第60話 水端の巫女【3】

「誰かこっちに走って来る」


 テトの言葉に、フィシュアとシェラートは馬の歩を緩めて歩みに変えた。

 見ると、テトが言った通り、道の前方から白い衣を纏った小さな少女がこちらに向かってくるところだった。

 ちょうどテトと同じ頃合いの少女は、両手いっぱいに花を抱えて楽しそうに駆けている。その後ろから、黒い衣を纏った男が白い衣を翻す少女を必死に追いかけていた。

「あんなに急いでどうしたのかしら?」

「人攫い? 大丈夫かな、あの子?」

「いや、そんな奴に追われているんだったら笑いながら逃げはしないだろう……」

「じゃあ、追いかけっこかなぁ?」

「…………」

 首を傾げたテト本人は、いたって真剣に考えているらしい。シェラートはテトの推測にそれ以上とやかくいうのはやめ、素直に口をつぐむことにした。

 息を弾ませながらとうとう目の前まで近づいてきた少女が、馬上の三人を見上げ、かわいらしい笑みをつくる。そうして三人の元に辿り着く直前、少女は勢いよく転倒した。

 少女の手を離れた色とりどりの花々が辺りに散らばる。

 花束を抱えていたせいで手を付くことができなかったらしい少女は、勢いのまま顔面から地面へと突っ伏した。

 フィシュアとシェラートが唖然とその一部始終を眺めていた中、テトだけが慌てて馬から飛び降りた。

 地面に散乱した小さな花々に目もくれず、テトは地面に突っ伏したままの少女へ駆け寄る。

「大丈夫?」

 テトの問いかけに反応して少女が顔をあげる。顔に泥をつけたまま、ぱちりぱちりと目を瞬かせた少女は、やがて大丈夫、とでも言うように、ふわりと笑みを広げた。

「よかった」

 テトはほっと胸をなでおろした。少女の身体を起こしてあげようと手を伸ばす。「メイリィ様に穢れた手で触らないでください!」

 突然の怒鳴り声に、テトは手を止める。顔をあげれば、やっとのことで追いついたらしい黒衣の男がぜいぜいと肩を揺らしながらこちらを睨んでいた。

 テトが動けないでいる間に自分で立ちあがった少女は、パンッと衣服についた泥を払い落とし、手の甲で顔の土を拭うと、黒衣の男に向き直る。

 怒ったように腰に手を当ててパクパクと口を動かす少女に、男は困り果てた様子で「しかしですねぇ」と反論した。

 だが、ついには諦めたように深い溜息をつく。

「わかりました」

 黒衣の男はしぶしぶ承諾を口にする。少女は満足したように一つ頷き、今度は呆然と二人の様子を眺めていたテトの方へと振り返った。勢いよく深々と頭を下げてくる。

 どうやら謝罪しているらしい少女に、テトは慌てながら顔の前でぶんぶんと両手を振った。

「え、大丈夫だよ。気にしてないから!」

 テトの言葉に少女は安心したように胸に手をつけ、ぷはっと安堵の息を漏らすと、もう一度頭を下げた。

 どうやら今度は“ありがとう”と礼を言っているらしい。

「うん、どういたしまして」

 テトが笑みを浮かべてそう言うと、顔をあげた少女は嬉しそうに、にこりと微笑んだ。

 少女はきょろきょろと花が散らばっている地面を見渡しはじめる。無惨に散らばる花の中から、かろうじてつぶれていない小さな花を見つけ出した彼女は、その一輪拾いあげ、テトへ差し出した。

