アナスタシアの絶望

 私たちの活動域は地上、地下、空中をすでに掌握しており、特に地下にある居住区域の外壁を、《ヒトガタ》がたまに破壊しようとしてくることだ。

《ヒトガタ》の脳部分――ルーカスの海は、専門家の話によればかつてはこの生物の祖先が非常に高度な知能を持ちえたことの証明にもなるとのことだった。

 このルーカスの海のサンプルをできるだけ完全な形で採取し、研究機関へと持ち帰ることが、《ヒトガタ》の駆除にもつながる、私たちの仕事だった。


 ようやく頭蓋からルーカスの海をすべて摘出したころには、一時間ほどが経過していた。


「『できるだけ完全な形で』なんていう条件が無ければもっと早く終わったと思いますね」

「君も少しは効率的な明かりの照らし方を学ぶことができたんじゃあないのか」チャールズは皮肉とも取れる口調で言った。

「ほ、本当ですか! いやあ、やっぱり先生は私のことをきちんと教育してくださるつもりであのような手厳しいことを仰っておられたのですね」


 デイヴの真に受ける様に、チャールズは今日で何度目か分からないため息をつく。純粋なのは良いが、少々こいつの教育方法にもんだいがあったのではないかと心配になる。


「そういえば」ひとしきり感激したところで、デイヴは疑問を口にする。「先生の奥さん、というか身内の方とはあまり親しくしておられないのですか」

「私は特定のものと活動を共にしてはいない。ホームに戻っても、話をするものと言えば調整役のジャーヴィスくらいだ。私にはあまりプライベートと仕事を分ける意味はないのだよ」

「……つかぬことをお伺いしました」言葉に詰まったデイヴはうつむいた。


 手術器具を手早く片付け、摘出したルーカスの海を専用の保存液に入れる。私たちより早く移動できるドローンへとそれを託し、すぐに《ヒトガタ》の巣から出ることにした。



 それにしても、通路がすべて生きているものだと考えると末恐ろしい。一歩一歩進むたびにぶよぶよとした感覚が伝わってくる。地中の生物はなぜこうも気味悪いのだろう、とチャールズは思った。


 《ヒトガタ》が既存の壁と一体化する際に、体の柔らかい部分から順にどろどろと溶けていくような動きをするらしい。その後一番硬い骨は、巣を一定の形状に保つために一番外側へと配置されていく。これにより、巣の壁の外側には骨が寄せ集まって壁が形成され、その隙間から根のように地中に伸ばした触手で栄養を吸収すると共に、地中に巣を固定する役割も兼ねるのだ。


「いやー、開放感が違いますね」デイヴは閉塞感から解放されたようだ。


 そこへ、警備のドゴールがまた顔を見せた。

「私たちのほうが実際は退屈だ。気色悪い巣の中をくまなく回って、居住地域外壁に近い個体を順々に駆除して回るだけ。外壁から遠くに寝床のある個体はスルーしたくてもこちらは侵入者だ。あっちにケガさせないように追っ払わないとならん。どう考えても損な役回りなのはこっちだろう」

「まあまあドゴール、ひとまずお疲れ様だ。ジャーヴィスには君に良いサービスをしてあげるように言っておく」チャールズが労う。

「珍しく気が利くな。何を企んでるのか知らんが、もらえるものはキッチリもらっておくぜ」



 《ヒトガタ》の外壁に穴をあけた地点まで戻ってくると、すぐに地上に出ることができた。巣の始まりの部分はあまり地中深くないが、それでも数メートルは掘り下げてから骨でできた外壁を破壊しなければ内部には入ることができないので、侵入はあまり楽ではない。

 ところどころに換気用の管が地上まで伸びていることがあるが、流石にそこを壊すと巣全体に影響を及ぼしかねず、ひいては生態系の破壊にもなりかねないとして、公に禁止されている。


「それにしても」デイヴはふと思い出したように言った。「今回のサンプル採取、もっと困難を極めるかと思っていましたけど、案外大したことはないみたいですね」

「凶暴性のことか」

 ドゴールは自らの脚部を見下ろしながら言う。以前彼は《ヒトガタ》に脚をやられているのだ。

「確かに、こちらには今回被害という被害は出てはいない」と、チャールズ。「だがその凶暴性を絶対に甘く見てはいけないのは周知の事実であろう」

「《アナスタシアの絶望》のことはもちろん知っていますよ。……でも、今日のを見る限りただの下等生物にしか思えませんけど」デイヴは勝ち誇ったように言った。



《アナスタシアの絶望》。


 かつて我々が今日のような《ヒトガタ》の駆除を目的に、大々的に巣へと乗り込む作戦行動が採られたことがあった。地下には居住区域以外にも我々の生活の要である原子力発電所が設置されていたのだ。沿岸部の地下ということもあり、《ヒトガタ》の目撃情報も少なかったので一般レベル以上の警戒はなされていなかった。


 だが悲劇は起きた。


 今までどこの地方でも確認されていなかった塩水に耐性のある個体が、文字通り水面下で発生し、その数を爆発的に増やしていた。


それに加えて、《ヒトガタ》はある一定のごく低い確率で、ⅠQ130を超える個体が発生しているのではないかという推論が囁かれ始めた。


 それは、塩水に耐性のある個体群が原子力発電所及びその周辺の居住区画を襲撃したときのある報告が元になっている。彼らは、何らかの方法で海水から塩分を取り出し、地下の防護壁第一層の鉄筋コンクリートを徐々に劣化させて内部へと侵入したというのだ。海水由来の塩化物イオンがコンクリート内鉄筋に錆びを生じさせ、錆びた鉄筋は膨張しコンクリートにひびが入る。相当の知能がないとできない芸当だ。


 結果的に《ヒトガタ》の侵入を許したことで、被害はその地区すべてに及んだ。つまり、原子力発電所と居住区画の完全放棄である。未だにその地区は、《ヒトガタ》からの奪還が成功していない。というより、調査に行くのも費用対効果が見込めないため放置されていると言った状態だ。



「《アナスタシアの絶望》が発生したBH―2地区の調査はどれだけのコストがかかろうとも最優先でなされるべき事項だと、私は思うがね」チャールズはデイヴの楽観を一蹴した。

「今日はもうホームに戻ろうぜ。今日中にはサンプルの大まかな検査結果が出るだろうしよ」

 ドゴールの一声で、解散となった。


 チャールズは一抹の不安からか、今しがた出てきた《ヒトガタ》の巣を凝視していたが、やがてかぶりを振ってホームへと着いたのだった。



 緊急警報の鳴り響く、ホームへと。

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