第29話 宵闇の姫【3】

 テトとフィシュアが卓上の食事のほとんど食べ終わり、最後のスープを飲んでいた頃、シェラートはようやく顎に当てていた手をはずした。

 シェラートは、恐る恐る答えを確認する。

「……もしかして、全部ってことか?」

 フィシュアは、満足そうに頷いた。

「正解。よくわかったわね。そう、これはありえない話の曲なの」

 どういうこと? と首を傾げたテトを横目に見ながら、フィシュアは歌詞を書きつけた紙を手前に引き寄せた。

「テトも半分以上は、わかっていたと思うんだけどね。あと少しだったから、おしかったのよね」

 言いながら、フィシュアはガラスペンを握ると、書かれた歌詞の横に一つ一つバツをつけながら説明していく。

「まず、テトが言ったように、雨に三日月、消えない虹の橋、雨は空へと降り続け、太陽が闇夜を照らす、雲は風に逆らって流れていく、いつまでも止まったままの時間、終りのない物語は、全てありえないことなの。これはいいわよね?」

 フィシュアの確認に、テトがこくりと頷く。

「だから、これと同じように並んでいた、今ここにいるあなた、いつも傍にいるあなた、今ここにいるのはあなた、って言うのも実際には、ありえないってことになるわけ。つまり、“あなた”は、本当はここにはいないの。だから最後、だから私はいつまでも独り、で終わってるの。これはね、失恋した人の歌なのよ」