「くれるの?」

 差し出された薄桃の愛らしい花を前にしてテトが問うと、少女は頷きを返してくる。

「ありがとう」

 テトが花を受け取ると、少女は照れたように小さく笑みを浮かべて首肯した。

 少女はテトと彼が手にした花を満足そうに交互に見やる。気を引くようにぱたぱたと手を動かした少女は、自分がやって来た道の方向を指差した。

「あっち?」

 テトが尋ねると少女はコクコクと頷きを返す。

 どうすればいいのか迷い、テトは馬上の二人を見あげる。するとフィシュアとシェラートも互いに顔を見あわせているところだった。

「……メイリィ様は、あなた方を我が村の客として歓迎する、と仰られています」

 どこか憮然とした表情を浮かべながらも黒衣の男は静かにそう告げた。

 その通りだ、とでも言うように、少女は笑みを絶やさぬまま再びコクコクと頷く。

「どうする? 方向は……」

 フィシュアはシェラートへと目を向けた。

「方向はあってる。例の魔人ジンの場所もここからかなり近いな」

「それなら、この先の村に関わっている可能性も充分ありえるってわけね」

「ああ」

 シェラートの答えに、フィシュアは手を顎に寄せた。思案は一瞬で、彼女の決断は早かった。

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

 フィシュアが礼を口にすると、黒衣の男は小さく頭をさげた。踵を返し、すぐさま村への道を先導しはじめる。

 その後を少女が、跳ねるようについていった。

 いくらも行かないうちに立ち止まった少女が、振り返って手招きをする。

 迷いながらもテトが走り寄ると、少女は満足そうに頷いた。

 フィシュアとシェラートも馬から降りる。先に少女と一緒に進んでいるテトの背中を見ながら二人はゆっくりと歩き出した。

「けど、意外だったな」

 突然そう切り出したシェラートに、フィシュアは「何が?」と首を傾げた。

「あんなこと言われたらフィシュアは怒るだろうと思った」

 少女を助けようとしたテトに向かって“穢れた手”などと言われ、シェラートは正直腹がたった。瞬間、隣でフィシュアが眉根を寄せたのにも気づいていた。

 普段のフィシュアなら「その言い方はないんじゃない?」と文句の一つや二つ言ってもおかしくはなかった。だが、実際にはそうはならず、フィシュアは沈黙を保ったのだ。

 シェラートはいつにないフィシュアの態度を不思議に思った。

「あぁ、あれね。でもそれは、こっちの台詞よ。よく我慢したわね」

「俺はフィシュアほど大人気なくはない」

「どうかしら?」

 からかうようにシェラートを見あげて笑ったフィシュアは「だけど」と声を落とした。目の前で楽しげにテトと一緒に歩を進めている少女に対し、すっと藍の瞳を細める。

「あの子、多分、巫女だから……」

 フィシュアの言葉に、シェラートも前を行く少女へ目をやった。

 白い衣を翻し、無邪気な笑みを浮かべる金茶の髪の少女。首に下がっているのは、水晶をいくつも紐に通してつくられた首飾りだ。

「すべての不浄を浄化する水晶か」

「そう。それに、触るなってことはあの子はきっと自らの身体を清める潔斎の最中なんだと思う。近い内に何かの儀式を控えているんじゃないかしら。だから、他人である私が簡単に口出すわけにはいかなかったのよ。あちらにもそれなりの理由があるからね。“穢れた手”っていうのも言葉通りの意味ではないでしょう。彼自身もあの子に触れようとはしないし、せっかく清めた神聖な存在である彼女に余計なものを干渉させて乱したくないんじゃないかしら。まぁ、彼の言い方自体はどうかと思うけど」

 なるほど、とシェラートは感心して、隣を歩くフィシュアを見る。だが、前触れもなく横で「あああああー」と響いた呻き声に、あっという間にその感情は崩れ去った。

 不審も顕わなシェラートの視線に気づくことなく、フィシュアは深い深い嘆息を重ねる。

「宗教が絡んでくると一気に問題がややこしくなるのよね……。特に村の宗教は土着の文化でもあるから何かこちらが理解できないことや、理不尽なことがあったとしても頭っから否定するわけにもいかないし……。せめて、魔人ジンとは無関係であることを祈るわ」


***


 三人が到着したのは小さな村だった。

 入口にある二本の木柱でつくられた門を通り、足を踏み入れたその場所は村というより集落といったほうがしっくりするほどこじんまりとしている。

 神殿だという純白の石造りの建物を中心として、同心円を描くように木製の家が建ち並んでいる。さらにその外側を取り囲むように畑が続いていた。


「野菜が干からびてる……」


 村の中心へと向かう途中、畑を目にしたテトはその惨状に驚いた。

 作物の種類ごとに整然と区分けされている畑。しかし、この季節青々とその葉を茂らせているはずの作物はどれもしなだれ、干からびていた。葉は黄黒く枯れ、果実は水分を失くししぼんでいる。

「ペルソワーム河の水位が落ちてしまってからは水を撒くことがままならないのです。雨もまったく降りません」

 淡々と語る男の横で、少女が教え示すように畑の奥――家々に最も近い一区画を指差した。少女の仕草に呼応して、男が再び口を開く。

「この村に残っている畑はあそこのみです。三日に一度訪れる水商人から水をすべて買いあげても、あの場所を保つだけで精一杯です。水代も安いものではありませんから」

 家の軒先程度の狭い畑で、数えられるほどしかない少数の作物が、弱々しく風に身を揺らしていた。



 黒衣の男は神殿の入り口に辿り着くと、急に立ち止まった。神殿を取り囲む家々の中で、心なしか大きい向かいの家を三人に指し示す。

「あちらがこの村の長の家です。客人として招かれた旨を村長に説明し、あちらにご滞在ください。それでは、失礼」

 まるであらかじめ用意していた台詞かのように男は一気に言う。

 少女はまだ何か話したそうに三人を見たが、男が「メイリィ様」と諭され、残念そうに肩を落とした。そのまま黒衣の男は、金茶の髪の少女を促し、さっさと神殿の中へと入っていってしまう。

「なんだか、無愛想な人ね……」

 純白の神殿の入り口を眺めながらフィシュアはぼやいた。

 零れ落ちたフィシュアの溜息に、テトとシェラートは苦笑いを浮かべ、それぞれ心の中で彼女の感想に同意したのだ。

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