第12話 謎の首飾り【2】
動転しきっている主人の姿を見かねたのだろう。部屋の奥で様子を窺っていた女将は、そろそろと入口までやって来た。主人同様驚きを隠せないでいる彼女は、居合わせた面々に視線を巡らせた後、戸惑うようにフィシュアに視点を定めた。
「本当にこちらでよろしいのですか? あちらの通りにはもっとよい宿がたくさんありますのに」
「あっちの通りもちゃんと見てきたけど、どこも満員で。あなた方さえよければぜひお願いしたいの。それに私、ここの雰囲気は、あったかくて落ち着くから好きだわ」
フィシュアは、宿の中を見渡して力強く言う。嬉しそうに頬を染めた女将は、はにかむように礼を口にした。入口に立つ女将は身をずらし、フィシュアたち三人を中に引き入れる。
「どうぞ。本当に見た目通りのみすぼらしい宿で申し訳ないのですが、料理だけは自慢なんですよ」
「本当に!? 楽しみだわ! 私、もうお腹ぺこぺこで」
眉をさげたフィシュアは、もっともらしく腹をさする。それを見た女将は、おかしそうにくすくすと笑みを零した。
「それなら急いでおつくりしますね」
調理場の方へぱたぱたと足早に駆けて行った女将に続いて、主人も慌てて妻を追う。
宿の中に入り、手近な椅子に腰をかけたフィシュアは、テトとシェラートの二人が揃って入口に立ち尽くしているのに気付き、はたと目を瞬かせた。
「何してるの? 早く中に入ったらいいのに」
フィシュアは平然とした面持ちで呼びかけてくる。のんびりとくつろぎはじめた彼女を二人は呆気にとられた顔で見返したのだ。
***
「おいしい! 女将さん、この肉団子、ほんっとうにおいしいですね!」
フィシュアは上機嫌で、出された料理を口に運ぶ。嬉しい叫びに、女将の顔は自然と綻んだ。
フィシュアの隣では、テトがはふはふと口を動かしながら、熱い肉団子を頬張る。
納得がいかないと言いたげな顔つきをしているシェラートも、手と口だけはしきりに動かし続けた。
「フィシュア様。こちらもどうぞお召し上がりになってください」
満面の笑みで言った主人の口調からは料理に対する自信が窺える。ドン、とテーブルに置いた土鍋の蓋を、主人は手ずから取り去った。
緑、赤、黄色と色鮮やかな野菜が目に飛び込んでくる。澄んだスープの中、鮮やかな野菜の間に紛れこむように入っている薄茶の豆もふくふくとしていて見るからにおいしそうだ。テトは歓声をあげた。
早速自分の椀に野菜スープをよそいはじめたテトを眺めて、主人は満足げに頷いている。
「さ。フィシュア様もどうぞ」
主人がよそってくれた野菜スープの椀を受取りながら、フィシュアはほのかに笑った。
「フィシュア様は、やめてください。そんなにたいそうなものでもないんだし、“様”なんてつけなくて結構ですよ」
「そそそそそんな、めっそうもない!!! フィシュア様はフィシュア様であってフィシュア様なんですよ!?」
慌てふためき、主人は訳の分らぬ理屈を連ね始めた。女将は夫の様子を困った風に見やりながらも、すかさず助け船を出す。
「すみません、本当に。ご不快でなければ、主人の好きなように呼ばせてやってくれませんか?」
「いえいえ。こちらもなんだか無理を言ってしまったみたいで。どうぞ好きに呼んでください」
笑いながら手を振るフィシュアに、女将は「ありがとうございます」と頭を下げる。再び面を上げる中途、女将は野菜スープを飲んでいる少年が驚きに目を瞠っているのに気付いて、相好を打ち崩した。
「冷たいでしょう?」
「うん」
今まで温かなスープしか食べたことがなかったテトは、冷たいスープの入った椀を不思議そうに見つめた。
「この地域は、とても暑いでしょう? だからスープを冷やすことはよくあるのよ。中には温めたものよりも、冷たくしたものの方がうんとおいしくなるスープもあるわ。このスープも、その一つ。どう? 口に合わなかったかしら?」
女将の問いかけに、テトはぶんぶんと首を横に振った。
「すっごくおいしい!」
野菜スープが冷たい分、昼間火照り切っていた身体の中を通り抜けて行くのがよく分かる。じんわりと胃の腑に沁み渡る心地は、スープを二度味わっているようだった。
テトは匙を握り直し、再びスープを口に運びはじめる。
ほほえましくその様子を眺めていた女将は、空いている椀にスープを注ぎ分け、シェラートに手渡した。
テトと並んでスープを食べていたフィシュアは、視線に気付いて匙を動かす手を止める。
「何」
フィシュアが顔を上げれば、向かいでシェラートが怪訝そうにこちらを注視している。翡翠の双眸には明らかに不審がる色と探るような動きが見てとれた。
いや、とシェラートは、思考を打ち払うように一度、首を振る。
「助かった、けど……お前は一体何者なんだ?」
口にされた疑問。フィシュアはいたずらめかして藍の双眸を深く煌めかせた。
が、フィシュアが口を開くよりもいくらか早く、宿屋の主人は心底驚いたようにあんぐりと大口を開けた。
「なんだ、シェラートさん知らないのかい?」
奇特なものを見たと言わんばかりに主人は目を皿のようにしてシェラートを見る。主人の意味するところが掴めず、シェラートは眉をひそめた。
「ほんっとうに知らないのか! いいかい。フィシュア様がつけているこのラピスラズリはなぁ」
「待って! 二人にはまだ言ってないのよ」
フィシュアは主人の言葉を遮った。驚いて顔を向けてくる主人に、フィシュアはにやりと笑いかける。
「楽しみは後に取っておくものでしょう?」
「まぁ、……そうですね」
フィシュアの意図を汲み取った主人は、含み笑いをする。黙ってやり取りを見守っていた女将も、主人とフィシュアが意味深に目を配せたのを見て、くすくすと笑いはじめた。
ただ二人、テトとシェラートだけが、いぶかしそうな顔をしてフィシュアに説明を求める。
二人の無言の訴えに気付いたフィシュアは、「まぁ、明日の夕方になればわかるわよ」と彼らに向かって意地悪そうに片目をつむって見せたのだ。
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