第61話 水端の巫女【4】

「あぁ。ディクレット様でしょう? 無愛想な方ですが、いい人ですよ。ぶっきら棒ながらもいつも丁寧に答えてくださるし」


 村の外れで出会った素っ気ない黒衣の男とは対照的に、村長は三人を温かく迎えいれた。

 水不足で困っているというのに惜しみなく出してくれた水をありがたく受けとり、勧められるがまま席につく。

「そう言われてみると……そうかしら? 結局、村長さんの家を紹介してくれたのも、畑の状態を説明してくれたのも彼だものね」

 フィシュアの言葉に、テトも頷く。

「あの女の子が言おうとしてることも代わりに話してあげていたよね」

「そうでしょう? ディクレット様は、あまりに愛嬌がないせいか誤解されやすいのが困ったところですが……いつも笑顔のメイリィ様の傍にいらっしゃるのでいくらか優しく見えるのが唯一の救いですね」

 村長は自分も席に着きながら、流れる汗を布で拭きはじめた。顔、首、そして髪が薄くなっている頭を順繰りに拭う。

「いや、すみません。さっきまで村の畑を見にまわっていたもので、どうにもこうにも暑くって」

 村長は笑いながら、手で扇をつくりパタパタとあおぎだす。

「皆さんも見てきたでしょう? ここら一帯、もうずっと雨が降っていないから土地が乾燥しちゃってね。蒸発する水分も残ってないせいか今年はもう本当に暑くって。例年は雨季真っ盛りのはずなんですけど、まったく雨が降らないからペルソワーム河の水位もみるみるうちに下がってしまって、もうどうしようもないですよ」

「……」

 村長が語った内容に、三人は押し黙り顔を見あわせた。

 やはりペルソワーム河の水が上流で不自然な形で途切れてなくなってしまっていることに気付いている様子はない。村長がこうなら、この村の人々も同じだろう。

 リシュトワの噂で聞いた村の名は、こことは違った村だった。

 道すがら他に村はなかったようだから、少し離れた場所にあるのだろう。

 各々の村が他の村とまったく接点がないとも考えられない。

 だとするのなら、ペルソワーム河の水量が極端に減ってしまっている範囲は考えていたよりも広いのかもしれなかった。

 テトが消えた河を前に口にした『なぜ誰も気づかなかったのだろう?』という疑問。

 もし周辺一帯の村が同じ状況下にあるのなら、誰もが自然現象だと信じて疑わないだろう。

 折り悪く長く雨も降っていないらしい。

 まさか河そのものに異常なことが起こっているなど思いもよらなかった、というのも答えの一つであるのかもしれない。

 考えの深みにはまりそうになっていたフィシュアを引き上げたのは、村長の意外な言葉だった。

「けれど、これもあと少しの辛抱です」

「え?」

 疑問を含んだ戸惑いの声に、村長は心底嬉しそうな表情になった。

「あなた方は本当によい時期にいらっしゃいました。明後日、この村では水端みずはなの巫女であるメイリィ様が水初みそめの儀を執り行うのです。そうすればこの苦しかった干ばつも終わる」

「水初の儀って?」

 聞き慣れぬ言葉にテトが尋ねると、村長は目線をテトに合わせてニコニコと語り出した。

「水初の儀と言うのは簡単にいうと水神様との結婚式のことだよ。メイリィ様は水神様に嫁いで、水の宮へあがられるんだ。そうして水神様に雨を降らしてくれるよう、お願いするんだよ」

「水神様とあの子が?」

「そうだよ」

 テトの問いに、村長はそれが当り前であるかのように間も置かずに答えた。

 けれど、さすがに変だと思ったのかテトの顔に困惑が浮かぶ。

「水の宮って水の中にあるんだよね?」

「そうだよ。水神様の住まいである泉だけは不思議なことに水が枯れていないのさ」

「でも、あの子は水の中には住めないでしょう?」

「それが住めるらしいんだよ。さすが水端の巫女様だと思わないかい? 地上で生活するのと変わらないように、水の中でも暮らせるらしい。もちろん私たちのような一般の民が真似することなんて不可能だけどね」

