやがる。旨そうにオレの血をすすってんじゃねえよ。テメーは本当にオレの神経を逆撫でするのがうまいな。でもダメだ。怒りがあっても体がもうほとんど動かない。

 けど、それでも最後にもう一度だけ、この化け物にオレの世界の言葉を教えてやろう。


 窮鼠猫を噛むってな。





 さっきの一撃は渾身の一撃だった。今はもう先程よりも体に力が入らないし、現在進行形で血がなくなっている。だがやるしかない。


 集中しろ。


 化け物はオレにもう反撃できる力が残っていない、残っていたとしてもあのバリアみたいな見えない壁をどうすることも出来ないとわかっているのだろう。特に何をするわけでもなく、じわじわとオレが肉になるのを嬉しそうに待っている。


 研ぎ澄ませ。


 再度木の棒を掴む。ちゃんと掴めているだろうか。自分の握力すらわからない。それでも霞む視界の中狙いを定める。さっきと変わらない。目だ。


 殺意を籠めろ。


 思考さえもボヤけてきた。何故だか木の棒が自分の体の一部になったような、そんな感覚を得た。まるで木の棒にも掌を通して血液が通っているようだ。

 そして、


「死ね」


 ブスリと何かを貫く感触がした。


「ギャンッ!!」


 突然の激痛に驚き、化け物の口からオレが外れる。だがそんな事は些細な事だろう。左目を失ったのだから。

 なぜさっきのバリアみたいのが発動しなかったのかわからないが、それでもなんとか一矢報いることに成功したようだ。


「ガフッ!ガフッ!」


 痛みに転がり回る化け物。その姿は痛々しくはあるが死に至る程ではないだろう。

 反対にオレはもう虫の息だ。ペンギンが駆け寄ってきて心配している。だから早く逃げろって。


「ワォ~~ン!!」


 化け物が大きく吼えた。棒は左目から抜けて黒い眼窩から血が溢れている。


「フ~ッ、フ~ッ、フ~ッ、フ~ッ……」


 ああ、随分とお怒りですね。息が荒いですよ?

 その顔が見たかった♪

 ただ、表情は確かに怒りを刻んでるのに、残った二つの目は死んだ魚のような目をしてるのが、とてもアンバランスで笑いを誘った。


「クピ、クピィッ!!」


 もう何度目かもわからないが、ペンギンがまたオレを守ろうと間に立つ。

 コイツ、結局最後まで逃げなかったな。

 短い人生だったけど、異世界には来たし、ムカつく化け物ヤツに一矢報いることも出来た。最後に道連れになってくれようとするやつまでいるんだ。まあ悪くはなかったかなと思う。

 文月と樹雷、あの姉弟に別れを言えなかったことだけが心残りだ。あの二人、オレが死んだと知ったら自棄を起こしたりしないだろうな。


「ガアアアァァァァァーーーーー!!」


 この期に及んで最早遊ぶことなどあり得ない。オモチャではなく害虫にかける慈悲など存在しない。一刻も早く潰してしまいたい。

 その意思のもとオレをペンギンもろとも引き裂こうと、化け物はその凶悪な爪に力を込め降り下ろした。





 だが、どうやら運命の神様は俺達に微笑んだらしい。





「スト~ップ!!」


 ズガンッ!!




 突如横合いから影が躍り出て、勢いそのままに思い切り化け物の顔面を殴り飛ばした。


「ふぅ~、やっと見つけた。あなたね、最近ずいぶんと森を荒らしてくれたのは!今日という今日は逃がさないんだから!」


 影は少女の声でそう言い放つ。


 これが、オレと異世界人との初めての出会いだった。

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