第30話 宵闇の姫【4】

 ランプを一つ灯しただけの薄暗い部屋。

 遠くで羽音が聞こえ、フィシュアは窓を開け放った。

「ホーク」

 小さな、けれど凛と響く囁きに呼応するかのように、部屋の中へ大きな翼を持つ茶色い鳥ファイが舞い降りた。

 鋭い爪がついた黄色い足には紙がくくりつけてある。

 フィシュアはホークをねぎらうと、さっそくその紙をはずし広げた。

 内容を確認してフィシュアは、苦笑をこぼす。

義姉ねえ様も相変わらずだな。でも、まあ、よかった。今のところ問題はないようだ」

 ひとりごちたあと、手紙をたたみ直すとそれをランプの火へかざした。

 火がチロチロと紙を舐め黒い灰へと変えていく。

「ホーク、ロシュの方はどうしてる?」

 フィシュアは、問いかける。ホークは「知らん」とでも言うようにくちばしを背けた。

「何だ。見てきてないのか? だめだろうロシュとも仲よくしないと」

 そっぽを向いているホークの首を掻いてやると、彼は気持ちよさそうに目を細める。

 フィシュアは机に置いていた紙束から二枚取り出すとさらさらと書きつけた。

 書き終わると、二つをたたみ、ホークへと見せる。

「いいか、こっちが兄様と義姉様に、こっちがロシュにだ」

 ロシュと聞いてホークは少し嫌そうな顔をした。

 実際に、茶の鳥の表情が目に見えて変わるわけではない。それでも長年、それこそホークが 雛の頃から一緒にいるフィシュアには、ホークの心のうちが手に取るようにわかった。

「私は元気だから心配するな、とロシュに伝えておくれ。お前にはそれができるだろう?」

 フィシュアは悠然と微笑む。主人を前に、ホークはしかたがなさそうに「任せとけ」と小さく鳴いた。

「任せたぞ」

 フィシュアは、滑らかな茶羽の背中を押す。ホークが翼を広げると、窓から夜の空へと音もなく滑り出た。

 月は出ていない。星明かりだけの闇に近い空。ホークの姿は、まもなく見えなくなった。

 フィシュアは窓の錠をかけると、荷物入れから宝剣を取り出し、慣れた手つきで、それを腰に履いた。部屋を出て、食堂に続く階段へ向かう。

 店じまいを終え、すっかり人のいないくなってしまった食堂は、まだ煌々と灯りを焚いているものの閑散としていた。夜半までは宿泊客の休憩室として解放していると聞いていたが、皆早々に自室にひきあげたらしい。

 柵に手を滑らせ、階下の様子を眺めながら回廊を歩いていたフィシュアは、階段の手前で立ち止まった。思いがけない人物と行きあったからだ。

 手すりに背を預け佇んでいたシェラートは、フィシュアの姿を見咎めると言った。

「こんな夜更けにどこに行くつもりだ?」

「ちょっと下に水でももらいに行こうと思って」

 とっさにとってつけた笑顔は、シェラートには通じなかったらしい。

 ただ、ひそめていた眉をさらにひそめ、シェラートの表情が、ますますしかめつらしくになる。

「そんなもの身につけてか?」

 剣呑な翡翠の眼差しの先にあるのは、フィシュアの腰に履かれている宝剣だった。あぁ、とフィシュアは自身も宝剣に目を落とす。

「これは……ただの飾りよ。ほら、宝石がいっぱいついているでしょう? たまには手入れしなきゃと思って。部屋の明かりだけじゃちょっと暗すぎてよく見えなかったし。せっかくだから、ついでに舞いの練習もしたいのよね」

 今なら誰もいないないようだったし、とフィシュアはつけくわえる。

 フィシュアの答えに、シェラートは苛立ちもあらわに息をつき、腕を組んだ。

「お前、さっきと言ってることが違うぞ? 苦手なら嘘をつくことはやめておくんだな。どこかに行くつもりなんだろう。今日、夜、外を出歩かないよう、とめられたばかりじゃないか。何かは知らないがやめておけ」

 仏頂面でシェラートは見すえてくる。向きあったまま、フィシュアは口の端をあげ、ふと笑った。

「どうしてそう思うの? ……というより、あなた、私をここで待ち伏せていたんでしょう。どうしてわかったの、って聞いたほうがいいかしら?」

 階下の灯りを受けて、フィシュアの双眸が鋭く揺らめく。同時に光を通さない深淵に似た藍色の瞳を見て、シェラートは嘆息した。

「さっき、わざわざその石が国宝級だって言って、周りの関心をひいただろう。何か裏がない限り、そんな自慢するようなこと、お前はしないだろう」

「あら、わりとうまくいったと思ってたんだけどな」

 フィシュアは口に手をあてて「どうやら失敗だったようね」とくすくす笑った。

 シェラートが、顔を険しくする。

「お前、今日変だぞ?」

「出会ったばかりのあなたに、今の私が変かどうかなんて、わからないでしょう?」

 シェラートを見あげ、フィシュアは首を傾げた。

「――あぁ、そうだな。けどな、テトに心配をかけるのはやめろ」

 釘をさすシェラートの物言いに、フィシュアは肩を竦める。

「私って信用ないのね」

「信用してないのは、お前も同じだろう?」

 シェラートの問いかけには答えず、フィシュアは目の前の魔人ジンを見すえる。

「心配しなくても朝までには戻る。テトが起きる前にね。テトの村にも、予定通り、ちゃんとついていく。だから……」

 寸の間、口をつぐんだフィシュアが一度、考えるように視線を床に落とした。しかし、すぐに顔をあげると、シェラートと対峙して、ふ、と笑った。

 今度こそ普段のフィシュアと変わらない微笑で。どこか不適そうに、フィシュアは笑う。

「だから、あなたは何があっても、いつも通り自分の役目を果たしなさい。決してテトから離れないこと。テトは外に出さないこと。もしも、私が朝までに戻ってこなかったら、何か適当に言ってごまかしておいて? 後で必ず追いかけるから」

 任せたわ、と、それだけ言ってしまうとフィシュアは素早くシェラートの横をすり抜けた。足早に階段を降り、外へつながる扉を開け、出て行く。

 制止の声も届かない。

 すぐにシェラートは後を追いかけた。

 扉を開ける。だが、そこにはただ静かな夜の街が広がっているだけだ。

 一人、闇夜へと舞い降りたはずの歌姫の姿は、もうどこにも見当たらなかった。

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