「だけど……! 水神様の泉に水があるならそこから水をとればいいじゃないか!」

「なんと恐れ多いことを……!」

「あの、メイリィ様はまだ幼いのにどうして水神様の嫁として選ばれたのですか?」

 反論したテトに対して明らかに怒りだした村長を宥めるようにフィシュアはやんわりと話題を変えた。

 村長の方も村の祭事をよくは知らない、まだ幼いともいえる少年に対して、思わずとはいえ声を荒げてしまったことに気付き、さすがに気を咎めたらしい。どこか居心地の悪そうな顔をしながらフィシュアの話題にのってきた。

「……ああ、確かにメイリィ様は十歳でまだ幼いですが、彼女は水神様に確かに愛されているのですよ。そもそも水端の巫女というのは巫女であればなれるわけではないのです。

 そうですねぇ、どこからお話したらよいでしょうか。

 まず、私たちの村が崇め祀っているのは先程もお話しした通り水神様です。私たちが生きていく上で水はかけがえのない大切なものでしょう?

 それに本来、この地域では多量の雨が降ります。雨は時に恵みをもたらしますが、驚異ともなります。大量の雨は作物や土地を押し流し、河を氾濫させます。だから私たちにとって水は讃えるべきものであると同時に恐れるべきものなのです。

 この村の神殿にはその水神様に仕える神官、巫女がいらっしゃって——あなた方がお会いになったディクレット様も神殿の神官のお一人です。その中で最上位の力を持つ方が大神官様です。メイリィ様のような水端の巫女と呼ばれる方は他の巫女たちと違い、この大神官様のお告げによって選ばれます。

 水神様の端に常に寄り添う者。そういった意味で“水端の巫女”と呼ばれているのです。そして、メイリィ様は歴代の水端の巫女の中でも最も力を持っていて、なおかつ、初めて水神様に愛された方なのです。

 メイリィ様が言葉をお話しになれないことにお気づきですか?」

 村長の問いにさっきまで一緒にいた少女のことを思い浮かべ、三人は揃って頷いた。

 出会ってからこの村に着くまでメイリィは一言も言葉を発しなかった。口を動かし、指で指示したりはするが、彼女の代わりに話していたのはすべてディクレットだ。それに、メイリィは転倒した時でさえ、声をあげなかったのである。

「メイリィ様はお生まれになったその瞬間から言葉をお話しになれません。今は亡き前大神官様がメイリィ様を水端の巫女として指名された時、メイリィ様が声をお発しになれないのは、水神様がメイリィ様を愛され選ばれたのだ、と。愛しき者が自分以外の者に話しかけるのを厭い嫌っているのだ、と。だからこそ、メイリィ様は話せないのであり、それこそが、彼女が水神様に愛されている証拠である、とそう仰られたのです。

 現大神官様はそんな水端の巫女であるメイリィ様がこの村に留まったままになっているからこそ、水神様がお怒りになり、雨が降らず、この度の干ばつが起きてしまったのだと私たちにお教えになられました。今こそメイリィ様が水神様の元へお嫁ぎになる時である、と。

 だから、メイリィ様が水神様の元へとおあがりになれば、水神様もご機嫌を直して元のように恵みの雨を降らしてくださることでしょう。メイリィ様もきっと水神様に大切に大切に扱われ、水の宮でお過ごしになられるはずです。皆が幸せになれる。本当に喜ばしいことです。

 宵の歌姫様。あなたが通った後には必ず幸福が訪れる、とよく聞きますが、その噂は本当だったのですね。水初の儀が執り行われる直前にあなたがいらしてくださったんですから。まるで、その後の私たちの幸せな未来を約束してくれているようではありませんか。これは、きっと偶然なんかではありません。水神様が用意してくださった巡りあわせなのでしょう」

 熱っぽく語られた村長の言葉の数々はどれも真剣で、彼が心の底からそのことを信じて疑っていないことを窺わせた。

 未だ興奮冷めやらぬ様子で残っていた水を飲み干した村長に向かって、フィシュアは表面上だけは穏やかな笑みを浮かべながら深く頷きを返したのだ。

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