 最後の歌詞の行にのみ、フィシュアは丸をつける。そうして、テトとシェラートに見せびらかすように、フィシュアは二人の前で紙をひらひらとはためかせた。

 バツは実際とは違うところ、丸は実際と一致するところを示している。

 やっとすっきりした、という顔をしている二人にフィシュアは続ける。

「どんな歌にも物語があるからね。こんな風に歌詞にまで関心を持って聞いてくれるのは、とっても嬉しいわ。ありがとう」

「ほぉ、そうだったのかい。いやぁ、綺麗だけど、なんだか悲しげな歌だな、とは思っていたんだ。だけど、そこまでは考えてもみなかったなぁ」

「儂も、今、気がついたよ」

 フィシュアの歌の解説が聞こえたらしい。近くの席に座っていた男性客たちが、椅子を引っ張って集まって来た。

 そんな彼らにフィシュアは微笑みを返す。

「いいえ、もちろん私の歌を聞いて楽しんでいただくだけでも充分嬉しいですよ」

 笑いかけられた彼らは揃って頬を染めた。

「いやぁ、こりゃあ、まいったなぁ」

「今日は、ちょいと、酒を飲みすぎたかなぁ」

「歌姫様、うちらみたいなのに、そんな簡単に笑顔なんか向けちゃだめでっせ?」

 皆、顔馴染みの常連客であるらしい彼らは、互いに小突きあったり、照れたように頭をかいたりしている。

 彼らの反応にテトとフィシュアは、顔を見合わせ、くすくすと笑う。

 一緒になってガハハハ、と仲間たちの普段とは違う動揺ぷりを笑っていた客の一人が、片手をぶんぶんと振りながら言った。

「いや、でも、本当危ないですよ? そんな笑顔で、そんなきれいな格好で、夜、歩いてみなさい。すーぐ攫われちまいますよ?」

 周りの男たちもそれに呼応するように「そうだ、そうだ」と頷く。

 そんな、まさか、と笑うフィシュアに、男たちは顔を真剣なものへと改めた。そこに、先程までの気軽い雰囲気は微塵もない。

「いや、本当ですとも。最近、この辺りは、やたら物騒になってしまいましたからね。スリや盗みだって日常茶飯事になってきやがったし」

 前はこんなんじゃなかったんだけどなぁ、という愚痴に応じるように、他の者も重々しく頷く。

「あ。僕たちも、今日スリしてる人を見かけたよ。けど、フィシュアが取り返してあげたんだよね?」

 本当かい? と驚く彼らの視線を受け、フィシュアはごまかすように苦笑いをした。

 それでも、「うん!」と勢い込んでフィシュアの武勇伝を手振り混じりで語りだそうとしたテトの口を、慌てて塞ぐことは忘れなかった。

「最近ってことは、昔はそうでもなかったのか?」

 シェラートの問いかけに、男たちがそろって頷く。

「あぁ、エネロップの奴らが来てからだ」

「エネロップ?」

 聞きなれない言葉に、三人は同時に尋ね返した。

「強盗集団だ。昼間はスリとかしてるんだけどな。まぁ、昼はどこも人が多いからな。そう、街のどまんなかで大したことはできないんだろう。だからこそ、厄介なのは夜だ」

「奴らは、夜、通りに出てる奴を襲うんだよ。逆らったら、武器まで持ち出してくる。もう何人も怪我人が出てるし、中には死人だっている」

「今のところは、強盗は夜だけですんでいるからさぁ。奴らがうろついている時間帯がわかっている分、そんなに遅くまで出歩かないようにはしてるんだけど、ほら、やっぱりどうしても、身内に急病人が出たりなんかさ……出なきゃならない時ってのは、あるもんだろう? そういう時、襲われるんだよなぁ」

「そんなに悪さを働いているのに、街の警備隊は動いてないのですか?」

 怪訝そうな顔をして聞く歌姫に、男の一人が酒の入ったコップを、ドンッとテーブルの上に叩き置いた。

「あいつらは、ちっとも役に立たん!」

「いやいや、マール、そんなこと言ってやるなよ。警備隊だって頑張ってるじゃないか。奴らの隠れ家だって見つけてくれたし。ただ、ちっとも手がつけられなかったってだけで……」

「それじゃ、全然意味ないだろうが! 隠れ家がわかってても手出せないなら!」

 その会話にフィシュアは驚いて目を開いた。

「隠れ家が、わかっているんですか?」

「あぁ、わかってるんだよ、歌姫さん。儂らはエネロップ奴らの顔なんて知らないけどな、そこにいるってことだけは誰だって知ってる。ピットっていう酒場だ」

 マール、と呼ばれた男が答えた。まだ怒りが収まらないのか、酒をグビッと飲む。

「街の西のはずれにある。ここの大通りをまっすぐそっちの方角に行きゃあ、嫌でもそいつらのアジトについちまうぜ?」

「そう……なんですか」

 フィシュアは眉を顰めた。

「ピットの親父もなぁ、気の毒なもんだよ」

「あ? 俺はぐるだって聞いたぞ?」

「まさか、そんなわけあるか! 儂はな、そんな噂、信じんぞ、ありゃあ、人質みたいなもんだろ。だから、警備隊だって手が出せないんじゃ」

「いーや。それはあいつらが、怖じ気づいているだけだ」

 どんどん盛りあがりはじめた客たちを前に、フィシュアは押し黙る。

 そんな彼女を見て近くの男が、その肩をばしばしと叩いた。

「そんな顔せんでも、歌姫さん。とにかく夜、外に出なきゃあ、今のところは大丈夫なんですから」

「そうですよ。儂らは、飲みに出て、騒ぐの大好きなんだがなぁ、おかげで少ししか飲めん。今日も、もうすぐお開きだろうよ」

 言って、自分たちの言葉に、彼らは一斉に溜息をついた。

 がっくりと肩を落としている彼らに、フィシュアは礼をする。

「ありがとうございます。私たちも気をつけますね。だけど、教えてもらってよかったわ。この首飾りについている石って国宝級だって聞いているから、もし盗られでもしたら大変でした。今夜は、このまま、ここの宿に泊まらせてもらうから安心ですけど」

 そっと胸元の藍石にフィシュアは手を寄せる。

 穏やかに微笑んだフィシュアとは対照的に、彼女を囲んでいた客たちは皆、驚いた表情になった。中には、手に持っていた肉を落とした者までいた。

 藍色の石とフィシュアの顔を震えた指で交互にさしながら、彼らのうちの一人が呟く。

「……こ、くほう、きゅう?」

「え、ええ……。そうですけど」

 フィシュアが押されるように頷いたのを見て、彼らは一斉に叫んだ。

「国宝級!? その首飾りの石がっ!?」

 盛大な叫び声に食堂にいた誰もが振り返った。

 ざわめきが起こる。

 深い藍の色をした宝石をよく見ようと、店中の皆が、こぞってフィシュアの方へと集まってくるしまつだ。

 結局、押しつ押されつの大混乱となってしまった。

 悪い、大声を出しちまって、と謝りながら押し寄せる人の波を留めてくれている男たちに礼を言って、やっとのことで抜け出した三人は、それぞれの部屋へそそくさと引き揚げた。

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